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 07年7月13日 ミクロ経済学のパワーポイント完了!! 大変だったあー


 やっと、やっと先日10日火曜日、「基礎経済原論I」(ミクロ経済学)の授業が終わったあー。
 いやはや、これの教材のパワーポイントファイルと穴埋めプリント等の作成のために、今年の前期は命を削りましたわ。土曜日はなんだかんだと仕事が入ることが多いけど、空いていたらパワーポイントを作りはじめる。日曜はまるまる確実にパワーポイントのためにつぶれる。そして、月曜も空いた時間をせっせと費やして、何とか深夜にパワーポイントが完成するという具合。
 プリント作成は月曜のうちには始めようと思うのだが、たいていは当日火曜日になって着手。それも午前中の授業が終わった午後から本格開始ですね。そして、ぎりぎりで間に合わせるという芸当を毎週していました。ときどき直前までパワーポイントが完成しなくて、プリント作成を断念したりもしたっけ。

 命を削った成果が本サイトの「講義・演習」のページにあります。各自ダウンロードして、自習に教材に、ご自由にお使い下さい。3Dグラフ作ってくれた大坂君、TAの清水君ありがとう。

 もともと、今年度のカリキュラム改正は、年々学生の理解力が難しくなってきているから、従来のミクロ、マクロ必修はついていけない学生が出るってことで、最初は内容を削るという話だったはずなのです。で、需給曲線分析と45度線だけのミクロ、マクロ一緒にしたごく初歩的な半年講義を「基礎経済原論」と称して必修にして、残りは選択にしようと言っていました。ところが、実物と貨幣の経済循環の話をする講義が要るということになって、別途半年分の必修講義を「基礎経済原論II」として立てることになったら、だんだん、当初の「基礎経済原論I」はミクロの話に、「基礎経済原論II」はマクロの話に純化していっちゃいました。
 そのうえ、「基礎経済原論I」は三クラスに分けることになっていたのですが、最初は私が三クラスとも担当するつもりでいたのが、みんなでやらないと駄目だとのダメ出しが出て、三人の担当者の分担になりました。共通内容という原則ですから、担当者で内容の話し合いをするうちに、消費者理論も入れないと駄目だ、企業理論も入れないと駄目だ、無差別曲線も利潤最大化もやらずに何が経済学部かという強硬な議論が出て、結局、10年前に4単位授業でやっていたミクロ経済学の全範囲を、2単位授業でやってしまうということになったわけです。新入生相手に! 最初の話とは逆にかえってそれまでより内容が増えちゃった。
 いや私はかなり強固に反対したのですけどね。脱落者続出と見ましたから。でも勝てなくて・・・。後期に前期落とした学生用の未修クラスを作って、それは僕に内容は任せるから、削った内容でも何でも自由にやれということで、一応双方の意見が入れられた形で決着したのですが、それって結局僕の負担が増えるってことじゃないの? まあいいけど、どうせいつもこんな決着だし。
 というわけで、決まった以上は、なるべく脱落者を出さないで規定の内容をこなさないといけない。普通にやってたら3割は落ちると見たね。なにしろ、昨年度後期の必修のマクロ経済学の授業評価アンケートは例年にましてさんざんだったもの。45度線と乗数しかやってないのだけど、「この講師はひとにわかってもらおうという姿勢が全然ない。交代させるべきだ。」とかいっぱい書かれてショックでした。わかってもらおうと必死なのに。こんな感じのを書いた人達は結局落ちてるんだろうけど、お望み通り今年度から交代したはいいが、新たに半年でIS-LMまで詰め込むことになった授業に何を思うだろうか。
 それで、パワーポイントと穴埋めプリントとあいなったわけ。アンケートでは、やはり「わからない」と書いた数も決して少なくはないので、さらなる工夫は決意しつつも、好意的なことを書いてくれたのも多かったので救われた感じ。

 それにしても、基礎経済原論三クラスやるつもりで、頭下げて余分な授業を整理したのが、結局一クラスだけになったので、今年度は持ちコマ数だけは少しは減ると思っていたのです。それが、何もしらないうちに新しい授業が二つ入っていて、いきなり教授会で寝耳に水。あくまでコマ数を減らさせないという・・・。オニかここは!! 経済学検定対策の勉強会をゼミ生有志を集めてすることになったので、実質週9コマですよ。大学院の授業があったらプラス2コマになっていたところが、嫌われて受講生がゼロだったのが「不幸中の幸い」。

