松尾匡のページ

08年7月23日 『「はだかの王様」の経済学』セミナーで語る「疎外の名所」


(下記id:kihamuさんから、やはりここに書いたシュティルナー解釈は誤りとのご指摘を受けています。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20080705/p1
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20080723/p1
この点にご注意のうえ、お読み下さい。08年7月24日後注)


 7月12日に、基礎経済科学研究所の現代資本主義研究会で、『「はだかの王様」の経済学』についてしゃべるよう言われ、京大に行ってまいりました。ついで、7月14日は、日本科学者会議の立命館大学の部会みたいなのに呼ばれて、やはり『「はだかの王様」の経済学』についてしゃべりました。
 宣伝の機会をもらってありがたいかぎりです。


【原稿段階で知ってたら書いたのに】
 それにしても、疎外の実例としてあげると実に理解が進んでウケまくるのが、ほら、あの、何とかと言う、アールのつくところの話。名前忘れたけど。琉球大学でもないし、龍谷大学でもないし、立教大学でもないし、リッツ・カールトンでもないし、鹿鳴館でもないところ(笑)。
 最近でもざっとこんなことがある....らしい(伝聞)。

・毎年「じゅぎょーりょー」とかいうものを値上げしておきながら、他の同業者と比べてもともと低い部類に入るボーナスを、突然一か月分カットして、組合との交渉を拒否しつづけ、とうとう訴訟になっている....らしい(伝聞)。

・そんなことをしておきながら、昨年、理事長、総長の退任慰労金をお手盛りで倍増し、理事長は1億2千万円(D志社の場合の約十倍にあたる)を受け取って相談役理事に居座り、総長は4千万円を受け取って理事長に横滑りした....らしい(伝聞)。この総長の慰労金は、国税庁から「役員報酬」とみなすべきではないかと言われ、当人曰く「今回については勘弁してもらった」...らしい(伝聞)。

・1億2千万円受け取ったその元理事長は、かつて専務理事を退任したときにも当然退職金を受け取っており、理事長退任に当たっては豪華な慰労パーティーが開かれた....らしい(伝聞)。退任慰労金が世間から叩かれたので、その一部を「寄付」と称して払い戻したのだが、これに関して「ご寄付に対する××××相談役への感謝の集い」なるものが催された....らしい(伝聞)。

・先頃、過去数年間の残業代未払いが発覚し、労働局から検察庁に労働基準法違反で書類送検された....らしい(伝聞)。

・「ていいん」とかいうものがあるそうだが、この春それを大幅に超過したので、補助金が削られるとかで、「きょーじゅかい」とかいうものの承認もなしに、一部の上の方の判断で「てんせき」とかいうことをした....らしい(伝聞)。それが世間から叩かれて、補助金が15億円削られた....らしい(伝聞)。

・この問題でガバナンスのあり方が叩かれたことを口実にして、かえって理事長直結の監査制度を作るべくごり押ししようとしている....らしい(伝聞)。

・加盟している業界団体が、昨年度一年間に、政治家のパーティー券の購入費用約一千万円、高級料亭での「役員懇談会」、スナックでの「打ち合せ」など約3300万円の不適切な支出をしていたことが、所轄官庁の調査で発覚したが、これを決裁していたこの業界団体の財務担当理事は、ほかならぬ、ここの理事長だった....らしい(伝聞)。この業界団体が「役員交通費」を一回あたり10万〜20万円渡していたことが、所轄官庁から「報酬」にあたると指摘されたが、もちろんここの理事長もそれを受け取っていたわけである....らしい(伝聞)。

・「がくゆうかい」とかいうものの会費の代理徴収をやめて、このたび、当局の判断で評価したところにお金を援助する方式に改めようとしている....らしい(伝聞)。

・先日、評議員選挙で唯一競争選挙になったある職員選挙区で、新人職員全員だけに対して職責上の上司から特定候補への投票指示があった....らしい(伝聞)。

・規模が拡大しているのに図書予算は全く増えず、雑誌や継続図書の削減はじめ図書リストラのために現場は四苦八苦している....らしい(伝聞)。

・上記「てんせき」の問題で、理事会お手盛りの調査委員会を作って調査報告をさせているのだが、その中で、内部資料が外部に流れたことに関して、「信頼関係を損な」うとの表現で、内部告発への恫喝をしているんだから、ガタガタブルブルときたもんだ。(伝聞)

