松尾匡のページ11年5月27日 日本経済学会で聞いた発表を日常用語で解説してみる
5月21日、22日の日本経済学会春期大会に出席するために、熊本学園大学へ行ってまいりました。
今回もプチ受難とドジのタネは尽きず、会場に着くやいなや、ちゃんと荷物を持っているにもかかわらずリムジンバスに置き忘れたと思い込み、すんでのところで、会場運営に忙殺されている熊学の坂上智哉さんに迷惑をかけるところでした。すみませ〜ん!
m(_ _)m
しかし一番プチ受難につきあわせてしまったのは、大学院時代の後輩の、神戸国際大学の樋口篤志だったな。昼食に入ったパスタ屋で、ボクがコレステロールが高いので卵禁止になっていて、「スティッキーなカルボは大好きだけど食べられない」などと、経済学者にしか通じないくだらない冗談を言ってたら、早速カルボナーラを注文して目の前で食べてたのはこの樋口だ。
学会がハネてから、樋口君と、熊本名物「太平燕」って五目汁春雨を食べに行こうと、近道の裏門から出ようとしたのですが、裏門が閉じている。仕方ないので正門から大回りして目当ての中華料理屋に行ったら、店開いてない。…こんなことなら、最初からリムジンバスに乗っていればよかったのですが、もう仕方ないのでJRのローカル線の駅まで歩いて、便の少ない列車と、路面電車を乗り継いで、熊本の繁華街まで出ました。
それでも中華料理屋がなかなかなくて、やっと見つけた店が開店5分前。で、しばらく待ってみたけど全然開く気配無し。…結局休みなのかと、あきらめてまたしばらく探して、大きい中華料理屋に入ってやっと太平燕にありつきました。
そのあと、今度は路面電車を行き先間違えて乗って、分岐点の電停まで二人で歩いて戻ったってわけです。いやあ最後の最後まですみませんね。
今回のエッセーは、この日本経済学会大会でボクが聞いた研究報告や講演などを、できるだけわかりやすく、日常用語で解説してみようと思います。
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Subjective Well-Being in Japan and the United States
青山学院大学 亀坂安紀子、京都大学 村井俊哉、桃山学院大学 吉田恵子、大阪大学 大竹文雄
亀坂さんが報告されました。大阪大学グローバルCOEセンターの集めた日本とアメリカの個人調査データを使って、主観的な「幸福度」に与えるいろいろなものの影響を、計量経済学の手法を使って分析したものです。
「結婚」は結婚したときがピークで、そのあと「幸福度」はだんだん下がっていくって。…会場笑い。
「学歴」は高いほど「幸福度」は大きくなるが、細かく見ると一概に言えなくて、例えば「大学院」だと「幸福度」は下がる。…会場爆笑。
「所得」の影響は、プラスには違わないけど、アメリカの方は小さいのに日本では大きく出たそうです。これについて、討論者の東京大学の澤田康幸さんは、所得の増加で幸福度は増えるんだけど、だんだん幸福度が頭打ちになっていく関数になっていて、アメリカは日本より所得が大きいから、影響が頭打ちで小さく出るのではないかとおっしゃっていました。
うーん、ボクは、別の説明が思い浮かぶのですけど。
所得の心理的影響は、増えるときと減るときでは対称ではないはずです。同じだけ変化しても、1万円増えるときの喜びよりも、1万円減るときの悲しみの方が大きいというのが、これまでの行動経済学の結論だったように思います。
だとすると、せいぜいリーマンショックで下がっただけというのが一般的なアメリカ人と、この20年しょっちゅう所得低下に見舞われる人が出現した日本では、日本の方が影響が大きくでるのは当然だろうなという気がします。
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Sustaining cooperation in social dilemma: Comparison of centralized punishment institutions
早稲田大学高等研究所 上條良夫、早稲田大学大学院 竹内あい、早稲田大学 二本杉剛、早稲田大学 船木由喜彦
模擬「公共財」に投資してもらう実験。このとき、ノルマの投資額を決めておいて、それに達しないような少ない投資しかしなかった人に罰金を科すことにしたら、人々はどう振る舞うかを見たものです。
ここで、罰金のしくみとして、二種類を比較します。一つは、ノルマを満たさなかった人全員に罰金を科すやり方。もう一つは、ノルマを満たさなかった人は全員罰金の候補にはなるのですが、その中でも一番投資額の小さい人に罰金を科すやり方です。
