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 03年9月22日 この秋のお勧め本:ベッカー『餓鬼』



 
ジャスパー・ベッカー 著/川勝 貴美 訳
 餓鬼(ハングリー・ゴースト)
   ──秘密にされた毛沢東中国の飢饉

  中央公論新社 、1999年07月 、本体 \2,400


大飢饉の生々しい実態:
 この本の著者はイギリスのジャーナリストで、中国各地をくまなく歩き回ってインタビューを行い、それをもとにこの本を執筆している。その上に数多くの史料を用いており、データやエピソードには逐一出所を注記している。
 この本は、1958年から61年ごろまで続いた中国の「大躍進」期の飢饉を扱ったルポルタージュである。「大躍進」は、当時国家主席であった毛沢東が発動した増産推進運動であるが、この結果、中国全土は約三年間にわたって大飢饉にみまわれた。これによる死者の数は、一般に3000万人にのぼるとされる。これは、西側の研究者が公式統計を使って推計した最も信頼されてきた数字なのだが、最近では中国当局の公式発表統計でも、農村人口のうち約1900万人が死亡したと推計されているという。この本によれば、中国共産党内部の委員会報告資料では、4300万人から4600万人の死亡という数字がでているらしい。
 この本でまず圧倒されるのは、膨大なインタビューで経験者から聞き取った、飢饉の生々しい具体的描写である。飢餓が行き過ぎるとやせ細るのではなく、浮腫でふくらみ始める。失禁や下痢が起こる。歩くこともままならないのに、役人が穀物を隠していないか家中探し、むりやり農作業につれていく。雑草も食べつくし、土を食べて死ぬ人々。人肉食は蔓延し、自分達の子供の死体を交換しあって食べることは普通だった。自分の子供を殺して食べた例も見られた。民家の中にも農場にも道ばたにも行き倒れた人々の死体がころがっているのに、誰も体力がなくて埋葬できない。
 にもかかわらず公式には大豊作ということにされ、穀物が貯蔵庫にあふれていた。泣叫ぶことも喪服着用も建前にあわせて禁止された地方もある。

地方幹部の暴虐:
 さらに圧倒されるのは、地方幹部が農民に対して行うきままな拷問や殺りくの数々である。

 安徽省鳳陽では、441人が拷問で死亡し、383人が生涯半身不髄になり、2000人が投獄されて、そのうち382人が獄死したという。そして鳳陽報告書から次のような具体例を引いている。(pp.200-201)

・1960年の春、樵山生産大隊の幹部李中規と張永嘉は、4人の子供を生き埋めにしようとしたが、家族の懇願で中止された。掘り出されるまで、腰まで埋められていた子供たちの心の傷は深かった。
・立武生産大隊の隊長蘇和仁は、人民公社の一員許凱蘭を生き埋めにした。彼女が、米のスープが欲しいと泣きながら彼に要求したからである。
・幹部の華光翠は、農民張が病気の母親のためにうどんが欲しいという要求を断った。華は、母親の病は重いのだからどうせすぐに亡くなる、と言い、畑からみんなが戻る前に、母親を埋めるように命令した。張はやむをえず、母親を生き埋めにした。
・丁学元は、自分の豚を殺した罪で逮捕された。昼は貯水池建設に従事し、夜は手錠をかけられて収監された。拷問を受けて獄中で死亡。
・総鋪人民公社の鳳興生産隊長王雲従は、利怡君を窃盗の罪で逮捕した。王は李の口の中に熱した棒を入れた。
・殷澗人民公社の昭姚生産隊長韓甫田は、泥棒を捕らえ、その指四本を切断した。
・黄湾人民公社の淮鳳生産大隊長張典洪は、穀物を盗んだ農民王小皎を捕らえた。張は王の耳から耳へ針金を通し、縛って、殴った。
・黄開金は、子供たちの耳に針金を通し、その針金の端と端をつないで、電話遊びをしているのだ、とふざけた。
・星火生産大隊書記しょう克承は、盗みをして捕まった女性しょう清を脅して強姦した。
・板橋人民公社の柘塘生産大隊孫玉成は、盗みをして捕まった女性の膣に銃をつきさした。
・新化生産大隊副隊長張玉蘭は、老女とその二人の孫に毎日七十斤の野草を持ってくるよう命じた。そうしなければ彼女たちには食糧を与えないと言った。老女と二人の幼児は、病気と飢えのために亡くなった。
 また、河南省信陽では、農民からありたけの穀物を取り上げた上、穀物が残っていないことがわかると、ニワトリ、アヒル、豚その他の家畜を供出させ、ついには、ふとん、銅製のドアの取っ手、木綿の冬の上着まで取り上げた。その際に幹部が行使した拷問と殺人の数々が、党の資料に残っているという。
 この本の著者は、その例として一人で200人とか300人とかをなぐった幹部たちをあげたあと、次のようなエピソードを書いている。(pp.163-165)
 生き埋めにされたり、凍死した人もいた。「羅山人民公社の定遠貯水池現場では、劉南介という農民が、衣服を脱がされて、雪の降る凍った屋外に立っているよう命じられた」。光山県華樹店人民公社では、十三人の孤児が水に入れられたまま外に放置され、凍死した。幹部たちの共通したやりかたは、髪をつかんで、引きずることだった。こう川県では、農民の女性が髪をつかまれたまま六十フィート引きずられて死んだ。髪や鬚、陰毛などに火をつけたことも記録に残っている。農民たちはこの難から逃れるため、あらゆる毛を剃ったが、幹部たちは、次に、耳を切り落とすのだった。息県防湖人民公社の生産大隊では、十七人が耳を切り落とされた。人民公社婦人部長だった二十歳の黄秀蓮は、四人の耳を切り落とし、そのうちの一人は死亡した。女性たちは、陰部に棒を差しこまれるなどの辱めを受けた。長時間座ったまま、立ったまま、あるいは長距離を走るなどの拷問もあった。
 党の記録には、さらに恐ろしく、おぞましい拷問も記録されている。固始県七司人民公社の党書記江学中は、人肉をゆでて肥料にする方法を考案し、百人もの子供をゆでたと風聞がたった。その後の調査で、彼は、少なくとも二十人の遺体をゆでたことが明らかになった。同様に厳しい懲罰は、貯水池や灌漑施設などの巨大建設工事に送り込むことだった。固始県だけでも六万人が送られ、一万七百人が疲労、飢餓、寒さ、殴打などで亡くなった。
 この恐怖を前にしては、農民には自分の身を守る方法がまったくないも同然だった。共同食道に穀物がなくなると、農民は残った家畜を殺した。路文憲は、この事態を「生産の放棄」と決めつけ、「生産放棄」した人々には、さまざまな報復が待ちうけていた。平輿県西洋店人民公社の幹部は、罪人に喪服を着させた。何人かは、鼻に穴をあけられて針金をとおされ、牛のように田畑で鋤を引かされた。また何人かは、裸にされてぶたれ、その体の上に、剥いだばかりでまだ血のしたたる牛の皮を巻きつけられた。皮は乾燥するにつれて破れ、体の皮膚も一緒に引き裂かれた。息県防湖人民公社の生産大隊では、十八歳の学生王果錫が、大隊の党書記の羊を盗んだ罪に問われ、剥いだばかりの羊の皮で縛られ、三日間食べ物も与えられずに、村から村を引きずりまわされた。そして彼の体から乾いた羊の皮が剥がされたときには、彼の皮膚も同時に剥がれてしまった。まもなく彼は死んだ。…