 いやはやここまでくると、世間からつっこんでもらおうというノリで、ネタでやっているとしか思えない。私の本で実例に使えば、山形さんもノブリンも深く納得させかねない勢いを持っていたはずだと思いますが、残念ながら、無関係ゆえ原稿を書いている時点では知らなかったのです。
 てなことをしゃべっていたら──とはいっても、具体的なことを並べたわけではなくて、「上意下達も貨幣物神崇拝もはなはだしい」と、一般的に述べただけなのですが──、
「みんな知っとるやん」
「知らんかったんか」
「なんで移ったんや?」(何のことか不明)
と、ヤジが飛びまくりました。
 そうか、関西ではコモン・ノレッジだったのか。みんなが知っていて、みんなが知っているということをみんなが知っていて、みんなが知っているということをみんなが知っているということをみんなが知っていて、みんなが知っているということをみんなが・・・・(以下無限に続く!!)


【もうひとつ、知ってたら書いたのに】
 ところで、京都の研究会では、置塩師匠の弟子ゼロ号と言われている先生がいらっしゃってました。学部時代に薫陶を受けたそうです。当然、人生の大先輩であられるわけですが、そのかたから、60年代当時の「疎外論」の流行について話を聞いて驚きました。

 このかんの「はだか祭り」の中で、「疎外論というのは、『あるべき姿』『理想像』を設定して、そうなっていない現実を批判する議論だからダメだ」という議論がたくさん聞かれましたよね。
 でも、よく考えてみたら、「完全雇用」という「あるべき姿」を設定して、失業いっぱいの現実を批判して不況対策をとったらいかんのか、「二酸化炭素排出量〜トンまでに削減」という「あるべき姿」を設定して、そうなっていない現実を批判して削減策を推進したらいかんのか、と言われれば、そんなことはないはずです。これがダメなら、世の中に対して何も積極的主張ができなくなります。
 ではなんで「疎外」という言葉を使ったとたん、このような言説が湧いて出るかわかりますか。

 実は、60年代ぐらいに一回「疎外論」と名乗る論調が流行っていたことがあり、それが70年代あたりにさんざん批判された歴史があります。その70年代の批判の口調が残っているのですね。
 その60年代の疎外概念は、私の疎外概念とは正反対で、ヘーゲルのものを引き継いでいました。つまり、論者の頭の中に、下世話な現実の都合から切り離された高邁な理想像を勝手に思い描き、世の中も他人の生き様も、みんなその理想像に合わせようとしたわけです。
 そんなハタ迷惑な姿勢が、70年代に批判されたわけです。そうした批判者の代表格の廣松渉などは、「マルクスは疎外論なんて捨て去ったのだ」と主張していました。このこと自体は、その後の文献研究では否定されていて、『資本論』でも「疎外」という言葉はたくさん使っているし、その後知られた『経済学批判要綱』という『資本論』の準備のメモ書きでは、いたるところ「疎外」という言葉があふれていたのですが、それはともかく、60年代型の疎外論に対する当時の批判自体は、もっともな面もあったわけです。

 私も廣松渉批判の論文を書いたこともあるくらいで、こういう歴史については知っていたつもりでした。それで『はだかの王様』の原稿段階では、この論争についても簡単に触れて、60年代の疎外概念とこの本の疎外概念の違いについても、ちょっとだけ説明していました。
 でも、結局、マニアックすぎると言うことで削ってしまったのです。どうせこんな論争誰も覚えていないだろうし、一般人は興味を持たないと思いましたから。
 実は、私も、本の編集者も同じような世代で、60年代疎外論がどんなものだったのかなど、リアルタイムには全然知りようもなかったわけです。どうせ、「流行」などと言っても、一部の急進左翼系知識人の間だけでの流行にすぎなかったのだろうぐらいの認識でした。

 実は違ったのです。
 師匠の弟子ゼロ号の先生もおっしゃってましたし、翌朝京都駅でお会いした哲学者のやすいゆたか先生もやはり全く同じことをおっしゃってました。当時は、まさに「猫もしゃくしも疎外論」という状況だったそうです。大衆週刊誌の漫画の題名に「疎外」という言葉が入っていたり、ちょっと気の利いた文章には必ず「現代社会の疎外」とかいうフレーズが入ったりしていたそうです。彼女がいなくて寂しいのもみんな「疎外」だと言っていたらしいです。
 いやあ驚きました。しかも、60年代当時に「疎外論」が流行った問題意識というのにもびっくりした。高度経済成長が実現されて物質的な必要は満たされてきたから、精神的な価値を求めて言われたことだそうです。
 ああこれでは話がすれ違うのも無理はないわ。私の解釈する疎外概念は、一人一人の暮らしの現実の都合の側に立って、それが、そこから遊離した全体的な制度や主義のせいで犠牲になってしまうことを指して批判する概念です。だから各自の「おまんま」の問題こそ最優先です。高尚な理屈にとらわれず、「労働者よ利害を語れ」ということこそが持論になります。
 それと比べると本当に正反対なことが60年代には疎外論の名で語られていたわけですね。