漏れなく制裁する場合、ノルマ投資額と罰金を比べてみて、ノルマ投資額が高すぎて罰金を払った方が得になるならば、みんな1円も投資せずに罰金を払うはずです。実際、実験すると、ノルマが高すぎると被験者の投資額は低くなります。
ところが、制裁対象者の中で一番投資額が低い人だけを罰する場合は、ノルマが高くてもみんな結構投資するんですね。「一罰百戒」ってわけですな。
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Duverger's Law in the Laboratory
北海道大学 肥前洋一、北海道大学 犬飼圭吾、北海道大学 黒阪健吾
デュベルジェの法則というのは、定数nの選挙区では有力候補はn+1人に落ち着くという法則です。小選挙区制にしたら二大政党制になるのはこの典型例です。
これを、政治のイメージ抜きの選択問題にして、実験で確かめたものです。一次元的に好みが並ぶのではない設定にしたり、投票コストを課して「棄権」が選ばれる可能性を作ったり、リスクをいやがる性格を別途測って、それと次善投票をするかどうかとの関連を調べたりと盛りだくさんでした。盛りだくさんすぎて結論よく覚えてません。
(ちなみに、以前、福岡県内のこのあいだの市議会議員選挙の開票結果で、得票と順位の間に指数-0.2余のジップ則が成り立つという発見について書きましたが、定数を二、三人超えたところから、ジップ則が成り立たなくなって得票は下に崩れるんですね。定数何十人もあれば+1ということにはならないでしょうけど、定数が多くなっても、定数からジップ則が崩れる順位までの間の人数は、ほとんど増えないです。立候補者数がたくさんでも変わりません。やっぱりデュベルジェの法則が効いているのかも。指数-0.2というのを対数回帰で出したのは、いずれの市についても、定数+1までのサンプルで出したものです。)
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会長講演
Have Non-Conventional Monetary Policy Measures been Effective?
日本経済学会会長、東京大学の植田和男さんの講演です。
中央銀行は普段は目安となる金利が上がったり下がったりするように、おカネの出し方を調整していますけど、不況対策で金融緩和を進めていったあげく、やがて目安にしている金利がゼロになっちゃったらどうするか。それでとられるのが「非伝統的」手法と言われているものです。「量的緩和」ってのはそれですね。日本銀行が普通の銀行から国債とか買って、普通の銀行が日銀に持っている口座に、いつも目標の金額のおカネがあるようにおカネを出してやる政策。
日本銀行は以前も一回量的緩和政策をとりましたし、リーマンショック後は、アメリカの中央銀行のFRBもこれに乗り出しました。
はたしてこの効果はあったのだろうかという検証です。
それで、植田先生は、その非伝統的手法を「時間軸効果」といくつかの種類の量的緩和に分けて、それぞれの効果を確認しました。
その結果は…「時間軸効果」はまあ効果あり。金融危機で機能不全に陥った種類の金融市場から、とりあえず危機を抑えるために債券を買うタイプの量的緩和は有効。それ以外の量的緩和は?…うーむ、ものによっては効果があるかもとおっしゃりたいのか、効果があるとは言えないとおっしゃりたいのかよくわからないけど、ともかく否定的ニュアンスはバリバリ感じたぞ。
でも、そもそも論で恐縮ですけど、「時間軸効果」って、日銀が国債買っておカネの量を増やす作戦と別にあるものじゃないと思います。
「流動性のわな」って言って、今の日本みたいに、民間がみんな、手に入ったおカネを使わず溜め込むブラックホール状態になっているとき、日銀がとりあえずおカネ出しても、みんな溜め込まれて出回らないのは当然です。でもなんでそんなことになっているかというと、将来経済がまともになって利子率が上がるかもしれないから、今の低い利子率で長期に貸してしまうと損しちゃう。あるいは、今債券買ったら、将来利子率が上がると債券価格が今より下がってやっぱり損しちゃう。それが怖いからみんなおカネのまま持っておこうとしているんですね。
だから、将来経済がまともになって本来なら利子率が上がって当然になっても、しばらくは利子率が低いまま持続しますよ、そこまで金融緩和を続けますよ、と日銀が約束すればいいんです。これが「時間軸効果」です。そしたら、将来利子率が上がってしまうことを心配せず、人々は長期の貸し付け、長期の債券に手をだすようになる。それで、長期の利子率も下がっていって、設備投資とか耐久消費財購入とかが興ってくる…とまあこういう案配です。リフレ派の言う、「インフレ目標」もこれと同じ原理の一種です。
