松尾匡のページ10年2月28日 政府支出の効果小って言うけど設備投資も
昨日から立命館のウェブメールが見られない。経済理論学会の雑誌のレフェリー報告を締め切りぎりぎりで送ったのだけど届いているか。
その他いろいろ連絡待ちで気になることが多いのですが、こういう事情なのでご理解下さい。
それから、先日23日に帰宅してからしばらく立命館には出校しないので、そちら宛の郵便物などは当分入手できません。こちらもご理解下さい。
今、『図解雑学』執筆が本格化しているところですが、先日出した筑摩書房の景気本の原稿への返事も届いて、「ウェブちくま」連載に掲げたデータの最新データへの更新などもご指示を受け、いよいよ冷や汗。と思ったら、14日の基礎経済科学研究所の大会の報告レジュメの締め切りがそろそろでなかったっけ。何も書きはじめてないけど。メールが見られないから確かめようがないわ。
というわけで、ホームページの更新なんかしている暇がないはずなのだけど、やってしまうのはなぜだ。
さて、前々回のエッセーの書きはじめで取り上げた上念司さんの『デフレと円高の何が「悪」か』はじめ、最近、今準備している筑摩書房の景気本と内容がかぶりそうな本がいろいろ出ていて、それ自体いいことなのですが、ハラハラすることは多いです。上念さんの本は大丈夫だったけど、またすごいのが出ましたよね。評判の、
勝間和代,宮崎哲弥,飯田泰之『日本経済復活 一番かんたんな方法 (光文社新書 443)』光文社 amazon bk1 セブンアンドワイ 本やタウン
こんなすごいメンツで出されたら、もう何もやることないやん。わかりやすいし、読みやすいし、正しいし。しかも今度はけっこうかぶったぞ。どうしましょう。
そういえば田中秀臣さんがこの本の飯田さんの発言にこんな批判をしていたけど、田中さんは本当に学生のことを愛していて、エラいなあ(←大マジ)。
でも読んでみたら、まあ、わざと不謹慎なことを言ってツッコませて笑いをとるネタだと思うので、あんまりマジつっこみしてもねえ。飯田さんはこの本の後の方で、大学教員が一般に景気のことに鈍感なことへの嘆きみたいなことも言っていて、大学教員はデフレで損しないからだろって皮肉っておられるのですが、それの伏線みたいなものでもあると思います。実際、教員は個人としては、学生の就職にも学業の継続にもインセンティブを持たない構造になっているので、全然そんなことに関心のない人が出世したりもするし、こんな構造を自虐的に「ツッこませネタ」にするのはありだと思うぞ。
飯田さんのお話は、それより、むしろこっちの方が議論の余地があると思います。ご自分のブログの本日付けエントリーなのですが、次のリンク先ですのでまず読んで下さい。
『日本経済復活―一番簡単な方法』反響へのリプライ
この本の中の勝間さんの発言に対して、飯田さんが「まったくそのとおり」と答えているのに対して、いけのぶ氏が、「本当に勝間さんの提言が正しいと思っているのか」とからんできたということなのですけど、改めて読み返すと、この勝間さんの発言、まったくもって「まったくそのとおり」で、「提言」として読んでも、勝間様マンセー踏んで下さいだ。ここは「正しいと思っている」と一言答えるべきところで、いろいろ釈明するところではないと思いますけど。
ところが、飯田さんは勝間さんの議論を、もっぱら「インフレ無理論」への批判の論法なのだととらえた上、結局のところ、リフレ論を次の三つに分けることを提起されています。
*【モデレートなリフレ政策】0金利の解除条件を明確にし,その遵守のための法的措置を講じる
*【標準的なリフレ政策】コミットメントに裏付けをあたえるために量的緩和・為替介入を併用する
*【強力なリフレ政策】貨幣発行益を直接家計・企業部門に注入したり(いわゆるヘリマネ的な財政拡大),為替レートを大幅な円安水準で時限的な固定相場制を設定したりする
そのうえで、ご自分は上二者には強く賛成するが、【強力なリフレ政策】については、
* そこまでやらなくても何とかなるでしょう
* 財政政策はその効果について鋭意研究中
とどちらかというと懐疑的な立場を表明されています。
まあなんというか、いけのぶ氏に対して、「これといっしょにせんで下さい」と訴えているような感じがしないでもないのですけど〜。たしかにボクも、「そこまでやらなくても何とかなるでしょう」とは思う(「何とか」の程度にもよるが)し、こんな世界同時危機でなければ上二つでいいと思うけど。
たしかに、財政政策の効果が小さくなっているというのは、いろいろな研究でも言われていますし、自分でもはっきりそう思います。しかし、それを言うならば、民間設備投資の景気浮揚効果もまた小さくなっているという感覚がボクにはありました。
