松尾匡のページ18年9月24日 公正な税制を求める市民連絡会設立3周年記念集会での拙論に対するご批判に答える
先日、埼玉在住の旧友が「松尾匡埼玉事務所」の名前でツイッターを開設してくれました。講演やイベント、出版物、ウェブ、マスコミ等での拙論登場の告知をしてくれます。フォローいただければ幸いです。
最近のできごとでは、大阪都構想経済効果報告書の批判的検討の集会での私の報告を含む動画や、沖縄県知事選玉城デニー候補の応援パーティでの私のスピーチもリツイートで載せてくれています。ダイヤモンド・オンラインで拙論のリンクもあります。ご関心があればご覧ください。
それから、おととい、連帯ユニオン関西生コン支部に対する、権力・ヘイト集団一丸となった最近の一連の弾圧に抗議する集会に参加しました。こちらに動画がありますので、お時間の許す人はぜひご覧ください。
動画報告】労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会
立ち見であふれる熱気いっぱいの会場で、全国で同様の不当弾圧を受けた人たち、理不尽と闘っているひとたちからの熱いメッセージが寄せられました。こんな理由で逮捕されることを許していては、労働運動などそもそも成り立たなくなります。みなさんの連帯をお願いします。
さて、7月29日、東京の主婦会館で、公正な税制を求める市民連絡会の設立3周年記念集会「希望と連帯の社会をめざして〜格差社会を乗り越える財政とは」が開催され、埼玉大学准教授の高端正幸さんといっしょに、対論の形で、基調講演とパネルディスカッションを行ってまいりました。ご参加のみなさんはじめ、対論者の高端さん、パネリストに加わられた宇都宮健児同連絡会共同代表、竹信三恵子さん、コーディネーターの猪股正同連絡会事務局長に感謝いたします。
とりわけ雨宮処凛さんには、事前の調整・連絡や当日の司会など、本当にお世話になりました。今度は10月7日に、大阪でいっしょにトークイベントをすることになっていますが、よろしくお願いします。私から、雨宮さんの近著『非正規・単身・アラフォー女性:「失われた世代」の絶望と希望』(光文社新書)について質問して、雨宮さんに応えてもらうトークが前半。雨宮さんから、私が、近著『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう:レフト3.0の政治経済学 』(共著、亜紀書房)や『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)で示した経済政策論に対して質問していただいて、私がお答えするトークが後半となる予定です。ご参加いただけるかたはぜひお願いします。(当初9月30日開催ということでお知らせしましたが、台風直撃の予想により、一週間延期しました。9月28日追記)
話を戻して7月29日行われたパネルイベントですが、その様子はツイキャスで動画がご覧いただけます。
講演の部
ディスカッションの部
その後この会の議論について、対論者の高端さんからフェースブックでご批判をいただいているという情報が入りました。多忙を極める夏休みで、なかなか向き合うことができず、もうしわけなかったのですが、授業開始直前になってようやく少し手があいたので、この場でご批判に答えておきたいと思います。
まず、高端さんの批判文を転載します。
※ このエッセーの掲載後、高端さんからは誤解があったことを理解したことと、一部表現が「礼を失した」旨のご謝罪をいただくメールをちょうだいいたしました。ご丁寧にありがとうございます。上記リンク先フェースブックでは、それに基づきご変更くださっています。(18年9月25日追記)
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去る日曜日のイベント。ツイキャスしていただきましたので、シェア先のリンクからすべてお聞きいただけます。
せんじ詰めれば、反知性主義との闘いでした。
そして、私たち人間の尊厳を保障することに本当のところは関心のない人々との闘いでした。
講演とパネルで、松尾さんの自称「反緊縮」論の難点を指摘しました。
ざっと挙げれば
・財務省的な財政再建優先論を否定する点はまったく同意。
ただし、際限なき金融緩和は明らかに危険。
不確実性をあまりに軽視し、かつ政府・日銀のインフレコントロール能力を過信している。デフレのうちはたしかにOK。
しかしいったんインフレ局面に入れば、彼の理論は破綻する。
