松尾匡のページ12年5月21日 「最強のマル経」企画始動!
2010年の年末の話ですけど、京都にあるナカニシヤ出版の旧知の編集者の人から連絡があって、研究室を訪問して話がしたいとのこと。この年は、『不況は人災です!』と『図解雑学マルクス経済学』を出して、ネタ切れして疲れきっていたときだったから、「本を書け」って話ならいやですよと固く言ったのですが…。
結局「世間話だけ」ということで押し切られ、研究室に迎え入れることになりました。
そしたら案の定「世間話」だけで終わろうはずもなく、何か本を出すつもりはないかという話が始まったもので…。
実はちょうどその前に、何を思いついたか突然小説を書いていたところでした。当時このエッセーコーナーでも紹介しましたが、「島の挽歌」と題して、本サイトにアップしてトップページからダウンロードできるようにしてあります。当時すでにその編集者の人も読んでくれていて、おもしろいなどと一応言ってくださっているのを聞いていたもんだから、意気込んで、
「例の小説どうですか。」
と言ってみたのですが、「ハハハ」と笑ってそのままスルーされてしまった。
なぜだ!
せっかく、出版されてベストセラーになったところを想像して、映画化されたところを想像して、主演女優と仲良くなったところを想像して、その先のことも想像して鼻血を流していたところなのに。
後日こんな話を弟子の熊澤に言ったら、
「心ちゃんだったらどうします。先生捕まりますよ。」
…って、そんなうれしくも危ない話が我が身に起ころうはずもない。ちなみにこれは、3.11前に書いているので、残念ながらそのときには藤波心のイメージで書いたわけではないのだ。
まあ、3.11前なので、「地震による津波」とか平気で出しているんで、今となっては当分出版なんて無理ですわな。どうせもともとスルーだけど。
話を戻して、そのときナカニシヤの編集者の人は、実は企画を一つ持ち込んできたのです。仮称…
「最強のマル経」!
「妥協しない本格的マル経教科書」を出したいということです。「妥協しない」という意味は、わかり易さ、読み易さを求めて水準の妥協をしないという意味と、エコロジーとかいろいろ入れこんで体系性をなくすことはせず、あくまで濃厚にマルクスにこだわるという意味の両方あります。学部高回生の意欲のある学生とか、大学院修士課程生向けを意識するって。たしかに、こんな教科書は目下のところボクも心当たりないですわ。自分のも含めて、気楽に読める軽〜い入門書──のつもりなんですけど──か、主流派以外のいろんな要素を得手勝手に混ぜ込んだ無体系な本かどっちかばかりが目立ちますね。
というわけで、こんな話をされると、馬鹿な私はたちまち乗せられてしまうんだな。まったく先方から見たらちょろいもんだ。
すぐに、『資本論』ベースのパートと、数理経済学のパートと、経済史のパートの三部構成にすることが決まり、共著者を探すということになりました。
それで、去年一年まるまるかけて共著者を探したのですが、こっちも編集者さんも忙しくしているうちに、時間がたっていっちゃったんですね。特に困ったのは、「経済史」の担当者が見当たらなかったこと。今、経済史って、本当に歴史学の手法になっていて、一次史料見つけてきて内容報告するという業績がほとんどのようです。マルクス経済学の理論をふまえてストーリーを論じるようなのは絶滅状態らしい。それで一時は、経済史のパートはやめようかという案も出たのですが、修士院生の基礎知識で、「大塚史学」とか「日本資本主義論争」とかを「なかったこと」にはできないだろうということになり、困っていたところでした。
そうしたところが、「日本資本主義論争」などを語れる今時めずらしい若手で優秀な研究者とたまたま知り合ったもので、頼み込んで加わってもらい、ようやく発車のメドがついたのが去年の年末ぐらいかな。40代以下で固めた六人体制です。それで、一度集まって全体のコンセプトとか構成とかを話し合おうということになって、タイミングを調整してたらやっと昨日、最初の会合が開けたのでした。
