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10年2月15日 商人道型労働運動とは何か──書評『路面電車を守った労働組合』


 前回のエッセーの「はてなブックマーク」で、「失業率と生活保護率は相関しているのでは」というコメントをお寄せ下さった方、ありがとうございます。たしかに、74.25%の相関があります。したがって、「多重共線性」という問題が生じているかもしれません。その場合係数が不安定になります。一応、その可能性はあるということをお含みおき下さい。
 あと、以前の「犯罪と失業」のときにもちょっと議論になったことで、舌足らずさは相変わらずだったと反省していますが、給食費未納者のうち失業者が多いか少ないかという問題と、ここで取り上げている問題とは違いますので混同されないようご注意下さい。極端に言えば、仮に未納者のうち平均99%は失業者ではなくて、これは全国一律で、残り平均1%だけが失業者で、これが正確に失業率に比例していた場合、相関は100%になります。都道府県ごとに文化や価値観や社会状況の違いがあるのに、それが未納率に影響せず、ただ失業率の多い少ないだけが影響しているならば、たとえ未納者中の失業者の割合がごくわずかでも、「失業によって説明がつく」と言えるのです。もしそうならば、未納者を減らす対策として有効なのはもっぱら景気対策だと言えるわけで、はたして実際はどの程度そうかを調べてみたわけです。
 それから、この相関に「未納→失業」という逆因果の可能性のご指摘もいただいていますが、これも、今取り上げている問題は、未納者が失業者になるかどうかという問題とは関係ないことにご注意下さい。「完全失業率」というのは都道府県全体のマクロな失業率のことなので、失業者全体から見ればごく一部の人に関係するだけの給食費未納率の高低が、これに影響することはまず考えられません。

 さて、きのうようやく採点も終わって一息ついているところです。『図解雑学』の編集者からは、見本原稿の督促がきているのですが、すみません、まだ着手していません。えー言い訳すると、筑摩書房の景気の本の原稿を2月頭にあげたあと、大急ぎで学術論文を一本提出し、膨大な採点をし、採点の合間に久留米大学の最後のゼミ生とゼミ旅行に行っていたのでした(偉そうなことを言っていますがね、春休みに入ってからというもの、朝は11時くらいまで寝てるのですよ。しかも私がこっそり買ってきて子供の害になるからいけないと怒られるから隠しておいたホラー系の本を見つけて読みふけっているのですよ。やれやれ、私は仕事の合間の読書も好きなように出来ません←妻の書き込み/ウソだ、平日は母子の起床で目を覚まして結局起きてしまうぞ←私が仕事行ったあとはだらだらしてるくせに(妻)
 学術論文は別に原稿を書いたわけではないのですが、十年来あちこちの雑誌を門前払いでたらい回しされているベーム・バベルクについての論文を、院生にアルバイトでLaTex文にしてもらって、数学の雑誌に送ったのでした。学史の雑誌からは数学的すぎるから理論の雑誌に出せと言われ続け、理論の雑誌からは誰も興味持たないから学史の雑誌に出せと言われ続け、とうとう思いあまって数学の雑誌(苦笑)。「吸収マルコフ連鎖」って行列論の応用という意味と、スカラーの行列乗という関数を自分で定義して使ったことを何とか認めてくれないかなということなのですが、バリバリ経済理論上の位置づけで論じている中身は何も書き換える暇がなくそのまま送ったので、まあどうせ無理とは思うけど。

 ともかくぼやぼやしていると筑摩の原稿の戻しがきていまうので、早く次の原稿を書かないと。
 そういえば、筑摩のウェブ雑誌の連載はとうとう削除されていましたね。まあ、原稿もあがったのに、いつまでも載せていると販売戦略上もまずいのでしょうね。
 ウェブで評判の上念司さんの『デフレと円高の何が「悪」か』(光文社新書,amazon)は、ひょっとしたら今度のボクの本とかぶってしまうのではないかと心配になって、きのうやっと入手したのですが、まあ大丈夫みたい。2時間ぐらいでさっと読み切れる、すごくわかりやすい文章で、ああこんなふうに書かないとと非常に勉強になりました。
 一応、この本で取り上げられている、「財政赤字タイヘン論」批判と、昭和恐慌・高橋財政の史実紹介については、僕の原稿では扱ってなくて、他方でもう少し経済理論にふみこんだ話をできるかぎりわかりやすく書いたつもりなので、あまりかぶらずに補完しあう関係になると思います。幸いなことに。
 ともかく、この本を読めば、もっとまともな世の中を実現しようという上念さんの志や、意義深い実践に頭が下がります。勝間和代さんの菅副総理向けプレゼンをまとめたのは上念さんだったのですね。ボクも及ばずながらがんばろうという気になりました。

