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 05年10月28日 吉原直毅さんの反論が載ったぞ



 
※ 05年12月15日の追伸:吉原さん自身との直接のやり取りの中でわかったことですが、下記の「ミグイ人」の例で、このような事態が起こる本質が、結合生産で余りが出ることにあるような誤解を与える表現になっていると思います。しかしこれは結合生産で余りが出ることに依存しないことが分かりました。下記の例で、「実1単位, 種0単位」「実0.99単位, 種0.99単位」「実0単位, 種1単位」の三つの工程があることにすると、話はほとんど変わらなくあてはまるのですが、「実1.5単位, 種0単位」は余りなく生産できます。

 今日は学祭。去年も書いた通り、今日は、授業も会議も、毎週末にはある出張仕事もないので、かきいれどきなのである。数理マル経の本の原稿を書いているので、主にそれに没頭している。今がチャンスなのでこのエッセーも、ためこんだネタを出しておこう。

 と思って、実は今年の秋の日本経済学会で聞いた報告がひとつおもしろかったので、ここで取り上げようと思っていたのだが、今、そのレジュメを探したけど見つからない。このときのほかの報告のレジュメはいっしょくたにして放り込んであったので見つかったのだが、おもしろかったから取り分けておいたらどこに置いたか分からなくなってしまった。こんなことばかりだ。

 しかたないので、別の話題。本当は大瀧雅之先生の『動学的一般均衡のマクロ経済学』に、どうも間違いがありそうなので、それを書きたいという気もしたが、このコーナーではあんまり経済学の専門にたちいった話をしないことにしているので、興味のある人は、とりあえず、稲葉振一郎さんのブログに書き込んだのを読んで下さい。余裕があれば、そのうち発展させて論文にします。
 というわけで、今日のテーマはこれ・・・
 

吉原さんの反論の数値例について

 僕は以前、経済理論学会の雑誌『季刊 経済理論』の第41巻第1号に、アナリティカル派の吉原直毅さんに対する批判論文を載せてもらったのだが、このほど、吉原さんからの反論論文が同誌第42巻第3号に掲載された。
 この経緯は本サイトの用語解説「マルクスの基本定理」のところに書いておいた。吉原さんのサイトにある今回の論文のオリジナル版へのリンクもそこにつけておいたので、興味のあるかたはどうぞ。詳しく対照してないが、今回掲載されたものの方が解説が詳しくて、読みやすくなっているような気がする。
 さっそく再反論にとりかかっているのだが、それを書いているうちに、自宅のパソコンのモニタが壊れてしまった。どうにもならないので中断している。
 その中の論点の一つについて簡単に解説したい。

 吉原さんは以前、「マルクスの基本定理」批判の文脈で、労働者の消費の構成が個人間で違えば、利潤が存在していても、個人的には搾取されない労働者が存在しうるということを数値例で示した。僕はその数値例の誤りを前稿で指摘したのだが、今回、吉原さんはその指摘そのものには同意するとともに、利潤が存在しても、個人的には搾取されない労働者が存在する別の数値例を持ち出してきた。
 検討したところ、この数値例は正しい。
 オリジナル版をサイトで最初に見たとき、よくこんな珍妙なものを思い付くと思ってうなってしまった。アインシュタイン=ボーア論争で、アインシュタインが、珍妙な思考実験モデルを、論破されるたびに次々と思い付いて持ち出してきた故事を思い出した。
 珍妙ではあるが、「搾取」とは何か、労働者が受け取る賃金財を投下労働価値評価することの意味は何かということを、根本的に反省し直すいいきっかけになった。