こういう効果、マクロ経済学で「乗数」と言われているものですけど、例えば、公共事業でダムを作ったとしたら、そのダムが出来た分GDPが増え、ダムを直接間接に作った人々の所得が増えるというにとどまらないという話です。これらの人々の所得が増えれば、その増えた所得の一部が消費にまわる。すると消費財が売れて、それを直接間接に作った人の所得が増える。そしたらまたその所得の一部が消費にまわり……と、効果が巡り巡っていき、やがて当初の公共事業の何倍にもなって人々の所得が拡大するという効果のことです。
政府支出だけでなくて、民間の設備投資の増加とか、輸出の増加とかが起こった時も、同じようにその何倍にも効果がふくれあがるというわけです。
この乗数効果が小さくなっているっていうのは、そりゃそうでしょうという感覚がありますね。先の景気「拡大」のときは、設備投資や輸出は増大しても、消費は全然増えませんでした。もともと消費需要への波及自体がなかったわけです。
そうだとすると、財政政策の効果も小さくなっているかもしれないけど、民間設備投資や輸出の効果も同じように小さくなっているはずです。
財政政策を組み合わせたリフレ策と、金融政策だけのリフレ策の効果を比べるというとき、何を基準に比べるかということははっきりしておかなければなりませんけど、ここでは、どちらも日銀が無から作ったおカネを原資に使うという前提ですから、おなじ額の日銀が作ったおカネを、直接民間に流して、そのことが民間設備投資や輸出を増加させて総需要を拡大する効果と、政府が支出して総需要を拡大する効果を比べるべきでしょう。
金融政策だけのリフレ策の場合は、間に銀行がワンクッション入って、そこでおカネがとどまってしまう分が出てきます。将来のインフレ予想の変化によるにせよ、為替の変化によるにせよ、それをくぐり抜けて設備投資や輸出につながったものが、はじめて総需要の増大をもたらすのですから、最初から政府支出するのと比べてもともとハンデがあると見た方がいいでしょう。最後の部分で、設備投資や輸出の増加が総需要全体を増加させる効果が、政府支出の場合よりもよほど大きくないと、政府支出乗数低下を理由にした「金融政策だけで十分論」の論拠にはならないはずです。
それで、今日、例によって超簡単エクセル計量で、超オーザッパ確認をしてみました。
使ったデータは、「平成20年国民経済計算確報」
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h20-kaku/22annual-report-j.html
の、「4. 主要系列表」の「(1)国内総生産(支出側)/固定基準年方式/実質/四半期」
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h20-kaku/20qor1r_jp.xls
です。
超オーザッパに、「在庫品増加」が全部意図せざる在庫増だとみなして、「国内総生産」から「在庫品増加」を引いたものを「総需要」とします。
「民間総資本形成」と「財貨サービスの輸出」を足したものを「民間独立需要」とみなします。
「政府最終消費支出」と「公的総資本形成」を足したものを「政府支出」とみなします。
残りは、個人消費と輸入で、これは所得に依存してきまるものと考え、「民間独立需要」と「政府支出」が独立に増減して、総需要を変動させるものとみなします。政府支出が利子率や為替レートに影響を与えて設備投資や輸出を動かす効果はあるのですが、ここではそのルートは切ってしまって、原因はともかく、設備投資や輸出が動いたときそれが総需要に与える効果を見ます。
そして、「総需要」の前期からの増分を、「民間独立需要」の前期からの増分と「政府支出」の前期からの増分で、定数項なしで回帰分析しました。この係数が、それぞれの乗数になります。ラグは見るからになかったのでおいていません。X1が「民間独立需要」の増分、X2が「政府支出」の増分です。
まず1980年からの2009年第1四半期までの期間全体の結果
回帰統計
重相関R | 0.913230972 |
重決定R2 | 0.833990808 |
補正R2 | 0.823762657 |
標準誤差 | 2164.286058 |
観測数 | 116 |
分散分析表
| 自由度 | 変動 | 分散 | 観測された分散比 | 有意F |
回帰 | 2 | 2682645603 | 1341322802 | 286.3544811 | 5.71521E-45 |
残差 | 114 | 533991292.1 | 4684134.141 | | |
合計 | 116 | 3216636895 | | | |
| 係数 | 標準誤差 | t | P-値 |
X値1 | 0.799195468 | 0.08229518 | 9.711327764 | 1.31011E-16 |
X値2 | 1.869337209 | 0.110570898 | 16.90623153 | 7.60673E-33 |
