松尾匡のページ12年6月5日 飽食ニッポンはどこへ行った+不況では脱原発は進まない
やっと新書原稿ほんとに脱稿。序文とかコラムとかも仕上げて今とりあえず印刷中です。
次は、6月16日午前の大阪での景気についての講演の準備と、午後の基礎経済科学研究所の研究会での大西広さんの新しい教科書に対する批評報告の準備と、翌17日の東京での学会の雑誌の編集委員会の準備。そのあとそのまま自宅に帰らず、授業に向けて立命館に行く予定ですが、最近土曜日に補講が続いたりして、まるまる自宅に帰らない週が続いているもので、またもこんなスケジュールになっているのを知ったカミさんの機嫌の悪いこと!
この編集委員会、ようやく今度が最後のはずだけど、最後の最後まで息抜きさせてくれませんね。今、投稿論文二本、審査担当で読んでいるわけ。
で、今16日の景気問題の講演の準備もしているのですが、そのネタでおもしろいものをいくつか見つけたので今日はそれをちょっと報告。
1 「飽食ニッポン」はどこに行った?
一つ目は、この春大学院に進んだ女子が調べてくれたデータ。
この院生は、ボクとか同僚の大野隆とかの教育助手やってくれているのですが、こないだ大野君といっしょにいるところにボクが通りかかったら大野君が担当科目のことで声をかけてきたんです。「社経」(「社会経済学」、立命館経済学部におけるマル経の呼び名)の二回生配当の授業を、数理マル経の内容にしたいから、ついては担当せよとの話でした。
今、「アドバンスト社会経済学γ」という三回生以上配当の授業でそれやってますけどね(受講生による講義ノートブログ)。7人しか受講生のいない応用科目だから成り立っていますけど。必修に近い大講義でそんなのとても無理。以前「社会経済学初級α」という一回生配当の選択必修講義で、再生産表式の「C+V+M」って、足し算しかない式を黒板に書いたら、早速コメントシートに、
「数学できないから社経とったのになんで数式だすんだ」
みたいな怒りのコメントが来るのでビビってしまった──てなこともあって、再生産表式は二回生配当の次の段階の授業に回すようになったのだ──という話をしたら、横で聞いていた彼女、
「そんなの松尾センセーだから怒らないと思って甘えてるんですよ!」
とか言って、そんなコメント出した時点で落として当然、それくらいの式もわからないで経済学部を卒業させてはいけない、そんなことでいちいちビビってる必要はないと、すごい剣幕で割り込んでくるものだから、そっちのほうがよっぽどビビる。
まあ別に怒りのコメントだけではなくて、「今日の講義は難しかった」という感想のシートはそれまでの回と比べて明らかにたくさんくるので、無視していい話ではないのです。
ところが後日、「社会経済学初級α」の講義で純生産とか投入労働量とかの計算をしてもらう練習問題を解かせた時、彼女が教育助手で教室まわったのですが、総じて全然できないことに驚いた様子で、
「みんな一生懸命解いてるのに…」
と。やっと現実に目覚めたか。
その院生が、貧困研究やっているもんで、それならと言うので一人当たりの栄養摂取量の年次推移を調べてもらったのです。
これ、厚生労働省が発表している「国民健康栄養調査」というのに載っているのですが、長期的な時系列データが一覧できるようになっておらず、しかも1947年から2002年までは、独立行政法人国立健康・栄養研究所のホームページに飛んで「国民栄養の現状」というのを見なければなりません。結局、毎年の報告書をダウンロードして数字をつなげていくしかありません。
とりあえず、いろいろある栄養の中の、「エネルギー」と「タンパク質」だけやってもらったのですが、戦後すぐから2010年までの一人当たり平均摂取量はこうなります。
エネルギーは1960年代後半から70年代はじめの石油ショック前までがピークで、あと下がり続けています。タンパク質は、同じく石油ショック頃がピークなのですが、基本的に前世紀のあいだは高原状態を維持します。しかし今世紀に入ってからは、やはり下がり続けています。(1968年、69年はデータが公表されていません。)
大雑把に言って、失業率の長期推移をひっくり返した動きとか、インフレ率や賃金上昇率の推移のグラフに似ていますね。
驚くべきことに、今日の一人当たり平均エネルギー摂取量は、戦後すぐの水準をかなり下回っています。タンパク質は1950年代冒頭と同じ水準です。もっとも、データの取り方が途中で何度か変わっているので、本当は単純な比較はできないのですが、高度成長期を下回るレベルにまで下がっているのはそうだと思います。
もちろん、高齢化が進めば平均して栄養摂取量が減るのは当然です。そこで、20歳代だけとりだして見るとこうなっています。
