03年4月11日 二大系統の進化論
二大系統の進化シミュレーション:
ちょっと古い話になるが、2000年5月に早稲田大学で行われた複雑系シンポジウムのポスターセッションで、おもしろい研究報告が行われていたことを覚えている。それは、生物進化をコンピュータでシミュレーションしたもので、食う食われるの関係が突然変異で変化することで、どのような系統分化がおこっていくかを見てみたものだった。
その結論がとても興味深かったのは、たいていの場合、ごく初期で二またに別れた二大系統が、絶滅をくぐりぬけて最終的に残るということである。
もちろん進化というものは当然二また状に分かれて起こるのだから、二またになっていること自体はあたりまえのことである。重要なのは、比較的初期時点で枝別れをくり返してできたいくつもの系統のうち、最終的に残るのは二つだけというケースが多いという点である。
現実の例:
報告者は、恐竜の二大系統「鳥盤類」と「竜盤類」をあげてウケをとっていたが、たしかに考えてみればこのような例が多い。
「ワニの祖先→恐竜→鳥」の系統と、「哺乳類型爬虫類→哺乳類」の系統の二大系統もそうだ。この両系統は、遠く古生代に両生類から爬虫類に進化して間もなく分かれ、ペルム期の哺乳類型爬虫類全盛、代わって中生代のベニイロワニらの発展と続く恐竜の全盛、そしてまた一転して新生代の哺乳類全盛と、何億年にもわたる覇権の交代をくり返してきた。
動物界全体を見れば、我々脊椎動物に流れる系統と、昆虫に流れる系統の二大系統がある。
さらに高等生物全体を見れば、動物の系統と植物の系統の二大系統がある。
魚の系統と陸棲動物の系統:
まだある。現在の硬骨魚類の系統と両生類以降の陸上硬骨動物の系統も同様の二大系統なのである。
魚はもともと現在のサメ同様、軟骨の動物だった。その魚の一部が海から内陸の川や湖に進出した。海に住む限りは必須栄養素であるカルシウムは周りにいくらでも溶けているが、淡水に住むようになるとそうはいかない。彼らはカルシウムを骨に貯えて、必要なときに溶かして使うように進化した。するとカルシウムのおかげで骨が硬くなって体を支えるのに都合がよくなった。
こうしてできた原始的な硬骨魚類は、一種のハイギョだった。内陸水に住む彼らは、たびたび水が干上がるために、原始的な肺を進化させたのである。
このような原始的な硬骨魚類がそのまま陸上に上がって肺を発達させたら両生類になる。
ところが他方で、もっと水中生活に適応するように進化したものもいた。彼らは肺を浮き袋に変えて自在な遊泳を可能にしたのである。こうして進化した硬骨魚の一部が海に戻り、今日のタイやマグロの祖先になったのである。(だから両生類は「浮き袋から肺を発明した」わけでもないし、「もともとあった鱗を失った」わけでもない。)
だから、「魚類」というまとめ方は不正確なのである。正確には、サメやエイらの軟骨魚類と、硬骨動物全体とにまず分類し、そして硬骨動物の内部が、陸棲のものと魚とに分かれるというのでなければならない。実際硬骨魚類は、陸棲硬骨動物全体に匹敵するくらいの種を持っているのである。
(両生類に海水棲のものがないのはこういうわけだったのである。硬骨魚が海に戻ったのは実に爬虫類時代になった後のことで、するとすぐさまそれを追って海棲爬虫類が出現している。)
冷戦左右系統はしぶとい:
さて、これまでこの一連のエッセーで、たびたび「右、右たらず。左、左たらず。」という現状をなげいてきた。左派が人権や連帯の価値観に忠実であるならば、内政不干渉論や国家後見主義からは縁を切って、グローバルな視点で反平壌・反独裁の立場に立たなければならないのに、そうなっていない。右派が民族主義的価値観に忠実であるならば、親米論や市場主義的改革論からは縁を切って、フセインや平壌政権を擁護して経済規制強化を求めなければならないのに、そうなっていない。従来の左右ごちゃまぜにして、ガラガラポンで、個人主義・グローバル派と、集団主義・反グローバル派とに分かれたらすっきりするのに、なかなかそうはならない。従来の冷戦時代の左右の枠組みは、各々の内部に論理矛盾をかかえながら、しぶとく生き続けているのである。
どうも生物進化の系統と同じことが起こっているらしい。
経済学的に重要なのは、資本側か労働側といったたぐいの経済学的カテゴリーである。それは生態学的に重要なのが、肉食か草食か、陸海空どこに棲んでいるかといったカテゴリーであることと同様である。羊にとって重要なのは、相手が肉を食うことであり、袋がついているかどうかはどうでもいい。ソ連共産党幹部はその歴史的起源が何であれ、労働者階級に対する資本家階級にほかならないのである。
しかししばしば歴史的系統と共時的構造上のカテゴリーとが重なることが多いために、両者を混同してしまいがちである。そもそも二大系統への分化という傾向自体、両系統の間で生態学的な棲み分けが起こることによって生じるものなのだろう。すなわち、硬骨魚類と陸棲硬骨動物は水中と陸に、鳥と哺乳類は空と陸にというように。一旦このように棲み分けられると、相手系統の生態学的位置への進出は、身体のデザインを大きく変えるハンデのせいで困難になる。
だが進出先に既存のライバルがいないならばこうした進出も起こり得る。哺乳類がいなかったニュージーランドでは、飛ばない鳥が生まれ、肉食の大形鳥モアと食虫の小型鳥キウイに進化した。生態学的に哺乳類の担う位置を占めたのである。哺乳類にあたる種が必要だからといって、何もないところからそれを創るわけにはいかない。歴史的に与えられた材料を使うほかない。だから全く別系統である鳥類でも、この材料として役立ったのである。
条件が変わって冷戦左右の役割が失われても、新しい条件にあわせた新しい勢力分布は、何もないところからガラガラポンと創り出されるわけにはいかないのかもしれない。やはり歴史的に与えられた冷戦左右を材料にしてできるほかないのかもしれない。例えばブレアの労働党のように、社会主義インターナショナルという「前適応」のおかげで、ナショナルな保守党よりもグローバル時代の資本の要請にかない、左派政党がグローバル時代のブルジョワ政党の役割を果たすということも起こるわけだ。もっと顕著な例では、リンカーンの党共和党が保守政党に、奴隷解放の反対政党であった民主党がリベラル政党になったということも過去にはあった。これほどのことがあっても二大政党の枠組みは旧来のものを引き継いでいるわけである。
冷戦左右図式は、歴史的には市民革命のころから見られたもので、近代が生まれたとたん分かれた二大系統である。しぶとく生き続けるのも歴史の重みかもしれない。
ウルトラマンと仮面ライダーは?:
ところで、私が子供のころ特撮テレビが始まるや否や生まれたウルトラマンと仮面ライダーの二大系統も、今に至るも延々と生き続けている。子供の頃いろいろなパターンが生まれていたが、これ以外はほぼ絶滅したという感じだ。「大型化=光線わざ=飛行」と「等身大=肉弾戦=乗り物による走行」という組み合わせは内部整合性があって生態学的位置を棲み分けているように思える。
やはり二大系統論は鉄をも貫くのか、と思っていたら、この話を聞いた知人が「戦隊レンジャーもの」が生き続けていると指摘してくれた。そうかあ。やっぱり成り立たないのか。