ダービン・ワトソン値は2.556で、5%水準で誤差の系列相関はないという判断ができます。
次に1980年代の結果
回帰統計
重相関R | 0.903155775 |
重決定R2 | 0.815690354 |
補正R2 | 0.783681986 |
標準誤差 | 2431.831107 |
観測数 | 39 |
分散分析表
| 自由度 | 変動 | 分散 | 観測された分散比 | 有意F |
回帰 | 2 | 968379988.4 | 484189994.2 | 81.87456232 | 4.02455E-14 |
残差 | 37 | 218810693.8 | 5913802.535 | | |
合計 | 39 | 1187190682 | | | |
| 係数 | 標準誤差 | t | P-値 |
X値1 | 1.12994311 | 0.328233713 | 3.442495592 | 0.001446324 |
X値2 | 2.046832879 | 0.255431834 | 8.013225465 | 1.32576E-09 |
ダービン・ワトソン値は3.22で、これは実は高すぎて、5%水準でマイナスの系列相関があると判断されます。しかし、誤差のマイナスの系列相関というのは、このケースの場合ちょっと考えにくいのではないかと思います。
次に1990年代の結果
回帰統計
重相関R | 0.913220001 |
重決定R2 | 0.83397077 |
補正R2 | 0.80328579 |
標準誤差 | 2219.235041 |
観測数 | 40 |
分散分析表
| 自由度 | 変動 | 分散 | 観測された分散比 | 有意F |
回帰 | 2 | 940061946.5 | 470030973.2 | 95.43768035 | 2.47931E-15 |
残差 | 38 | 187150158.3 | 4925004.165 | | |
合計 | 40 | 1127212105 | | | |
| 係数 | 標準誤差 | t | P-値 |
X値1 | 0.735294033 | 0.151647084 | 4.848718592 | 2.12729E-05 |
X値2 | 1.884751567 | 0.165886007 | 11.36172728 | 8.74913E-14 |
ダービン・ワトソン値は2.19で、5%水準で誤差の系列相関はないという判断ができます。
最後に00年代の結果
回帰統計
重相関R | 0.94983636 |
重決定R2 | 0.90218911 |
補正R2 | 0.870823084 |
標準誤差 | 1587.885577 |
観測数 | 37 |
分散分析表
| 自由度 | 変動 | 分散 | 観測された分散比 | 有意F |
回帰 | 2 | 813985786.9 | 406992893.5 | 161.4166828 | 4.39773E-18 |
残差 | 35 | 88248321.21 | 2521380.606 | | |
合計 | 37 | 902234108.1 | | | |
| 係数 | 標準誤差 | t | P-値 |
X値1 | 0.836730125 | 0.07987926 | 10.47493591 | 2.48295E-12 |
X値2 | 1.440494894 | 0.165486144 | 8.704625387 | 2.80391E-10 |
ダービン・ワトソン値は1.98で誤差の系列相関はないという判断ができます。
まあ、80年代のダービン・ワトソン値が高い問題は大目に見てもらって、回帰分析結果は優良だと思います。
それで、結果を見てみると、政府支出の乗数は、たしかに、80年代、90年代、00年代と、2.05→1.88→1.44と低下しています。しかし、民間独立需要の乗数も、1.13→0.74→0.84と推移しており、80年代よりも減っています。90年代から00年代にかけては減ってはいないですけどね、それほど増えているわけでもないと思いますです。何より、一貫して政府支出の乗数よりも小さいです。
だから、乗数が小さくなっているのは、いろいろ難しい理由付けを考えなくても、要するに、企業の収入の増加が個人所得の増加につながらないようになったためというのが本当らしいと思います。そう考えると、「コンクリートから人へ」というのは、別の支出を削って財源にするという頓珍漢な方針のもとでこそ景気の足をひっぱることが懸念されますが、返済不要な無から作ったおカネを財源にするのならば、悪くない方針だと思います。また、飯田さんが最低賃金引き上げや労働分配率上昇をネガティブに評価されることも、この観点から議論する余地があると思っています。
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