 こんな状態なのに、さらに学生委員長は相変わらず続いていて、退学面談だの何だのがしょっちゅうあるのに・・・、それ以外も会議だらけなのに・・・、公開講義のこまごま雑務も続くのに・・・、それなのにそれなのに・・・。市議会議員の後援会事務局長の仕事などがまわってきたものだから、いつ果てるとも知れぬ激動の日々だったわ。

 トップページにもときどき書いてきたけど、このかんの激動をまとめておこう。

【山場その1:5月はじめ】
 4月22日投票の選挙までは、戦争状態だったけど、まだ中心からは逃げていたので今から思えばましだった。地獄は投票日の後からやってきました。町内への当選報告チラシの作成とその配布分担を組織しつつ、選挙収支報告書作成で連休全部つぶしました。そして・・・
5月6日(日) 収支報告書の選管への提出締めきりを翌日に控えながらまだできない。しかし、昼前に後援会機関紙配布事務の引き継ぎがあるので出かけたら、路で町内の認知症のおじさんと会い、延々話を聞くことに。引き継ぎの話し合いはずいぶんズレ込んでしまった。そのあと報告書がんばるけど仕上がらず、夕方後援会の別の用事で街に出かけたら、ちょっとしたトラブルに発展して、すべてが終わったのが夜中11時ごろ。さあそこからが仕事本番だっ。
5月7日(月) 選挙収支報告書午前4時ごろ完成。ところがプリンタが動かず。とにかくちょっと寝て、朝早く大学に来て研究室でプリントアウトする。それから市役所に出かけて、無事受理される。とりあえずホッ。二限目の授業に間に合わせるためにバスでとって返す。と、バスが途中で違う方向に曲がるではないか。あわてて次の停留所で降りて元の通りに向けて歩いていたら、ちょうど通りに出たところで乗るべきバスが目の前に。思わず並走しましたよ。ほとんど徹夜明けなのに。二限目にはなんとか間に合ったけど、問題は翌日の基礎原論のパワーポイント作成だ。連休の合間に発覚した学生スキャンダル二件への対応を協議しつつ、パワーポイントファイル作成に猛然と取りかかる。
5月8日(火) 連夜の夜なべにふらふらしながら、授業の合間の作業を続け、とうとうパワーポイントも穴埋めプリントも作って、印刷まで間に合わせたぞ。で、意気揚々と講義に臨んだら、まず、穴埋めプリントの数が全然足りない。受講者人数を間違えてしまった。次いで、スクリーンを出すために黒板を降ろそうとしたら降りない! 壊れてるぞ。職員の人が一時は別のスクリーンを持ってきたりしていろいろ手をつくし、職員二人がかりで手動で黒板を降ろしてやっと始められた。

【山場その2:5月半ば】
 当選報告チラシはみんなの協力でなんとか5月10日に発行作業をやり遂げ、学生スキャンダルの取り調べとか被害者の親御さんへの謝罪とかもこなし、何とかなったと思っていたら、その謝罪とご説明を終えた当日、
5月14日(月) 『論座』編集部からメール。2、3日中に原稿を出すようにとのこと。チャラリーン。いつの間にか5月末締め切りと勝手に思い込んでいて、一字も書いてなかったのだが、以前のメールを読み返したら確かに5月14日前後と書いてある!  しかし、この日は、翌日の講義のパワーポイント作成のため、一字も着手できなかったのである。
5月15日(火) 結局講義の準備は例によってギリギリに間に合い、講義の後はすぐゼミで、そのあと、市民活動サポートセンターのやっている「NPO合懇」というイベントに出て、公開講義の宣伝などをしてきた。おかげで結局またも着手できなかったのである。
5月16日(水) 日中は学生委員会とか、大学評議会とか、半月後の学部の研究所のイベントのための招請手続きのごたごたなどでやっぱり着手できず。結局この夜やっと『論座』原稿執筆開始。
5月17日(木) 朝『論座』原稿脱稿。後にネットでは、こんな評論とか、こんな評論とか、こんな評論とか、こんな評論とかいただいてますけど、みんなこれが一夜漬けとは思っていまい(笑)。午前中洗濯やら生協の商品受け取りやらでつぶれる。しかしこの日は午後1時から、街の市民有志がやっている講座事業「六ツ門大学」で、私の講座があるのだった。全然準備が出来ていないぞ。結局、「六ツ門大学」に材料を持ち込んで、講座開始30分前にレジュメを作りはじめ、仕上げてコピー取り終わったら滑り込みセーフ!