・不完全雇用状態だから緩和を続けよと言うが、労働力不足の深刻化をみるだけでも、現状認識が誤っているというべき。
問題はマネーの量ではなく、より構造的な要因にある。
・「反緊縮」の成功例として、戦後復興期のイギリス、近年のスウェーデン、ポルトガル、ハンガリーなどを挙げるが、これらはすべて今の日本とあまりに文脈が異なるし、そもそも「金融緩和+財政支出で経済を再建した事例」として明らかに不適切。
復興期のイギリスは増税もしているし、そもそも国際収支の天井に直面して金利を抑えることに苦悩した事例。
スウェーデンも増税しているし、ポルトガル、ハンガリーも含め、緩和の規模も期間も日本よりはるかに限定的。
「コービンやサンダースに学べ」という趣旨は分かるが、「だから金融緩和+財政支出+減税で行け」と言うのは完全なる飛躍。
ましてや「税はいらない。金を刷ればいい」と言わんばかりの主張は、市民の嫌税感につけこんだ危険なポピュリズムに他ならない。
・そもそも、歴史的にこのような極端な緩和政策が成功をもたらしたことはない。
経済を破たんに導き、そのツケを一般市民とりわけ脆弱な層に負わせる。経済学は、その歴史に学んで中央銀行の独立性確保などマクロ経済運営に節度を持たせる方向に進んできたのではないのか。
歴史的にも理論的にもリスクの大きすぎる政策を、あたかもバラ色の政策であるかのように喧伝することは、研究者のあるべき姿からかけ離れている。
さて、驚くべきは次の点です。
まず、松尾さんはこれらの8割にまともに答えない。痛いところはスルーです。
それなのに、最後の締めの言葉では、「増税なんてけしからん。消費税は廃止しましょう」とくる。
そしてフロアからも少なからぬ拍手。
さすがに耐えかねました。今後、莫大な社会保障支出の自然増があり、加えて人々の尊厳を満たす社会保障を目指すなら、増税で私たちが痛みを分かち合うことは絶対に不可欠です。もちろんそれは消費税だけじゃないけども、消費税なしにまかなうなど無理。
それを分かってて消費税廃止を言うことは許されない。
目の前で苦しんでいる人々への思いはそこにはない。「自分は税を払いたくない。いい思いをしている金持ちに払わせろ」という思いを満たしたいだけ。
私からすれば、そんなの偽善者です。
、、、という趣旨の、パネルの最後での私の発言をさえぎったフロアのとある方。
いわく「消費税廃止なんて痛くもかゆくもない。通貨取引税で40兆は取れる」。
ネットですぐに調べられますが、そんなの無理です。しかもグローバルタックスとして通貨取引税を導入して開発援助や地球温暖化対策に充てるというならわかるけど、一国の社会保障に充てるって、課税の根拠もない。
結局、税への憎しみから、「自分以外の税を取れるところ」を探して、吟味もせず飛びついているだけです。
丁寧に、説いていく。そのことの大事さと、分断を乗り越えることの難しさを、改めて実感させられました。
これからも、がんばります。
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かなり手厳しいご批判だと思います。いろいろ至らぬところがあって不快な思いをさせてしまったのだろうと思いますが、不要な誤解も多いように思いますので、以下、できるだけご理解を得られるようお答えしようと思います。
最初に、
> 最後の締めの言葉では、「増税なんてけしからん。消費税は廃止しましょう」とくる。
の部分についてです。これはご認識に誤解があると思います。私の立場から見た経緯は、私が「消費税引き上げに反対したら選挙に勝てる」という選挙戦術の話をしていたとき、消費税を廃止しろとのフロアからの声があがり、私は「そんな生ぬるい選挙スローガンではだめだ。消費税全廃を掲げるべきだ」とのご批判をいただいたものと受け止めて、なだめた上、選挙のスローガンとしては無理だという選挙戦術上の応答をしたつもりでおります。
これをツイキャス動画で確認しました。こんなふうになっていました。
(松尾) やっぱり選挙ゆうことになると、安倍さんが消費税上げますゆうとるのは、明らかにチャンス…チャンスゆうたらいかんのか。でも消費税上げたら不況になりますよ。もしかしたら職が危ないかもしれませんよと。今の大学生の新入生はちょうど五輪が終わったあとに就職活動することになる。大変そのへん危機意識がありますから、キャンパスの前で、消費税を上げると就職できなくなりますと宣伝したらすごい効くんじゃないかと思います。それが一番自民党を追い詰めるにはいいんじゃないか。もしかしたら…(叫び声重なる)
え?
