松尾匡のページ

 07年10月29日 最低賃金引き上げは悪くない


 おととい昨日は、久しぶりに何も用事のない週末でした。ソファーに寝転がって学術論文を読むなどという至福の時間がすごせた。何だか罪悪感。
 昨日論文読んだ後は、東大の松井彰彦先生のファンタジー小説『向こう岸の市場(アゴラ)』(勁草書房)を読みはじめたら、あまりのおもしろさに没頭し、一気に読み切ってしまいました。お勧めですよこれ。たぶんリフレ派のオタク達にとっては萌えどころ満載であろう(他人事)。
 ヘロドトスやらペリクレスやらが出てくる古代ギリシャが舞台の、少年少女のビルドゥングスロマーンで、ギリシャ神話の神様達も出てきます。しかし、松井先生が書かれた本ですから、もちろん本当は経済学が主題なのです。
 表向き、アテネと現代のアメリカの類比ばかりが目につきますが、本当はもっと言いたいことは広いと思います。
 我田引水なのでしょうけど、最近僕が追いかけている「経済学的発想/反経済学的発想」の問題とか、それに対応した「商人道/武士道」の道徳観の違いとか、『市民参加のまちづくり【戦略編】』で僕が問題にした「民主性と開放性のジレンマ」が、本当のテーマだと思いました。アテネとアメリカの類比についても、公権力の及ぶ範囲を超えて市場取り引き圏が広がった時、それ全体を覆う秩序(ノモス)はどうやって形成されるべきかという問題なのだと思います。

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【最低賃金引き上げへの批判論】
 さて、今日論じてみたいのは、経済学者にはとかく評判が悪い「最低賃金引き上げ」政策について。
 評判悪い理由は簡単である。労働の需要曲線右下がりに引いて下さい。右上がりの供給曲線引いて下さい。交わったところが均衡で、その縦軸上の高さが均衡の賃金率です。それが低すぎるからというわけで、均衡より高い所に賃金率をとって水平線を引いたら、その水平線と需要曲線がぶつかるところが労働需要量、供給曲線とぶつかるところが労働供給量になるので、供給の方が需要より多くなる。つまり、働きたい人の数が雇いたい数よりも多くなるので、その差の分失業が生じますよというわけだ。うーむ、わかりやすい。たしかにその通りだろう。

【正社員の雇用が増える】
 でも、こんなことも考えてほしい。
 今格差社会とか言って問題になっていることのひとつの原因は、企業が正社員より非正社員を好んで雇うようになっていることにある。フリーターなどの非正社員で、正社員になりたいと思っている人がたくさんいるんだけど、企業はそんなコストのかかる正社員とかあまり雇いたくない。不況時代に新卒就職できずに非正社員で暮らしてきた人達が、今景気回復下新卒ばかり正社員に雇われている裏で、おいていかれて非正社員のままじりじりと年齢を重ねている。これが今の日本の格差問題で一番深刻に懸念されていることである。
 そもそも人間が正社員向けと非正社員向けにはっきりわかれるものではないのだ。だいたいの場合、同じ人間でも、正社員待遇すれば生産性も上がって比較的高い賃金でもモトがとれるし、非正社員待遇すれば生産性が下がって安い賃金にこそ見合ったものになる。
 企業もみんなそんなことはわかっている。だけれども、IT化などで正社員と非正社員の生産性の差が縮まると、わざわざ高い賃金をかけてまで正社員に仕立てるメリットはなくなる。ちょっとぐらい生産性が下がっても、非正社員のコストですませるままがいいのである。
 ここで、最低賃金率が引き上げられたらどうなるだろうか。
 最低賃金が適用される非正社員の賃金コストと、正社員のコストの差が縮まるのである。そうすると、企業にとっては、正社員を非正社員に替えて生産性を犠牲にするメリットが減る。それくらいならというわけで、非正社員を正社員に置き換える動きが出るだろう。
 なるほど、正社員向けの人と非正社員向けの人が分かれているならば、最低賃金引き上げで、非正社員向けの人の失業が増えてしまうだけだろう。しかし、実際には両者は分かれているのではなく、同じ人間がどちらにもなり得るのである。したがって、非正社員の雇用は減っても、正社員の雇用が増えて、トータルでは減るとは限らない。

