松尾匡のページ
08年11月2日 最近の受難
10月28日にトップページに書いたように、退職金の運用で大損出した上、前任校の非常勤給が、事務のミスで前期の間一コマ分余計に出続けていたことが判明し、後期の給料から毎月差し引かれることになった。世間と同時に一挙私も不況突入である。
それで最近、久留米大と比べて割高に感じていた立命館の学食も、アラカルトの組み合わせ方を一回300円台に押さえるコツを習得。まあまあそれなりの皿をそろえて、レジで「366円」とか出るたびに、「よっしゃー」と心中凱歌をあげている。久留米と立命の行き来の間は、飲食一切せず、缶コーヒー一つ買わずにすませている。木曜日家に帰ると夜10時半とかになるのだが、夕食は家で食べる。食事を作ってくれているカミさんに深く感謝である(もちろん、そのあと全員分の食器を洗うことになるのだが)。
なんだか不況の深化に加担しているようなのだが、読者のみなさんは是非一人一人できる範囲で浪費して、景気回復に貢献して欲しい。
そうするとやっぱり「存在が意識を規定する」ってのか、さすがに温厚な私もこのかんの日銀のゴテゴテコダシには怒りが高まっていたのだが、やっと利下げしたと思ったら0.2%かい。えっ、偉大な閣下は一世帯六万円下さるって。ああ慈悲深き人民の太陽。景気対策になるかどうかはわからないが、私対策にはなる。偉大な閣下に感謝してありがたく受け取って、消費したりせず大事にとっときます。読者のみなさんは景気回復のためにちゃんと全部消費して欲しい。
まあ閣下は国債は発行しないって言っているけど、国の借金を返す基金を取り崩して財源にするらしいので、財政赤字問題から言えば国債発行するのと同じなんだよね。だからどうせやるならちゃんとほんとに国債発行した方がよかった。ただちに日銀が買いオペしてそれを市中から買い取れば、確実に景気対策効果があるのだから。
思い出してみたら、『「はだかの王様」の経済学』の原稿の削除した部分の中に、中央銀行の発生を疎外論の論理で説明したところがあったのだった。残しとけばよかった。まったく何だこれは。日本中の人々は言うまでもなく、世界に広がる人々の個々の深刻な暮らしの事情から独立して…そうまさに「独立」して…排他的判断がなされ、その影響で人々の生活が抑圧されているのだ。「日銀の独立性」とか「強い円」とか「金利正常化」とか「量的緩和は異常」とか「インフレ大変だ」とかいう観念が一人立ちしていて、マスコミも政治家も、みんな何かおかしいと思いながら、周りがそう言っている以上は自分もそう言わないと叩かれると思ってか、誰も「王様は裸だ」と言い出さなかったのだ。疎外の典型サンプルじゃないか。
ちなみに、久留米大学の三年生のゼミ生が論文の準備で、全国と九州の設備投資成長率や円レートなどのグラフをかいてきたのだが、九州の設備投資成長率は全国のと比べて、一年前の円レートの影響を大きく受けるように見えた。それで試しに簡単な回帰分析をしてみることを勧めて、今結果待ちである。こりゃ論文の締めの文章は、「僕は就職できるでしょうか」だなとからかったら、本気でそう書くみたい。いや冗談にならないよ。まあ日本どこでも、1ドル百円を割っちゃとても景気がもつはずはない。果断に大規模に為替市場介入して、不胎化しないことが当然の対応のはずだと思うのに.....。
しかし、私有財産の毀損などという「存在」に規定された怒りの「意識」など、典型的な「プチブル急進主義」って言うんですかそうですか。
ところで、先々週久留米駅に帰り着いてポケットを探ったら自転車の鍵がない。草津の研究室においてきたのかと思って先週草津に出講したとき、研究室の机を見たけどなかった。帰る日になってこれはやばいぞと思って必死に部屋の中を探したら、床に落ちているのが見つかり、やったーっと喜んだあとのことである。
最後の5時限目の講義が終わって研究室に帰ってきて部屋を開けようとしたら、今度はポケットに研究室の鍵がない。事務室に行ったら個々の合鍵というのはないらしくて、一回一回職員の人に立ち会ってもらってマスターキーで開けてもらうしかないとのこと。とりあえず開けてもらって帰り支度だけはしたものの、これは大変な事態だと、講義に行った足取りを探してまわったら、なぜか教室の音響設備鍵が下げてある部屋で見つかった。こんなところに置いた覚えは何もないんですけど。まあともかく、キャンパスの宿泊施設の部屋が取れなかった関係でパックの宿を取ったため、帰りの新幹線が決まってしまっていてあせったのだが、間に合うあいだに見つかってよかった。
と思って南草津駅に着いてポケットを探ったら・・・イコカカード(関西の電子マネーカード)がない。たぶん研究室にあるのだろうと、今固く信じている。駅のクイックチャージ機に差し込んだら自動的に普通預金からチャージされるので、ちょっと心配ではあるのだが。
まあ、先週は何かとプチ受難続きだった。二晩目は草津駅近くのビジネスホテルに泊まったのだが、バス代も電車代ももったいないし、南草津駅に自転車を泊めると二日分の駐輪料金が取られる。そこで、直接自転車で行くことにした。以前タクシーや人の車に乗せてもらったときに通った記憶を頼りに、名神高速道路と並走する道を行ったのだが、そこは街灯がない山道だった。ひとけのない中をどんどん進んでいったのだが、夜の十時も過ぎて真っ暗な中で、どこで曲がればいいのかさっぱりわからず、一通りうろうろ迷ってしまった。
なんとか曲がる道を見つけて、だいぶ降りていったら、JRの高架にぶつかる。たまたま町内案内板があったので見てみたが、どっちが駅か書いてない。草津駅は行き過ぎたのかまだなのかわからないので、あてずっぽうに高架沿いに走っていったら、静かな住宅街が続き、いっこうににぎやかにならないばかりか、だんだん寂しくなっていく。そこでやっと、これは新幹線だと気づいた。で、あわてて元の道まで戻ってひたすら降り、なんとか見知った幹線道路までたどり着いた次第。結局かれこれ一時間ちょっとで宿についたんだけど、結構疲れた。
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