松尾匡のページ

 05年9月29日 「リベラル右派」にされちゃった


 また、エッセーの更新を一月以上あけてしまった。今日は授業も会議もなくて、さしせまった事務仕事もないので、この間に書くぞ。もっとも、月末締め切りの雑誌原稿が一つ残っていて、まだ半分もできていないのだけど。まあ、なんとかなるやろ。

 「日本版ポリティカルコンパス」というサイトがあって、結構おもしろく遊べる。いろいろな政治信条の質問に答えると、政治的位置付けを診断してくれる。
 診断コーナーはここ
 そしたら、これに答えたら「リベラル右派」と診断された。極左のつもりなのに。ショックである。「リベラル右派」なんていうと、民主党の新代表とか、何かこの世で一番いっしょにされたくない人々のイメージがするけど。「ファシスト」とか言われた方がまだましだったりして。

 まあ、言葉の印象はともかく、位置付け方自体は本当は間違っていない。こんなふうになったのだ。

 この枠組みだったら、まあこんな感じになるだろうなということは納得する。
 しかしなんかしっくりこないのは、語感の問題だけではないと思う。経済的な左右が政府介入の容認度で測られるようになっているのが、今日の状況を反映していない点だと思う。せっかく政治的なナショナル志向の強弱の軸と経済的左右の軸を分けたのはいいけど、政府介入志向の強弱はナショナル志向の強弱と相関してしまうから二次元にわけた意味があまりなくなってしまうのだ。
 実際、トップページにある回答者の分布図は、どちらかというと右下がりになっているように見える。まあ、政治指導勢力は右上がりに並んでいるはずなのだから、それと民意の分布が違うということがわかったこと自体は意義深い結果だが。

 今日では、経済的格差、過重労働、失業問題など、資本主義経済の問題点に敏感で、これを何とか解決したいという問題意識を強烈に持っている人々も、必ずしも政府介入の力を手段に使おうと思っているわけではない。NPOや協同組合のリーダーとしてこれらの問題解決に取り組んでいる人々には、政府介入や税金支出の増大に感覚的に反発心のある人も多い。
 だから、経済関連の質問は、政府介入志向を聞くのではなく、格差や企業権力への評価を聞くものとし、NGOなどの役割への期待も尋ねるものにした方がいいように思う。そうすれば、僕が「右派」にされてしまうこともないはずである。

 ところで、この四象限の呼び方を、このリンク先サイトではいろいろ検討している。「保守左派=ナショナリスト」「保守右派=グローバリスト」「リベラル左派=リベラリスト」「リベラル右派=リバタリアン」というのがベンチマーク的に提案されているようだ。しかしこれはアメリカだけであてはまる呼び名だな。ナショナルな弱肉強食競争主義者が「グローバリスト」というのは、グローバル化と国益が一致するアメリカにおいてのみ成り立つが、他の国では今日では矛盾なしには成り立たない。矛盾をものともせずこの位置を押し通している政権もどこかの国にあるにはあるが。極のイメージを示すならば、古い言葉だが、「帝国主義」というのが一番ぴったりくる。
 それに、ヨーロッパの文脈ではここにおける「リベラル左派」は「社会主義」と呼ばれ、「リベラル右派」が「リベラリスト」と呼ばれている。
 「保守左派=90年代国粋主義」「保守右派=80年代タカ派」「リベラル左派=革新派」と呼ぶのが適当なのではないか。「リベラル右派」は悩むが、中に含まれる潜在的な真の左右を共に表せる表現を探すと、「市民社会派」か、やはり「リバタリアン」が妥当なところだろうか。
 
   

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