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 07年1月26日 ガチウヨ世代のソ連イメージ


 僕の経験からすると、手のつけられないウヨの学生というのは、今の20代後半から30歳すぎぐらいに多かったような気がする。おそらくこの世代がネット右翼などの中核部隊をなしていると思われる。もちろん、正反対の、今まちでNPOなどの活動を支えている中心的な若い人達もこの世代なのだけど。
 でも、僕が講義などで学生から感じる右翼的な反発みたいなものは、ここ数年は劇的に少なくなっていると感じる。何かしらその点での世代の変化がある。いったい今の20代後半から30歳すぎの世代というのは、何か特別なことがあったのだろうか。
 たしかに小林『戦争論』の影響が一番大きかった世代だし、彼らの学生時代は「つくる会」も一枚岩だった。それは大きな要因だろう。しかし、それ以外にもうひとつ、決定的に大きな原因だとにらんでいるものがある。
 それは「ソ連」のイメージである。

 僕のこれまでの入門講義は、基本的に市場化の進む現実を紹介するだけで、最後の一、二回でそれに対する自分の対抗案を語るけど、それ以外は主流派経済学も言っているようなことを客観的に述べるだけだったつもりである。
 ところが、見方によってはこんなに体制側べったりの講義はないのに、アンケートをとると(アンケートは最後から二、三回前の回でとる決まりなので、僕自身の対抗案はまだ語っていない段階なのだが)、「極左」だとかなんとかとの反発を憎々しげに書いたのが必ず何枚か見つかったものだ。そう、よくわかったね。おじさんは「極左」のつもりだけど、でも大人の人で「極左」と言ってくれる人は誰もいないよ。コンピュータには「リベラル右派」と言われたし。
 だが思い起こせばこの世代の学生時代、こんな感じのすれ違いみたいなものが数限りなくあった。

 以前、自分の講義の試験で、民間人の自由な取り引きに任せたら市場メカニズムの「見えざる手」が働いて調和するというようなことを言ったのは誰かというのを、スミス、マルクス、ケインズの選択肢から選ばせる問題を出したことがある。解答の1位はマルクスであった(正解はスミス)。教員休憩室に答案を持って帰ってパラパラ眺めてそう言ったら、周囲から「クビだ!」と言われた。
 講義で、何でも民営化しろ、刑務所も民営化できる、消防署も民営化できる等々とぶちあげていたら、講義が終わってから学生が一人つーっと前にやってきていわく「キョーサントウ!」。(共産党は国営化を志向するものというのがおおかたの大人の通俗的イメージ)
 別の、NPOや協同組合の活動を紹介する講義で、このような下からの事業で社会を変えようとする運動は、20世紀には衰退していたけどソ連崩壊をきっかけにして復活したというような話をしたことがある。その講義内容をまとめた学生のレポートで、このような運動が「ソ連崩壊によって衰退したけど最近復活してきた」というようなまとめかたをしてきたものがあった。
 このような経験をいろいろ重ねているうちに、やがてこの世代が大学にいなくなったころにようやく一本筋が通って納得がいった。彼らがソ連について言った断片をまとめてみることによって全体がつながったのである。

 彼らが「ソ連」というときにイメージするのは、ゴルバチョフのソ連である。
 悪くて恐いソ連のイメージは全然ないのだ。店の棚に物がなくて、みんな政府に文句ばっかり言っている「言いたいことの言える国」というイメージなのである。言いたいことを言った挙げ句国がつぶれたというまとめ方をしているようなのである。
 ところが「競争がないとみんな働かないからダメになる」というようなことだけは、どこからか知らないけど聞いてきている。だから、彼らのソ連イメージは、一言で言えば「国民を甘やかす国」なのである。めいめい好き勝手やらせてもらえてそれでも生きていける国というイメージである。「ソ連」「社会主義」「左翼」といったものに対する彼らのイメージは基本的にこれである。
 そして、これでは国はつぶれてしまったという理解になるわけである。国民を甘やかすからだめなのであって、厳しく競争して、ピシーッと統制して反社会的な行為は許さないのがいいということになる。ガチンコ右翼の誕生である。
 一般化はできないかもしれないが、当時の久留米大学の少なからぬ学生のイメージでは、だからソ連では商売も好き勝手できたという発想になるらしい。経済活動も含めて個人の自由にやらせるのが「社会主義」「左翼」というものであって、それは駄目だったのだ、だから「社会主義」や「左翼」は敵なのだというつながり方になるようである。
 我々の世代以上では、「左翼」と言えば、大地が盛り上がってそこから筋肉隆々たるこぶしがつきでて赤旗をつかんでいるポスターなんかが象徴的イメージである。こんなイメージでは人々に受け入れられないぞと言って、何とかソフトなイメージになるように無駄なあがきを続けてきたというのが僕らの自己認識である。ところが実は彼らのイメージする「左翼」は全然違ったわけだ。まさに我々が無駄なあがきをして近付こうとしたそのイメージが、もともと「左翼」のイメージだったのである。ポスターで言うなら、ニコニコ母子が日溜まりでわらっている前で鳩が飛んでいるようなイメージ。「人類はみな友だちだよ。ウフフ」というイメージで、それが彼らがムカツいてならない当のものなのである。