 ゼミ旅行は、大分県方面で、一泊二日で豊後高田と日田のまちづくりの見学に行ってきました。両者とも、もとはさびれきったまちだったのが、歴史を活かしたまちづくりで盛り返して大成功した事例として全国的に有名です。豊後高田は、開発に取り残された古い商店街を逆に活かして、昭和30年代をイメージした「昭和のまち」で売り出しました。日田は、江戸時代交通の要衝として栄え、「天領」(幕府直轄地)として日常の市政は町人の自治に任されていたまちで、伝統的建築物保存地区の指定を受けて当時の町並みを再現しています。
 この二つのまちで共通して強く感じたのは、とてももてなしが親切だということです。あちこちバタバタと訪問しましたから、一銭もおカネを使わなかったところが多いし、何か買ったとしても試食や試飲やお茶や手みやげを出してくれるコストの方が大きいはずなのですが、訪問するところ訪問するところすべて、快い対応と丁寧な説明をして下さいました。さすが百年以上続いているお店というところも多く、まちづくりにかける志も含め、これぞ「商人道」というものを感じました。


 というわけで、今日は「商人道」話を。といっても一見それとかけ離れていそうな労働組合運動の本の書評なのですが。

 拙著『商人道ノスヽメ』で、これからは労働運動も商人道的にならなければならない、「団結の営業」をしなければならないと言いましたが、具体的イメージってなかなかわきませんよね。書いた当人もそれほど具体的イメージを持っていたわけではないですから(笑)。
 それがよーくわかる本がありました。
河西宏祐『路面電車を守った労働組合』(平原社)
amazon bk1セブンアンドワイ 本やタウン

 前評判を聞いて気になっていたのですが、筑摩の原稿書いている最中に届いちゃって...。だいたい、現役「被爆電車」と原爆ドームというカバー写真自体、有無を言わせずひきこませる迫力があるじゃありませんか。
 ここで開いてしまったら逃避行動だと、ぐっと我慢して原稿に向かい、書き上げてから読み出したのですが、いやこれが興奮して手放せないの。少年時代の主人公の広島入市被爆の描写から始まってひきこまれっぱなし。やっぱり我慢して正解だった。

【御用組合−戦闘的組合の軸では位置づけできない事例】
 この本は、広島の路面電車やバスなどの会社「広島電鉄」の労働組合「私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部」と、長くそのリーダーであった小原保行の活動の記録です。本のタイトルは、路面電車廃止の流れの中で労働組合がそれを存続させた功績を指しているのですが、この組合はむしろその筋の世界では、昨年、全従業員の正社員化を実現させたことの方で有名です。
 この本の山場である路面電車存続の話は、本の終わり三分の一ぐらいになってはじめて出てきます。そのあたりだけ読むと、「乗客を増やそう」とか「接客態度の改善・乗客サービスの向上運動」とか「待たずに乗れる電車、定時発車・定時運行・等間隔運転」とか「黒字経営を実現する」とか「職場規律の確立」とかいう言葉がたくさん出てきて、この組合が、まるで労使協調的な御用組合の一種のように思われるかもしれません。
 しかし、そこに至るまでの本の三分の二は、妥協なき不屈の闘い・闘い・闘いの記録です。この組合がおよそ「御用組合」と呼ばれるものからは対極にあるものだということがわかります。消滅寸前の極少数派組合が、地道な闘いを繰り返して、着実に成果を積み重ねていく中でみんなの信頼を獲得して、やがて押しも押されぬ多数派組合になって会社側第二組合を圧倒するに至るまでの道のりが描かれています。
 一方の端に経営側の言いなりになって労働者の尻をたたいて労働に駆り立てるような御用組合があり、他方の端に採算性をまるで度外視して従業員のエゴを追求する戦闘的組合があり、その中間のどこかにちょうどバランスがとれた態度があるというような見方をしたならば、この組合を位置づけることはできません。実際、この本の著者自身が、位置づけに迷っているふしが見られます。
 もしこの本を、卓越した一指導者の融通無碍なバランス感覚による成功物語と読んでしまったら、私たちはこの事例を普遍化することはできないでしょう。しょせん、そのときそのときの指導者なり大衆なりの恣意に、バランスの取り方をゆだねるしかないという無原則な結論になってしまいます。

