松尾匡のページ12年2月11日 近況+田中秀臣さんとの対談の件
1月25日に、小売・流通関係の雑誌『販促会議』さんから、「商人道」ネタの原稿依頼をいただきました。締め切りは2月10日ということなので、けっこう急な話だなと思いつつ、本の宣伝になるならとお受けしたのですが、しばらくは、定期試験の「講評」が案外時間がかかって...。試験の成績分布とか評価基準とか、問題解説、解答傾向などを出さなければならないのですけど、「社会経済学初級α」ってマル経原論の入門講義、今回はマークシートにしたもんだから問題量が多くて、解答傾向の分析までやってたら、ちょっとした調査レポートなみの仕事になりました。
そうしているうちに、2月4日からの入試の仕事のために、3日から入畿。6泊7日の仕事になりました。間二日は業務はないんですけど、帰宅しても交通費がかかるので、研究室で仕事。業務がある日は、滋賀県の草津キャンパスの宿舎から、京都の衣笠キャンパスまで朝から通勤しました。
まあ、業務自体は、分業化と形式化が極端に進んでいて、情けをかける余地の何もないアイヒマン仕事でしたけど。
めったに衣笠キャンパス来ないからってんで、その昔前任校の久留米大学で修士課程まで出た男子が、博士課程から立命館の先端なんたら大学院で立岩さんの弟子になっていて、この三月まで期限付きの助手やってるので、呼び出して久しぶりに会ってきました。これがまた、ボクといっしょで、久留米時代には各種地域活動でさんざんこき使われてたから、そんな昔のグチ話で共感しあって盛り上がってたんだけど、立命でも結局あんまりやってること変わらんね。
もうずいぶん久留米には行っていないみたいなので、店がここが潰れた、あそこが潰れたという話で大盛り上がりしました。地方経済は大変です。
30半ばも過ぎて独身だったもので、結婚したら研究者人生終わるからねと言っておいたけど、もうすぐ任期が切れるなら、食わせてもらうという選択肢も考えた方がいいかもしれない。女っ気は何もなさそうなんだけど。
食わせてもらうといえば、以前もエッセーで取り上げたことのある中国からの留学生のゼミ生。学生結婚している同郷の彼女に、家事万端押し付けられていつも抑圧されているという、同じ方向を向いて歩む我が同志ですけど、とうとう4回生の間に就職を見つけることができませんでした。まあ日本はこんな不況ですから。
相手は大変な才媛らしく、大学院に進んでいずれはこっちで就職することは間違いない。ということで、このままいくと将来はヒモということなんだけど、それ自体はいいんだけど、このままいくと新年度からは家族ビザということになって、三行半を突きつけられるとあえなく「強制送還」。いやあ、生殺与奪権を握られてこそ、愛欲生活にも磨きがかかるというものだ。ボクもまだ経験したことのない境地で、ちょっとうらやましいかも。
でも本人はなんとしてもそれは避けたいらしく、来年度の大学院受験を目指して、研究生になるつもりらしいです。立命館には研究生制度ないから、まあがんばって。
どうでもいいですけど、今回の大学滞在中、知り合いの4回生女子と出会って立ち話したのですが、ボクが1科目落としているもんで、卒業できなかったら両親に謝りにいけと言う(笑)。このお母上は真性バブル世代ということで、今でもバリバリのバブル容姿だそうで、日頃カミさんの話とかしてるもんだから、「センセー見たら絶対貢ぎますよ」だって。本当にそうなったらマジ怖いからやめとくわ。
この娘も最初あった時から、地味にはしててもバブル電波の片鱗を飛ばしているのを見逃さなかったのだが、話に出る使用人男たちも貧相そうだし、ブランド物は母親からもらったものだし、占いにカネつぎ込むぐらいだから、所詮は二世のエセバブルだな。頼み事を断ると「使えん」とか言うんですけど、そういう言葉はもっと神々しくお言いなさい姫。
これが占いでボクみたいな人と結婚すると言われているそうで、周りからもそう言われるし、自分でもそれしかないと自覚しているらしいのですが、そう思ってボクの顔をみるといつも「ゾっとする」そうです。ああそうですか。計画通り26歳で結婚するまでの四年間、「猫かぶる」などと無理なことは言わず、せいぜい悔いが残らないように人生楽しんで下さい。
ところで衣笠キャンパスの近くというのは、歩いていける距離にすごいお寺がいろいろあるんですね。今回初めて知って、行き帰りに寄ってきました。
すぐ隣が等持院で、足利歴代将軍と徳川家康42歳の等身大座像と、足利尊氏のお墓があります。庭も実にいい。そこから数分歩けば石庭で有名な龍安寺があります。こっちは何人も人がいたせいか思ったほどたいしたことなかったな。また15分ぐらい歩くと仁和寺です。ともかく壮大さに圧倒されます。
近くには妙心寺というのもあって、これも壮大で、すがすがしいのですが、ちょうど徳川家康が関ヶ原前に寄進した三門の公開をたまたましていて、十六羅漢像や龍とか天女とかの狩野派の天井画を見てまいりました。大満足です。
というわけで、いろいろあったもんだから、結局『販促会議』原稿を書き出したのは、在畿中の8日。9日に帰宅中の新幹線の中で書き進めて、昨日が締め切り日の10日。途中で久留米大学に行く用事もあったので、夕方頃、これは締め切りには間に合わないなと思ったもんだから、編集者にメールして依頼文に改めて目を通して気づいたのですが。
24000字と思っていたのが2400字の見まちがいだった!