 ともかくこのようなとんでもない流行があった末での、70年代の疎外論批判だったわけですね。だからこそ、廣松氏はじめ、しゃかりきになって批判していたのだし、それで、疎外論なんてダメだというのが知的に優位な論調とされるようになったのですね。そうして、今に至るも、ちょっと知的な人文系の議論に親しむと、このときの疎外論批判のフレーズが、少なくとも孫引きかひ孫びきかで必ず何度か目に入るというわけだったんだ...。
 今となっては、廣松批判のあたりは、削らずに残しておいた方がよかったと思います。が、
あとの祭りだ(笑)。


【疎外論は自由至上主義】
 さて、京都の研究会では、「疎外」の反対語は何かというのが議論になりました。結局、「合意」か「自由」かということになったわけですが、最終的にみんなが納得した結論はこうです。
 何らかの組織を前提したときは「合意」。その前提をはずして一般的に言うときは「自由」。

 ああこうまとめると、すっきりくるわ。なるほど。
 私の本へのいろいろな人の批判で、とりあげるに値する論点は、合意の可能性がどれほどあるのかということに帰着すると思います。それで私は、投票や連署のイメージにとどまらず、合意概念を拡張しようとしたわけですが(そしてそれは依然有効な方向性だと思いますが)、むしろ「合意」を含む「自由」という概念に広げて、自由を実現するために様々な方法があるけど、ある組織の中で自由を実現するためには、関係者の合意という方法によってそれを実現する、しかし、「合意」が「自由」とあいいれなくなったときには、その組織にこだわらないことによっても、自由が実現できるようにしよう、という言い方にしたほうがわかりやすいですね。
 もっとも、やめて移った先が疎外の見本だったという例もある....らしい(伝聞)から、難しいけど。

 まあしかし、「はだか祭り」を経た今から振り返ってみたら、疎外論というのは広い意味で、「リバタリアン」(自由至上主義)や「功利主義」の一種だと言っておいた方が、わかってもらいやすかったかもしれないと思います。「リバタリアン」かつ「功利主義」とか言うと、ガリガリのホリエモン的市場至上主義者みたいなイメージがあって、多くの人には、疎外論やマルクスとは水と油みたいな先入観があると思いますが、実はそれは違います。
 例えば私の本でも例に取り上げた戦時中の日本など、リバタリアンにとってはごめんこうむりたい社会の筆頭だと思いますが、そんじょそこらのリバタリアンだったら、この社会システムは本当は批判できないのです。現実には、一部の強者が陰謀をめぐらして意図的に作った部分も多々あったのでしょうけどね。けど、とりあえずその問題はわきにおいておいて、一番本質的なところだけを取り出したモデルにすると、私の本でも書いたように、あの体制は、誰が意図的に設計したわけでもなく、人々の横にらみの中で、観念がひとり立ちして暴走していってできたものです。
 もしリバタリアンにとっての自由の敵が、特定の人間によって意識的に設計されたものにかぎられなければならないのならば、このようなシステムを批判することはできなくなってしまいます。しかし戦時中の日本の体制ほどのものを批判できないならば、なんのためのリバタリアンでしょう。
 だから、誰が意図したわけでなくひとり立ちした観念の暴走で、個々人の自由が抑圧されてしまう事態をも批判するところまで、リバタリアンは徹底されなければならないのです。そしてそうだとするならば全く同様に、市場の暴走のせいで、個々人のくらしが抑圧されてしまう事態をも、リバタリアンは批判しなければならなくなります。そして、そこまで至ったのが、マルクスの疎外論なのだと思います。

 功利主義についても同様ですね。他人を蹴落としてガリガリなことをすると、結局損なのです。めぐりめぐってトクになるから協調するのであって、それでいいのです。それ以上何も求める必要はありません。これは疎外論の立場そのものです。
 おカネなんてしょせん観念ですから、使ってくらしを豊かにしてこそナンボです。そう思えば、カネのために自分を傷つけることも他人を傷つけることもバカバカしくなります。功利主義者も徹底すれば、へたな共同体主義者よりよほど協調的になるのだと思います。