【黒字経営を目指したのは会社側と対立する闘い】
 そうではないのです。この組合は、一貫して労働者の利益のために闘う労働組合だったのであり、その姿勢がゆらいだことはありません。
 路面電車を守る闘いにおいて、労働条件が一見改善される会社提案を蹴ってまでして、組合が利用者の利便性向上のためにがんばっていたとき、むしろ会社側の方が路面電車を使いにくくして利用者を減らそうと画策していたのです。だから、「乗客を増やそう」とか「接客態度の改善・乗客サービスの向上運動」とか「待たずに乗れる電車」とか「黒字経営を実現する」とか言っていたことは、労使協調でも会社にへつらっていたわけでも何でもなくて、それ自体が会社側の方針と激しく対立する闘いにほかならなかったのです。そして実際これを通じて、会社側の思惑に反して、赤字だった路面電車部門は黒字化されたわけです。

【資本側vs労働側の軸と、商人道的vs身内優先的の軸は別次元と整理せよ】
 資本側にも労働者を低賃金で酷使するものから労働者に融和的なものまであり、労働組合側にも労使協調的なものから戦闘的なものまでありますが、そのような軸と、商人道的か身内優先的かという軸とは次元が全然別だと認識しなければならないのです。
 鬼の資本家であれ労働者に融和的な資本家であれ、どちらにも、経営者一族一派なり自社社員なりの身内優先の者と、わけへだてなく他者に役立とうとする商人道的な者とがいます。同様に、労働側も、経営側の手下であれ戦闘的階級労組であれ、どちらにも、自組織の身内優先の者と、わけへだてなく他者に役立とうとする商人道的な者とがいるのです。そして、資本側であれ労働側であれ、最後に成功するのはどちらも商人道的な方なのだと思います。
 このように整理してこの本を読めば、この組合は、あくまで戦闘的な階級労組であると同時に、極めて商人道的だと位置づけることができると思います。

【特産品を売って歩け!】
 実際、この本の主人公である小原保行の感覚には、とても商人的なものを感じます。
 何しろ、1960年代半ばにまだ三十代で私鉄総連に派遣されて、泥沼化した岩手県の花巻バスの争議指導に行った時、まず言ったのが「特産品を売って歩け」だったそうですから。
 そのときの闘争資金に苦労した経験もあって、広電支部では組合員が積み立てた闘争資金が1980年時点で1億5000万円になっていましたが、小原の掲げた目標はなんと「9億」。会社が「赤字」だとか言いだしたら、いざとなったら買い取れるようにするそうです。
 こんなふうに言うと、何か金にまみれたようなイメージを持ってしまうかもしれませんが、小原は戦後すぐ入社直後、料金横領が横行していたことに立腹して妥協しなかった性格の人物だし、今でもこの組合は集会の動員に手当てを払うことはありません。諸行事のあとの慰労会の費用は、活動家が物販でかせいだ資金を使うそうです。

【敵は最小に、味方は最大に】
 そして、この小原の闘い方には、一貫して「商人道」的なものがあると思います。どういうことかというと、あらかじめ「ウチ」と「ソト」に人をわけて、「ソト」の者は敵視するとか無視するとかいうような態度はとらないということです。そんなグループ分けにこだわらず味方を求める姿勢があります。読むと、それが常勝の秘訣であることがよくわかります。
 その姿勢をよく表しているのが、「敵は最小に、味方は最大に」という小原の口癖です。
 彼は、現場の末端組合員に声をかけつづけることはもちろん、職場の鼻つまみ者や、敵対する会社側第二組合の者、職制労働者や、はては会社役員まで、遊び仲間や飲み仲間にしてしまいます。頼られたら助けてあげます。そうすることで、会社側の情報を流してもらって闘争の勝利につなげたり、圧倒的多数派だった第二組合を切り崩して少数派にまで追い込んだりしました。
 第二組合の組合員をこちら側に加入させるための説得は、三年がかりで相手が「待ちくたびれる」のを待つのだそうです。路面電車を守る闘いでは、路面電車と心中して退職する覚悟だった営業部長をこちら側の組合に加盟させたことが決定打になったのですが、この人には監督時代から目をつけていて、じつに八年がかりで説得したということです。
 労働規律を監督する役目の職制労働者に対しても、三井三池闘争の敗北は職制労働者敵視にあったと総括し、労働者に対して危害を加えたら徹底的に攻撃するが、共通の労働条件の向上のためには団結・共闘すると位置づけて、積極的に仲間に引き入れてきました。

