松尾匡のページ11年11月17日 初期社会主義紹介執筆中に黒岩比佐子逝去一周年
とうとうベルルスコーニ首相も辞めまして、残るはアサド大統領と橋下さんですが、どっちもしぶとそうですね。
大阪はイタリアに似ているそうで、たしかに、まわりがみんな領主に支配されているときに商人の街が多かったし、いろんな面で似た南北格差があるし、マフィアはいるし、言葉のアクセントもなんとなく似ているし...。昔、でたらめイタリア語で攻める辻本、でたらめ韓国語で答弁する小泉、でたらめドイツ語で答える田中眞紀子ってネタを考えていたことがあるけど。
以前、この動画が「まんま大阪やんけ」ってネットで話題になってたけど、いいよねえ。こんなもん作るところがまた似てそうで好きやわ。
ベルルスコーニさんを待つまでもなく、ムッソリーニを選んだのもイタリア人、リンチにかけたのもイタリア人です。そう考えると、今回の選挙結果がどうなろうと希望が持てます。
ところでこないだ11月5日、6日に京大で経済学史学会の大会があって、来年の大会の開催地をめぐって総会が激論になったのをご存知の人も多いと思いますが、弟子の熊澤が研究発表するんで、出ないわけにいかないから参加しました。
開催地問題については、自分の投票したのとは違う結果になったのですが、まあ「そうですか、遠いから行けませんけど別段他意はありません」というだけなのですが、その後も脱会者が続いたりしてゴタゴタが後を引いている感じです。自分としては、投票方法にもっと工夫の余地があったなと後で気づいたのですけど、まあこれは学会の内部の問題ということで。
関係ないことでショックだったのは、5日の昼食を、八尾信光さんと山田鋭夫さんと山田さんのお知り合いの名大の女子院生の人と四人でキャンパス内のカフェテリアでとって、ボクは有名な「総長カレー」をはじめて食べたのですが、終わった後支払いするのを忘れて出口でみんなが出てくるのを待ってしまった!学食で前払いしているクセがあって、次の総会の時間が迫るのが気になってたせいだと思いますけど...。
指摘されて慌てて戻りましたけど、ほかの先生におごってもらうのを期待していたと院生の女の子から思われて、軽蔑されているのではないかと、その後ずっと気にやんでなりません。そんなこと決してありませんので、どうかどうか誤解のないように。
m(_ _)m
熊澤には、福岡大学の山崎好裕さんに丁寧なコメントをいただき、終わってからも喫茶店でご指導いただきまして、本当にありがとうございました。それにしても、山崎さんのカバーする領域の広さには恐れ入りました。おまけに、福岡大学教員チームを組織して韓国の大学教員のサッカーリーグに乗り込んで、三位まで行ったというのにはひれ伏すしかない。
話はまた変わりますが、田中秀臣さんと「ももいろクローバーZ」の共演DVDが出たとのこと、くやしくなんかないもん。
夏に書いた社会主義理論学会の共著で、「ももいろクローバーZ」の歌をちょっと出したりもしたんだけど。別に当人たちに気づかれなくてもいいもん。
目下、本来なら夏休み中に仕上げるはずだった新書原稿をようやく書き出して、A4で10ページ余ぐらい書いたところ。やっと調子づいてきたのですが、例によって、書きながら同時並行で参考文献を入手して読んでいく泥縄作戦になっています。
今書いているのは、日本の明治から大正にかけての初期社会主義の紹介。幸徳秋水、堺利彦、山川均、大杉栄、荒畑寒村の五人を「戦隊レンジャー」(笑)と称して簡単に紹介しています。
