03年11月26日 二大政党制ってどうなのよ
総選挙が終わって、いよいよ二大政党時代の始まりと喧伝されている。
まあ、本当にそうなりそうな気もするが…。大正デモクラシーも結局二大政党制に落ち着いたはずだけど、どういう争点で対抗していたのだか覚えている人がいるかね。わたしゃ党名自体忘れたよ。体系的対抗軸のない二大政党が、政策無関係の党利党略だけで争っているうちに、結局みんなして軍部にのまれて戦争に向かっていった。社共は当時の無産政党なみの勢力になったし(55年体制下の社会党は藩閥支配下の自由党だったな)。また、「私の主張1」の年表が進んだか。
昔の話はともかく、今は、小選挙区制を導入して無理矢理二大政党制にしているところほど、何だかわけのわからない選択をさせられる傾向にあると思う。そしてそうなることには理由があると思う。
比例代表制のEU議会に典型的に現れ、二回投票制のフランスでもきれいに見られるパターンであるが、旧来の左右軸に加えて、ナショナル対脱ナショナルが実体経済に対処する上で重要な論点になっている今日では、第1図のような「台形型」の勢力配置が最も安定的になると思われる。
第1図「台形型」
私自身はこのパターンには不満で、もっと典型的な右上(グローバル・ハト派市場至上主義)と左上(私の立場)を加えた、ツツミ型というかバタフライ型というか、第2図のような配置が最も望ましいと思うが、まあ現状まだなかなかそうはならない。
第2図「バタフライ型」
ともかく現実に安定的なのは「台形型」だということだ。
ところが、小選挙区制で無理矢理二大政党制にするとどうなるか。「中道右派vs社会党」とはならないのだ。従来のように、左右に分かれて対抗するならわかりやすいのだけど、そうはならない。ナショナル対脱ナショナルが、現実経済の上で重要な対抗軸となっているからである。
では、総ナショナル対総脱ナショナルという二大政党になるかと言うと、そうもならない。シラク対ルペンのフランス大統領選挙決選投票において、旧左翼支持者の少なからぬ部分が極右ルペンに入れたことを見れば、大衆レベルでこの対抗が起こることはあり得るが、政治エリートレベルでは、ナショナルな左右の距離はありすぎて、現実問題として総ナショナルの結集にはまだならないのである(そのうち起こりそうなのがこわい)。
そうするとどうなるか。グローバル化する現実経済に適応しようとするメインストリームの政治エリートは、左右を問わず、脱ナショナルの経済運営をせざるを得ないのであるが、それに対して反発するナショナル勢力は、とりあえず手近な左右を引っ張り込むしかない。そしてそれへの対抗として、また手近な左右が引っ張られることになるから、なんとか既存二大勢力でこの台形をカバーしようとして、へんてこな配置になってしまうのだ。
イギリスはこんな感じだろう。
第3図 イギリスの二大政党
これは、ブレア人気がいかに衰えようとも、労働党永久政権のパターンである。実業界にとっても労働界にとっても選択の余地がない。
しかし、政策の選択肢があるだけまだましだ。それがアメリカになるとこんな感じだ。なにを争点にしたらいいのかあいまいになる。
第4図 アメリカの二大政党
これが日本になるともっとひどい。こんな感じかな。
第5図 日本の二大政党
ヨーロッパにおける中道右派の位置が、両党の共通部分にすっぽり入ってしまう。民主党にはこの図よりももっと右翼ナショナリストもいるから、いったい何が争点になっているのやら。
小選挙区制導入後のイタリアの場合も、中道右派の人民党の勢力が衰えて、イギリスパターンに似た配置になっている。かくしてこれらのパターンはいずれも、保守側がナショナルと脱ナショナルを抱え込み、対抗者側が左右両勢力と、場合によってはさらにナショナルと脱ナショナルをも抱え込み、対決軸があいまいでどのような立場の者にとってもフラストレーションのたまる結果になるのである。