松尾匡のページ

09年5月13日 あいかわらずのプチ受難



 ひさしぶりに立命出講。昨日火曜日に着いて、長い長い教授会が終わって、ポストを見たら、書類の山の中に、ブリタン・オブ・ポリティカルエコノミー誌から、休み中に届いた掲載論文の校正稿があった。
 中の手紙を読んだら「×日以内に修正して返送しろ」とあったが、届いたのはだいぶ前なので、そんな期限とっくに過ぎてしまっている。あわてて、事情を説明して、今夜中に直して明日必ず発送するという旨のメールを下手な英語で出した。
 それで猛然と校正にかかったのだが、マイナスがことごとく文字化けしているし、行列はうまく表示されていないし、ギリシャ文字のτも文字化けしたり、ゴチックになっていなかったり、真っ赤っか状態。このマイナスは、もともと僕は素直にマイナスのキーで書いていたのを、英文校正会社が全部もっと長い横棒に直したもので、それを信じて出したのに、かえってダメじゃん。

 そこで、参照用に文字化けのない原稿を入れておこうと思ったのだが、実は研究室にまだプリンターを入れていない。教員用の控え室みたいなところにはあるんだけど、もう夜で使えないので、今朝起きたら、一限目が始まる前に、まずそこに行って原稿を打ち出した。
 一限目の後は、三限目、四限目と授業が続く。作業は二限目の間にしかできない。一限目が終わったらすぐにカバーレターを書き、自転車で南草津駅近くの銀行に行く。印刷費用をまかなうために抜刷りを買うことが求められているのだ。小切手で200ドル送れということなので、窓口で係員の指示通りに書類を書いたら、身分証明を求められた。そんなもの全部はるか九州の自宅ですよ。私立大学の身分証明は通用しませんかそうですか。
 というわけで小切手は買えず。仕方がないから、そのまま郵便局に行って、カバーレターに言い訳を追伸して、とりあえず一番早いやつで発送した。

 途中昼食をとって戻ったら、ほとんど準備する時間もなく三限目だ。それが終わったら、四限目のゼミの学生の発表のために事務からパソコンを借りて行ったけど、教室ではいろいろやってもログインできない。結局職員の人に来てもらって、いろいろ試して、ようやくログインできた。
 このかんに、来週のゼミ用の資料の印刷を頼んだんだけど、この原稿は久留米で作成したもので、このときもかなりの分量なのにコピー機の用紙認識がA4とB4で入れ混じってしまって大変だった。なんだかなー、最近こんなのばっかり。

 経済学史の本の出版も、ちょっともたついたら新学期に間に合わず、出版社様の方では別企画が次々入って結局7月終わり出版の見込みになった。今、こんなツキの状態なので、この原稿ではサミュエルソン(94歳)がまだお元気と記述したのだけど、出版直前とか直後とかにどんでん返しになるんじゃないかととっても心配。朝に夕にご健康をお祈りしています。

 まあ今ちょっと楽なのは、ちくまのウェブ雑誌の連載の更新が、連休明けの金曜日にあるつもりで原稿を準備したら、今週の金曜日だったこと。しかも、原稿が長過ぎるということで、二分割したもので、その先の分までだいたいできてしまっていて、しばらくはこれに追われることがない。今のうちにそのほかの仕事をすましてしまわねば。
 仕事の一つは、藤原書店の商人道本の校正。そして、その紹介文を藤原書店のPR誌に載せるから原稿を書けと言われているもの。
 それから某学会の業績にならない学術的なお仕事。かなり手強い。それとは別にメールで飛び込みで修論草稿を見てくれというのがあって、ちょっと興味深い展開が二、三あるので気になっている。
 今年の連休も、どこにも行かずに仕事に追われて終わりました。このところ、ヒトのブログのチェックとかも全くままならない状態が続いたが、ようやくこのところちょっとだけ眺める余裕が出てきたかな。

 本当は、こないだメトロエコノミカ誌から拒否られたベーム・バベルクの論文を早くどこかに投稿したいんだけど。もうかれこれ十年は、あっちこっちたらい回しにされている。学史の雑誌からは理論の雑誌に出せと言われ、理論の雑誌からは学史の雑誌に出せと言われ。
 理論の雑誌にとっては、現代的意義がわからないそうで、学史の雑誌にとっては数理的すぎるそうだ。メトロエコノミカ誌からまで、三回も書き直させられながら、結局、現代的意義に乏しいから学史の雑誌に出せと言われてしまった。もう、どこかいいところないかな。


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