【貨幣賃金率が上がれば物価が上がる】
 でも、正社員の雇用が増えて人手が不足してきたら、正社員の賃金も上がり、結局賃金格差は復活するだろうという反論があるかもしれない。
 この効果はあるだろう。すなわち、貨幣賃金率が全般的に上昇するのである。実は、今日本当に論じたいのは、このことのマクロ経済学的な効果である。

 一般にリフレ論は、通貨当局の金融緩和によってインフレにすることを想定する。では本当にそんなことができるのだろうか。流動性のわなの下ではいくらマネタリーベースを増やしても貸し出しにまわらず退蔵されるだけで、貨幣供給は増えないとの批判は有力である。
 でもたとえそうだとしても、リフレ論が主張しているのは、インフレそのものというよりは、人々の期待インフレ率の上昇である。マネタリーベースを増やせばインフレが起こると、人々が信じていればそれで十分である。かなりの将来にわたって湯水のように金融緩和が延々続くならば、いずれインフレにならないわけはないから、人々のこの思い込みには合理的根拠がある。
 まあこれもひとつの筋の通った手だし、実際この通りになって景気が回復した気もする。

 でも、人々の思い込みの操作に依存するという点では、今一つ心もとない方法であることも確かだ。
 ところがここで貨幣賃金率が上昇したらどうなるか。
 流動性のわなを方程式で記述すると、一定の利子率で相対価格の体系が決まり、絶対価格水準が未決定になる。だから貨幣供給量は何にも影響しなくなるのである。ここで貨幣賃金率が失業を反映して低下し続けると、相対価格体系は決まっているのだから、実質賃金率も当然決まっているので、物価水準がそれに合わせて低下し続けることになる。つまりデフレに歯止めがなくなる。
 ところが逆に言えば、貨幣賃金率を引き上げることができたならば、物価も上昇するのである。
 もちろんこのためには、貨幣供給の適切な増大が必要である。貨幣賃金率が上昇すると、なけなしの事業投資資金の必要金額が上がるので、マネタリーベースの適切な拡大がなければ、銀行はその資金需要に応じることができず、利子率が上昇して投資需要を冷え込ませてしまう。適切な金融緩和と組み合わせて貨幣賃金率を上昇させれば、確実にインフレを起こせるのである。

【現実の金融緩和による部門間不均衡】
 そもそもリフレ論が想定しているモデルはマクロ一財モデルだった。貨幣を増やして減価させるというとき、交換相手として貨幣の向こう側に立っている商品はすべて一律に価格が上がるのがモデルの想定である。だから、貨幣賃金率も外貨も(したがって輸入品も)、財と同じ率で価格が上がる。財が一種類しかないから、食べ物も着る物も生産手段も何もかも全部同じ率で価格が上がることになっている。
 つまり、インフレそのものは相対価格を乱さず、部門間の資源配分に関して中立的である想定で話をしているのである。
 しかし金融緩和で本当にインフレになったときは、そうはいかない。増えた貨幣はまず企業にいく。そして、設備投資財への需要になってそれらの財から価格が上昇しはじめる。生産手段の価格が上がってから、それを使って作る消費財の価格に波及する。貨幣賃金率の引き上げはこれら一連の過程に遅れてくるから、それまでの間人々の生活水準は切り下げられることになる。
 このように価格上昇のペースにズレが出るとどうなるか。さしあたり一番価格が上昇する生産手段部門が一番もうかることになるので、資源配分が生産手段部門に偏向して成長することになる。人々の暮らしが経済の目的のはずなのに、消費の拡大は遅れてしまう。

 実際、今回の景気回復は、いざなぎ超えと言われながら、消費はほとんど成長しておらず、小売り売上高は不況期から変わらず低下を続けている。いつ挫折してもおかしくない心もとなさである。
 それなのに、原油価格上昇とそれによる代替燃料用作物への切り替えで、食料品価格がコストプッシュで上昇しはじめており、このままでは人々の生活困難から、ときならぬデフレ待望論が広がりかねない状況にある。
 こういう状況を考えると、金融緩和と組み合わせた最低賃金引き上げ策は悪くない策だと思うがいかがだろうか。
 
 
 

 

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