 僕らの世代というのは、もしかしたら社会主義者がソ連・東欧体制崩壊を拍手喝采で心から喜んだ唯一の世代なのかもしれない。僕らより上の世代の社会主義者には、どうしても最後までソ連型体制に対する未練が拭いきれないところがあったような気がする。
 ともかく僕らの世代のソ連のイメージは、左右を問わずおそらく全世代の中で最悪だろう。まっ先に脳裏に浮かぶのは、厳寒の雪まじりの風ふきすさぶ赤の広場で、兵士が一糸乱れず整然と行進する姿である。暗くて厳しくて堅いイメージである。
 青春時代は、もうこのソ連が重苦しくてしかたなかった。まだゴルバチョフなど下っ端のひよっこで、ブレジネフとかアンドロポフとかが君臨する時代である。自由な言論が抑圧される国。一部の強者だけが特権をむさぼる国。いざとなれば本当に日本全土を焦土にすることも占領することも簡単にできる国(北朝鮮にはこんなこと絶対できませんよ。今とは脅威のレベルが全然違う)。
 ソ連支配下のポーランドで労働組合「連帯」が作られたのに心を踊らせ、その闘いに声援を送ったけど、やっぱり軍事弾圧されて終わってしまった。同じころ、お隣の韓国でも軍事政権に対する民主化運動が血なまぐさく弾圧されたけど、片方が社会主義国、もう片方が資本主義国という区別は意味がないと思った。同じ闘いであり、同じ結末だった。くやしかった。どちらの独裁も、いつか必ず打倒できる日を思いつつ、しかしそれは圧倒的現実として目の前にそびえたっていた。
 ところがその後、1986年にフィリピンのマルコス独裁打倒、1987年の韓国軍事政権打倒、台湾民主化開始と、近隣諸国で学生や市民の闘いが勝利する事件があいついだ。希望がおこってきた。そして1989年を迎えた。中国の天安門の闘いは弾圧されて、やっぱりだめかと思ったが、一転、東ヨーロッパで自由を求める市民が続々と立ち上がり、ドミノ式に共産党独裁が打倒され、ベルリンの壁が崩れ、チャウシェスクが処刑された。
 さらに1991年、ソ連保守派のクーデターが起こった時、やっぱりだめだったかという気持ちもよぎったが、ソ連人民は三日でこれを粉砕した。すばらしかった。
 ああ、見てごらん、正義は勝つのだ。どんなに強い力をふるおうが、自由を求める人間の歩みを止めることはできないのだ。あのソ連を、巨大な軍隊と最強の秘密警察に守られた未曾有の独裁を、人民はとうとう倒したのだ。

 これを経験した私達の世代には、社会変革というものに対する根本的な楽観が刻み込まれていると思う。独裁は滅び、自由は勝利する。どんなに現実が厳しくても、自由を求める日々の闘いは、いつかかならず報われる。

 しかしソ連イメージが違えば、同じ事件から全く逆の解釈がでてくるわけだ。ソ連が「国民を甘やかす国」というイメージならば、そんなソ連がつぶれましたという事実は、「理想論を言って人間を甘やかせてもうまくいきませんでした」という教訓に解釈される。だとしたら、心の基本的なところで、社会変革に対するニヒリズムが刻まれてしまって当然だろう。

 今の学生はまた違うイメージになっている。もはやソ連を知らない世代である。教科書で習って知っているだけなのである。だからソ連のイメージを聞いたら、「ビチーっとしている」と言う。やっとみんな僕らと共通の認識になってきたようである。
 
 


 

 

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