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 06年1月27日 反天皇制側の女帝反対論者は改憲案を出せ


 女系天皇を容認する皇室典範改正案が、自民党議員達の猛烈な反対の広がりで、とん挫する可能性が出てきた。

 こんな中、左翼陣営では、天皇制存続の目的のための皇室典範改正に反対するべきだとの主張が根強い。
 まことにその通り。よくわかります。しかしもしそう言うならば、自民党の改憲案に対抗して、天皇制を廃止した自分達の改憲案を対案としてぶつけ、改憲運動を始めるべきである。もちろん「国民投票法」には賛成するわけだ。護憲運動には加わらない。

 本当にそこまでやったならば、筋が通っているので尊敬します。文句は何もありません。

 そこまでやるつもりがなければよく聞け。
 天皇制に反対するのは、天皇が悪人だからでも、単に税金がもったいないからでもない。様々な社会病理を生み出してきた日本人の心の仕組みの象徴が天皇制だからである。だから天皇制の廃止は、日本国民の総意として自発的に選びとられるものでなければ全く意味がない。
 これは、廃止を唱える側が、人々の意識を変える粘り強い働きかけをする末に展望されるものである。

 いいだろうか。現行典範のままの方が皇統が途絶えてくれて都合がいいという発想は、向こう40年も50年もの長い間、こっち側の運動が実を結ぶことはないと決めてかかっている「負け犬」の発想である。しかもこの作戦は、守備よく典範改正を阻止したあとになって、雅子さん達に息子ができたら、たちまち破たんしてチャンスがまた80年延びるというしろものである。
 王が王たるのは家臣がその人を王として振る舞うからだという言葉がある。鏡を無くせば美人になれるというような発想はやめるべきである。

 今はぜいたくなことを言っていられる状況か。
 「万世一系」だの何だのと、60年前に死に絶えたはずの概念が、公的言論空間で大手をふってまかり通り、まさに国策を動かしている事態なのだぞ。このような事態が当たり前になることを許さないことが、何よりも優先されるべきでないのか。
 
 
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