松尾匡のページ

09年7月12日 公開はだか祭り報告



 昨日7月11日、前回のエッセーでも紹介した、「公開はだか祭り」こと、拙著『「はだかの王様」の経済学』合評会のために、専修大学神田キャンパスに行ってまいりました。このような機会を作って下さり、懇親会二次会にまで至る企画運営に最後までお骨折り下さった野口旭さん、司会の石塚良次さん、コメント報告を下さった松井暁さん、稲葉振一郎さんに深く感謝します。二十数名もご参加いただいたみなさまにも感謝します。

 こんなにお世話になっておきながら、遅刻してしまい、野口さんはじめみなさんにご心配をかけてしまってすみません。
 開始は3時半だったのですけど、羽田についたのは1時半ごろで「余裕♪」と思ってたんです。これまで慣れているように、モノレールとJRで行ったらなんということもなかったのでしょうけど、パック旅行のチケットに、オマケで京浜電車のタダ券がついていたので、そっちで行くことに...。まあ、こういう目先の費用最小化行動が間違いのモトってのがお約束のパターンでして。
 ネットで調べたら、佐倉行きに乗って、日本橋駅で降りて地下鉄に乗り換えるとなってる。これを汚い字で「佐倉行→(地)日本橋」とメモってたんですが、「行」の字が崩れてたこともあって、羽田の駅でこれを「佐倉駅で降りて地下鉄日本橋駅から地下鉄に乗る」という意味に読んでしまったわけです。
 それで駅の人に佐倉に行く電車を聞いて乗ったんです。本当は佐倉って、千葉県のだいぶ行ったとこにあるんですね。東京からの直線距離では鎌倉とか藤沢と同じぐらい。今改めて地図を見て青ざめているところ。もし切符を買ってたなら料金があんまりかかるから、いくらなんでも間違いに気づいたはずなんですけど、スタンプ押してもらうタダ券なので気づかずに素通りしちゃったわけ。
 まあ、とっても気が長い性格も災いしたんだけど、なかなか着かないなあと思っていたら、やがて3時も近づいてきたので、ちょっと不安になった。車内に掲げてある路線図を見てみたら、まだ佐倉まで半分ぐらいしか来ていない。さすがにこれはおかしいと気づいて、もたもたノートパソコンを出して、今出たところの「船橋競馬場前」というところから専修大学神田キャンパスまでの検索をしてみたら、到着が4時を過ぎるという結果が出てくるじゃない。びっくりして隣にいた人に、「今私はどこにいるんでしょう」と聞いて、やっと、ものすごく行き過ぎていることに気づいたのです。
 それで、隣の人の言ったとおりに次の駅(津田沼)で降りて戻りの列車に乗りました。これも、一回ホームを間違えかけて人に聞いてわかったのですけど。
 電車の中でノートパソコンで専修大学の電話を調べようとしたけど、ホームページに載ってないので、104で聞き出して、会場のある大学院の事務室につないでもらったけど、会場に内線電話などがないということなので、事情を話してこっちの携帯電話番号などを伝言するメモを入れてもらう...。それがよっぽど焦ってる様子だったのでしょう。隣に座っていた親切なおじさんが話しかけてきて、一番早く行く行き方を教えてくれました。
 その人、自分もそっちだからと言って、いっしょに降りて、地下鉄の駅(本八幡)につれていってくれて、さらにいっしょに地下鉄に乗って、降りるべき駅(神保町)で「ここで乗り換えますから」と言っていっしょに降りてくれました。でもよく思い返してみると、本八幡駅で神保町に早く着く電車がどれか駅員さんに聞いてたり、神保町で反対方向に別れてから、駅員さんに出口が違うと言われて戻ったら、その人が戻ってくるのに出会ったりしたので、どうも、私のためにいつもは使わない地下鉄を使って下さったのではないかという気がとてもします。本当にありがたい限りです。
 なんとか開始時刻前に野口さんとは連絡がとれて、事情を話して先に始めてもらったのですが、もう本当にすみませんでした。