なぜこんな事態が起こったか:
 この本は、直接何らかの理論仮説を分析しているわけではなく、あくまで事実を記録しているものである。にもかかわらず、この本を一読すれば、なぜこのようなおぞましい人災が起こったのか、そのメカニズムが理解できるだろう。
 すなわち、これはスターリン型体制がもたらした必然的な帰結であった。
 このことは二点から言える。そもそもスターリン型体制は、農村から激しい価値収奪をして、それを元手に工業建設するための体制である。それゆえこの本でも触れているように、ソ連でも1933年にウクライナで飢饉が起こり、700万人から800万人が餓死している。

 しかし「大躍進」期には、もう一つのメカニズムも作用していた。
 国有中央指令経済では、上位者からの指令をヨリ見事に達成できた者ほど上位のランクに出世し、ヨリ多い特権を享受できる。逆に、上位者からの指令通りの業績を達成できない者は失脚し、下位ランクに落とされたり、悪くすれば収容所や処刑台へ行く。このことがインセンティブとなって、生産に励むメカニズムになっている。上位者からの指令に科学的合理性がある限り、これで何とかうまくいく時期はあるだろう。
 しかし、上位者からの指令が科学法則を無視したものだったときはどうなるか。毛沢東が「大躍進」で指令したことはまさにそうだった。深耕密植などの現場の経験を無視した精神主義的妄想的手法がいろいろと押し付けられた。下位者は業績のために大袈裟にそれに取り組まざるを得ない。
 ところがその結果、実際の業績は悪化してしまう。そうするとどうするか。こんな結果がでたのは自分のところだけかもしれないと思った地方幹部は、もしこの結果を正直に申告すれば失脚してしまうというおそれを抱いて、収穫が増大したというウソの報告をすることになる。みんなそう考えてウソの報告をするから、ますます自分だけ本当の報告は言えない。
 そうすると、政府に納めるべき穀物調達量は、そのウソの報告に基づいて決まるので、農民にとっては収奪の強化になってしまう。納められなければウソがばれるし、そもそも罰せられるから、強権を使って無理矢理にでも調達してしまう。実際に上がってきた現物の成果を見て、本当に所望以上の成果があがったと判断した中央当局は、当初のやり方をますます拡大することを指令し、生産計画も増加させる。
 かくしてこのプロセスが進行し、ウソの数字はますます膨らんで、農民からは播種用の種もみも何もかも取り上げてつじつまをあわせることになる。そうなると翌年の生産は壊滅的なものになるが、数字だけは膨らませざるを得ない。この本には、中央幹部が視察に来たときに、農民が並木の皮を剥いで食べていることをごまかすために、並木にペンキを塗った地方幹部の例など、飢饉や不作の実態を中央の目から隠すために地方幹部が行った涙ぐましい努力の数々があげられている。
 当然このような累積過程はどこかで破たんするので、最後にはとうとう毛沢東も飢饉の事実を認識することになった。しかし、それを認めることは自己の責任問題につながるので、その後もしばらくは事態が放置されてしまった。

 そう考えれば、これは一国全体がピラミッドになって情報が隔絶させられた中国でこそ最も極端な形で現れたが、大きなピラミッド組織で成果主義をとったときには、多かれ少なかれどこにでも働くメカニズムだと言えよう。個人への委託販売方式で、手出ししても売り上げ実績をねつ造し、ランクアップを図る例がしばしば見られるのはその一例である。
 だから、毛沢東には十分悪意があったには違いないが、たとえ指導者がどんなに善意で統治しても、同じシステムならば同様なことは起こりうるのである。
 北朝鮮の飢餓も同様のメカニズムで起こっているようだ。国有中央指令経済がいかに社会主義からかけ離れた非人間的な本質を持っているか、つくづくよくわかる一冊である。
 
 
 


 

 

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