04年4月28日 元人質バッシングについて
このネタだけでここまでひっぱるつもりはなかったのだが、あまりにバッシングがひどいもので…。
ともかく少なくともこれだけは言っておきたいのだが、解放のときの「イラクに残りたい」という主旨の発言は、居合わせたイラク人から今後の活動への期待を言われたのを受けてのことで、自分を助けた人たちからそんなことを言われたら「がんばります」と言うのが当然の感覚だろう。こういう文脈を全く無視して報道してバッシングの材料にする神経には呆れ果てる。
【海外メディア続々仰天】
だいたい、元人質に対して「日本の恥」とのたまった書き込みがあったそうだが、日本の恥はおまえらだろ。
今、いくつもの海外メディアがこの人質バッシングの異様さをとりあげ、批判的に報道している。フランスのルモンドがバッシングを批判して元人質を讃えたのは御存じだろう。
4月23日付けのニューヨークタイムズでは、第1面の見出し記事に続けて、紙内で半面使い、このことを大きく伝えている。記事は、パウエル長官の元人質擁護発言と並べる形で小泉首相以下政府当局者のバッシング発言を伝え、日本の伝統的な「お上」意識がバッシングを広めたと分析している。そして、いかに元人質達が精神的に困難な状況に追い詰められているかを詳しく伝えている。
同様の記事はロサンゼルスタイムズでも報道されているそうだ。
韓国でも東亜日報、ハンギョレ新聞、朝鮮日報の三紙が、なぜ彼らは謝らなければならないのかと、「村八分」の異様さを伝えて批判している。
ドイツでも同様の報道がなされていると聞いている。
そしてアルジャジーラの英文サイトでも、元人質への費用請求の件が取り上げられ、元人質が非難にさらされていることが報道されている。もともと中東では今度のバッシング状況が広く報道されており、人々はなぜ彼らがこのような目にあわなければならないのかと憤っているそうである。
(元人質を擁護した海外紙は13紙以上にのぼるとの話がある。下記サイトの書き込み情報より。──5月4日追記その1)
【これがグローバル・スタンダード感覚だ】
パウエル長官が元人質を讃えた発言は有名だが、もともと彼らは長官にとっては反米的な好ましからざる人物達である。そんな彼らに対してどうしてこのように言ったのかというと、そういう発言をすることが世論に受けることであり、政治的マナーにかなっているからである。それが世界の標準的な感覚なのだ。
TBSのサイトでは「『救出費用請求』欧米では驚きの声」と題し、日本の空気を知った海外のジャーナリストが一様に驚く様を伝え、次のようなインタビュー発言を載せている。
「日本政府にとっては、自己責任は、『政府が迷惑かけられないように行動してほしい』という意味しかないと思います。実際にお金が問題だと言うなら、それは非常に狭量な考え方だなと思います。要するに、人質を見せしめにしたいという気持ちがあるだろうと思いますが、それは政府としてやるべきことなのか」(ニューズウィーク日本版、ジェームズ・ワグナー副編集長)
「(Q.米政府の役人が同じようなことを言ったとしたら国民の反応は?)、そんなことを言ったら、アメリカ国民から強い反発が出るでしょうね。海外にいる市民の安全を確保するのは政府の仕事です。アメリカでは、当然のごとく政府がやるもんだと思われています。政府の役人がそれに逆行するようなことを言ったら彼らは極めて厳しい批判にさらされるでしょう。私が思うには、何よりもまず議会が黙っていないでしょう」(ライシャワー東アジア研究所、ケント・カルダー所長)まあ私はアメリカみたいに軍隊出して救出するようになってほしいとは思わないが、ともかく、元人質を犯罪人のように責める感覚は向こうにはないということだ。
【人質になった人への敬意表明サイト】
こんな中、東大の教職員が中心になって、イラクで人質になった人への敬意表明サイトが立ち上がりました。
http://www.ac-net.org/honor/
是非、賛同の署名を呼び掛けます。ここに書き込まれたメッセージの中の次のようなたとえ話が気に入っている。勝手にコピー・ペーストするが、お許し願いたい。愛知県の橋本さんという高校教員の方のメッセージ。
−−−−−たとえばこんな例はどうかな−−−−−本当にその通り。
今、真冬の荒れた川に落ちた出稼ぎ外国人の子供がいるとする。川岸には大勢の見物人がいるが、だれも助けようとしない。消防隊員も今は具合が悪いと、待機しているだけである。そして「川が荒れていますので、川岸から退避してください」と繰り返すだけだ。そこに一人の青年が、「僕が助けに行きます」と川に飛び込んだ。ところが、その頃から、川の流れはさらに激しくなってきて、とうとう青年も力つきて溺れてしまった。 これを見て川岸が騒然となった。青年の家族が駆けつけ、「おねがいします。助けて下さい」と絶叫している。消防隊員は分かりましたと言うが大勢でのろのろと岸をパトロールするだけだ。そこで、興奮した家族が「もっとしっかり仕事をしてください」と訴えると、周囲の人たちが、「それは筋違いだ。退避勧告がでていたのに、川に飛び込んだ青年の方が悪い」と怒りだした。