——廃止!
(松尾)…ありがとうございます!…ありがとうございます。それは言いたいところですが、なかなかそれでは野党共闘するのは難しいところがあります。ぜひ言いたいところなんですけど。
それで、それぐらい追い詰めると、安倍さんも…(以下略)
というわけで、私から消費税廃止を積極的に主張したわけではありません。高端さんには、なだめているようには聞こえなかったのだろうと推測しますが。
まあ、消費税廃止は、筋論だと思いますし、実際「言いたいところ」ですが、それで財政がどうなるかの問題はおいておいて、私見では、実現に向けての道筋が描きにくい問題があります。というのは、「すぐに」というのは現実問題として難しいので、将来下げていくぞということにならざるを得ないわけですが、それが人々の予想になると、買い控えが起こって景気が悪くなるという問題があります。
こう言うと、買い控えは起こらないというご批判も別のところでいただいておりますが、住宅建設とか、自家用車などの耐久消費財については、やはり買い控えは起こって、景気への影響は大きいと思います。
もっとも、経団連・財務省幹部はじめ、消費税を際限なく上げていきたい超強者がひしめく世の中ですから、消費税廃止と言う勢力があってこそ、引き上げに歯止めがかけられるというものだと思います。その意味で、フロアから私をご批判くださったかたがたの社会的意義も尊重したいと思っています。
当日は、将来景気が十分に万全になって、他に手を尽くしてもやはり消費税を上げるしかなくなったときには、消費税を上げることになることもやぶさかではないが、「そのときには民意を問う」ということをあらかじめ約束しておくべきだと発言しました。先に高度な福祉体制を人々にまず経験してもらって、そのあとで、どうしても消費税を上げないとこれが維持できないので、上げていいですかと民意を問うのが正しい順番だと述べたわけです。
高端さんも、消費税増税の前に累進課税強化、法人税見直しが必要とおっしゃっていたわけですから、結論的には私とそれほどおっしゃることは違わないように思います。
だから、高端さんのこのおまとめは、だいぶ、私が当日言ったことを反映せず、別の印象を与えるもののように感じます。
では、このフェイスブックに書かれた高端さんのご疑問に一つ一つお答えしようと思います。
以下に書きますように、かなりのものは、すでに当日のプレゼンや答弁でお答えしているつもりです。もちろん、時間がなくて十分お答えすることができなかったことはとても残念に思っています。
文中の「スライド」は、当日使ったものが、下記URLのところに入っていますので、ご関心がありましたらダウンロードしてご確認ください。
http://shiryouoki.sdbx.jp/20180729/
<ご疑問>
・財務省的な財政再建優先論を否定する点はまったく同意。ただし、際限なき金融緩和は明らかに危険。不確実性をあまりに軽視し、かつ政府・日銀のインフレコントロール能力を過信している。デフレのうちはたしかにOK。しかしいったんインフレ局面に入れば、彼の理論は破綻する。
<お答え>
「際限なき金融緩和」という表現は、拙論を表現するには明らかにあてはまらないと思います。インフレ局面(歯止めとしてのインフレ目標超え)に入った時に、金融引き締めを行うことはプレゼンで説明しています(スライド37枚目、日銀保有国債の一部の借換停止と売りオペ)。
インフレの状況に合わせてどのようにスムーズにコントロールするかについての工夫についてもプレゼンで私案を提案しました(スライド57-59枚目)。
つまり、(高度な社会保障支出を実現して恒常的に高い総需要圧力がかかる中で)景気過熱時にも、十分デフレ圧力が強くかかってインフレを抑えるように、法人税や所得税の累進度などを十分に重く設定しておきます。社会保障支出や税制自体は、景気の状況に合わせてスムーズには増減できませんので、不況のときには、国債を日銀が引き受けることで作った資金で民間企業への設備投資補助金や個々人への一律給付金を出して、課税によるマイナス効果を打ち消すようにします(このとき頭とお尻をつなげて間を略して表現すると「緩和マネーで社会保障をまかなう」ということになる)。そしてこの設備投資補助金や一律給付金を、景気の動向に合わせて機敏に増減させるわけです。
