松尾匡のページ

09年2月25日 梅林寺の梅満開 (日付が08年になっていたことを発見したので、09年に直しました。09年5月13日)



 いろいろ仕事が重なって一時はどうなることかと思ったけど、なんとかめどがつきつつあります。

 経済学史の教科書の原稿は1月末に一応できて、とりあえず編集者様からはおもしろがってもらえているようです。最初は冗談ネタが頭に一杯あるので、ノリノリで書き出したのですが、やがてネタが尽きると、同じペースで冗談を続けることがたちまち塗炭の苦しみになり、七転八倒してました。ホント終わってよかった。
 ただ、あとから読み返すと、「需要とは買いたいことで、需要曲線は右下がりだ」っていうような一番初歩的なことの説明をしてある章の前の章で、不動点定理の説明を一生懸命してあったりして、いくらなんでも不自然。ここは削らなければいかんなあというところが見つかります。

 河上肇奨励賞作品の修正もとりあえず終わって先日送りました。
 夏の段階での編集者様からのご指示は、すでに完成度は高いから、専門外の歴史記述のところの入門書からの典拠を専門書からのに改めればよいという由。そしたら、江戸時代の経営史みたいな話は苦労するかと思ったら、なんだかんだ言っても自分の専門の隣接領域で、案外手がかりがあって、それなりに進みました。それでも見つけきらなかったところはありましたけど、まあまあ自信あり。
 むしろ、近現代史の方が専門離れしていて、手がかりもわからずお手上げでした。キリがないので、適当なところで諦めて送ったのですが、編集者様からは、もともと「ポイントの手直し」程度の期待だったので、こっちが気にしている詰め残しは、さほど問題はないのではないかということでしたので、とりあえず一安心。

 ちくま書房さんから頼まれたウェブ雑誌の原稿も一応できて送りました。景気の話です。そしたら、使ってあるデータを、リンク先の官庁サイトなどから、読者が自分で手軽にダウンロードしてグラフを再現して確かめられることというのをウリにするアイデアだったのですが、編集者様からは、実際やってみると「手間取る」とのお返事。うーむ。いいアイデアだと思ったけど、やっぱり練り直しか…。
 というわけで、データダウンロードのページは、興味のある読者だけが読めばいいように別ページにするということで、書き直すことになりました。

 英文ジャーナルの投稿原稿の修正もとりあえず一件できて、英文校正の見積もりに出したら、十万何千円というのが返ってきたからビビってしまい、修正部分だけ取り出してお願いしたところ。

 それから、吉原直毅さんが、ロンドン大学のベネッツイアーニ氏と書いた論文の原稿を送ってくれていて、投稿前にコメントを求められていたので、取り急ぎざっと目を通しました。ほとんど納得しないけど(笑)、それは見解の相違ということで…。搾取論についての「主観主義対客観主義」ということで、私のメトロエコノミカ論文を「主観主義」の典型として詳細に検討して批判したものです。
 吉原さんからは、「21世紀における労働搾取論の新展開」と題した日本語論文もいただきました。目下の数理マルクス経済学の諸論点を包括的に議論した非常に有益な報告論文です。これも含めていずれコメントを公にしたいと強く思っています。吉原さんの本も必ず書評すると言いながらまだしてないし。

 今年度後期は「どマル経」の講義を担当したんだけど、内容の面でも、教育的配慮の面でも、いろいろ課題が多いと感じました。一年目だったからほとんど何の文句も言わずにやったのですが、共同担当者の間では練り直しが必要ということで意見が一致しており、新年度、本格的に議論に関わりだすと、新テキスト開発を含め、かなりのエネルギーを取りそうです。
 そう言えば、女子高校生がいるからということで、新年度、立命館附属守山高校の授業を引き受けさせられた。まあ三回だけど。そしたらあとで人に聞いたら「女子なんてほとんどいませんよ」とのこと。OΓ乙。
 それから、6.3%ベア実現の偉大な書記長に、このところ妙に連れ回されると思ってたら、組合の職場執行委員にさせられてしまった。会議は全部立命にいるときにしてくれるからと言うんだけど。
 新年度もいろいろ大変そうです。

 さて、標題の話。久留米の自宅近くの梅林寺の庭は、梅で全国的に有名なんだけど、今満開です。おととい写真を撮ってきたのでちょっと披露。




 昭和恐慌を引き起こした井上準之助大蔵大臣は、少年時代この梅林寺で修業していたそうです。出身は大分県日田市の造り酒屋で、この造り酒屋は今でもあって、敷地に井上蔵相の記念館を建てています。日田は、筑後川上流にあって、大分側に出るより久留米に出た方が近い感じで、ご当地みたいなもんですね。
 朝とか、近くを通ると、若い雲水さんたちが歩いているのに逢います。梅の庭も、雲水さんたちがいつもきれいに掃除しています。そういうのを見るたびに井上少年の話を思い出します。ちょっとそういう生活にあごかれる気持ちもあるけど、まあ、実際にはじめたらとてつもなく大変なんでしょうけど。
 中村宗悦さんの『経済失政はなぜ繰り返すのか』(東洋経済新報社)に、昭和恐慌当時、井上準之助蔵相が、「大臣をやめたら出家して恐慌の犠牲者の供養をしたい」と発言したことが取り上げられています。その発言の中に梅林寺の思い出話が出てきます。中村先生はかなり辛辣な評をされていましたが、ご当地ではいい話しか聞かないから、僕は、犠牲者の後生を弔って余生をすごしたいと真面目に思っていたんじゃないかという気がします。全斗煥はホントに山寺にこもったし。懺悔ってそういうもんだよね。

 というわけで、
中谷巌は梅林寺にこもれ!


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