【営業マンの顧客への対応でなぞらえると】
 こうした姿勢は何か辣腕営業マンを思わせるものがあります。自分のところの組合員は自社の顧客、第二組合の組合員は今はライバル企業と契約している潜在的顧客という感じです。それで、組合員達が(時には第二組合の組合員も)、借金をどうするだの結婚をどうするだのといった私生活上のことまで、ひっきりなしに相談事を持ち込んでくるのに真摯に応じて、幹部みんなが奔走します。組合員をヤクザから連れ戻したというエピソードも書かれています。
 この本では、執行部の提案に何によらず必ず反対の声があがり、役員が現場の一組合員達にしょっちゅう激しい文句を言われる様子が、再三描写されています。これ自体、組織が風通しがよく民主的であるために必要なことなのだと思いますが、役員がそういった文句が出ることを封殺せずに引受けて、忍耐強く話し合っていく様は、顧客のクレームに対する対応になぞらえた方が理解しやすいと思います。

【会社の外にも支持を求める】
 そして、この姿勢は、会社の中だけに限ったものではないのです。
 前述の花巻バスの争議でも、組合員達が地区労の名簿を手に一軒一軒商品を売り歩くことによって、周囲に支援の輪が広がり、不当解雇撤回という勝利につながったのでした。
 また、地域住民との連帯は労働組合の仕事と心得、郷里である県内山間地の農協民主化運動の支援にも取り組みました。
 こういうわけですから、路面電車を残すために利用者の便宜を気遣い、そのために労働者側が多少の労を引受けるという発想は、実に自然なものだったと思われます。その後も、労働組合が率先して無断欠勤をやめさせるなど、「労働規律の確立」を呼びかける運動に取り組んでいるのですが、やはり、利用者・市民に広く支持されることをめざしたもので、国労が国鉄民営化時に攻撃を受けた時、世論の味方が得られず敗北していった教訓をふまえているそうです。

【非正社員の正社員化要求も「団結の営業」】
 有名な全従業員正社員化の闘いは、小原が退職して死去したあとのエピローグになるのですが、これもその精神からすれば自然に位置づけることができると思います。
 上層正社員の既得権擁護組織と化した多くの労働組合は、20年前ぐらいから始まった非正社員化の流れに対して、当初は、低賃金低保障で人件費を抑えることで、正社員の賃上げの原資を作ることができるぐらいに位置づけて、事実上歓迎してきたところがあると思います。そのため、非正社員の境遇の問題については、冷淡な組合が多かったと思います。
 ところがそんなことをしていたせいで、正社員の退職の穴埋めは非正社員ばかりで行われるようになり、数の少なくなった若手正社員に様々なしわ寄せがいくようになります。しまいには、正社員への公然たるクビ切りまで横行して、非正社員に取り替えられるようになっていきました。従業員の中での組合の組織率は当然ガタ減りしていって、経営側に何をされても何の力もなくなってしまっています。正社員の身内優先が結局自分の首を絞めたのだと言えます。
 ところがこの組合は、非正社員導入に対して当初から難色を示していました。止めること自体はできなかったのですが、「正社員化」を常に要求として掲げ続けてきました。もともと「ウチ」のために「ソト」を犠牲にするという身内集団原理の発想が薄かったのだと思います。

【超高給取り労組のストを庶民が支持したわけ】
 これで思い出したのですが、「労働組合」というものは、今や多くの人々から、比較的恵まれた上層労働者階層の既得権擁護組織のように思われて、白い目で見られているきらいがあると思うのですが、「恵まれた」と言えば、野球選手こそ、庶民からかけ離れた高給取りの中の高給取りですよね。ところが2005年の球団再編問題にからむプロ野球選手会のストライキ闘争に対して、日本中の多くの人々が支持連帯しました。
 これはなぜかということを労働組合関係者はよく考えてみなければならないと思います。
 もちろん、問題の焦点は、すべての労働者に共通する雇用の問題です。経営側の勝手な都合で労働者の雇用が脅かされるということはすでに日本中で頻発しており、ここで公然とそんなことを許せば、同様のことがますます世に蔓延することは目に見えていました。だから、すべての労働者がこの闘いに共通の利害を感じたのは理の当然だったと思います。
 だとしても、もしここで選手会側がストライキに際して、これは当然の権利なのだからファンは甘受せよと、それ自体は正当なことだけを言っていたならばどうだったでしょうか。やはりかつての国労のように世論の多くから見放されてしまったと思います。
 実際には、試合を中止してしまうことについてファンに謝罪し、古田会長は各テレビ局の深夜の番組をはしごして経緯を説明し、人々に理解を求めていったのでした。そして、試合の替わりにファンとの交流の集いや各球団選手会ごとの握手会を開くなどの配慮を重ねました。そうした努力の末での世論の支持だったと思うし、そうした支持あってこその一応の勝利だったと思います。