インフレが目標値を超えたら、これらを停止するようにすれば、課税による景気引き締め効果が大きく出て、インフレを抑えることができるというアイデアになります。
このときの設備投資補助金や一律給付金の資金は、今述べたように国債の日銀直接引き受けで作るのが望ましい(国債市場の短期的動揺がない、日銀が額面割れで国債を買い取る必要がないなど)のですが、それが政治的に難しいのならば、政府が民間の銀行に向けて国債を発行して資金を得て、他方でそのことで利子率が上がらないよう、日銀が民間の銀行から国債を買って資金を出すという、債券市場を間に挟んだ「玉突き的」方法でも構わないと思っています。
<ご疑問>
・不完全雇用状態だから緩和を続けよと言うが、労働力不足の深刻化をみるだけでも、現状認識が誤っているというべき。問題はマネーの量ではなく、より構造的な要因にある。
<お答え>
どんな水準をもって「完全雇用」とするかは学問的に確定しているものではなく、多分に政治的判断が入る問題です。資本側にとっては、失業者がある程度いてくれた方が、賃金も上がりませんし、「いつでも取り替えられるぞ」と脅しが効くので労働強化しやすくて都合がいいです。だから、なるべく高い失業率の値で、「完全雇用」だと言いたがります。
逆に労働者階級の側としては、なるべく低い失業率を「完全雇用」と設定することが都合がよく、両者が綱引きをして政策的判断がなされるものだと思います。
しかも日本の失業率統計は、他の国と比べて厳しすぎて、本来は失業者のはずの人をカウントしていないと言われます。その上に、本当は働きに出たいのに、主婦や就学者、退職者などの形をとって、求職活動をあきらめた大勢の人たちが、潜在的失業者として存在してきました。低賃金の不安定な仕事をしている人で、もっとまともな職に就きたいと思っている人たちは、やはり失業者同然だと思います。
こういう人たちが尽きたら、さすがに賃金は目立って上昇しはじめると思います。このかん、「完全失業率は3%台半ば」などと言われながら、実際にはそれを割ってどんどん下がり続けました。統計外の失業者がいかにたくさんいたかということだと思います。まだ賃金上昇が本格的でないということは、まだ少し余裕があるということだと思います。
しかしそれももう尽きつつあるのはたしかに間違いないと思います。それは当日、高端さんのご質問に対してはっきりとお答えしたとおりです。
そのときもうしましたように、かつてデフレ円高真っ盛りの民主党政権時代に、国債の日銀直接引き受けで緩和マネーを財源に使い、公約や震災復興に使っていたら、公約は実現でき震災復興はでき、おまけにひどいインフレの心配何もなく景気は良くなって雇用は増え、民主党政権は続いていたことだと思います。安保法制も秘密保護法も共謀罪法もなかった。
そのチャンスをみすみすふいにして、安倍政権登場を許し、無駄金のブタ積みのために日銀の国債買い入れの手段を使われて、資本側ばかり一方的にもうかる景気拡大の末、とうとう期限切れを迎えつつあるわけです。
来年の参議院選挙のときには、もう我々の立場からしても完全雇用に到達しているかもしれません。そうなると安倍首相哄笑のときです。もはや日銀マネーをあてにできないのに、安倍さんの側が圧倒的に有利な中、私たちは次の手を考えなければなりません。
しかしもしそうならず、その時点でもなお賃金上昇がのろのろしていたならば、そのことを責め立てて、最後の一押しを有効に使うことを訴えればいいと思います。実際には、富裕層や大企業への負担を増やす増税には制度が実現するまでに時間がかかるので、先行して社会保障の充実は政権獲得後ただちに始めることにして、増税実現までの間は国債発行でしのいで、そこで資金調達金利が上がらないよう金融緩和を継続することにすれば、好況実現の最後のひと押しがされて、ちょうどいい具合にインフレ抑制が課題になるころに増税が実現できると訴えられると思います。(東京オリンピックはやめると訴えたいところです。)
問題はまさにマネーの量だったと思います。民衆の手の中にあって使うことができるマネーの量ということです。
<ご疑問>
・「反緊縮」の成功例として、戦後復興期のイギリス、近年のスウェーデン、ポルトガル、ハンガリーなどを挙げるが、これらはすべて今の日本とあまりに文脈が異なるし、そもそも「金融緩和+財政支出で経済を再建した事例」として明らかに不適切。復興期のイギリスは増税もしているし、そもそも国際収支の天井に直面して金利を抑えることに苦悩した事例。スウェーデンも増税しているし、ポルトガル、ハンガリーも含め、緩和の規模も期間も日本よりはるかに限定的。
