松尾匡のページ

 03年1月17日 究極の理想論


 現実離れした理想論は言ってもしかたないとされている。しかし中途半端な理想論にとどまることなく、あえて現実離れをいとわず徹底した理想を語ることは、その人の基本的なスタンスが浮かび上がるという点でかえって意味がある。

 私にとっては、究極の理想は、「一人一言語」である。全世界40億人が、みな一人一人自分の言語体系を持ち、かつそれが万人に理解できるのが理想である。

 言語というのはあらゆる抑圧がなくなった後にも残る最後の抑圧だと思う。だいたい語学が苦手だ。英単語を覚えるのが苦痛でしかたなく、何度も何度もひいた単語をまたひいてしまったときには、屈辱感で胃がねじれる思いをする。「こんなこと俺は同意していない! 勝手に決めるな!」と辞書に向かって悪態をつく。数学の定理も物理の法則も私に納得を求めるのに、単語こそは有無を言わせぬ。全く許せない。
 おそらく、法律も経済もみな万民の合意で成り立つようになったとしても、言語だけは最後までこんな独裁を続けるのだろう。

 一人一人の人が成人になったらみな自分の考案したオリジナルな文法と単語集を公表し、それを各自が身につけた自動翻訳機かなにかで全員が理解できる世の中。これが究極の民主社会だ。SFを夢見るならば、太陽系の外に旅行できる未来よりも、こっちの方がずっと魅力的だと思う。
 
 


 

 

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