【身内優先・武士道型では結局勝てない】
 これと比べてみると、世の多くの硬直して停滞した組合、腐敗してしまっている組合は、やはり、身内優先の姿勢が根本にあったのではないか、全組合員を身内とみなす身内優先ならまだしも、一部の幹部集団や一部の派閥グループだけの身内優先になってしまったのではないかということが思い当たります。
 この本の初めの方に出てくる、戦後間もなくの、職場を支配していたほど強かった時代の広電の組合はその典型でしょう。政治思想だけは急進的ですけど、組合幹部がベテランの不正グループと癒着し、力で後輩を従わせていたのです。この手のは、実態は一部の力を持ったグループだけの身内集団なのに、あたかも組織全体が身内集団であるかのように言って、一般メンバーにも全体への忠誠を強要するから困ったものです。会社側の分裂攻撃が起こるとたちまち瓦解して少数派になったのは当然の帰結だったでしょう。
 このような腐敗したケースでない倫理性を保った組織だったとしても、やはり身内ばかりに目を向ける姿勢ではこれからの時代、発展は難しいと思います。こういう身内優先型の場合、商人道倫理ではなくて、むしろ武士道倫理になりますね。国鉄民営化のときの労使紛争は、ボクは国労側に正義があったことを信じていますが、しかし敗北局面での国労の闘い方は、悪いけど、戊辰戦争の会津武士とか西南戦争の西郷軍とか太平洋戦争の玉砕戦を連想してしまいます。そして敗北後の国労幹部の軌跡には、やはり敗戦後の高級軍人の道徳状況を思い出さざるを得ないものがありました。

【ライバルとの競争がなくなってからもこの姿勢が続くか】
 もっとも、広電の組合も、なぜこれまで商人道的であれたのかというと、第二組合との競争関係があったからという側面は大きいと思います。だから、組織統一がなされたこれから、この姿勢がどのように維持できるのかは大きな課題になると思います。本を読んだかぎりでの思いつきでしかありませんが、役員が、さしたる役得もなく、一般組合員から激しく文句を言われ続けることに耐えるメリットがこれからどこにあるのか。カリスマ時代を終えて、たくさんの普通の人間に支えられる組織運営に転換しなければならないときに、これで役員のなり手を確保し続けることができるか。異論の封殺とか役得の拡大とかに向かう自然力が働くのではないか…等々のことが思い浮かびます。
 この問題については、商人道倫理を自覚することによるのはもちろん、何らかの組織の仕組みの上の工夫も重ねて周到に対処しておくべきことだと思います。

【「パイの拡大」は労働者階級の利益だ】
 あっそれから最後に、小原が最後まで「パイの拡大」を言い続けたっていうことも我が意を得たりですね。「淡水系左翼」の口からは決して聞かれない言葉で、なんかオブラートに包んで言わないと叩かれそうな気がして怖かったですが、「やっぱ大声で言っていいんだ」って安心しました!


 そういえば、「商人道」「武士道」ついでに思い出したのですが。

 サッカーのワールドカップの日本代表チームの「サムライブルー」というのについて、久留米大学の教員休憩室で盛り上がったネタ。戦隊ヒーローもので、「ボウケンジャー」ってのがあったから、それのもじりで、「ショーニンレッド」「サムライブルー」「ショクニンイエロー」「ヒャクショーグリーン」「オイランピンク」で、「大江戸戦隊ホウケンジャー」ってのはどうだろうかって話。

 えっ、やっぱりおもしろくないって。あ、そう。
(こんなん書いてる暇があったら原稿書け! 皆さんもそう思うでしょ? 昨日からずっと書いているのです。←妻の書き込み)



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