「コービンやサンダースに学べ」という趣旨は分かるが、「だから金融緩和+財政支出+減税で行け」と言うのは完全なる飛躍。ましてや「税はいらない。金を刷ればいい」と言わんばかりの主張は、市民の嫌税感につけこんだ危険なポピュリズムに他ならない。
<お答え>
戦後イギリスの福祉国家建設の例は、あくまで国の借金の多さを福祉抑制の口実にしなかった例として、プレゼン冒頭で出したものです。プレゼンスライド7枚目にも書きましたとおり、戦後イギリスが日本の消費税にあたる付加価値税を導入したのは1973年のことです。公的純債務GDP比215.5%で福祉国家建設に乗り出した時にはまだ影も形もなく、四半世紀以上もたってできた話です。
なお、「そもそも国際収支の天井に直面して金利を抑えることに苦悩した事例」とおっしゃるのが、どんなロジックで今の議論に効いているのかよくわかりませんが、この件について解説しておきます。
この当時は固定為替相場制がとられていました。しかもまだ資金の国際移動が今ほどはげしくなく、復興のためには、資材を輸入に頼る必要がありました。このような時代には、景気がよくなって生産活動が拡大すると、輸入が増えて貿易赤字が拡大しますので、外貨(ドル)の受け取り(供給)より支払い(需要)の方が多くなって、何もしなければドルの価値が上がり、ポンドの価値が下がってしまいます。それでは固定相場が維持できませんので、そうなると固定相場を維持するために、イングランド銀行は固定相場でポンドを買い入れなければなりません。これは市場から通貨を吸収することですから、金融引き締めと同じで、金利が上がります。無理に金利を上げないとポンドの持ち込みがますます続いて、イングランド銀行の手持ちのドルが無くなってしまいますから、結局、金利を上げることによって、外国からの資金の流入を促し、ポンドの価値を上げて固定相場を維持するほかなくなります。
これが「国際収支の天井」という問題で、公的債務が拡大するのを防ぐには、金利を下げたいところ、どうしても金利を上げざるを得ない制約がかかって苦労したということです。つまりこれは、固定相場制下で不利な条件があるにもかかわらず、公的債務の拡大は抑制できたという事例になります。言うまでもなく、現代日本は変動相場制なのでこんな不利な制約はもうありません。
さて、ポルトガルはユーロですので「限定的」も何も、そもそも金融政策はとれません。借金だらけだと叩かれながらも財政拡大を始めて、逆進性の高い増税案も破棄して、景気がよくなってかえって財政赤字が減ったケースとして出しています。
スウェーデンについてお示しした2014年からの左派政権については、「増税している」とのご指摘でしたが、消費税にあたるものが増税されたという情報は聞いていません。もしそれが増税されていたらご存知のかたはご教示ください。私見の及ぶかぎりでは、所得税や銀行税などが増税されたように理解しています。
いずれにせよ、欧米反緊縮左派は、金融緩和志向もありますが、富裕層や大企業に負担をかける増税を志向していて、その点も含めて私は学ぶべきだと思っているのです。「税はいらない」というのは、拙論のまとめとしては誤解であると思います。
ちなみに、「ポピュリズム」という言葉が悪口であった時代はもう終わったと思います。もともと、大不況のころのアメリカ人民党の思想をさす言葉で、エリートの支配に対して、大不況で苦しむ民衆の利益・要求を対置させた運動でした。ブレイディみかこさんによれば、コービン周辺やポデモスは左翼ポピュリズムと呼ばれることを「誇りにすら思っている」とのことです。右翼ポピュリズムに関しても、トランプ勝利、ブレグジット投票結果の経験を経て、排外主義やナショナリズムは理詰めて批判して解消できるものではなく、それをもたらした民衆の不安や経済苦境に応える解決策によってしか、すなわち、もっとポピュリズム的なポピュリズムによってしか解消されないというのが到達点になっていると思います。
<ご疑問>
