02年11月21日 医療制度のアイデア
小泉改革の実害がふりかかってきた:
もともと小泉改革には反対のはずだったのに、最近竹中さんがいじめられたりしてるのを見ると、「最初から不況にするって公約してて公約通り実行してるんじゃないか。何をいまさら文句いってんだ。選挙で選んだ者が悪い。」と、妙に小泉内閣の肩を持ちたくなってきていた。
しかし医療制度改悪が実施され、診療報酬の単価が引き下げられたり包括払い制になったりして、努めている大学の大学病院の収入が減少してくるとそうも言ってられない。いよいよ実害が自分の身にふりかかってきたという感じだ。
そこで、医療制度改革のアイデアを考えてみた。
従来の制度の問題点:
ではいったい従来の制度のどこが問題だと政府は言っているのか。簡単に言えば、薬や検査などを投入すればするだけ病院側がもうかる仕組みになっていたために、医療保険財政からの支出が膨らみ、このままでは破たん寸前ということである。本当はもっと効率的に病気を直す方法があるはずなのに、不要なことばかりやって、公的財政が食い物にされてしまっている。
だから病気ごとに複雑怪奇な方法で枠を決めて、それに基づいて病院に診療報酬を払う仕組みに変えようというわけだ。
しかしこれで当然起こることは、なるべく手を抜いて、まだ直っていない患者も退院させ、コストのかかりそうな患者はあの手この手で追い払うということだろう。ひどい世の中になるな。
通常の財ではどうなのか:
要するに、かかったコストで評価すれば不要なコストもどんどんかけるようになる。種類ごとに一定の評価にすれば必要なコストもかけずに質が悪くなる。こういうジレンマがあるわけである。
通常の財ではここのところがどうして解決されているのか。コストをどんどんかけて非効率なことをすれば、値段が高くなって客が逃げる。必要なコストもかけずに手を抜けば、質が悪くなって客が逃げる。企業が利益をあげようとすれば、品質と効率の両方を追求せざるを得ない。コストはかかるがニーズが大きいサービスは、価格が高くても需要があるので、供給者は現れる。
医療も同じにすればいいのだ。医療サービスの単価を行政が一律に決めようとするからおかしくなる。病院が自由に決めればよい。それだけのことだ。
ただしもちろんこれは患者側に予算制約があって、なるべく安いものを選ぶ誘因が働くから成り立つことである。大部分が医療保険から払われるならば、患者側に、なるべく安い病院を選ぼうという誘因は働きにくい。これでは病院側はどんどん高い値段をつけていき、医療保険財政はやはり破たんする。
ではというので、この誘因が働くほど患者負担を増やしたらどうなるか。お金持ちほど医療が利用できる。お金がない人は医者にもかかれない。病気しても我慢してこじらせて、働けなくなって、ますます貧乏になってしまう。
結局、需要のない庶民用の医療サービスの供給は減っていくだろう。お金持ち用の豪華な高級病院ばかりが増える。
ニーズが大きく所得もある患者が「心づけ」という形で医者に報酬を払い、それによって必要な質の供給を引き出していることは、このような市場調整が「ヤミ」で働いていることを示している。
私の提案:
そこで、お金でなくても、患者側に一種の予算制約が働くように、各自が使える診療報酬点数の総額を各患者に配分すればよい。そして、その枠の中で、自由に医療サービスを購入できるようにすればよいのだ。
ただし一律平等に分配したのでは、もともと病来がちな人と健康な人との差があるので不公平になる。よって、介護保険のかの悪名高き「要介護度認定」にならって、次のようなアイデアが考えられる。