【山場その3:5月末】
 その後、6月7日発行に向けた後援会機関紙の編集会議とか、その原稿作成とか、町内の仕事での佐賀のイベントとか、某NPOの会計監査とかをこなしつつ、次なる激動へと進んでいく。
5月28日(月) 実は、5月末必着締めきりの書類があるのに、全然進んでいない。しかしこの日は翌日の講義のプリント作成のせいで結局全然着手できなかった。パワーポイントは土日をつぶして仕上げていたのだけど。夕方になって、翌日の出張の宿やチケットの手配をまだやってなかったことに気付き、出入りの旅行会社の人に泣きつく。夜から書類作成にかかるが全然終わらない。
5月29日(火) 授業のない三限目に無理にも書類を仕上げるしかないと悲壮な思いで登校すると、ポストの中に、別件の城島の「酒蔵開き」の経済波及効果の件で、「概様(概要のこと)だけでも一週間くらいでお願いします」との偉大なD教授直筆サイン入り指示書きが入っている!! そんなもの全然着手していませんよ。ゼミを早めに切り上げて出張に出かける。出張先は徳島。ゼミ生の教育実習校訪問である。乗り換え3回。この車中ノートパソコンで書類作成にいそしむ。夜中11時半にホテルに辿りつき、そこからまたホテルの部屋で書類作成続行してようやく完了。ホテルの有料サービスを利用して深夜プリントアウトした。
5月30日(水) 子供の中学校の合宿の持ち物に不備があるとの連絡を受けながら、教育実習校訪問。丁寧に応対していただき無事終了しました。駅に帰りがけ、徳島中央郵便局で書類を発送。実は本来この日は、私が委員長をやっている「駐車場委員会」なるものがあって、出張中なので同じ学部の若手教員に司会代行してもらえばいいやぐらいに考えていたら、いきなり週明けに駐車許可書の偽造事件が発覚。それではすまなくなり、あらかじめ善後策を準備して学生部長代行に司会を頼んででかけたのでした。
5月31日(木) 午前中は市議会議員の後援会の事務局会議。6月7日の機関紙発行のための作業の組織にこれから仕事がいっぱい必要なことが判明。事務局の主婦のかたがたから、「まつおせんせーたいへんよねー」「そーよねー」とイジられる。晩は父母の会の理事会に出席。ほとんどアドリブの学務報告をする。

