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私の主張 1 :新興大国の75歳寿命説



 
ソ連 日本(戦前) 日本(戦後)
出発点 1917(0) ロシア革命 1867(0) 明治維新 1945(0) 敗戦
10数年後 

諸勢力の主導権争いの決着

1930頃(13頃) 

 スターリンの反革命

 (農民との内戦)

1884(17) 

 秩父事件

 (自由民権運動最盛)

1960(15) 

 60年安保

25年後前後 

体制の危機

1941(24) 

 独ソ開戦

 (ソ連軍壊滅の危機)

1890(23) 

 国会開設

 (与党少数、藩閥の危機)

1870頃(25頃) 

 革新自治体ブーム

 与野党逆転

30年後前後 

危機の乗り越え、大国化

1945-48(28-31) 

 戦勝、東欧衛生国家群獲得

 以後工業建設進行

1896(29) 

 日清戦勝、台湾領有

 以後輸出急増、重工業化

1972(27) 沖縄返還 

1973(28) 石油危機不況

 →世界に先駆けて脱出

 以後輸出急増、ME化

40年後前後 

絶頂期

1957(40) 

 世界最初の人工衛星打上

1905(38) 

 日露戦勝

1985(40) 

 対外純資産世界一となる

45年後前後 

民衆の譲歩要求、体制動揺

1962(45) 

 ノボ・チェルカスク事件

 (労働反乱事件、

 以後民衆への譲歩始まる)

1912(45) 

 改元、大正政変

 (大正デモクラシーの開始)

1989(44) 

 改元、参院選自民大敗

 (戦後体制動揺の始まり)

50年後前後 

民衆への譲歩、部分的改革

1965(48) 

 農産物買い付け価格引上

1967(50)

 週五日労働制の導入

1918(51) 

 米騒動、最初の政党内閣

1993(48) 

 最初の非自民内閣

(1994 「米騒動」)

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1917(50) ロシア革命 

 (日英共同の仮想敵国消滅

 →同盟解消へ)

1991(46) ロシア再革命 

(日米共同の仮想敵国消滅)

50数年後 

世界の管理的超大国

1972(55) 

 米ソサミット開始

1920(53) 

 国際連盟常任理事国

50数年後 

同盟国との決裂

1969(52) 

 中ソ武力衝突

1922(55) 

 日英同盟廃棄

60年後前後 

対外進出の拡大

1975頃(60頃) 

 中東、アフリカへの進出

1927(60) 

 山東出兵(以後大陸侵略へ)

60数年後 

直接軍事侵略の開始

1979(62) アフガン侵攻 1931(64) 満州事変
70年後前後 

紛争の拡大

1983-(66-) 冷戦激化 1937(70) 日中戦争
75年後前後 

崩壊へ

1991(74) 崩壊 1941(74) 太平洋戦争 

 →崩壊へ

 括弧内の数字は出発点からの年数。類似のものに、三月革命以後のプロシア・ドイツがある。25年危機で崩壊してしまったものに、大革命後のフランス、ワイマール共和国、中華人民共和国(文革の結末を崩壊とみなす)がある。現在の中国は、毛沢東らの死、四人組失脚の1976年を起点とするとよい。韓国は朝鮮戦争のために日本より約10年遅れていると思われる。

 このようなパターンが見られる原因は、ゼロから経済建設を担った世代が退き、経済的に成功した大国をあたりまえのように育った世代が社会の中核を担うようになると、体制に対する民衆の譲歩要求が強まり、それに対して体制側が民衆の大国意識にのっかって外からの収奪で対応しようとすることにあるだろう。これにしたがうならば、日本は今後、国際連合の常任理事国になり、日米同盟を解消し、対外進出と孤立化の道を歩んで2020年前後に崩壊することになる。

 上の表は1992年に私が思いついたものだが、最近日経新聞が2020年危機説を特集している。「私の主張2」のコンドラチェフ長期波動の特徴からも、2020年前後は革命や戦争が集中することが予想される。私がこのようなことを思いついたのは、漱石の『三四郎』『それから』にみられる社会状況が、バブル以後の今日の状況によく似ていると思ったからである。

 


 

 

 

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