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 02年10月22日 新社会党の日朝交渉論の評価点と限界


やっとでたエセ「補償」批判
 本日付けの新社会党の機関紙「週刊新社会」の社説欄「道しるべ」で、日朝交渉が評論されている。
 そこでは、平壌宣言の枠組みが政府間の「請求権放棄と経済協力」となったことを批判し、「これでは言葉での『謝罪』があっても、実際に被害を受けた人びとへの直接の補償はなく、強制連行などの被害者は泣き寝入りになろう。」と論じている。

 やっと出たか。待ち望んだ議論である。

 もっとも、「北朝鮮側が経済的困難からそれで妥協したとしても」と、あたかもいやいや合意したように描いて平壌政権を免罪しているのはいただけない。
 金正日一味にとっては巨額の利権が手にできるのである。「経済協力」の名のもとに、政権を支える事業を大規模にやってもらえるのだから、彼らにとってこんないい話はない。
 彼らはもともと北朝鮮人民のことなど歯牙にもかけていない。むしろ、個々人に対する補償が広範になされ、人民が疲弊から立ち直って力を持ちでもしたら、金正日一味にとっては脅威であろう。

 要するに、日朝両政府は植民地被害者の痛みを踏みにじろうとしている点で共犯なのである。
 左翼陣営は、平壌政権を、日本資本に北朝鮮人民を売ったかどで厳しく糾弾しなければならないのである。
 

ダブルスタンダードはやめよう:
 この「道しるべ」の評論でも日韓条約のときのことが言及されているように、従来日本の左翼陣営は、このようなタイプのエセ「戦後補償」を厳しく批判してきた。
 手っ取り早い例として、『大月経済学辞典』の「賠償」の項目を見てみよう。旧日本軍占領地域への賠償について概説して、特に南ベトナムと「南朝鮮」について取り上げた後、

「60年代においてはすでに賠償の意義はその本来の戦争の結果として生じた損害賠償や懲罰的意味をなくして、経済成長期における資本にとっての国家の財政支出による市場創出であり、また賠償受取国市場への独占資本の経済進出の端緒をつくる手段へと変容した。」
と評している。これは、基本的に正しい認識だったと思う。
 だからこそ、我々は、かつての韓国についても、南ベトナムについても、インドネシアについても、ビルマについても、これらの独裁国への日本の「賠償」や「援助」に反対してきたのである。それらは日本の経済進出のためにあり、それと癒着した現地の特権層を支えこそすれ、現地の民衆を一層苦しめるものでしかないとして。

 北朝鮮で今行われようとしていることは、正にこれと同じことである。
 中国の5分の1と言われる賃金水準を日本資本がエンジョイするために、経済インフラを整備し、冷酷非道なうってつけの奴隷頭として平壌政権を支えること。これが今回行われようとしている「補償」の本質である。
 崩壊寸前の危機にある平壌政権は、渡りに船と喜んでこれに飛びついているのである。

 韓国や東南アジアの独裁者への「補償」や「援助」に対して我々がとってきた正しい態度と、同じ態度を今回も取るかどうか。もし取らなかったとしたら、全くのダブルスタンダードと言うしかない。

 日韓条約の際にこうしたエセ「補償」が取り決められていった経緯が、在外被爆者への国家補償を求める「郭貴勲さん・李在錫さんの裁判を支える会」のサイトの中の論文「今なぜ戦後補償裁判なのか」で取り上げられています。これを読むと、戦争遂行上のアメリカの思惑も含め、今回の日朝交渉そっくりという気がする。
 

韓国の拉致被害者や在日の「帰国」者についても取り上げるべきだ:
 ところで、新社会党のこの評論が、日本人拉致被害者への平壌側の謝罪と補償を求めていることは、従来の同党の立場からすると一見前進に見える。
 しかし、申し訳ないがきつい言い方をすれば、こうしたとりあげ方だけでは右翼の議論と区別がつかない。

 「日本人の拉致」を非難すれば「植民地時代の朝鮮人の拉致」への非難が返ってくる。するとそれがまた民族主義的反発を生む。
 このような「民族対民族」の図式に陥ることを許してはならない

 今回明らかになった拉致事件が、日本の植民地支配と同類の人間性に対する犯罪であるからこそ、一方を許さない立場が他方を許さない立場につながるのである。この立場を貫き、「民族対民族」の図式から脱却するためには、日本人だけではなく、数百人にのぼるとされる韓国人の拉致被害者についても取り上げ、日朝交渉で真相糾明と現状回復、謝罪と補償を要求するよう、声をあげなければならない。
 さらに、だまされたり半ば強制されて北朝鮮に渡った大量の元在日の人々とその日本人も含む家族についても、安否確認と日本への帰国(生まれた国へ帰ることを「帰国」と言うのである)、この間の人権抑圧の真相糾明とその謝罪と補償を要求するよう、主張しなければならない。

 ひいては北朝鮮の人権状況一般についても、その改善要求を話題として取り上げるよう迫らなければならない。これなしには、我々が税金を通じて一部特権階級を支え、北朝鮮人民への抑圧に加担してしまうからである。
 
 


 

 

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