用語解説:ケインズの経済理論
【ケインズと時代背景】
ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)はイギリスの経済学者。1929年の世界大恐慌から始まる30年代「大不況」のさなかの1936年に、主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』(通称『一般理論』)を発表し、それまでの主流派経済学であった新古典派経済学をつくがえす新しい経済理論を打ち出した。
30年代大不況では、失業率がアメリカで25パーセント、ドイツで40パーセントを記録するなど、先進工業国全体が長期にわたる深刻な不況に見舞われた。従来の新古典派経済学の常識では、民間人の自由な競争に任せれば市場メカニズムが働いて自動的に均衡がもたらされるはずであった。失業者がたくさん出たならば、失業者達も今雇われている労働者達もみな雇用のために競争して安い賃金を受け入れるので、賃金が下がっていき、企業は前よりもうかるようになって雇用を増やすので、やがて失業は解消されるはずであった。
ところが実際には「大不況」の中でいつまでたっても失業はなくならなかったのである。
そんな中でケインズは、市場に任せたままでは財やサービスの全般的な需要不足が起こり、失業者が大量に出たまま経済が落ち着いてしまうと言いだした。財やサービスの全般的な需要の水準によって、経済全体の生産水準が決まり、経済全体の雇用水準も決まると言うわけだ。これを「有効需要の原理」と言う。だからこれによれば、政府が公共事業などの政策をとって財やサービスへの需要を増やしてやれば、雇用も増えて失業はなくなっていくということになる。
それまでの新古典派経済学によれば市場は民間人の自由に任せておくべきで、政府が手出ししてはならないということになっていた。それに対してケインズはこのように政府による経済への積極的介入政策を提唱したわけだから、これは従来の経済学上の常識からの大きな転換であった。
【ケインズ理論の間違った解釈】
ケインズは第2次大戦後間もなく死去したが、彼のこの考え方はたちまち世界中に広がり、「ケインジアン」と呼ばれるその信奉者達によって現実の政策に影響を与えていくようになる。すなわち、民間の自由に任せる「小さな政府」ではなくて、不況になったら不況対策を取る「大きな政府」があたりまえのことになったのである。
ところが実は彼らケインジアンのケインズ解釈は決定的に間違っていた。
彼らの誤解によれば、有効需要不足で失業がなくならずに経済が落ち着いてしまうのは、価格がスムーズに動かないから、とりわけて賃金がスムーズに下がらないから(「貨幣賃金率の下方硬直性」)というのが原因だと言うのである。需要不足でも価格が下がれば、安くなったなら買おうと需要は増えてくるだろうし、失業が出ていても賃金が下がれば、企業は雇用を増やすだろう。価格や賃金が下がらないから悪いと言うわけだ。
ケインジアン達は、価格や賃金は下がらないものだと受け入れて、政府支出の増加や貨幣供給の増加で有効需要を増やして失業を無くす政策を推進したのである。
ところが彼らのこの前提からくる政策が失敗してしまったのが、1970年代のスタグフレーション(不況下のインフレ)であった。普通は好況のときにインフレ(物価上昇)になり、不況のときにはデフレ(物価下落)になる。ところがこのころは、不況なのにインフレになるという奇妙な現象に見舞われたのである。すると、不況で失業者が増えたからと言って有効需要拡大政策をとっても、ちっとも失業は減らず、インフレが悪化するばかりになってしまった。
こうしてケインジアン達の信用は失墜し、新古典派の流れをくむ、マネタリスト、サプライ・サイド・エコノミスト、合理的期待形成学派といった反ケインズ派の理論が力を持った。彼らは、政府は経済のことから手を引き、市場メカニズムに任せるべきだとして、再び「小さな政府」を主張した。そして現実の経済政策も、1980年代以降、規制緩和、民営化、財政削減といった反ケインズ的路線が世界中で進められていったのである。これを「新自由主義」路線と言う。
