松尾匡のページ

 04年2月9日 お寄せいただいたメールから


 
 このところすさまじい多忙さが続いており、ホームページを更新する余裕がなかなかありませんでした。あんまり働いた日など、がんばった自分へのごほうびとして一時間だけ研究の本を読むことを自分に許すというような状態…。
 実は先月、このホームページをご覧いただいた方から、次のようなご批判のメールをいただいております。ホームページの中でお返事するとお約束したのですが、そういうわけで延び延びになっていました。すみません。



 
貴殿の北朝鮮に関する記述を読みましたが、偏見と先入観が目に付きます。

貴殿の「推薦図書」も、文春から出ているものばかりです。文春は、「金日成は偽者だった」などという本をいまだに出している出版社で、論外です。

まともな歴史家の本
http://www.akashi.co.jp/Asp/details.asp?isbnFLD=4-7503-1794-2
を読んでください。

もちろん現体制に問題はありますが、それは歴史が作り出したものであり、「悪い指導者」「悪い体制」といったものは、単なる英雄史観の裏返しのようなものでしかないと思います。「北朝鮮一般人民が暴政の犠牲になっている」などという、偏った見方をやめてほしいと思います。

戦争状態の中で、政治は軍事体制であり、人々は強い指導者を求めます。その結果が現体制を作り上げ維持しています。この体制を変えるには戦争状態が終わる以外にありません。ですから、何よりもまず国交正常化が必要なのです。

私の知人の訪問記より

>北の祖国には、生活は苦しいが誇りを守って生きる人々がいる。北部祖国を第三世界として見るならば、北朝鮮の民衆は強者と弱者の世界秩序の中で、必死に民族の自尊心を守って生きている人々だ。日本でセンセーショナルに伝えられるように、もちろん中には脱出する人もいるだろう。それほど苦しい闘いがあるだろうことは想像がつく。
>しかし、モノに溢れ、後進国を踏みつけて成り立っている世界に暮らす側の私たちが見るべきは、きらびやかな市場経済と資本主義社会の影で呻吟し、生きることに精一杯な第三世界の人々の姿ではないだろうか。
http://unikorea.parfait.ne.jp/051060/56b.htm

どうして、こういう視点が持てないのか理解できません。おそらくリベラリズムのゆえにコミュニタリアニズム国家の価値観が理解できないのでしょうか。
 


(ここで「推薦図書」とあるのは、本サイトの用語解説「北朝鮮問題」にあげてあるものを指されているものと思われます。)

 文春自体は私も好きではありませんし、北朝鮮関連も含め、感心しない本をたくさん出しているところだと思います。しかしそのことは、文春から出る本が全部だめということの理由にはなりません。
 「金日成は偽者だった」という説が何を指しているのかはわかりませんが、「推薦図書」でご紹介した萩原遼氏が、別の本『朝鮮戦争取材ノート』(これは、かもがわ出版です)でやっていることは、旧ソ連や中国に住む当事者の証言によって、金日成がハバロフスクにいたソ連旅団の大尉で本名をキム・ソンジュと言うということを確証したことです。証言者は、元朝鮮人民軍作戦局長でハバロフスク時代から通訳として金日成に連れ添っていたユ・ソンチョル氏、元平壌駐留ソ連軍中将(民政部責任者)ニコライ・レベジェフ氏、ハバロフスクで金正日の乳母だった人などです。ソ連軍の朝鮮人旅団は、中国東北地方の抗日ゲリラが日本の掃討を逃れてきたのを組織したもので、キム・ソンジュはゲリラ時代からキム・イルソンと名乗っていたらしいわけですから、べつに「偽者説」と言うほどのことでもないと思います。
 「推薦図書」でご紹介している最初の本は、北朝鮮の政治犯収容所を現実に経験した人達の手記です。こうした証言をウソだと言って否定する論法が通用するものならば、私達は日本の戦争犯罪を犠牲者の証言で論拠付けることができなくなってしまいます。
 「推薦図書」でご紹介している萩原遼氏の本も、当事者の実体験を文章にしたノンフィクションです。高校時代の在日朝鮮人親友と、済州島人民蜂起に加わって米軍軍政当局の弾圧を受けた知人を軸に、著者自身の「赤旗」平壌特派員時代の体験などを記述しています。米軍が朝鮮戦争中北朝鮮から奪取してきた膨大な未整理ナマ文書を整理解読していく過程についても触れています。
 この米軍奪取資料の解読については、氏がこれによって朝鮮戦争北側先攻説を裏付けたことが有名ですが、北側先攻説自身は、ソ連崩壊後の公開資料(主に電文類)をもとにロシアの研究者が証明してもいます。トルクノフ『朝鮮戦争の謎と真実』(草思社)をご覧下さい。
 もちろんご紹介いただいた本も、余裕ができたら是非入手して読んでみたいと思います。ありがとうございました。