それで今、この歳になってやっと荒畑寒村の『寒村自伝』とか読んだりしているのですが、すごくお世話になっているのが、黒岩比佐子の『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)です。「読売文学賞」を受賞した本だそうで、それも当然だろうと思います。未読の人は、アマゾンのレビュー欄とか、bk1のレビュー欄を読んでみて下さい。
黒岩比佐子は膨大な資料と丹念な調査で、周到に事実を究明することで知られたノン・フィクション作家です。彼女は、この本の執筆中に癌に冒され、出版直後に死去しているのですが、まさに命が注ぎ込まれた鬼気迫る遺稿になっていると思います。ほんとに細部の細部までこだわり抜いて、国会図書館にも入ってないような古書まで求めて裏をとっていて、とてもまねできません。
彼女が死去したのは去年の11月17日。今日でちょうど一年になります。
「売文社」のことは、私もこの本を読んで初めて知って、そんなことがあったのかと目を開かされました。幸徳秋水刑死後の弾圧厳しい社会主義「冬の時代」、路頭に迷う多くの同志たちに食い扶持を与えて、この時代を乗り切るために堺利彦が始めた事業です。
詳しくはこの本を是非読んでいただきたいのですが、著者によれば、売文社は現在の「編集プロダクション」の先駆であり、日本初の「外国語翻訳会社」だろうとされます。すなわち、原稿執筆、翻訳、報告書、広告文、ビジネス文書、手紙等々をよろず請け負う商売です。
大杉栄も山川均も荒畑寒村も、他の何人もの同志たちも、ここに結集して食べていくことになります。
この本の書名『パンとペン』は、食パンに万年筆が突き刺さった売文社の「商標」に由来するのですが、これは万年筆が剣と交差する共立学校(現開成学園)の勇ましい徽章──「ペンは剣よりも強し」をモチーフにしている──のパロディだというのも笑えます。堺いわく「ペンを以てパンを求めることを明言する」姿勢を表したものです。
ここに最初に尋ねてきた客は、卒論代筆を願う女子大生だったそうで…なるほどねと妙に納得します。実際卒論の代作をした例はあったようです。大物たちの著書や財テク本の代筆、海外旅行案内の編纂、大衆週刊誌や新聞の連載、業界誌編集、自伝や演説のゴーストライター、教科書翻訳、卒業式の生徒総代答辞まで請け負っています。アルセーヌ・ルパンものとか「マイ・フェア・レディ」の原作などが、ここで堺によって最初に翻訳されているそうです。女から男への手切れ金請求の手紙とか、売春業界から警視総監への嘆願書などは堺でないと書けなかったそうです。売文社の協力者や関係者には、多くの当代一流の名士たちや右翼がかったフィクサーまがい、「大正三大美人」の一人などもいたそうです。
そのうえ、この本では堺利彦の人となりが丹念に復元されていて、心を打ちます。
売文社みたいな前科者の集まりに協力する各界の名士がたくさんいることだけでも、堺の人望がわかります。
1910年検挙の「大逆事件」は、天皇暗殺テロを企んだというかどで、計画に反対して加わらなかった幸徳秋水はじめ12名が死刑になった事件です。ほとんどがまったく無関係の濡れ衣の人で、政府はこの機会に社会主義者を一網打尽にしようと、一大陰謀事件をでっちあげたのでした。このとき堺は、1907年の「赤旗事件」で入獄していたおかげで、連座をまぬかれたのでした。
堺利彦は出獄するや、被告たちへの差し入れなどに奔走し、処刑後は、遺族への連絡、遺体引き取り、火葬、遺品分配、幸徳秋水の獄中遺稿の出版諸務、そして、日本各地の遺族慰問と義捐金分配の旅と、すべてこなしました。