いやなかなかおもしろくなりそうですよ。過去の主要論争はだいたい紹介するつもり。資本主義的生産の発展がもたらした近代のプラスの側面を把握して、それを救い出そうとする点にマルクスの問題意識がある──これをコアのコンセプトとして、雑味をなるべくいれずガッチリ体系的にいく予定です。
『資本論』ベースのパートは、札幌在住の脂の乗ったマルクス読みの二人、浅川雅巳さんと神山義治さんが壮大にやってくれるようです。『資本論』成立史的な導入から始まって、第一巻の内容中心に、資本主義的蓄積の発展の先、「世界市場」とその成果を引き継ぐ未来社会像まで。第一楽章の終わりで早くも金管やらティンパニーやらシンバルが鳴り響いて終わりそうですけど。もちろん残りの巻の内容もざっと触れる予定です。
数理のパートは、ボクが理論をやって、「マルクスの基本定理」については基本的なところから「吉原・松尾論争」までやってしまおうと。あと「転化問題」とか生産価格とか均斉成長とか「柴田・置塩の定理」とか。他方、あんまりマクロ経済学っぽいケインズ的な話とかはしないつもりです。そして計量の話を、この春から立命館大学経済学部に来てくれた橋本貴彦さんが担当します。投下労働価値計算をして、剰余価値率計測とか利潤率の要因分解とか。投下労働価値概念を現代的問題を考えるために応用したりもします。
弟子の熊澤は、「恐慌論」の担当ということで、『資本論』ベースのパートと数理のパートで、それぞれ過去のマルクス経済学界中心に、記述的な論争とモデル研究を紹介し、整理する予定です。
数理パートでは、やっぱり二部門モデルとかではなくて、n部門の一般的な議論までやってしまおうということになって、そうするとやはり行列計算が要るので、コラムを作って行列やベクトルの説明をすることになりました。差分方程式のコラム、エクセルでの計量計算の仕方のコラム、微分と微分方程式についてのコラムも作って、必要な数学手法はゼロから説明します。
経済史のパートは、今のところ、立命館の衣笠キャンパスの方で立岩さんとか後藤玲子さんとかに師事していた影浦順子さんが担当します。今中部大学の中部高等学術研究所で期限付きの仕事について忙しくしているようですが、この企画は出版がまだ先だからあまり就職には役立たないかな。唯物史観をめぐる諸議論とか、「日本資本主義論争」、戦後の日本経済の特質をめぐる議論などを取り上げてもらいます。
「大塚史学」を是非取り上げたいのですけど、誰か共著者の心当たりありませんかね。調べているんですけど、大塚史学の解説やっている人はたいがい世代がボクらより上で。
40代以下で、大塚久雄の学説の事実認識関係については批判的であってもいいけど、思想的にはシンパシーをもって解説できる人。今時いないかなあ。
出版は2014年春の予定です。2013年11月は置塩信雄逝去10周年。2014年7月は森嶋通夫逝去10周年。2014年2月はポール・スウィージーの逝去10周年。節目のタイミングです。
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さて、新書一冊の原稿を抱えていたのですが、編集者様から5月の連休明けに締め切りを切られてしまい、なんとか守れるように力を尽くしたのですけど、結局送ったのは18日の金曜日。やっとフリーになってナカニシヤ企画に臨んだのでした。でも「まえがき」とか書いてないし、字数オーバーで削らなければならないかもしれない。まだしばらくは手がとられそうです。
この締め切り切られた状況で、容赦なく次々といろんなことが降り掛かってくるんだなこれが。
4月下旬には、学部の代表団に加わって中国に行けと言われて行ってきましたし。四川省の成都にある西南財経大学のマル経関係の部署との交流で、数理マル経の現状を報告せよという執行部のお達しだったのでした。
そしたら、のっけから飛行機がやってこず、空港で7時間待たされて、結局翌日の別便に振り替えになるというハプニングが。さらに途中でリュックサックの腕が根元からもげる!
