研究内容5:マルクスの制度分析へのゲーム理論の応用
1.ゲーム理論による制度分析と疎外論の類似性
彼女の行動:出かける | 彼女の行動:とどまる | |
彼の行動:出かける | A:彼×× 彼女×× | B:彼○ 彼女◎ |
彼の行動:とどまる | C:彼◎ 彼女○ | D:彼× 彼女× |
このとき、仮に「女は静かに待っているもの」といったそれ自体は不合理な観念が流布していたとしよう。すると、彼はたとえその観念を信じていなかったとしても、彼女がそれに基づいて行動すると予想されるならば、その観念にしたがって出かけた方がいいことになる。彼女にとっても、自分ではその観念を信じていなかったとしても、彼がそれに基づいて行動すると予想されるならば、その観念にしたがって待っていた方がいいことになる。するとこの観念は、二人にとってともに自分のものではない外的な観念なのに、二人ともそれを受け入れることで人間関係が秩序づけられることになる。これこそはマルクスが分析した「疎外」の状態にほかならない。
ここでもし、彼女がオートバイを持っていたとすると、彼女にとって出かけることは苦役ではなく、かえって気晴らしになっていいので、Cの欄は、「彼◎ 彼女◎」になる。すると、BよりもCの方が二人ともにとっていいことになる。しかしたとえそうなっても、件の「女は静かに待っているもの」という観念が流布しているならば、二人とも相手がそれにしたがうかもと思って、結局Bが選ばれてしまう。思いきって別の行動をとったらAやDになってしまうかもしれないからである。二人が携帯電話を持っていれば、二人とも信じていないこんな観念は選ばれず、最適なCが選ばれるだろうが、二人の間に情報交流がなければ、既存の観念が自立して二人ともそれに縛られてしまうのだ。
このようなナッシュ均衡が複数あるゲームの例として、小牧長久手の戦いでの秀吉と家康のような、たがいに自分が天下を主張するか相手に臣従するかを選べる、リーダーシップをめぐる争いがあげられる。このようなときも、長子世襲制のような観念が流布しているならば、自分自身ではその合理性を信じていなかったとしても、他者がそれに従うと思えば、各自の自己利益を求める合理的選択の結果、それが維持されることになる。どの商品を貨幣とするか、どの証券を貨幣とするかも同じである。このように、人々の観念が制度として個々人から自立し、逆に個々人を制約してしまう「疎外」のシステムが、ナッシュ均衡における他者の行動予想信念の「束」として現代的に説明できるのである。
2.進化論ゲーム
3.進化論ゲームと制度の唯物史観的変遷