同志たちの間で対立が起こったらいつも調停役にまわり、コメをもらったら同志たちに分け与え、いつも悪ノリ気味のユーモアを絶やさず、「病みたる女房のある間は、其の療養と看護とのために予の全力を費やして少しも残念でない、功名心なんぞはどうでもよい、国家社会のためなんぞに働かなくてもよい」言い切り、しかし第一次共産党事件のときには全責任を一人で背負って死につく覚悟を決める──当時、主立った社会主義者は四六時中刑事の尾行がついていましたけど、堺の担当になったらその人格に惚れ込むケースがままあったそうです。
妻あての獄中書簡の中に「人を信ずれば友を得、人を疑えば敵を作る」とあったそうですが、まさに至言だと思います。
堺の最期は、幅広い統一戦線を求めて「全国労農大衆党」を結成し、満州事変に際して出兵反対闘争をめぐって生ぬるい態度をとる党員たちに対してめずらしく激怒して倒れ、「僕は諸君の帝国主義戦争反対の叫びの中に死することを光栄とす」という言葉を残して、死の闘病一年余に入ったそうです。
上にあげた「戦隊レンジャー」五人、幸徳秋水、堺利彦、山川均、大杉栄、荒畑寒村は、本当にそれぞれの個性が際立っていて、それぞれ順番に、理想家、調整家、理論家、激情家、実直家という感じです。このうち権力に殺されたのは、幸徳秋水と大杉栄ですが、不謹慎な言い方ですけど、殺されることで後世に理想を残すのにふさわしいキャラの人がちょうど殺されているように感じます。
堺や山川みたいなジミ〜なキャラでは、殺されても忘れられてしまったと思います。しかし、幸徳秋水や大杉栄が欠けても、そのこと自体は実際には運動にはさほど損失ではなかったと思いますが、もし堺利彦が殺されていたら、おそらく運動は壊滅的な打撃を受けていたと思います。そもそも「平民社」だのなんだのという歴代の活動拠点の出版社を実際に経営してまわしていたのは堺で、カリスマ秋水はそんな点では何の役にも立たなかったみたいですから。
『パンとペン』で描かれている人物たちは、この五人以外もみんな個性的で、愛憎ドロドロやら対立・裏切りやらも含めて、とても魅力的な人間模様です。
映画にしたらウケるんじゃないかな。
そしたら、堺利彦の娘の真柄ちゃん、17歳の初タイーホの立ち回り、誰が演るのかな…ムフフ。
そのほか、今読んでる『寒村自伝』もおもしろいわあ。
このひとのキャラも最高。堺利彦や幸徳秋水は、維新数年後の生まれで、維新20年後に荒畑寒村が生まれてるので、維新を敗戦になぞらえれば、全共闘世代のおじさんとボクらみたいな関係ですね。若い頃に目をかけられてかわいがられている感じがよくわかります。
これがまた、思い立ったら後先考えずにつっぱしる性格で、13歳か14歳かそのあたりのときに、高利貸しで評判が悪い人(本当は私財で小学校を作ったりもしていた人)を訳もわからず憎んで、紙切りナイフをしのばせて暗殺しにいったのですが、そもそもどんな容貌かさえ知らずにきたので、屋敷の門前で終日待ち暮らして空腹を抱えてスゴスゴ帰ったそうです。
運動に参加してからは、箱車に社会主義関係の本を詰めたのを単身引いて、徒歩で北関東各地に「社会主義伝道行商」に出かけたりもしました。
『パンとペン』にも載ってますが、後の共産党指導者のひとり片山潜が、アメリカに亡命した時、「日本にいては運動もできず生活にも困るから米国に行くと述べたのを聞いて、私たちのような後輩すら運動の復興再建にやっきとなっているのに!そう思って情けなさに涙がこぼれた」と書いてあります。そりゃ当人の事情はあるでしょうに。自分と同じようにヒトも筋を通すもんだと考えているところがやっかい。
第一次共産党が弾圧を受けて主立った幹部がみな捕まったあと、一人で党の解散に反対したのですが、容れられずに、結局残務処理の機関を残すことにして自らその仕事を引き受けます。
ところが、第二次共産党結成のとき、集まってるのがみんな第一次共産党の解散に賛成した者ばかりというのを見て、怒って背を向けます。