【山場その4:6月上旬】
 6月2日に後援会の正副会長会議で、会計と組織方針のレジュメを作って承認していただき、六ツ門大学運営委員会に出たりしながら、6月7日後援会機関紙の発送作業を無事終了。作業のお願い、備品やお弁当の手配等々大変でした。ほっとする間もなく、9日の学会コメンテーターのための論文読みにやっと着手。
6月8日(金) 金曜日は私達が主催する公開講義の日。そんな仕事をこなしながら、翌日のコメンテーターのレジュメをようやく夜中に仕上げる。
6月9日(土) 長崎の学会に向かう列車の中で、翌日締め切りの別の学会の雑誌の査読報告書のために、ようやく論文の本格検討を始める。午前中にコメンテーターを終え、お弁当をとってすぐ帰途につく。長崎駅で列車の時間待ちのときにようやく報告書作成開始。
6月10日(日) 査読報告書締め切り当日。おおっ、日が落ちる前に間に合ったぞ。数式は一応全部チェックしたつもり。直せる数式は直したし、どうにも直せないものは定式化のどこがおかしいか究明しておいた。これも誰もこんなやっつけ仕事とは思うまい。電子メールで送信。万歳。さて、ここから火曜日のパワーポイントを作りはじめるぞ。
6月11日(月) パワーポイントがまだ仕上がらないまま、登校したら、例の城島の「酒蔵開き」の経済波及効果を、概算だけでも出してくれとの観光コンベンション協会からの矢の催促が入っていました。なんでも広報に載せる締め切りが過ぎているとのこと。「概算」という話だったから、前回やった別のイベントの波及効果効果倍率をかけて数字を出して、直接同協会に持っていきました。実は近くで後援会の6月30日の会議の会場予約をする用事があったので、授業の合間にタクシーででかけたのです。そしたら、担当者不在だったので、数字を書き置きしてきました。それで、後は翌日の授業準備に没頭。
6月12日(火) 魔の火曜日この日も何とか乗り切り、ほっとして帰る。
6月13日(水) 入試検討委員会とか拡大教授会とかがある日で、私のレベルではすっかり「楽な日」のつもりで登校しました。すると、観光コンベンション協会から電話。波及効果の「数字が後で変わるのでは困る」とのこと。この出した数字に合わせて報告書を書いてくれとか言い出すものだから、そういうわけにはいかないと押し問答になりました。それなら締め切りを最初から言ってくれないと・・・。どうもD教授はデータがあがってから一週間くらいでできるように先方に言っていたらしい。それを本務にしているシンクタンクでも一ヶ月以上はかかるでしょ、普通は!! 結局、翌日までにちゃんとした結果を出すことになった。一晩でやるのかよ。ああ。まだ眠気がとれないのに。
6月14日(木) 13日速攻で波及効果計算を始め、深夜1時には出した。我ながらすごい。ホームページに載ってたアドレスに送り、就寝。朝、メールで送ったと電話しておく。気が抜けてぼーっとしてたら、公開講義の大牟田現地視察の準備をはじめなければならないことに気がついた。一月切っているのに手がついてない。

 このあと、15日に、観光コンベンション協会から、主催者発表の来場者数が不正確なので掲載延期という電話がかかってきました。なんだよ。
 16日は父母の会総会と父母のかたがたとの個別面談。21日に六ツ門大学の講座。前日は広報編集委員会や大学評議会だったので、やっぱり夜になって準備したものだ。で、21日にようやく大牟田視察の準備に着手。27日の入試説明会長崎出張などを経て、29日に大牟田の人達と視察の打ち合わせ。30日は後援会の選対解散会議と打ち上げ。この連絡や準備にもずいぶんと手間取ったのですが、打ち上げでは熱心な支持者のかたから2時間びっちりと率直なご意見をいただき続け、この問題はまだ持ち越しているから毎日ちょっと気が重いです。
 それで、後援会の機関紙は次の号7月26日発行に向けて準備が走り出しており、後援会運営会議の準備もあってまだまだ気が抜けないよ。駐車許可書の違反事件は今日一応決着をつけたけど、規定改正が必要ということになり、またこれも仕事持ち越し。
 明日は台風なので、大牟田視察が中止になったのが、残念と言えば残念だけど、天が「休め」と言ってるのかな。

 次の山場は来週です。最後の授業が17日火曜日にあって、これは月曜日の授業の振り替え。それが終わるや否や東京に行き、18日午前中は景気循環学会で、終わってから出版社の人と会い、関西に向かいます。そして翌19日は立命館でセミナー報告。21日は文学部H教授のイベントの実行委員会がある上に、夜は後援会の運営会議です。これの案内状がまだ出せてなくて、今日帰ってから打ち出して、町内配れる分は台風がこないうちに今晩配っておかなければ。

 実は9月にもすごい山場が予定されています。文学部H教授のイベント──市民団体をいっぱい大学に呼んでお祭りみたいなことをする。詳しくはこちら──が、9月23日、24日にあって、これのフロアー一角の責任者をやれと言われているのですが、京大の大西さんからメールがきて、22日、23日の基礎経済科学研究所の研究大会で数理マルクス経済学のセッションの座長と報告をやれと言うのです。23日はこういうわけで駄目だと言ったら、22日朝にすることにしたから来いとのこと。ところが21日金曜日は最初の授業の日で、しかも公開講義(今年は夜やっている)の初日だから、夜8時半まで久留米にいないといけないのです。夜行で京都に行って、昼間とんぼ返りして、翌日にはイベントの現場で走り回るという構図が見えてきます。今から恐怖。
 
 

 

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