 到着したときは、松井さんの報告の途中だったのですけど、一応事前に報告原稿を送ってくれていたおかげでついていけました。稲葉さんの報告レジュメは、ご自身のブログにアップされてます
 報告者のお二人からも会場の皆さんからも、多くの論点をいただきましたが、メインの諸議論をまとめて言えば、この本の疎外概念にしろ、そのために使うカテゴリーにしろ、マルクス解釈にしろ、諸論者の間で一般に考えられていることとだいぶ離れている。だとしたら、疎外とかマルクスとか言うと、余計なイメージがついて誤解を生むだけだから、そんなことを言わずに、松尾の考えということで言ってしまった方がいい、というものになると思います。
 まあ、こっちはマルクス解釈としては自信があるけど、ご批判下さる方々もみなその点では自信がおありなので、その場の雰囲気では賢明にも、これを議論するのは不毛だからやめようというコンセンサスでしたけど...。とりあえず「損得論」のレベルでのご助言に関しては、あの本の想定読者である、元になった公開講座参加者のような、素朴な左翼的感覚の退職者の方々にはこれがいいのだと説明しました。

 しかしまあ、マルクスとかフォイエルバッハとかの文献研究を本当に真面目にやってたのは、はるか昔の学部時代のことで、その後は、事情に迫られたときにときどきやっただけ。ここ何年かはトンとやってないという感じですので、普通は専門の猛者のみなさんを前に「自信がある」などと言い切れるようなものではないのですが。
 で、何を根拠にこんな「自信」なんかあるのかって、宿でよく反省してみたら、ボクが「解釈」って言っているのは、まあ自分ではマルクスは意識的にやってるんだと思っているのですが、意識的か無意識的かはともかく、発想のパターンみたいなものを言ってるんだと自覚したわけです。とりあえず「発想のパターン」と、意識的に論じていることの「解釈」は分けて整理した方が誤解が少ないかもしれませんね。
 つまり、マルクスは、弁証法論理の特徴ですが、二項対立概念で物事を説くのが好きです。その二項対立概念のうちのかなり多くのペアが共通の特徴を持っているわけです。まあこれをAとBとしとくと、Aは、Bとの対比で言うと、全体的、一般的、社会的、抽象的なもので、「上」とか意識的とかいうイメージがある。Bは、それと比較すれば、個別特殊的、具体的なもので、「下々」とか現場とか、物質や自然や本能や感覚に近いイメージがある。例えば、Aが価値、Bが使用価値。Aが貨幣、Bが諸商品。Aが支配階級、Bが被支配階級。Aが資本、Bが労働。Aが生産手段の蓄積、Bが労働力再生産。Aが貨幣資本、Bが機能資本。Aが国家、Bが市民社会。まだまだいっぱい。
 それで、これらがたいていはみな、Bがばらばらに特殊化されているから、Aが全体を媒介するために、Bを上から包摂してひとり立ちするのだという根拠づけがなされています。そして、本来はBがうまいこといくことが目的で、そのための手段としてAが出てきたのに、Aが主人のようになって、Bが手段化されてしまう。これはケシカランことだという価値判断が間違いなくあります。
 こういう図式が一貫してあることは否定できないと思います。もう絶対自信あります。
 これを「疎外」という名前で呼ぶかどうかは、まあ本当はどうでもいいですけど、フォイエルバッハの宗教批判が、「Aが神、Bが生身の人間」という、これと同じ概念構成を持っていて、やはり、本来はBがうまいこといくことが目的で、そのための手段としてAが出てきたのに、Aが主人のようになって、Bが手段化されてしまう。これはケシカランことだという価値判断をしていて、これを「疎外」と呼んでいたわけです。ここにマルクスのワンパターン図式のプロトタイプがある、これも間違いないことだと思います。