そもそも論を言えば、そもそもこれが目的だったはずです。で、この約束を、みんなに信じてもらって実現する手段として、「量的緩和」があるというものだったとボクは理解しています。だから、「時間軸効果」が効果あったならば、それだけで「量的緩和」は目的にかなっていたわけです。
もちろん、危機を収める目的で、みんなが投げ出しちゃった証券を買うとか、別途いろいろ目的があって日銀が債券買っておカネを出すことはあっていいでしょう(ただし、日銀の胸三寸であれこれ特定のところに資金が回るのは本当は望ましくないと思う)し、その効果を検証することは必要だと思います。でも、「量的緩和」そのものは、時間軸効果から切り離して効果を論じることにどれだけ意味があるのかというのが率直な感想でした。
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Exact microeconomic foundation for the Phillips curve under complete markets: A Keynesian view
神奈川大学 玉井義浩、東京大学 大瀧雅之
玉井さんが報告されました。
「フィリップス曲線」というのは、失業率とインフレ率との間に逆の関係があることを示した右下がりのグラフのことです。もともとは、インフレ率ではなくて、貨幣賃金率と失業率との間の関係を表すものだったわけで、ボクはいまだにそっちの表現にこだわっているのですけど、いつしか学界ではみんなインフレ率を縦軸に使うようになっています。
この研究も、インフレ率と失業率との間の逆相関を導きだそうというものです。それで、自分にとって一番ましな行動を選ぶ個々人の振る舞いの合成結果として、これを説明するモデルを建てています。
注意してほしいのは、この研究でのフィリップス曲線は、去年と比べて今年失業率が下がったら、去年と比べて今年インフレ率が上がるといった関係のことを言っているのではないということです。
事態が落ち着いて年々歳々同じことが繰り返される状態(定常状態)を前提して、その状態どうしの間で、失業率の低い定常状態と失業率の高い定常状態を比較してみたら、前者におけるインフレ率は、後者におけるインフレ率よりも高いということを言っているのです。
その意味でこれは、「長期」の話と言えます。
これがどんな意義を持つかというと、30年ほど前のインフレ時代に叫ばれたフリードマンなどの議論では、物価が上がってもいいから失業を下げることができるなどという、右下がりフィリップス曲線があてはまるのは短期的な話であって、長期にはフィリップス曲線は「垂直」だ、すなわち、失業を下げようとしても下がらず、ただインフレが悪化するだけだとされていました。つまり、失業を減らそうとして景気対策をとってもムダムダ。民間の市場のことに政府は手を出さず、「小さな政府」になりなさいというわけです。
それが長期にもフィリップス曲線が右下がりだということになるならば、多少のインフレ(今の日本ならばデフレをなくすこと)によって、失業率を減らすことは、長期的にも可能だということになります。実際、この研究では、無からおカネをつくって政府支出を拡大することで、失業を減らして社会全体の厚生を改善することができるという結論になっています。
ただし、この結論は、おカネの量が増えたら物価が上がるという「貨幣数量説」的なメカニズムとは全然関係なく出てきたものです。
実際、このモデルでは、現在から将来にわたる物価の流れの水準そのものは、モデルの中では決まらない仕組みになっています。おカネの量をどれだけ増やそうが減らそうが、この水準そのものを動かすことはできません。これは、大瀧先生のモデルではよくあることで、これそのものはボクは別に嫌いではありません。
しかし、ここから、次のような疑問が出てきます。
この研究では、定常状態どうしの比較しかしていません。定常状態に至るまでの変化のプロセスは検討しておられないのです。
だから、おカネを作って政府支出を拡大したときの効果も、見ているのは、その規模が少ない定常状態と、その規模が大きい定常状態を比較しているということなのです。今まで政府支出が少なかったところに、今年政府支出を増やしたら失業が減ってインフレ率が上がりましたという話ではないのです。
では、このモデルで、今まで政府支出が少なかったところに、今年政府支出を増やしたらどうなるのでしょうか。
このモデルでは、次の期の物価をみんなが予想していて、その予想のもとに人々が振る舞うことで今期の物価が決まる仕組みになっています。そしてその結果が次期、物価の予見を自己実現させています。物価水準そのものは、遠い将来に意味もなく決まっていることによって与えられているわけです。