 吉原さんの数値例はまだ少し複雑で明瞭ではない。事態の本質だけを含んだ最大限簡単な例を示すと次のようになる。吉原さんの数値例の場合は、搾取される労働者と搾取されない労働者が出てくるが、もっと極端にすることができる。個人的には搾取されている労働者が誰もいないのに、利潤が発生する例を作ることもできる。
 世の中に財が二種類だけある。第1財は「実」、第2財は「種」である。生産技術は一つだけあり、労働1単位を投入すると、「実」一つ、「種」一つが同時に純生産される。労働者は同質で、同じ賃金率なのだが、ただ嗜好だけが異なる二種類がいる。一方は「ミグイ人」で「実」だけを消費し、「種」を消費しない。他方は「タネクイ人」で「種」だけを消費して「実」を消費しない。この両者が同じ人口で雇用されている。
 このとき、この社会で成立している価格が、「実」1に対して「種」1という交換割合だったとしよう。労働1単位を提供したとき、それでもらえるある共通の貨幣賃金率のもとで、この価格に直面して、「ミグイ人」労働者は「実」1.5個を消費し、「タネクイ人」労働者は「種」1.5個を消費するとしよう。
 両タイプの労働者は半々働いているので、社会の平均的な実質賃金率は、「実」0.75個、「種」0.75個になる。
 ということは、労働1単位の純生産で「実」1単位、「種」1単位が純生産されるのだから、差し引き、「実」0.25個、「種」0.25個の剰余が出る。つまり、仮に全部で1万人の労働者が働いたならば、「実」1万個、「種」1万個が純生産されて、「実」7500個、「種」7500個が労働者達の取り分になる。残りの「実」2500個、「種」2500個は、資本家によって需要され、その分の利潤が発生する。
 このとき、労働1単位の提供で労働者が平均的に取得する「実」0.75個、「種」0.75個は、労働0.75単位で純生産することができる。よって、労働者は平均的には自分が受け取るものの生産に必要な労働よりも余計に働かされており、搾取されていると言える。たしかに、利潤が発生するならば、搾取がある。
 ところがこれはあくまで平均として見たときである。
 「ミグイ人」労働者だけを取り出してみると、労働1単位働いて、「実」1.5個受け取っている。「実」1.5個純生産するためには労働が1.5単位必要である。1単位働いて労働1.5単位分受け取るのだから、搾取されていない。「タネクイ人」労働者だけ取り出しても同じである。労働1単位働いて、「種」1.5個受け取っている。「種」1.5個純生産するためには労働が1.5単位必要である。1単位働いて労働1.5単位分受け取るのだから、搾取されていない。
 かくして、利潤が存在するのに、誰も搾取されていないことになる。マルクスの基本定理は破れるというわけだ。

 さあ、読者はどう考えるだろうか。
 マルクスの基本定理で「搾取」と言う時、「自分達の受け取るものを生産するにはもっと少ない労働ですむのに、それより多く働かされている」ということを示す。この「もっと少ない労働ですむのに」というのはどういう意味だろうか。これは労働者の立場で考えているのだが、「労働者が現実に使えるあらゆる手段を使って、なるべく少ない労働ですませると」という仮想をしているわけである。現実に、個々の労働者が、「じゃあおまえその時間で作れ」と言われても、丸腰で機械や原材料の元の元から生産するなどできるわけがない。この社会で可能な技術や生産編成を自由に使えることを想定しているのだ。だからこそ、実際には資本主義経済で採用されない労働生産性最大の技術でもって、必要な労働を測ったりするわけである。
 さて、もし、世の中に「ミグイ人」しかいなければ、労働1単位の見返りが、実質賃金率「実」1.5個なら、搾取もなければ利潤もない。これ自体はマルクスの基本定理に何も反していない。このとき「実」1.5個純生産するには労働1.5単位が必要なのだが、そうやって生産された背後では、「種」1.5個が同時に作られている。世の中に「ミグイ人」労働者しかいなければ、彼らはそれを無駄に捨てるのである。
 現実には「ミグイ人」も「タネクイ人」も両方いるから、それが無駄にならず、平均して搾取が発生して、利潤が発生する。だとしたら、労働者の立場で「自分達の受け取るものを生産するにはもっと少ない労働ですむかも」というのを計測するときにも、やはりこの世に「タネクイ人」が存在しているということを、考慮に入れて計測しなければならないだろう。これは、いろいろ技術がある中で最も労働生産性が高いものを選んで計測することと同じである。
 すなわち、「ミグイ人」労働者が自分達の受け取る1.5個の「実」を生産するのに、まともに1.5単位働いて、1.5個の「種」を無駄に捨てるのは、非効率な「技術」なのである。この世に「タネクイ人」が存在することがわかっているならば、生産された要らない「種」を引き渡すことで、彼らに働いてもらって、彼らの不要な「実」を提供してもらう取り引きが成り立つ。両者にとって共に事態を改善するからである。そうすると、これは「種」を「実」に変換する「技術」のようなものである。なるべく少ない労働ですむように選択するならば、この方法を選ぶ。
 かくして、例えば「ミグイ人」労働者と「タネクイ人」労働者がそれぞれ0.75単位ずつ働いて、各々「実」0.75個、「種」0.75個生産して、両者が不要な「実」0.75個と「種」0.75個を交換しあえば、「ミグイ人」労働者は、めでたく0.75単位の労働で、「実」1.5個を「生産」できる。よって、1単位の労働の見返りで受け取るものが、0.75単位の労働で生産可能なのだから、やはり搾取は存在したわけである。
 吉原さんのこの批判を通じて、搾取というものが、労働者にとっての望ましい規範状態を基準にした現実評価なのだということが、一層自覚された効果があったと言えるだろう。
 

追伸:05年12月8日
 昨日、再反論の論文を『季刊 経済理論』に投稿しました。
 
 
 

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