松尾匡のページ

 04年10月29日 景気回復の直接の原因


 今日は学祭。学生委員をやらされているので待機の当番で朝から研究室に閉じ込められている。ときどき見回りに行く(そして捕まっていろいろ買わされる)のと、昼に留学生弁論大会の審査員をやらされているの以外は、授業も会議も(家事も)ないので、やっとほったらかしていた更新ができる。このエッセーも二ヶ月近くぶり。待っている読者などまずいないとは思うが、ともかく「お待たせしました」。

 さて、財務省の広報誌の『ファイナンス』という月刊誌がある。この大学の図書館ではずいぶん前から入れていないし、財務省にこの上まだカネを払って買う気もしない(ごめんなさいっ!)ので、ウェブで見るのだが、最新号の記事はダウンロードできない仕組みである。9月号の記事が昨日あたりにダウンロード可能になった。

 その9月号で高橋洋一さんが書いている「ある日曜エコノミストの独り言」という論考が、最近の景気回復の直接原因についての私の見立てとほとんど同じだったので、意を強くした。ちなみに「日曜エコノミスト」というのは、お役人が日曜日に余技で経済学の研究をしていることを指しているらしいのだが、私の場合は学祭にやっと研究する暇ができる「学祭エコノミスト」である。なんかこんな言い方をしたらあちこちの学祭に講演に呼ばれているみたいな誤解をあたえるか? まあ、今どき経済学者を講演に呼ぶような企画をたてる学祭などないのは周知のことだから心配ないだろう。
 まあどっちにしろ「エコノミスト」などと言った時点でもともとイメージ悪い。「電車男」なら純愛だが「電車エコノミスト」では怪し気である。

 それはともかくダウンロード先はこちら。pdfである。本題は4ページ目からはじまる「リフレ的理解による景気回復と出口論」から。
 大事なのはグラフになっているデータ。ここに載せるのは著作権問題が心配なので遠慮しますが、授業では以後使わせてもらおう。
 
 まず企業物価の前年比が02年あたりは2%を超えるデフレが続いていたのだが、今年2月以降はプラスに転じて上昇を続け、7月には1.5%を超えている。
 それから、今年3月から発行が始まった物価連動国債の利回りと普通の国債の利回りの差で観察される、市場の予想インフレ率は、3月の発行開始時点で0.5%ほどから始まって上昇を続け、今1.1%くらいになっている。物価連動国債が発行された時点で、日経が予想インフレ率がプラスになっていることを報道していたので注目していたのだが、それがもうこんなに高まっているとは今回この記事を読んではじめて知った。

 景気回復にとって重要なのは予想インフレ率である。名目利子率から予想インフレ率を引いたのが実質利子率なのだが、この実質利子率が高いと設備投資も消費も起こってこない。企業は高い収益の見込めるプロジェクトも乏しく製品の売り値も下がる中では、家計は将来の所得増が見込めないなかでは、大きい買い物をしても、かかった資金の利子を払うのが将来たいへんになるからである。02年ごろまではたしかに名目利子率は低くなっていたけど、2.5%を超えるデフレ率を加えると、企業にとっての実質利子率はバブル景気真っ盛りとほとんど変わらなかった。バブル時代は高収益の事業機会がごろごろころがっていたけど、平成不況のもとではそんな利子率に耐えられるはずがない。設備投資も消費も起こらずひどい不況が続いたのは当然である。
 それが今、予想インフレ率がプラスに転じて上昇し続けているのである。つまり、実質利子率が低下している。物価連動国債の利回りで見れば、実質利子率は今0.5%余というホントの低金利である。物価連動国債が発行されたのはこの3月だから、データとしてはそれ以降のものしかないのだが、実質利子率の低下はもう少し前からすでに始まっていて、それが設備投資の増加をもたらし、景気回復につながったものと思われる。

 私自身は、以前書いたエッセーにあるように、貨幣供給によってインフレ率を操作するよりは、現在の消費税停止、将来の消費税増税によって課税後物価のインフレをつくり出すことを主張していた。しかし現実に起こったことは、素朴な調整インフレ論の主張そのものだったと言える。
 すなわち、01年3月から一貫して続いている日銀の量的緩和、とくに昨年3月に福井総裁が就任して以降のかつてない急ピッチでの金融緩和と、昨年の30兆円を超える円売り介入が功を奏したのである。高橋氏の論考では、この金融緩和による貨幣供給量の増大を追い掛けて、企業物価上昇率が高まっていったことが示されている。この企業物価上昇率の高まりが将来のインフレ予想をつくり出すと同時に、そのもとでも金融緩和政策が続いていることがこの政策の持続への信頼をもたらし、市場のインフレ予想をさらに確実なものにしているのであろう。

 私は、最近の原油価格高騰も予想インフレ率上昇に一役買っているかなと思っている。昔の伝統的ケインジアンにとってのインフレ政策というのは、物価水準を上げることによる、企業のための実質コスト削減政策だった。この意味からすれば、いくら物価が上がるといっても、原油価格を上げたり賃金を上げたりして物価を上げるのでは、企業のコストは全然下がらないのだから、何も意味がない愚策だということになる。マクロ経済学を少し学んだ人向けに言えば、総需要曲線の右シフトによる物価上昇には生産水準上昇が伴うが、総供給曲線の左シフトによる物価上昇には生産水準低下が伴ってしまうということである。
 しかし、今問題にしているインフレ政策は、実質利子率を低下させる政策である。伝統的ケインジアンのインフレ政策とは意味が違う。だから、伝統的ケインジアンの枠組みでは総供給曲線の左シフトで生産が減ってしまうような原油価格上昇も、それが将来物価上昇の予想をつくり出して実質利子率を引き下げるならば、景気回復の要因となり得るということになる。つまり、将来原油価格が上がって物価が上がるならば、まだ物価が安い今のうちに買うべきものは買っておこうというわけである。

 実は、稲葉振一郎氏が『経済学という教養』(ここで紹介)の最後の部分で、不況脱出に労組も役割を果たせるということで、賃上げによる景気回復ということを書いておられるのは同様の意味である。この記述はどうも評判が悪いみたいなのだが、伝統的インフレ論の枠組みで総需要曲線と総供給曲線を混同した謬見とは関係がないし、もっと昔からある賃金所得による消費拡大論の謬見とも関係がない。賃上げによる物価上昇予想が実質利子率を低下させるという意味である。
 これを読んで思い出したのだが、私が最初にクルーグマンの調整インフレ論を読んだ時、まず最初にイメージしたのが、韓国の経済危機のあとの大幅賃金カットだった。世の中の誰も、この低下した賃金水準で永遠に続くと思っていた者はなかっただろう。危機を乗り切ったならば、やがてすぐさま労働組合の戦闘性が復活し、激しい賃上げが起こるに違いないとみんな予想したはずだ。そうするとせっかく下がった物価も必ず大幅に上がる。
 だとしたら今のうちに設備投資をしておこうという判断が出てきてもおかしくない。当時の韓国経済の急速な回復には、このへんも効いているのではないかと私は思っている。
 
 

P.S.8月27日のエッセーで書いた「久留米藩大一揆」リーダー達の第2次処刑は10月27日だった。結局250周年記念行事については何も聞かなかった。何かやったのかな。
 


 
 

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