だとすると、ひょっとしたら、今まで政府支出が少なかったところに、今年政府支出を増やしたら、当面大きく物価水準が下がるモデルになっているのではないかという疑問が浮かびます。それによってインフレ率が上がる経路が作られるのではないかと。
こんなことを考えたのはただの直感なのですが…。というのは、このモデルの基本的な「仕込み」は、現在世代の失業率が低くなると、次世代の生産性が上がる想定にあります。親が失業していちゃ、子供に満足のいく教育を受けさせるのにも苦労するだろうというわけです。それで、恒久的政府支出増で失業率が毎期低くなると、毎期の生産性が上がって、各期今の生産が増えるので、今消費が増えないと需給が一致しない。そのためには、将来買うことより現在買うことの方が以前より有利になる必要があるので、今より将来の方がもっと物価が上がることで、消費を前倒しすることになる。と、ざっとこんなからくりでインフレ率が上がることになっています。
そしたら、この均衡に至るまでのプロセスを素直に考えたらこうなるでしょう。現在生産が増えたのに、現在消費が変わらないなら、供給超過で現在物価が下がる。そしてそれは、一定の将来物価との比率が、ちょうど消費の前倒しで財市場均衡を回復させるところまで下落して止まる。…こうなっているのではないでしょうか。
玉井さんや大瀧さんの問題意識は、価格が動きにくいとか、情報が不完全だとか、そんな市場機能の邪魔をする不純要因を入れ込むことによらずして、なんとか、失業の発生や景気対策の有効性を示したいということにあると思われます。だから、価格がスムーズに動き、情報も完全なきれいな市場を前提してモデルを解いておられます。
この問題意識は、ボクも常々共有しているものです。こんなきれいな市場を前提してこそ、失業発生の本当の原因が貨幣というものの性質にあるということを浮き彫りにできると考えています。
だから、ボクも価格がスムーズに動く前提で、失業発生の問題を扱うモデルを作ろうとしてきたのですが、この前提をおくと、しばしば出くわすのがこうした物価の運動なのです。総需要が不足しても、今物価がドンと一度に下落して、将来に向けて上昇していくことで、インフレ予想から人々の支出が前倒しされ、総需要が拡大して完全雇用になってしまう。資本主義に何も問題はありませんよと。クルーグマンさんにしても、小野善康さんにしても、結局物価がゆっくり動く前提をおいているのは、こういう解を排除する都合があったのだと思っています。実際には、人々の予想に影響を与えずに物価が下方ジャンプすることなどあり得ない。下がる運動自体が下がる予想を作り出すはずで、だからこの人たちは物価の下落が人々の予想としてカウントされるように、物価が時間を通じてゆっくり動くモデルを建てているのだと思います。
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Public Debt Places No Burden on Future Generations under Demand Shortage
大阪経済大学 小川貴之、内閣府経済社会総合研究所 小野善康
小川さんが報告されました。
財政赤字が将来世代に負担をまわすという議論はよく耳にしますね。将来世代に増税がくるからだと。だから今増税をして返さなければとよく言われますけど、これが全然成り立たないダメな議論であることは、経済学の世界では常識です。「財政削減しろー」と叫んでいるゴリゴリの新古典派の人たちも、その点ではボクと変わりませんよ。まっとうな経済学者ならみんな同じことを言います。
なぜなら、将来に増税をまわしたならば、今増税をしないで浮いた分のおカネは、政府支出の結果、直接に、またはめぐりめぐって、新世代の収入になるか、あるいは遺産として新世代にわたるからです。もし現在増税したならば、将来世代はこの分をもともと受け取れないので、結局、将来増税されたケースと同じしか手元に残りません。どっちにしても将来世代の負担は同じなのです。もちろん、各世代の内部での各自の負担の大小は両ケースで変わってきますけど、一つの世代全体をまとめてしまえば同じになるわけです。
でも、新古典派の議論では、やっぱり将来世代の負担はあるという結論になっています。その理由は、こんなチープな俗論ではなくて、もっと経済学的にまっとうな理屈です。
それは、彼らが完全雇用を前提して理屈を組み立てているから出てくる結論です。すなわち、単純化して言えば、完全雇用だから全体として生産できる財の枠は決まってしまっているので、増税で旧世代の購買力を減らすことなく、旧世代向けの政府支出を増やすだけならば、世の中全体の生産のうち、旧世代向けの生産が増える分、新世代の手にできる生産物は少なくなってしまうというわけです。新世代は、将来になっても、その損の分を補償されるわけではありません。だから将来世代の負担だというわけです。