・そもそも、歴史的にこのような極端な緩和政策が成功をもたらしたことはない。経済を破たんに導き、そのツケを一般市民とりわけ脆弱な層に負わせる。経済学は、その歴史に学んで中央銀行の独立性確保などマクロ経済運営に節度を持たせる方向に進んできたのではないのか。歴史的にも理論的にもリスクの大きすぎる政策を、あたかもバラ色の政策であるかのように喧伝することは、研究者のあるべき姿からかけ離れている。
<お答え>
歴史的例としては、拙著『この経済政策が民主主義を救う』でご紹介しましたが、大不況時から第二次大戦にかけてのアメリカでは、金本位制を廃止して今で言う量的緩和を行い、マネタリーベース(中央銀行の出したおカネ)を13年間で5倍近くに増やして、ニューディール政策や戦争の政府支出を支えました。もちろんこれだけではなくて、民間からの借金もしているのですけど。
これを追いかけて物価は上がりましたが、ハイパーインフレはおろかマネタリーベースの伸びの5倍にもはるかに及ばず、1.5倍になっただけでした。年率にすると約3%のマイルドなインフレです。
なお、有名なドイツのハイパーインフレは、かえって中央銀行が政府から独立していたために起こったことです。
当日お答えした中では、リスクの問題ならば、例えば、今消費税を上げて不況に戻って失業者が出て、教育を受けられない人が出たり、少子化が進んだりするリスクの方が、もっと現実的で高いと思いますと述べました。
さて、本来当日私がちゃんともうしあげておくべきだったことは、税金をとるということについての私の哲学的位置付けだったろうと思います。高端さんが、「痛みを分かち合う」という哲学的位置付けを強調していたのに対して、私が経済学的機能論に終始していたことが、根本的にはフラストレーションのもとで、行き違いを生んでいるのだと思います。
高端さんの「痛みを分かち合う」税の位置付けは、国家共同体モデルを前提に、同胞は助け合うべきだという共同体倫理に訴えるものだと理解しています。
しかし国家共同体モデルは、どんどん階級社会化している現実を覆い隠すおそれがあるし、安倍さんたちの日本会議的なナショナリズム志向を後押ししかねない危険があると思います。
やはり、階級社会化の進む現代は、階級闘争モデルで税を位置づけることがふさわしいと思います。
とはいえそれは21世紀的に、個人主義をベースにアレンジする必要があると思います。拙著『自由のジレンマを解く』で提起したその位置付けは、このようなものです。
すなわち、自由な自己決定の裏には、その結果他人に被害を及ぼしたら補償する責任が伴うが、経営者や政治エリートなどの影響力の大きい決定は、責任を確定できず、したがって補償の責任を果たせない被害を、多くの他人に及ぼす可能性がある。したがって、税という形で一種の賠償保険料を公的にとっておいて、助けを必要とするケースをいろんな意味で解決するのに使っているのだという位置付けです。
一般庶民も日々の決定で、例えば温暖化を進めて被災者を作るのにささやかに加担しているかもしれないので、一応税を払う。だけど、決定の影響力の大きい者はそれに応じて高い税をはらわなければならない。影響力を直接測ることはできないので、所得など適当な代理変数を物差しにつかう(炭素税のケースなど、直接測れるケースはそれを使うのにこしたことはない)。決定の影響力は、個人より組織の力に依存する比重が大きいので、法人税も正当化されるというわけです。
まずは富裕層や大企業に主に負担させる増税を目指せという私の主張は、経済学的機能論からの合理化はプレゼンで述べたとおりですが、哲学的正当化は、今述べたロジックでなされると考えています。
さて話は変わりますが、上記のツイキャスの文字起こしの先。概ね次のようなことを言いました。
安倍さんは権力を失ったら後ろに手が回りかねないから必死なので、選挙前に消費税延期と言い出すかもしれない。すると、もし野党が何もしなければ安倍さんはまた圧勝するだろう。しかし野党が消費税増税反対運動を十分盛り上げておいたならば、野党側は自分たちの運動の成果だと言って選挙に臨むことができて、一転して有利になる。
今、安倍さんがひょっとすると本当にそうするんじゃないかという気がしてきています。公明党になるべく頼らずに改憲の野望を実現できるよう、議席の上積みを狙ってくるおそれもありますし。野党にはもっと声を大きく上げてほしいです。
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