しかし何より性格がよくでているのは、幸徳秋水に恋人を寝取られたときのエピソード。
1907年の「赤旗事件」で堺利彦が入獄したと書きましたけど、この事件では、山川均も大杉栄も荒畑寒村も入獄しています。事件の張本人は大杉と寒村なのですが、やったことはたわいもないこと。同志の出獄祝いの会の最後に、二人で酔って「無政府共産」と刺繍した赤旗二本を振り回して外に飛び出したら、外で張り込んでいた警官たちがそれを没収しようとしてもみ合いになったということです。それで堺利彦と山川均が飛んで出て仲裁し、結局はおさまったのですが、あとでみんな捕まってしまったということです。旗を預かって帰っていた女性たちも、関係ないのに捕まっていて、その中に寒村の同棲中の恋人の管野スガもいました。
警察署で大杉と寒村は抵抗し、とうとう裸にされて廊下を引きずられるわ、蹴られるわ殴られるわふんづけられるわ。寒村が悶絶するに及びようやくやみ、大杉は悔し泣きに泣いたそうです。
このときには管野スガも陵辱を受け、釈放はされたのですが、深い恨みを残し、のちの「大逆事件」につながったとされています。
この管野スガが、寒村入獄中に彼を捨て、幸徳秋水とくっついちゃうんですね。
それを知った寒村は、出獄後、秋水とスガが逗留していると聞いた伊豆の旅館にピストルを持って乗り込み、殺害を企てるのですが、実は二人はもう数日前に帰京していたのでした。チャンチャン。
二人を殺して自殺するつもりだったので、帰りの汽車賃を持ってない!──暮れゆく砂浜で途方にくれ、自殺しようとしてもできず、仕方なく徒歩で横浜まで帰ったそうです。
そうやって自ら殺そうとまでした相手なのに、大逆事件で二人が捕まって死刑が必至となると、今度は桂太郎首相を暗殺しようとしてピストルを懐に二ヶ月ほどつけねらったのですが、厳重な警備に阻まれて、いつも失望の涙にむせぶ自分を発見したそうです。なんかこんな話ばっか。
寒村は、戦後いい歳のオジンになって書いた自伝の中でも、まだ管野に恨みつらみ書いて悪口ばかり。みっともないぞ寒村。
管野スガは、ほとんどが濡れ衣の大逆事件の被告たちの中で、本当に天皇暗殺テロを計画した四人の中の一人です。だから幸徳秋水とか全く無関係の同志たちを死に巻き込んでしまったことを責める感情があるのかもしれません。
でも、「どうひいき目に見ても美人というには遠かった」とか書いて恥ずかしくないのか。ちなみにそんなことは決してありませんので。田中麗奈さん似だと思います。
死人に口無しをいいことに、小説の才能がなくて枕営業で幼稚な小説を新聞に載せてもらったなどと根拠レスな憶測を書いてるし。寒村の書き方のせいですっかり管野は奔放な妖婦のイメージがついてしまいましたが、『パンとペン』によれば、大谷渡『管野スガと石上露子』や清水卯之助『管野須賀子の生涯』では、そんなイメージとは別の、女性解放運動の旗手で優れたジャーナリストとしての姿が描かれているそうです。
大阪日日新聞のサイトの「なにわ人物伝」に載っている、三善貞司さん執筆の管野スガの話から伝わるのも、首尾一貫した闘士の姿です。
そんな中で、三善さん、寒村がスガとつきあっていたときの様子についてこんなふうに書いています。(なにわ人物伝:管野スガ (4))
当時スガは二十五歳、寒村は十九歳だ。スガは「かつ坊」(寒村の本名は勝三)と呼び、寒村は「姉ちゃん」と答えているから、姉弟のような仲だ。
「かつぼ〜」「ねえちゃん」
…。
あんたこそ死刑だ!
まあ、田中麗奈さん主演にして、管野スガの生涯を描く映画を作ってもらえたら、妖婦説でもいいけど。
「エッセー」目次へホームページへもどる