では、完全雇用が成り立たない、失業の存在するケースでは、今の議論はどうなるのでしょうか。
「将来世代の負担はない」というのが、この小川さんと小野さんの研究の結論です。政府支出が増えたら総需要が増えて失業者が雇われて、新世代の所得も増えるからです。
似たような問題に取り組んだ先行研究もあるのですが、上の大瀧先生たちの研究みたいに、定常状態どうしの比較であって、移行するプロセスを見ているわけではありませんでした。それに対して小野先生たちは、現在財政赤字を作ったら、将来どうなるかというプロセスを検討しています。そして、財政赤字にするケースでもしないケースでも三期後以降への影響が同じになるように工夫をすることで、とてもクリアな結論を出しています。
この発表に対して、討論者の京都大学の三野和雄さんがコメントしました。印象に残っているのが、固定価格の想定の定式化についてでした。失業が存在するモデルにするために、あっさり最初から価格や賃金が固定している想定をおいているのです。
このモデルは「重複世代モデル」と言われるタイプのモデルです。人間は若年期と老年期の二期間生きて、各期、老年世代と若年世代が重なっているという想定です。そうだとすると、一つの期間というのは、30年とか40年とかの長さがあることになります。一つの期間の間、価格や賃金が固定されているという想定は、価格や賃金が30年も40年も変わらないということを意味することになります。それは何かの釈明が要るのではないかというわけです。
まあ、そりゃそうだから、こんな仮定使わずに失業が言えれば本当はいいんでしょうけど、ただでさえややこしい計算するわけですから、検討したい問題の焦点からズレたことはなるべく簡単な想定にしておくことは、この場合しかたないことだと思います。
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望ましいインフレ率はなぜゼロを上回るのか?
早稲田大学 井上智洋(J)、早稲田大学 都築栄司
テーマは読んで字のごとく。「カルボ型」と呼ばれる、価格がゆっくり動くことになるニューケインジアンの標準モデルに、機械や工場などをイメージする生産設備と技術進歩を考慮に入れます。それをもとにして、そこにいくつかの想定を加えると、望ましいインフレ率がプラスになる結論が出るという話です。
まず出発点のモデルでは、おカネの伸び率と技術進歩率(これが長期均衡の成長率になる)を同じにしてやって、インフレゼロを保ってやれば、経済全体で望ましい生産水準が実現することが確認できます。
そこにひとつ想定を加えます。名目賃金率を変更しようとしたら、労働者側に不効用のコストがかかるようにするのです。下がるときだけでなくて、上がるときにもです。賃金交渉のわずらわしさなどを表しているそうです。
これ、ボクみたいな一般組合員にはピンとこないよね。ましてや組合に入ってなければ。
でも、組合の役員やっている知り合いたちの話のことを考えると実によくわかる想定です。
樋口君は、誰も引き受け手がないので、しかたなく長年組合の書記長やってたのですけど、近年経営状況大変厳しく、いろいろ厳しい待遇後退を飲まざるを得ない。そうすると、そのせいで年配の先生がたから恨まれて、教授昇進を妨害されたりするとのこと。
あいだの説明を省略して「長年組合の書記長やってたせいで教授になれない」ってまとめたら、何かすごくかっこよく聞こえるんですけど。京大原子炉研の小出助教みたいに聞こえたりするんですけど。
で、こういう想定にしたら、プラスのインフレ率になってはじめて効率的な生産水準が実現することになるそうです。
さらに、世の中の平均の賃金からの自分の賃金のズレを労働者が気にする想定を入れます。まあ、労働組合が賃金引き下げに抵抗する理由としてケインズが言っていたことがそんなことでしたので、ここでもそれが引き合いに出されています。そしたら、効率的生産水準の実現のためには、ますます高いインフレ率にしなければならないという結論が出ます。
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How well do the sticky price models explain the disaggregated price responses to aggregate technology and monetary policy shocks?