年齢別データは取り方が大きく変わっているので、1995年以降でしか比較できません。しかし、やはり減少傾向が見て取れます。ちなみに、厚生労働省が定めた2010年版の「日本人の食事摂取基準」では、18歳から29歳までの身体活動レベルII(中位)では、男性2650kcal、女性1950kcalが「推定エネルギー必要量」とされています。比べてみると、今世紀に入ってからはずっと、女性の基準にも足りてないですね。
なんだか特にこのエネルギー摂取量のデータ。2004年から2007年までわずかずつ上昇しているのが、2008年からまた下がりだしたあたり、景気の動向と連動しているように見えてしかたないのですが、サンプル数が少なすぎますので回帰分析とかに乗せるのは無理があるでしょう。参考までに、失業率の推移とあわせたグラフを載せておきます
彼女によれば、貧困家計ではエネルギー摂取量が高くなるという傾向も指摘されているそうです。アメリカなんかで貧困層ほどジャンクフードに依存して肥満が多いのはそれでしょうね。だから、その影響ではないということを確かめなければならないと言います。ごもっとも。
ダイエットが流行っているのかもという指摘もありそうなので、男女別に分けて見なければならないとも言っています。その通りですので続報を期待しています。
そのときそのときの基準栄養値は、刑務所の食事が一番厳格だろうから、刑務所の基準が入手できればいいのだがと言います。はい思いつきませんでした。その通りです。
まあ、エネルギー摂取量が1970年代後半から90年代ぐらいまでにかけて下がっているのは、たしかに食生活の高度化のためだと思います。タンパク質摂取量は下がっていませんし。
しかし、失業率が急増し、自殺者も増えて年間3万人をキープするようになった90年代末以降は、タンパク質摂取量といっしょにエネルギー摂取量も下がっています。明らかに基準値も下回るようになりましたので、ここから先はやはり不況で貧困者が増えたのが原因と見るべきでしょう。
ボクが学生のころは、「飽食ニッポン」とかよく言われていて、マスコミとか支配エリートとかはいまだにそのイメージでいるみたいですけど、実はここまできていた!
「過剰富裕」だからケシカランと言って日本資本主義を批判している一部の自称左派系論者がいかに的をはずしていることか。
2 不況では脱原発は進まない
ところで「エネルギー」違いですが、今度の講演用に今準備していることのもうひとつが、石油とか原子力とかのエネルギーの節約の話。節電の夏を迎えてホットイシューであります。実質GDPあたりのエネルギー消費量である「エネルギー係数」の減少率が何によって影響されるかということ。
エネルギー係数の減少率を仮に「エネルギー節約率」と呼んでおきますが、総務省統計局のサイトの「長期統計系列」のところに、1980年から2000年までの「一次エネルギー国内供給」のデータがありますので、これを使って推移を見たのが次のグラフです。
実は今まで調べたところでは、「総固定資本形成」の増加率、要するに設備投資の増加率と一番動きが似ているので、重ねてかいてみました。
このページには、別に2003年までの「一次エネルギー国内供給」のデータはあったのですが、もっと最近の動きが欲しいところです。
そこで、経済産業省資源エネルギー庁のサイトにある「総合エネルギー統計」の「エネルギーバランス表」を、載っている1990年度から2010年度まで一つ一つダウンロードして、データを時系列につなげました。(「簡易表(エネルギー単位)」5000番行の「最終エネルギー消費」900番列「合計」を使った。)
ここから出した「エネルギー節約率」を民間企業設備投資の増加率と合わせてグラフにしたのがこれです。(設備投資は「固定資本形成」の「民間企業」05年連鎖価格)
動きがあって見えませんか。(ちなみに、サンプル数が少ないのであまり意味はないのですが、一応回帰分析してみたら、一年前の投資増加率で回帰して、補正R2が36.4%、説明変数のp値は0.0037と良好でした。ダービン・ワトソン値は1.7で、5%水準で系列相関はないと見ていいです。)
それで、どうして設備投資の増加率と相関するのだろうと考えてみたのですが、やはり、エネルギー節約のための新技術を備えた機械や工場が採用されるからでしょう。
これをちゃんと見ようとしたら、設備の除却分を置き換えるための更新投資も含んだ設備投資の、機械や工場などの設備全体に対する比率(I/K)で調べた方がいいでしょう。これを「資本蓄積率」と呼んでおきます。資本蓄積率は低下トレンドがあるので、そのトレンドを取り除いた残りをエネルギー節約率の推移と重ねてみると、こんなふうになります。