OΓ乙
編集者さまは、3400字まで縮めればいいから週明けまで待つと言って下さいました。
それが、先ほどできたもので、こんなエッセーなんか書いているのです。
あと、事務から「父母教育後援会」の表彰論文の審査をしろって言われていまして、ほいほい引き受けたはいいけど、もらってみたらこれがすごい本格的なの。ボクのゼミでは絶対無理だけど、こんなことどうやったらできるんだろう。ちゃんと重複世代モデルとか動学的最適化モデルとか解いてます。ボクのゼミなんか一次方程式解けない人がゴロゴロいるぞ。
こんなの5本も読まないといけない。これが15日締め切り。このあと着手します。
それができたら、22日幕張、24日大阪でそれぞれある「商人道」関係の講演の準備をしないとね。新書の原稿いつ書くんだろう。
そういえば、久留米の某NPOの関係者から、実験事業のアンケート設計とか分析とかして今年度中に報告書出す仕事する人がいないかと言われている話。近くの未就職博士の人に断られ、久留米大学の経済系の院生にはできそうな人はいないと言われ、社会福祉学科の先生に探してもらったら、院生全員と助教の人にあたってくれて全員から断られ…。近くの医療経営大学の知り合いに尋ねたら、やっぱり探してくれたけど駄目でした。仕方ないから、弟子の熊澤に立命館の経済経営の院生で探してもらっている段階。
ボクも三月は、経済理論学会の雑誌の編集委員会や、明治大学の研究会から福島大学のシンポジウムに行く出張とかあって、新書の原稿もなかなか進まないから、このまま自分に回ってきたらたまりません。なんとかしてやってくれる人を見つけたいところ。
さて、昨年末の12月28日に、田中秀臣さんに博多駅まで呼び出されて、駅ビルの和食屋で「対談」したのですが、それがこのほどウェブ雑誌(?)「REAL-JAPAN.ORG」の田中さんの連載「ミュルダールを超えて」で掲載されました。
リスクと主権の配分:松尾匡氏との対談(ミュルダールを超えて第13回)
なんの脈絡もなく、あっちこっちに話題が飛びまくった雑談で、こんなのどうやって記事にするんだろうと思っていましたけど、ちゃんと筋の通った対談になっていてびっくり。田中さんはさぞかしお骨折りだったことと思います。拙著へのリンクも入れて下さって本当にありがとうございます。
これ、すっかりアイドル研究家と化した田中さんが、「取材」と称して福岡のローカルアイドルに会いにきたついでに、福岡県に住んでいるからというので呼び出されたものなのですが、誰かアイドルを連れてきているかと思いきやいるはずもなく、オッサン二人で怪しい会話をしていたのでした。
なんでも、ローカルアイドルグループの「QunQun」(キュンキュンと読む。クンクンではない。)のユーストリームの番組に出たそうで、その中で、何の事前打ち合わせも、先方の事前準備もないのに、メンバーの福岡大学生の女の子が、格差問題を解決するにはおカネを作ったらどうかと発言したらしく、感動した田中さんはそのコを「リフレ推進福岡支部長」に任命したと言います。それを聞いて、「それは是非一書記として仕えさせていただきます」と即答したボクでしたが…。
帰ってから実際動画を見てみたら…、なんだか、田中さん、飲み屋でおねーちゃんに囲まれたスケベオヤジ状態なのですけど。
ずっと見てたら、あとの方で、確かに、福岡大学の女の子がそんなこと言っているぞ。しかも結構な美形だ。え? いつの間にか「支部長」じゃなくて「番長」って言ってますけど! や、やきいれて下さい。これはますますお仕えせねば。
対談の内容である、決定とリスクと責任のバランスの問題は、そのうち出るはずの社会主義理論学会の共著でちょっと詳しく取り上げました。ご期待下さい。
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