青年はさいわい向こう岸に流れ着き助けられた。そのときのインタビューで、「子供が心配です。私はもう一度川に飛び込んで彼をたすけたいくらいです」と答えた。これを知った群衆が、また騒然となった。無事帰還した青年に対して、「君の軽薄な行動で、私たちはさんざん迷惑をうけた」「捜査費をしっかり払え」などと、さかんに嘲罵を投げ続けた。マスメディアも「退避勧告の出ていた荒れた川に飛び込んだ青年が悪い。本人も家族も自己責任を自覚すべきだ」という論調である。
国会では官房長官が参院本会議での質疑の中で、「本人の配慮が足りなかったことは否定できない。自己責任とは自分の行動が社会や周囲の人にどのような影響があるかをおもんぱかることで、人命救助が是か非かという議論以前の常識にあたることだ」と異例の厳しい言葉遣いで批判した。
さらに「自ら危険な場所へ行って信ずることをやりたいという人を政府が強制的に止めることはできない。しかし、多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、それを勧めたり称賛すべきだろうか」と述べ、青年の行動を支持する小数の人々がいることに遺憾の意を披瀝した。これによって、政府はますます支持率を上げた。青年とその家族や友人は非国民呼ばわりされて傷つき、無口になった。
海外ではこの事件が「不思議な国ニッポン」として報道された。アメリカの国務長官は「青年の行動は立派だ。日本人は彼を誇りに思うべきだろう。危険を冒す人がいなければ社会は進歩しない」とコメントした。 フランスのルモンド紙は、この事件で、日本政府などの間で「自己責任論」が台頭していることを紹介、「日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府や保守系メディアは青年の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている」と批判した。
東京発の記事は、救助された青年が「これからも出来る限り人助けをしたい」と発言したことをきっかけに、「日本政府と保守系メディアの間に無理解と怒号が沸き起こった」と指摘。「この慎みのなさは制裁まで伴っている」とし、「青年の家族に謝罪を要求」した上に、健康診断や帰国費用の負担を求めたと批判した上で、「青年の純真さと無謀さが結果として、死刑制度や難民認定などで国際的に決してよくない日本のイメージを高めた」と評価した。
こうした海外の青年の勇気ある行動にたいする評価とは裏腹に、信じられぬ事だが、日本ではいまだに青年に対する非難が続いている。そして川で溺れた子供については、もうだれも問題にしない。実は、まだたくさんの子供たちが溺れているのだが、もう誰も日本人はその悲劇に目を向けようとしなくなった。
こうして政府やマスコミが流した自己責任論は、他人の痛みに無神経で無責任で怠惰な人々に絶好の自己正当化の機会を与え、この国の人々をさらに無責任で怠惰な群へと導くことになった。
「イラク問題のページ」:公益法人改革オンブズマンのサイトの中にあります。網羅的で必見。
http://www.houjin-ombudsman.org/iraq/main.html
この問題がよく議論されたメーリングリストの記録
http://www1.jca.apc.org/aml/200404/index.shtml
郡山、今井両氏の記者会見全文:一般メディアは一部しか伝えません。
http://www.janjan.jp/government/0404/0404303843/2.php
上記敬意表明サイトで、元人質の人たちに政府が請求しているお金をまかなうための募金を行っています。
http://ac-net.org/honor/doc/yobikake2.html
ところで上記メーリングリスト記録で見つけた(池見隆さんという方の投稿)のですが、小泉首相自身が外交官殺害事件直後、メルマガでイラク復興支援について、次のように言っているそうです。
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2003/1204.html
「自衛隊であれ、政府職員であれ、民間人であれ、活躍できる分野があれば国際社会の責任ある一員として役割を果たしていくという基本方針にかわりありません。」
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04年4月9日エッセー イラク問題二題:高校生からの質問と邦人拘束事件