京都大学 敦賀貴之、日本銀行 中島上智、日本銀行 須藤直
はい。また「カルボ型」です。今度は、部門をいくつもに分ける話です。
理論モデルや計量モデルの構造はよくわからなかったのですが、生産性や金融政策が突然変わったときの価格への影響が部門によって違ってくるということのようです。そのメカニズムは、ひんぱんに価格改定をする部門と、あまり価格改定しないでいい部門とでは、利子率が上がったときのコストが違ってくることにあるということのようです。そして、計量分析の結果は、カルボモデルの理論予想とはうまく合わないところがあるという結論だったように記憶しています。
それに対して、討論者の一橋大学の塩路悦朗さんは、原油価格の影響は、石油をどれほど使う部門かということで違ってくるという例を出して、もっと部門の具体的特性を考慮に入れるべきではないかとコメントされました。
ボクは、回転期間の違いが影響すると思います。パンみたいにすぐ売れてまた作るのと、造船みたいに売れるまで長いことかかるのとでは、利子率が変化したときの影響が違うと思います。それから、川上の原料から何段階かかって最終財までいくかというやつ。これが長いと、利子率が変化したときの価格への影響が大きくなります。
これ、「生産期間」という概念なんですけど、大昔ベームバベルクが言っていて長らく忘れ去られていたのを、ボクが複雑な投入構造でも計算可能な計算方法を見つけて復活させたのですが、「現代的意義がわからない」という理由であちこちの学術雑誌を何年もたらいまわしにされて、最後は数学の雑誌にひろってもらったんだけど…なんだあるじゃん「現代的意義」。部門による価格への影響の違い。
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展開形ゲームにおける不完備情報頑健性
Princeton University 高橋悟
すごく話が上手で、おもしろくて、わかったつもりにさせられたのですけど、今となっては思い出せない。うーむ。
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パネルディスカッション「東日本大震災:経済学に何ができるか」
パネラー 大阪大学 八田達夫、慶応大学 樋口美雄、大阪大学 小野善康、東京大学 澤田康幸
記憶に残っている発言だけ。
澤田さんは、経済学に何ができるのかというお話をされたのですが、一つ印象に残ったのは、船が壊れちゃった漁民の生活再建どうするかってこと。漁協で船を持つのを支援する政策をやって、個々の漁民はそれを借りる仕組みにするか、それとも株式会社が参入できる仕組みにするかというオプションが考えられて、ここで、経済学の知見が役立つとおっしゃっていました。株式会社にして賃金契約制度にすると、漁民はビジネスのリスクをあまりかぶらないですむけど、サボってやろうという誘因が出てきてしまうとかいうことです。
実は漁業の事業システムは前からボクも気になっていました。他の部門と比べて、漁船って比較的安い設備ですので、ビジネスリスクはそれほど高くないのに比べて、悪天候などで従業者自身の人身に害が及ぶリスクが、他の部門よりずっと高い。しかも、そのリスクにかかわる情報が現場の漁民に偏っている。こういう特徴があります。そしたら、資本側に企業の主権があって出漁を命令して、その結果事故にあったら、資本側が巨額の補償をしなければなりませんけど、そんなリスクは高すぎますので、結局出漁判断を情報を持つ現場にまかさざるを得なくなる。そうなると、現場側としては、危険ですということを理由にして、出漁をサボる誘因がでてきてしまう。それを防ごうとしたら、大幅な出来高給制度にせざるを得ませんけど、結局そうなると、漁協システムをとることと変わらなくなるということです。つまり、沿岸漁業が漁協制度で運営されているには合理的理由があったということだと思います。
樋口さんは、被災地だからといって最低賃金を割る賃金で働かせることにしたら、労働市場が壊れるとおっしゃっていました。仮設住宅建設が急ぐことはもちろんだが、急ぐあまり、資材・人材を外から持ってきてばかりになってはいけない。被災地で雇用を作って被災地におカネが落ちるようにすることと、スピードとの間のバランスが必要になるともおっしゃっていました。
八田さんのご発言で印象に残っていたのは、東電どうするかという話。解体してまえということですよ。なかなか過激です。
つまり、被害者への補償金のために、発電所を売却する。売却先は、既存の電力会社じゃなくても、鉄鋼会社系でも何でも応じていい。外資もウェルカム。そして送電システムは、新組織を作り、今の東電の従業員は多少リストラしてそこに移す。──こういう案です。ボクはクビ切り絶対反対ですけど、だいたい賛成だと思いました。あと被害者所有企業というオプションも検討したいですけど。