中継地の上海で乗り継ぎの飛行機が出るまでの間、街を見学にでかけて満員の地下鉄で戻ったら、時間が足りなくなって、あわや間に合わないかも…と。最後みんなで空港の中をダッシュしたのですが、結局その飛行機もまた機内で2時間待たされて出発するし。
…等々と様々な試練に見舞われたのでした。
到着が一日遅れたので、観光に一日とってあったのがつぶれたのですが、先方はなんとか観光の時間を確保しようとしてくれて、交流儀式も研究報告も大急ぎ。研究報告はただ和文と翻訳文の原稿を通訳の先生と交互に読み上げるだけで、質問も何もする時間もなく慌ただしく終わりました。
大学でお世話いただいた先方の通訳の女性教員。実はボクの学部学生時代と同じ金沢大学の出身とわかってびっくりです。ボクの卒業後キャンパスは移転しているので、キャンパスは違うのですが。
この人、パーソナルネームは「海燕」さんとおっしゃるのですが、それを聞いて「たしかゴーリキにそんな作品がありましたね」と言ったら、まさにそこからとった名前だって。短い時間でしたけどなんか盛り上がりました。
で、海燕さんとも別れて、あとは観光。
成都と言えば、言わずと知れた蜀の国の首都。カミさんは中国で放送された三国志のドラマのDVDにハマっていて、一時はいつも大音量で視ていて、仕事は避難しなければならなかった。同じ場面を三回位見させられそうになったし。
そんなもんで、成都に行くと言ったらうらやましがられたのですけど。
劉備の墓が残っていて、そこに後年千年以上たって、明だの清だのの時代になって三国志演義が流行ってからいろいろ建ってるんだわ。諸葛亮孔明は神様になって祀られているし、劉備を祀るお寺はできているし、その他いろいろ。これ自体が何百年も経た歴史的建造物だから、「ナンチャッテ」とはもはや言えないんですね。
神様になった孔明像 (松野周二教授撮影)
その裏には、歴史的街並の路地があって、年中お祭りみたいに屋台が出ている。こんなところを歩いていると、何も買わなくても楽しくて楽しくて。
夕食は本格四川料理で日本の辛さの基準を超絶する辛さだったけど、おいしかったです。食いも食ったり。
すっぽん料理。緑色のピーマンみたいなのはすべて唐辛子。(松野周二教授撮影)
レストランには舞台があって、別に成都くんだりまで来て観る必要もないおねえちゃんの踊り(まあ奇麗で見事だったけど)とか、せっかくの馬蹄琴をマイクで拾って大音量のカラオケに乗せるとか、今ひとつの出し物が続いたのですが、最後の最後になって、四川省伝統の、瞬間的に仮面が切り替わる仮面舞踏が登場して、これが見事で興奮して会場大盛り上がり。満足しました。
仮面舞踏。仮面が次々と瞬時に切り替わる。(松野周二教授撮影)
わずかの間に大都会上海で物乞いを三件も見たし、成都では古い町があちこちで再開発されていてなんかすごい。比較的低所得層の街区みたいな所で一つだけ再開発反対のスローガンが貼ってあった(らしい)のが、なぜか救われた感じがしました。
ちなみに、こわれたリュックですが、その中に使い捨て紙おしぼりがあったので、リュックの内側でそれに腕のベルトを結びつけて応急修理しておきました。そしたらそれがいまだに不都合なくもっているので、まだ買い替えないで毎週の長距離通勤に使っています。
さて、帰ったらすぐ連休になだれこんだのですが、一生懸命書いているつもりがなかなか進みませんねえ。
そんなあせっているさなか、七年間電話かけてくるマンション投資の勧誘の営業マンが、また電話かけてきて、これがまた長電話になったわけ。時間が足りなくてしかたないときに。しかし、今度ばかりは今までにない好条件で、頭金なし、火災保険・地震保険など初期費用約70万円は会社持ち、大阪梅田駅から徒歩8分、家賃滞納補償等々と、断る理由がなかなか見つかりません。毎週の通勤と宿泊が申告の時に経費扱いにできるというので、とうとう7年目にして話を聞いてみることにしました。