(これも、サンプル数が少なくてあまり意味がないのですが、一応回帰分析してみました。補正R2が32.9%、説明変数のp値は0.006とやはり良好です。ダービン・ワトソン値は1.57で、やはり5%水準で系列相関はないと見ていいです。)
講演では、『不況は人災です!』で書いた話をするのですが、あの本でも書いた前ふりの、不況になったら犯罪が増えるとか、不況はよくなくて景気がいかに大事かといういろいろな例の一つとして出そうと思って調べだしただけなのですが、またもはまってしまいました。いつもこんなのばっかり。
要は、「景気拡大論は脱原発論と矛盾する」とか、「エネルギー節約のためには経済成長しない方がいい」とか言う議論は成り立たないということです。
いや別に完全雇用したときの経済の「天井」の成長はしなくてもいいですけどね。だから、「天井」にそってゼロ成長するときには要らないような、過大な設備投資ばかりが増えることでの景気拡大は完全雇用に至って必ず破綻するので、むしろ消費が拡大することによる景気拡大をめざすべきだというのは、常々ボクが言ってきたことですけどね。
だとしても、「天井」にそってゼロ成長するときにも、古くなった設備を新しいものに置き換えるための更新投資は要るのです。だから失業のある間も、その分の設備投資が興ってくることで景気拡大することは悪いことではありません。
更新投資だけでも興ってくれば、それは機械が売れて、工場の建設資材も売れて、めぐりめぐって世の中全体の需要が拡大することにつながります。それで失業者が雇われて、多少なりとも貧困が解消されていきます。失業いっぱいの経済が、完全雇用の「天井」に達するまでの「経済成長」は人を救うのです。
しかし、企業にとって将来の見通しが暗く、実質利子率も高くて資金調達が難しいならば、更新投資だって興ってこないのです。そうなれば、ますます景気はよくならないし、それだけではなくて、電気も石油も今まで通りに食う機械や工場が使われ続け、節約が進まないことになります。
以前から言ってきましたけど、原発が建っているかつての寒村に住む人にとっては、原発が無くなることは即首をくくるかどうかということにつながりかねません。全国が不況のままならば、原発に依存しない地域経済など、安心して目指すことは難しいです。しかも、不況による大量失業が続くから、危険な原発労働でも応じるほかない人が尽きないのです。
そしてそれだけではなかったということです。景気がよくならないとエネルギーの節約も進まない。結局、景気がよくならないと脱原発はできないというわけです。
ちなみに、ここで「天井」の成長率と言っているものは、だいたい専門用語の「潜在成長率」と同じと思ってもらっていいですが、需要拡大政策に反対する供給拡大派の人たちは、最近は、潜在成長率が低いままだったら企業の先行きが暗くなるので、設備投資が興ってこなくて、総需要も拡大しないのだと言います。だから「安易な」総需要刺激策ではなくて、やはり根本的な供給能力引き上げのために、規制緩和やら何やらをすべきだと、こうくるわけです。総需要不足を単純に否定していた昔の議論よりだいぶ洗練されてきていますけど、でもやはりおかしいです。設備投資が興ってこないならば、消費需要が増えるようにすればいいだけだというのが根本的な批判ですが、それだけではありません。
この理屈を全部認めたとしても、潜在成長率を引き上げるためには何をしたらいいですか。規制緩和やら何やらいいますけど、一番生産性を上げるために王道なのは、研究開発投資が活発になることだし、技術革新を体化した設備投資が興ってくることです。ところが『不況は人災です!』で書きましたけど、こういうことは、普通の設備投資一般と別物なのではなくて、いっしょに動くのです。やはり、不況で見通しが暗くて資金調達もしにくいならば、設備投資一般が興ってこないのに合わせて、研究開発投資も技術革新投資も興ってこない。
まずは、ごくあたりまえの不況対策で総需要拡大して見通しが明るくなり、金融緩和政策で実質利子率が下がって資金調達しやすくなれば、設備投資も興ってきて、その中で研究開発投資も技術革新投資も興ってきて、その結果として生産性が上がって、潜在成長率も上がるのです。そうでなくて、総需要が少ない中でいくら生産性上がって潜在成長率が上がっても、現実にはその結果失業者が増えてますますデフレ不況がひどくなるだけなので、企業の将来見通しは好転せず、設備投資にはつながりません。
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