ただ、八田さんは、補償金のために電気料金を上げることには反対されました。費用を反映しない価格にすると資源配分が歪むということでしたけど、この理由はどうですかね。補償金というのは、普段は取引当事者が負担しない社会的な外部費用を、当事者である会社側に負担させたものとも言えますから、むしろ価格にこめられて当然とも思えます。事故が起こってしまったあとでやおら価格にこめられる点ではちょっと話がズレるかもしれませんけど。
八田さんは、電力料金が上がると、コスト高になって企業の海外移転が進んでしまうともおっしゃっていました。しかしこれも、電力を比較的たくさん使う産業が、電力生産に社会的費用のかかる日本のような地震国から出ていって、そうでない国に立地することは、世界的に見て資源の効率的配分なのではないかと思います。
それで八田さんは、東電解体を電力自由化につなげたいとお考えです。自由化すれば、余った電気は誰でも転売できます。一定の料金と電力量を契約したあとで、節電にはげんで余りを作れば、世の中で電力が不足したときに、その余った電気を比較的高値で売って差額がかせげます。だからみんな節電にはげむだろうという案配です。
さて、小野さんはあいかわらず。お元気に持論をぶっておられて何よりです。
被災は個人の責任ではないということを強調され、日本はどこでも大災害に見舞われるリスクがあるのだから、国の制度として、災害時には復興と生活再建を保障するシステムを作るべきだとおっしゃいます。そこに恒常的財源としての「復興税」を組み入れるべきだと。
いやそこまではおっしゃるとおり。全面賛成です。
で、今回の話。今回の復興も、やっぱり増税でやれと…。30〜40兆円の復興支出を想定されております。増税しても景気は悪くならない。おカネがあっても使いきらずにためてしまう被災地の外の人からおカネをとって、ためずに全部使われる被災地にまわしたら、差し引きで総需要は増える。しかもその支出は被災地の外に向かうので、結局被災地の外の人の所得として戻ってくるのだ。
うーむ。わかりやすい。この理屈自体は反論の余地はありません。
でももちろん、被災地の外の人が、みんながみんな増税分を取り戻すわけじゃありませんよね。とられっぱなしの人と、とられた以上に戻ってくる人が出てくる。前者がおカネ持ちで後者が貧しい人とかいうならまだしも、そうじゃないですよね。またぞろ、大手建設業者が一番もうかる図式になるのですけど…。もちろん、それ自体は今むしろ必要なことだと思うけど、被災地の外はまだ「流動性のわな」だとすると、その恩恵はあまり周りには波及しない。結局一部の復興関連業者が、被災地の外のそれ以外の人たちから所得を移転してもらったという結果になります。
ということは、被災地の外の人々が身の回りで支出するものは需要は減ります。サービス、商業、医療、福祉、教育等々ですね。被災地に送られる物を作っているところの中には需要が増えるものもあるかもしれませんが、差し引き減ってしまうものもあるでしょう。これらへの労働の配分は減って失業者も出るでしょう。その一方で、建設等の復興関連への労働配分は増えます。
ところが復興関連公共事業に労働が配分されることって、戦争になって兵員が膨らむのといっしょですよね。事態が解決したら「復員」の問題が出てきます。それなのに、被災地の外では、人々の生活で支えられる仕事は、そのかんに需要が低迷して設備投資もしなくなり、廃業も倒産も増えて、新規参入は起こらず、産業自体縮小していかねないわけです。そのときどうなりますか。
まあたぶん、延々と公共事業を続けることで問題の表面化を回避するという解決になりそうな気もしますが。
だからそれよりは、国債で復興支出をした方がいいにきまっているのです。小野先生も上に載せた小川さんとの研究でもおっしゃっているように、それで将来世代への負担になるわけではありません。民間人に国債買ってもらって資金にしても、人々からおカネを吸い上げるには違いないわけですから、それよりは、日銀引き受けでおカネを作って復興支出するべきです。そうすると、被災地の外でも、建設関係にかかわらずすべての部門で需要が増えて雇用が増えます。設備投資も新規参入も増えるでしょう。
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交通渋滞を解消する新たなメカニズムの設計
東北大学 赤松隆
高速道路を念頭において、混雑や渋滞を解消するためのメカニズムを考案したものです。報告者は工学系の人で、実装可能性を常に強く意識して研究を進めていることに感心しました。経済学者も少しは見習わなければならないと思いました。
メカニズムの概略ですが、カーナビにシステムを内蔵するイメージで考えられています。渋滞の先頭で渋滞の原因を作っている橋などの「ボトルネック」を、ある時間帯に通行する許可権を発行して、それを自動オークションで配分するというものです。