それで、連休明けの最初の出校日の晩に研究室で話を聞きました。あとで話が違うとかなったら困るので、ボイスレコーダーで録音した上、熊澤に立ち会ってもらいましたけど。
そしたら、その日の晩からだんだん考えたり調べたりするのがおもしろくなっていって、翌日の水曜日は授業の空き時間、カラクリがわかっていくのが楽しくて没頭してしまいました。
実は、個人のマンション投資って、家賃収入からローンの支払いを引いた純益って、ごくわずかで、もともとそれほどもうかるわけじゃないんですね。そこで、売り文句は、「節税になります」ってことです。現実の、家賃収入からローンの支払いを引いた収支は黒字になるのですが、税金の申告上の収支はかなりの赤字になるので、税金が戻ってきます。それを足したらオトク〜ってことです。
しかしなぜ、同じ事業なのに、実際には黒字が出るものが、税金の申告上は赤字になっているのでしょうか。
それは、実際に払っているのがローンの元金なのに対して、税金の申告のときのその費用は減価償却費になっているからです。ローンの元金と比べて、減価償却費がずっと大きい額なので、実際の収支は黒字なのに申告上の収支は赤字になるという違いが出てくるのです。あと、申告ではいろいろな諸経費をプラスしますが、たいした額ではないので本質的ではありません。
しかし、考えてみればこれはおかしいことです。ローンの元金も減価償却費も、同じ総価値のものを、一方はだんだん削っていき、一方はだんだん積み立てていくということなので、本質的には同じもののはずです。そんな大きな違いが生じるはずがありません。
しかも、ローンの返済期間は32年なのに対して、減価償却期間は45年で長い。その上、積み立てていくものは運用するから利子分は積立額は少なくてすみます。そうしたら、減価償却費の方がローンの元金よりも少なくて当然。それなのに逆に減価償却費の方がかなり高いなんておかしいです。
実は、すごい加速度償却の計算になっているんですね。最初の方で償却を前倒ししてすませてしまう。だからあとの方になってくると、減価償却費はほとんどなくなります。時間がたつと節税効果はなくなって、やがて逆に税金を払わなければならなくなります。
ところが、10年、20年後の家賃相場とか利子率とかはどうなっているかわかりませんね。ワンルームマンションですので、いずれは入居者が入れ替わります。この立地で入居者が3ヶ月以上入らないことはまずないということでしたけど、入居者が入れ替われば、家賃が相場を反映して変動します。20年ぐらいたてば、家賃は1万円ぐらい下がるということでしたが、相場次第ではもっと下がるかもしれません。一方で金利は上がるかもしれません。下がることはまずないですし。
そしたら、10年、20年後になると、実際に赤字を出しているリスクは否定できないことになります。それなのに、節税効果は消えて、逆に税金を払わなければならなくなります。
というわけで、手を出すべきではないというのが結論になるんですね。
いやもともと、どうしてマンションを建てた業者自体が、マンションの所有者として家賃をとって貸部屋経営しないのかというのが不思議でした。回転期間が長くても、確実な収入が得られるのならば、銀行はお金を貸してくれるはずで、建設資金に困ることはないでしょう。
結局、そんなにすごくもうかるわけではないので、将来の経済環境によっては赤字を出してしまうリスクがあるということですね。だから個人にリスクを転嫁するというわけです。転嫁するはいいけど、年間せいぜい2、3万円ぐらいのもうけでは、誰も引き受けてくれませんので、そこで「節税効果」を持ち出すというわけですね。会社が自分でやったときには、元から申告している話なので「節税」はないけど、個人ならしないのと比べてすれば「節税」できるから、これは取引として成り立つというわけです。でも、実はこの「節税」は、将来にはなくなってしまう…。