 まったく、だから、私の本に対して、不倶戴天のコミュニタリアン方面から批判がくるのは当然だと思ったけど、むしろリバタリアンや功利主義にどちらかと言えば親和的な人から、あさっての方向の批判がくるんだから、とってもとまどいました。(ところで、私の本への批判に、「疎外なんてなくせるものか」というものがよくありましたよね。それはまあ、リバタリアンの望む自由なんて実現できるかということと全く同じだと思います。どんなリバタリアンにとっても、自分の望むとおりの自由が、百年や二百年は実現できないのは百も承知でしょう。)


【疎外論は個人主義】
 それと、やっぱりちゃんと書いておいたら、もっとわかりやすかったかもしれないと思ったのは、疎外論は個人主義の一種だということです。まあ、それは私の本を先入観なく読めば明らかなことで、だからこそ第6章の方法論的個人主義につながるのですが。
 しかし、「リバタリアン」で「功利主義」で「個人主義」なんてことになったら、例の濱口先生からは即座に「リベサヨ」って怒られちゃいそうですけど...。まあ、怒られる側面はないことはないのですが、でもやっぱりちょっと違うんですよね。多くの「リベサヨ」が問題なのは、「個人主義」を徹底していないせいだと思います。徹底していないとはどういう意味かというと・・・

 あの本でも書いたのですが、私は、マルクスは、シュティルナーという人の、徹底した個人主義的疎外論から大きく影響を受けていると思います。マルクスという人物は、特に若い頃は、自分が影響を受けた相手ほど、やっきになって罵詈雑言浴びせる傾向にあるので、シュティルナーも相当無茶な批判をされているのですが。
 この件については、シュティルナーを研究されているid:kihamuさんが、拙著を取り上げて下さり、シュティルナーは疎外論者でも個人主義者でもないとおっしゃっている(「シュティルナーを疎外論的に読む誤りについて」)のですが、そこでおっしゃっている「疎外論」とは、やはり60年代流のヘーゲルの疎外論だし、「個人主義」とは、徹底していない普通の「個人主義」のことだと思います。マルクスに引き継がれているものを指すためには、ヘーゲルの「疎外論」ではなくて、個人に対する観念の君臨を批判するシュティルナーの立場こそ、「疎外論」と呼ばれるべきだと思います。
 そしてこのときの「個人」とは何か。「私」とは何か。乱暴に言えば、「私松尾匡は紅茶好きである」ということがアイデンティティになってしまったならば、「たしかに3時間前までは紅茶が欲しかったが、今はコーヒーの方が実は飲みたい」という自分を抑圧してしまいます。これも疎外なのです。

 つまり、近代的個人主義は、内的につじつまのとれた不変のアイデンティティを持つ理性的個人を想定していて、それに反発して反近代主義者はそんな「個人」概念を批判してきたのですが、疎外論者の依拠する個人はそんな個人ではないのです。もちろん問題のレベルによっては、そんな個人を想定して考えてもいいですけど、原理原則論としては違う。
 疎外論が依拠している個人は、原理原則論としては、腕に針を刺したら痛いと感じて思わずひっこめるこの「私」です。まず第一義的には、猿の頃から共通する、誰も否定できない、現にここにある、この生物学的個体です。これが観念によって抑圧されることを批判することこそ、疎外論の問題意識だと思っています。さっき一種の功利主義と言ったのは、こういう「個人」にとっての「功利」ということです。
 まあ、シュティルナーの場合はどうか知りませんが、マルクスのレベルになりますと、そうは言っても、生物学的健康のためには「禁煙」の観念で、うつろいゆく自己を抑えることは肯定されるでしょう。社会関係なしには生きていけないので、それを規律する観念にはたしかに従わなければならなりません。それは認めるのですが、認めるのはめぐりめぐって結局自然的個々人の功利にかなう限りであって、そうでない、自己目的的な観念による抑圧はやはりおかしいぞと。それが「疎外論」なのだと思います。

 多くの「リベサヨ」がいけないのは、ここの点で個人主義が徹底していないから、アイデンティティという観念による、本当の個人の抑圧に目をつぶってしまう点にあると思います。例えば「私は在日コリアンである」というアイデンティティを立てたとたん、様々な生活様式、多様な感性を持つ個々人の差異や変化が抑圧されてしまいます。「日本人である私の戦争責任」とアイデンティティを立てたとたん、心理構造の残存度や過去の国策に由来する利益や損失についての、実に多様な個々人の違いや変化が押しつぶされてしまいます。これは裏返しの右翼であり、疎外にほかならないのです。