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制度はコンピュータで創れる?―─自動メカニズムデザイン技術の入札制度設計への応用
九州大学 横尾真
これも工学系の人の報告。一人一人が自己利益を追って行動しながら、その結果が、何らかの秩序を自発的に維持し、しかも、これ以上みんながみんなの厚生を改善できないまでに改善しきっている状態になっているとか、いろいろな望ましい性質を持っているように、制度を工夫することを、「メカニズムデザイン」と言います。発表されたのは、コンピュータで自動的にメカニズムデザインを導きだす研究です。
しかし実は、現実に意味のある問題を解こうとすると、計算量が膨大になって解けません。
そこで、まず単純なケースについてメカニズムデザインをコンピュータに作らせてみて、それをあとから経済学者が眺めて、その背後のロジックを見つけ出すということになるだろうと言うことです。メカニズムデザインやっている経済学者が失業するという話ではありませんでした。
余談ですが、報告の中で、グーグルのキーワード広告の枠が「セカンドプライス・オークション」で売られているということが紹介されていておもしろかったです。
普通の、一番高い価格を入札した人にその価格で売るのは「ファーストプライス・オークション」と言いますが、これだと、入札者は、自分が最大限払ってもいいと思っている価格よりも安い価格を入札するのが合理的になります。最大支払い意思価格が一番高い入札者が自分だとしても、それで入札したら、勝ちはするけど得も損もしません。最大支払い意思価格よりも安く買えてこそ、その差額が自分にとっての得になります。そこで最大支払い意思価格よりも、ちょっとだけ、例えば100円下げて入札したときのことを考えてみましょう。二位入札価格がこの間にあって負けた場合、フイにした得られたはずの利益は、最大支払い意思価格と二位入札価格との差になります(二位入札価格より低い価格では買えないから、一番安く買えて二位入札価格)。だから、それは100円より必ず小さいです。一方で、二位入札者がその間にいなければ、自分が勝って100円得することになります。ちょっと下げたくらいでは、その間に二位がいる確率よりいない確率の方が高いので、負けてフイにしてしまう利益の期待値よりも、勝って得する利益の期待値が必ず上回るので、下げた方がいいことになります。こうやって下げていくと、やがて二位を下回る確率が高くなっていって、どこかでストップした方がよくなります。
それに対して、入札者が最大支払い意思価格を正直に入札するのが一番得になるのが、「セカンドプライス・オークション」です。これは、一番高い金額を入札した人が落札者になりますが、支払う金額は二番目に高い入札金額になるという仕組みです。この場合、もし、最大支払い意思価格よりも高い価格を入札したならば、他人の入札価格を追い越して勝ってしまい、自分の最大支払い意思価格よりも高い価格で支払いをするハメになるかもしれません。最大支払い意思価格を書いておけば、そのせいで負けたとしたら、ライバルは自分の最大支払い意思価格より高い値をつけているはずなので、負けて正解なわけです。他方、最大支払い意思価格よりも低い価格を入札しても、仮に勝つならば支払いは二位者の入札額で、これはもともと最大支払い意思価格を入札して勝った場合の支払いと変わりませんね。だから、最大支払い意思価格よりも低い額の入札をしても、支払い額を下げるわけでもないのに、負ける可能性だけは高めますので、そんな入札はしない方がましです。だから、自分の最大支払い意思価格を正直に入札するのが合理的行動になるわけです。
ところが、実際これを生身の人間で実験してみると、最大支払い意思価格よりも高い価格を入札する人が続出するそうです。せっかく現代の経済学者がゲーム理論を使ってあみだした手法なのに、人間理論通りには動かないので、実用性はないんじゃないのと言われてきました。
そうなのかあ…と思っていたところが、グーグルでこの仕組みが使われているというわけですから、オッと思いますよね。
調べてみたら、グーグルは、あたかも「ファーストプライス・オークション」をやっているかのような表現で説明をしていました。お客様の最大支払い意思金額をお届けいただいておけば、その金額に達するまでは、二番目に高い入札額よりもちょっとだけ高い金額を、弊社のコンピュータの側で自動的に入札しておきます、というような説明をしていました。これは、結局やっていることは、セカンドプライス・オークションなんですね。
たぶん、まともにセカンドプライス・オークションの説明をしても、その構造が簡単には把握してもらえないのでしょう。実験経済学で見られるような、合理的ではない入札行動をとってしまう。そこで、一般にも理解しやすいようにこんな表現を使っているのでしょう。
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