02年10月17日 新社会党のどこが問題なのか
ソ連への幻想は現象的問題にすぎない:
私は村山内閣時代に社会党を除名されている。かつて一緒に活動していた神戸市内の総支部すべてがまるごと除名されたのである。
その後私はどこにも政党に入っていないが、昔の仲間達は新社会党を結成して活動を続けている。
私はこの人達がこれまで地域や職場で担ってきたことを高く評価し、同党の支持者を続けているのだが、ひとつ根本的な問題点を感じている。これが克服されない限り現在の低落傾向を脱却できないだろう。
ソ連体制に幻想を抱いてきたこと? たしかにそれも大問題だが、それは現象的問題にすぎない。反省すればすむ話だ。
根本的問題は、情勢分析についての心理主義的傾向にある。そしてこのことが、主敵のライバルにつく傾向という次なる問題点を生み出す。
情勢分析についての心理主義的傾向:
ここで、情勢分析についての心理主義的傾向と言っているのは、「活動家が元気がでるようにすること」ということを、最初からあらゆる分析の目的においていることである。なるほど新社会党の人々は、これまで、最も困難な前線で血へどを吐くような闘いをしてきた。その人々が展望を持てるような心理的戦術を工夫することは必要なことである。しかしそれは戦略を立てるための分析とは別の話である。分析が科学的でなければ玉砕に向かうだけだ。
戦略を立てるために配慮しなければならない感情は、肯定するにせよ批判するにせよ、大衆の感情であって、活動家の感情は二の次のはずだ。ましてや指導部の感情であってはならない。
ソ連型体制に幻想を抱かざるを得なかったことは、この態度の必然的帰結である。
資本主義がどんなにひどいものかは最前線で闘っている活動家が身にしみて実感していることだ。こんなにひどい。ますますひどくなっていく。「しかしほらごらん。あそこにソ連がある。」
地上に希望の具体例があることを示すことは、絶望的状況で闘う人々に元気を持たせるための手っ取り早い方法である。それが身近にあればアラが目立つので、遠くの外国であれば都合がいい。
しかしこの方法は、一旦幻想が破れたら、「元気」は利子をつけて消え去ってしまう。
本当は、自分が目指すものと少しでも似た具体的ケースがあるのならば、目を皿のようにしてそのアラを探し、自分はそうならないような対策を考えるというのが、正しい科学的態度だろう。
今に至ってもなんとか希望を持とうと、名前だけでも「社会主義」とついた具体例を地球上捜しまわっている姿は、あまり見好いものではない。
主敵のライバルにつく傾向:
そして、少数派の孤立した闘いでは元気がでないからこそ、主敵のライバルにつくという傾向が生まれる。
ソ連は、主敵アメリカのライバルだったからこそ、いろいろあるかもしれないが足をひっぱらないよう目をつぶってきた。社会党は、自民党のライバルだったからこそ、右傾化する指導部にさんざん食い物にされながら、最後までくっついてきた。というわけである。
新社会党に行った人々はまだこの点まともだったのであって、かつて同じ社会主義協会系であった少なからぬ人々が民主党に流れたのは、正にこの根本態度そのものが原因だったと言えよう。右派側からする「偽装転向」なる邪推は成り立たない。転向どころか基本的態度は全く変わっていない。主敵自民党のライバル民主党のために、最後までつくしてくれるだろう。
このような態度はこれまでは社会運動全体の発展にとってそれほど障害ではなかった。むしろ、多少の違いを超えた共闘に柔軟であったという点で、プラスに働いてきたと評価できる。
しかしこれからはこの同じ態度がマイナスに転化するのではないかと危惧している。
何度も強調してきたように、冷戦後の極右は反資本主義的主張をかかげて大衆からたちのぼってくる。ルペンや小林よしのりがそのさきがけであるが、これから冷戦時代の記憶の薄い活動家がこれらの運動に加わってくるにつれて、ますます「私は右」とは言わなくなり、資本主義批判のトーンが鮮明になってくるだろう。
こうした運動が盛り上がってくるのを目にして、「グローバル資本主義への反発がこんなに高まった」と、自分達を元気づけるためのネタに使ったらどうなるだろうか。主敵たるグローバル資本主義に対抗するために、手を組もうなどと発想しはしないだろうか。内心マルクス主義への自信が揺らいでいるものだから、ますます無節操に反米・反資本主義なら何でもいいと言うことになりはしないか。そうした態度を、ソ連の教訓を踏まえた柔軟な態度と勘違いしはしないか。
長期的展望は楽観していい。しかし情勢分析が楽観的であっては命取りである。現実の中のどんな徴候も、生身の一人一人の人間を大切にする立場から、言論・結社の自由、人権尊重、民主主義を基準として厳しく吟味し、これに反する動きを見つけたら対抗策を練らなければならない。平壌政権に対する態度も、その試金石のひとつだろう。