 稲葉振一郎さんの『経済学という教養』を、このほど出た文庫版(ちくま文庫)で読み返していて思い出したのですが、ここで紹介されているドナルド・E・ブラウン『ヒューマン・ユニバーサル』(新曜社)という本は傑作でしたよ。今まで、文化が違えばものの見え方や感じ方やなんやかやといろんなものが違うと考えられていたのが、ぜーんぶ神話でした、人類みな同じでしたって暴露している本です。稲葉さんのこの本を紹介している部分でも言われていることですが、今、人間性には、文化を超えた普遍的・生物学的要素が意外と大きかったということが、いろいろな分野の研究で明らかにされています。疎外論が依拠する自然的感性的個人はたしかにあるのです。

 私の本について、田中秀臣さんからいただいたご批判は、人間は家庭や友人関係からそれぞれ特殊な観念を受け入れているものだから、観念から自由であれという志向自体が強制であり、家庭や友人関係を清算する志向につながるというものでした。id:bewaadさんからいただいたご批判は、自己犠牲的なことを喜んで自発的にする人もいるのに、それは疎外と言えるのかというものでした。いずれも、観念が個々人の内面を制圧していて、自然的感性的個人の抑圧があったとしても、(少なくとも外から観察可能な)当人の主観としては、その解消が望まれていないケースで問題になることだと思います。
 疎外論が「リバタリアン」で「個人主義」である以上は、あくまで表明された当人の選好が尊重され、それと異なることを外から強制することは戒めなければならないことは大原則です。
 それはふまえたうえで、しかし、すべての個人に共通する自然的感性的側面はたしかにある。意識的に語っている「私」だけが「私」ではなく、声を出せない別の「私」も底にいる。ということは、わかっておかなければいけないことだと思います。本人がいいと言っているならいいということに留まる限り、リバタリアンは集団いじめも北朝鮮体制も批判できない、そんなリバタリアンはなんのためにいるのかということになります。
 私は、目の前で人が飛び降り自殺しようとしていたら止めるような人になりたいと思うし、政治的同志が何かの抗議のハンストに入って「聞き届けられない限り中止するな」と言い残していたとしても、意識もうろうになったら中止して病院に入れてしまうでしょう。そういう自分は思想的に肯定したいと思います。
 まあそんな緊急事態でなければ、あくまで本人の表明する選好は尊重されるにしても、こっちの方がいいんじゃないかという提案をするのは自由だと思います。実際にそれで生活が豊かになったり、楽になったりしている実例を目の当たりにすれば、やがていつかはこれまでの自分のあり方に疑問を持って、可能ならばこっちのやり方に自然と移ってくるものなのだと思います。
 私があの本の最後の章で、実際にやってみせてもいないことを、国家権力をとって一挙全体的に実現しようとする志向に反対して、草の根の部分的事業を広げるやり方を推奨しているのはそういう理由です。


【私の疎外論は環境問題を説かない】
 最後に。このかんの研究会やその前後の直接の議論で、60年代型の疎外論を部分的にしろ受け入れている人との間で整理されたこと。
 このタイプの人達からは、観念の自立だけを批判するのでは弱い、もっと物的なものの自立も批判しなければならないとのお叱りがよせられました。
 しかし、例えば、労働者にとっての自己の生産物の自立化、コントロール不可能性というのは、それが資本家の意思決定にもとづいて処分されるべきものとされているから起こることであり、生産のし方についての観念の自立化の結果です。労働者にとっての機械の自立化、コントロール不可能性も、同じくそれが資本家の指揮命令にしたがって動かすべきものとされているから起こることであり、やはり生産のし方についての観念の自立化の結果です。貨幣物神の自立化も、その本質は、それと交換になんでも手に入るという観念の自立化にほかなりません。
 この人達の問題にしたい疎外は、だいたいは観念の自立化で説明がついてしまうのです。

 しかし、説明が分かれる問題がひとつありました。
 このタイプの疎外論の人は、地球温暖化問題のような環境問題を疎外の典型例として取り上げたいという志向を持っておられるようです。だから、人間の生み出した物的なものそのものの自立で人間が苦しめられるという図式を、疎外からはずしたくなかったわけですね。
 その志向は私にはありませんでした。
 たしかに何もかも原理がわかってしまった今となっては、地球温暖化も、わかっちゃいるけどお互いみんながやるからやめられない疎外の一例かもしれませんけどね。でも、この原理が知られていなかったこれまでの話について言えば、それは人類の壮大な錯誤の一種かもしれませんけど、疎外じゃないです。だいたいゲーム論で記述できませんし。



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