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 03年11月10日 置塩信雄死す!


 師匠置塩信雄が亡くなった。
 11月8日、ロシア革命記念日の翌日にして三池炭坑事故記念日・総選挙投票日の前日、午前7時27分急性心不全のため死去。76歳。
 人類はどれだけ背が低くなっていくのだろう。

 晩年の状況はご親族や高弟の方々が気を使われて周囲にあまり話したがらなかったため、うわさ話から推し量るしかなかったのだが、かなりお悪いとだけは聞いていた。亡くなられてはじめて、動くこともしゃべることもままならない状態が続いていたことを知った。
 苦しい闘病生活だったのでしょう。
 ここ数年の世の中の状態は分かっておられたのだろうか。分かっておられなかったなら幸いかもしれない。分かっておられたならばどんなにくやしい思いをされたことだろうか。
 先生はソ連・東欧体制の崩壊に際して何も動じる必要はなかった。実際、ますます意気軒高としておられた。今こそ自分達の出番という感じだった。
 まさかその後、労働運動も平和運動もかくも退潮し、戦後民主主義の獲得物がひとつまたひとつと取り去られる結果になろうとは。

 経済学の世界でも、今では近経の雑誌でとんとマル経の論文を見なくなって久しい。経済理論学会でも、一時は広がりかけた数理経済学がぱたりと見られなくなり、しかしまじめな文献研究も少なくなって、特に同時多発テロ後というもの、事実の切り張りと青年の主張のような論文ばかりが並ぶようになってしまっている。
 こんなときにこそ、こんなときにこそ活躍していただきたかったのに。

 ここで、先生の遺志は私が継ぐと言い切れればかっこいいのだが、我が身の非力さに比べた課題の大きさに目がくらむ。
 数理マルクス経済学の灯を消さないために、再び戦争の惨禍が引き起こされないために、この非力の及ぶ限りがんばっていきます。

 以前、大学院のころに経済理論学会の大会を主催したとき、シンポジウムで置塩先生が見田石介の見解との関連について質問を受けたのに対して、先生は、旧知の故人である見田さんとは今や議論することはできないが、もうすぐ向こうに行くのでそのときゆっくり議論しようといった内容の答弁をされた。後日学会の慰労会の席で私がこの発言について、「そんなことになったら『今の自分をどう総括するんだ!』と言い合いになりますよ」とツッコミをいれたら、先生は、「そんなことないわあ。こんな『存在』もあったんですな、アッハッハ。向こうからは見えへんだけですな、アッハッハ。かわいそうなもんですな、アッハッハと笑ろとるだけや」と言われた。
 本当にそうであってほしい。
 
 


 

 

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