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 04年6月21日 今年は「君死にたもうことなかれ」百周年


 久々の一日二エッセーである。今日は台風が来る予定だったからか、研究室でやっている授業に誰も学生が来ない。万一学生が来た時のことを考えると今差し迫っている作業をしに出て行くわけにもいかず、思わぬ時間が空いているのである。

 今、この国が戦争の中に出ていっているこのときに、戦争を経験し平和の貴さを語ってきた世代の方々が次々といなくなってしまうというエッセーを書いたところだが、ちょうどそんな今年が、日露戦争百周年、したがって与謝野晶子の反戦歌「君死にたもうことなかれ」の誕生百周年である。この詩を今この時代に読み返してみると、改めて身に差し迫るものがある。

 実は生意気な反戦少年だったころの私は、あまりこの詩は好きではなかった。反戦のメッセージには共感するし、天皇批判ともとれるくだりには、藩閥独裁下こんなことを言える勇気に感嘆しはしたが、個人の生きざまを「家」を持ち出して縛ろうとするような論理には激しい違和感を覚えた。国家の都合で個人の命をもてあそぶことを批判しても、「家」の都合で個人を縛ってはしょせん同じではないかと思っていた。
 今読み返すと、当時は与謝野晶子の言いたいことを理解していなかったということがわかる。
 今は、すべてのくだりに素直に共感する。この「弟」はすでに一人前の商人なのである。プロの商人に対して商人の倫理を引いて呼びかけているのである。商人の誇りは誰にでもわけへだてなく誠実にお役に立って、そのあかしとして成功することにあるのであって、城のために命を投げ出して他人を殺せなどという命題は商人の倫理にはない。そんなものは我々とは無縁の武士どもの倫理だというわけである。こう言って、中世自治都市堺の商人のアイデンティティーに訴えているのである。

 もともと江戸時代には身分ごとで倫理が違って当然だった。特に上方には石田梅岩の石門心学はじめ、武士とは違う商人の倫理が浸透していた。明治維新政府はこの一部の身分に過ぎなかった武士の倫理を、学校教育を通じて全国民に押し付けたのだが、維新後40年を経ても大阪地方には庶民の間で商人の倫理が生き続けていたわけなのである。その後維新前の倫理を知る世代がいなくなり、武士の倫理で教育されたものばかりの世の中になったとき、日本は無謀な戦争に向けてころがり落ちていったのだと言えよう。
 戦後の日本人は、戦争のむごたらしさ、無益さを身を持って思い知り、もうこんなことはこりごりだと、平和に徹し、一生懸命働いて世界のお役に立つことで今日の富を築いた。ここにあるのは武士たちの領地争いの発想ではない。「取るか取られるか」「誰かのトクの裏には別の誰かのソンがある」といった発想ではない。「ヒト様のお役に立ってこそ見返りがある」という商人の発想である。一人も殺さず一片の領土も奪わず、ただ頭を下げてお役にたてていただくことで成功したのである。これが戦後民主主義のアイデンティティーであり、この国に国の誇りというものがもしあるとすれば、それはこれだ。
 しかし、さっきのエッセーでも書いた通り、この戦後日本を作ってきた世代の方々が、今、一人、また一人といなくなっている。代わってこの国を動かそうとしているのは、みだりに「国の誇り」を口にしつつ、実は戦後日本の誇りを踏みにじっている人々だ。他人を「自虐史観」呼ばわりして非難しつつ、戦後日本の姿を「商人国家」だとかと言ってバカにしている自虐家だ。「商人国家」という響きには誇らしさを感じるべきなのに、情けなさを感じている人々だ。要するに、武士どものような発想が大手をふってまかり通るようになってきているのである。
 ちょうど戦前、日本が無謀な戦争に向かう前の時期に、維新前の商人の倫理を知る人々が世にいなくなっていったように、今日も、商人の倫理をもって戦後日本を築き上げた人々が世にいなくなってきている。
 こんな今だからこそ、今一度この与謝野晶子の詩を読み返し、戦後日本の矜持を再確認するべきではないか。

 そこでアイデア。この詩の百周年を記念して、撤兵要求集会の余興でもいいから、「君死にたもうことなかれ」の各地の方言訳を募集し、「ネイティブ」による朗読会を開いたらどうだろうか。
 ちなみに、「旅順の城はほろぶとも」の後に続く「ほろびずとてもなにごとぞ」は、九州弁では、「ほろびんかったっちゃ、だけんなんね」…かな。

「君死にたもうことなかれ」(吉田隆子作曲のメロディ付き「ごんべ007の雑学村」より)
 
 


 
 

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