 この「B系統」のことを私は『近代の復権』では「感性」と言いました。まああまりこんな言葉は、誤解が多いので『「はだかの王様」の経済学』では使わないようにしているのですが、松井さんはこの『近代の復権』での言葉使いを使って、個々人の感性に基礎をおく松尾「疎外論」は、個々人の効用に基礎をおく主流派経済学の方法論に自然に乗っかれる仕組みになっていることを解説して下さいました。それはその通りです。
 ただ、松井さんはやはり「感性」という言葉の日常用語感覚にとらわれてしまっていて、例えばマルクスにとって「芸術」は上部構造じゃないかと批判されたりするのですが、「芸術」は、少なくともマルクスの見方では、「B系統」ではなくて「A系統」だったということで、私の言う「感性」じゃなかったということです。
 主流派経済学との関連で言うと、「効用」というときにイメージしがちな何か抽象的な感情が共通しているというよりは、「B系統」はみな、Aとの対比で、個別的であって、広い意味で功利的存在である、そこに基礎をおいてAの発生を根拠づけ、無根拠にAが自立的にあってBを規定するという見方をとらない、その点で、個人功利主義的な方法論になっているところが共通していると思っているわけです。

 実は松井さんもマルクスは功利主義者だとおっしゃっていて、私は基本的にその論点は正しいと思います。しかもちょっとやそっとの功利主義者ではなく、マルクスは、疎外をなくすために、疎外を手段として用いることを肯定している、この点でも功利主義的なのだとおっしゃっています。そしてその点から、私が、疎外をなくすために疎外を手段として用いることに対して批判的なことを、マルクスと違うぞとお叱りになっています。
 合評会でもうしたように、これはマルクス解釈としても、私の解釈としても、全く正しいと思います。私はその点ではマルクスに与してないのです。その点では義務論的であろうと思います。この、目的が手段を正当化するというような姿勢が、ボルシェビキの大衆弾圧や内ゲバ等々といった数々のおぞましいことを生み出した元凶であり、人間手段に飲まれるメカニズムがあるのだと思います。

 それで、稲葉さんからも、二次会の場で野口さんからもご指摘いただいたことなのですが、私が、資本主義の次の社会段階として、やはり、疎外のないアソシエーションがメジャーになった社会体制を想定しているのは抑圧の元であるとのご批判があります。今の話がこれにかかわってくるのです。
 資本主義の次の疎外のない体制なんて、私は実現するのは二百年先か五百年先か、ともかく自分たちの人生の間に実現するものとは思ってないです。
 とにかく、下世話な個人個人の事情こそが尊重されるべきだという立場に立つこと。全体をまとめることは、下世話な個人個人の事情から遊離してこれを抑圧してしまいがちなメカニズムを持っているものだと認識すること。だから、そうなったらできるだけスムーズに、全体をまとめることを、下世話な個人個人の事情にもっと合致したものに取り替えることができるシステムが望ましいこと。これに同意するならあなたも疎外論者です。
 私が提唱しているのは、一挙全体的な社会変革ではなくて、例えば資本家に労働者がいじめられている現実があったなら、ではそんな仕事はやめて、自分達で民主的に経営される企業を設立しようとかいうことです。ところがそうやって設立した企業も、現実の事業運営の中ではいろいろな困難に直面します。それで結局執行部独裁になったりする例がたくさんあります。自分たちはいいことをしているのだからイヤなことでも我慢しろとか、仲間全体のために個人的事情は克服するべきなのだとか、そんな姿勢でいると確実にこうなっちゃいます。
 でも、現実の事業経営の中では、どうしても疎外に手を染めざるを得ない局面があります。どうしてもここでは執行部に権力が集中せざるを得ないとか、どうしてもここではひたすらおカネもうけを追求して市場に振り回されざるを得ないとか。そのとき、今述べたとおり、手段に飲まれてはいけないわけです。本来あるべきでないことをやっているやましさを感じて、行き過ぎたらいつでもスムーズに引き戻せるようにしなければならない。
 そのためには、頭のどこかに疎外なき理想状態をおいておいて、自分のやっていることをそれに照らして評価し続けなければならないと思います。これは、心理的に言っているだけのことではなくて、どのような条件でそのような逸脱が起こってしまい、どのようにすれば条件が変わったときにスムーズにそれを転換できるかといったようなことを、冷静なゲーム理論分析などで考えるときにも、規範状態として設定する必要があるものだと思っています。

 と言ったことを、懇親会の二次会で野口さんとお話ししてました。
 最後は、田上孝一さんが宿の場所を詳しく教えてくれたり、野口さんが宿の近くまでおくってくれたり...よっぽど心配かけたのだと思います。みんな親切な人ばかり。いろいろとありがとうございました。


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