 ご紹介いただいたリンク先の文章を読んでみました。思いましたことは、この文章の筆者が仮に日本人だったとして、タイムマシンで開戦前後の日本に行って祖父母達の話を聞いたら、きっと同じような感想を持つのではないかということです。当時の多くの日本国民も、欧米列強の強烈な包囲下で、国家存亡の危機感を抱いていた。そんな中での軍国主義化だったわけです。特攻隊もバンザイ突撃も自決も、対敵打撃効果の乏しいことぐらい承知の上で、民族の誇りとやらのためにやっていたことです。しかし、だからこれらを批判できないと言ってしまえば、小林『戦争論』の論理になります。たとえ外国の強大な脅威を受けても、軍国主義化を認めてはならないというのが、私達の出発点だったはずです。
 強大な外敵の包囲があるからということが、免責の理由に使えるならば、次のような様々な事例についても、私達は批判できなくなってしまうのではないでしょうか。

 いずれも、だとしてもこれらの体制のやったことを免責する理由にはならない、私達はこれらの体制に抑圧された犠牲者大衆の側に立たなければならない、というのが左翼的立場のはずです。
 もちろん、外部からの脅威があれば抑圧体制が維持・強化される傾向法則があることを私達が認識し、抑圧体制が維持されないために、このような前提条件が起こらないようにするというのは必要なことだと思います。しかし、それは私達にとってはあくまで戦術的配慮のレベルのことだと思います。
 私達の本来の原則的立場は、「上のヤツら」は自国民外国人にかかわらず自分達とは疎遠な存在で、それと比べれば外国の労働者は自分達と同じ仲間だというもののはずです。生産関係の実態を透明に見つめればそうなるはずです。外国の労働者がこっちの国の「上のヤツら」を批判してきたとき、腹立たしい感情を持ったりすることは本来いけないことです。私達は長期的には、大衆がこうした感情を持つこと自体が克服されるように宣伝していかなければならないはずです。
 北朝鮮問題についても、日米の反動好戦勢力が国家の軍事力で北朝鮮と敵対しようとすることには、もちろん反対しなければならない。それで北朝鮮人民の抱いているかもしれない包囲感をなくすことはたしかに必要なことだと思います。しかしそのことは、かの体制の犠牲者と連帯してこれを打倒するために闘うことをも否定するものではないと思います。政権選択の機会すら一度も与えられたことのない北朝鮮一般人民に、体制維持の責任を負わせるような論理こそ、北朝鮮を上から下までまるごと敵視する反動好戦勢力がまさに望んでいる図式ではないでしょうか。
 思い起こせば、かつてスペイン内乱のときには、共和国側義勇軍に大国米英の若者がたくさん馳せ参じました。もしからしたらスペイン国民の中にはこのことに外部からの干渉を感じ取って反発を抱いた人もいたかもしれません。だけどやはり、やるべきことであったと私達は評価してきたはずです。
 後日このエッセーコーナーで少し触れたいと思っているのですが、韓国の市民運動が「ブッシュ落選運動」というのを提起しているそうです。これも、不用意にやったならば、アメリカ国民の間でかえってナショナリスティックな反発を生んで逆の結果をもたらすかもしれません。しかし、アメリカ国民が外国の市民の介入に反発すること自体が、本来私達の運動によって変えていかなければならないことです。だとするならば、戦術的配慮はいろいろした上で、やはり大筋ではこれもやるべきことなのだと思います。

補足(04年2/10):北朝鮮関連書籍の信頼性の問題ですが、朝鮮民主主義研究所の小池さんが評価付けをしています。用語解説「北朝鮮問題」からリンクしています。
 
 


 

 

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