まあ、「節税」分以外はほとんどわずかのもうけしかないというのは、要するに世の中「裁定」が成り立っているということですな。労せずもうかる話があればみんな殺到する。だから結局収支はリスクを加味してトントンというところに落ち着くものだということです。
いやいや話を聞いてよかった。長年「怖いカミさんが許さない」という理屈で逃げてきたけど、今度からはちゃんと真正面から断れるぞ。
とはいえ、こんなことで締め切りすぎてしまった貴重な時間を費やしてしまったのでした。
さらに、5月11日は、CTスキャンをとりに久留米大学病院に行ったのだ。副腎に腺腫があるので、定期的に見せにこいということなのですが、ずっとほったらかしてたのですけど、とうとう昨秋の健康診断の結果でコレステロール値が高いから検査を受けろとの毎度の指令がきたので、春休みにそのついでに検査に行ったら、5月11日にCTスキャンの予約を入れることになったのでした。
まあこれも腺腫自体は今のところ何も悪いことはしていないということでよかったのですが、コレステロールが春休みよりずいぶん悪化しているとのこと。うーむ。
基本的に立命館大学の最寄り駅の南草津駅とキャンパスとの間は歩いてるんですけどね。40分ほど。
昔は自転車使ってたけど、南草津駅の駐輪場が一泊120円もするということもあって、最近使っていません。九州帰っている間置いておいたら720円かかる。おまけに、自宅に自転車の鍵忘れてきたりして、そしたらまた1週間のびます。こないだのその中国行った頃あたりも、自宅に自転車の鍵忘れたって思って回収しないまま帰ったら、久留米駅の駐輪場で自分の自転車がない。よく思い出してみたら、その週はカミさんに自動車で駅まで送ってもらってたのだった。だからポケットにあった鍵はてっきり久留米の自転車の鍵だと思っていたら、草津の自転車の鍵で、忘れてなんかいなかったのだった。…なんてこともありました。
そういうわけで、歩いているので、運動してないことはないと思うんだけど。
あらゆる生物の卵と肝臓は禁止というタブーは守っているつもりですけど、やっぱり中国での食いも食ったりがまずかったかな。
病院ではついでに、胃酸を抑える薬も処方してもらってきました。何年か前に胃の中にピロリ菌がいるので駆除せよとのことで、駆除したのですが、ピロリ菌というのはアルカリを出して中和させて生きているんですね。それがいなくなったら胃酸過多になって、自分でもムカムカする気持ちはするのですが、何よりも家族から息が臭いとの苦情が相次ぐように!
酸っぱぐさいなんともいえない嫌な臭いだそうで、妻などはときどき同じ部屋にいるだけで臭うと言います。なんか私生活でストレスがあって胃にきているときに、特にそう言われるような気がするのですが、あんまり本人はその連関に気づかないみたいね。
息子もいっしょになって臭い、臭いというものだから、息子が朝なかなか起きない時には、ゴジラ声のまねをして「プハー」と息を吹きかけるのだ。
まあそういうわけで、胃酸を抑える薬が一生欠かせない身体になってしまいました。
ところがこれが先月、職場に持っていこうとしてどこかに入れたつもりが、見当たらなくなってしまって、しばらく薬を切らした状態が続いていたのですけど、やっと入手できてよかった。
てな用事があったもので、また原稿書く時間がとられてしまったというわけです。
なんだか、相変わらずいろいろとプチ不幸だらけだな。
今週は、先週の土曜日の京都本部キャンパスでの研究会出席から入畿して、日曜日は草津キャンパスで上に書いたナカニシヤ出版の打ち合わせ、火曜から木曜までは授業、そして土曜日は一日中中国出張の休講の補講と、一週間びっちり在畿するというスケジュール。そういうわけで、今日月曜日は授業も家事もないので、一日たっぷりエッセー更新できたのでした。
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