【ケインズ理論の本当の本質は流動性選好】
しかし、賃金がスムーズに下がらないから失業が起きるなどという解釈は、ケインズ以前の新古典派が30年代大不況を見て言っていた説明とまるっきり同じである。新古典派は、だから賃金引き下げに抵抗する労働組合を攻撃して賃金がスムーズに下がるようにしろと主張していたのである。まさにこの通りのことを80年代以降の新古典派式の政策もやったわけだ。
ケインズはこのような説明を批判して自己の学説を打ち出したはずではないのか。
ケインズが本当に言っていたことは、価格や名目賃金がどんなにスムーズに下がっても失業はなくならない、いやその方が事態はむしろますます悪化するということである。なぜなら、有効需要が不足して物が売れないのである。もし名目賃金が下がってコスト面で余裕ができたならば、企業はどうするだろうか。自分のところだけは製品が売れるように売り値を下げるだろう。ところがライバルもみんな同じことを考えて売り値を下げるから、結局市場価格の水準が下がるだけで売れる量はちっとも変わらない。名目賃金がスムーズに下がっても売り値が同じ分スムーズに下がるのだからもうからないことは依然と同じである。雇用は増えはしない。失業も減らない。
こんなことを聞くと新古典派ならこのように答えるだろう。モノが売れ残ったり失業が出たりするのは、人々が収入を使い切らずに貨幣で残している結果なのだから、それを他人に貸して利子を稼ごうとするだろう。すると、おカネを貸そうとする量が借りたいという量より多くなるので、利子率が下がるはずである。利子率が下がれば、企業の設備投資はじめ、おカネを借りてモノを買おうという動きが起こってくる。しかも、物価が十分下がれば、設備投資はじめおカネを借りて買う買い物にかかる額が少なくなるので、ますますおカネを貸そうとする額がおカネを借りようとする額に比べて大きくなる。だから利子率の下がり方はすごいものになるだろう。かくして設備投資などでモノへの需要がどんどん起こってきて、需要不足は解消される。失業もなくなる。
ところがケインズはそうはならないと言ったのである。ここがケインズ理論の本当のキーポイントである。
新古典派は、人々が貨幣を欲しがるのは何か買うためであって、買うものがなければ利子を稼ぐために他人に貸すと考えていた。しかしケインズはそうではなくて、人々は何も買うものがなくてもとりあえず手もとに貨幣を持ちたいと欲するものだとみなした。これを「流動性選好」と言う。
もしそうだとするとどうなるか。人々が収入を使い切らず貨幣で残したとしても、その全部を他人に貸そうとはしない。一部は貨幣のまま手もとに置いておこうとする。そうすると利子率は十分には下がらない。最初はおカネを貸そうという額が借りようとする額より大きくて利子率が下がっていっても、ある程度まで下がったならば、こんなに利子率が低いのなら他人に貸すなんて危ないことはもうやめて、みんな貨幣で持ってしまおうとする。だとすると利子率はもう下がらなくなる。物価が下がって浮いた分も、使わず貸さずにそのまま貨幣で持つ。
こうなるともうそれ以上設備投資が起こってくることはない。需要拡大は頭打ちになり、大量の失業者を残したままでも経済は落ち着いてしまう。ケインズは1930年代当時の状況をこのようにとらえ、この状況を「流動性のわな」と呼んだ。(ケインズ自身の表現に従えば「絶対的流動性選好」である。「私はその例を知らない」としつつ、1932年のアメリカの例をあげている。『一般理論』第15章p.207。──07年1月17日補足)
【現代のケインズ理論の登場】
このようなケインズ理論の正しい解釈は特に、1930年代大不況同様の長期にわたる不況に苦しむ1990年代の日本で台頭してきた。この現代のケインズ理論は、方法論的には、現代の新古典派達がケインジアンを批判して打ち出した枠組みを基本的にすべて丸のみして受け入れている。新古典派達は、価格や名目賃金がスムーズに動くとみなしたり、家計や企業は現在から将来までの自分の利益を合理的に計算して行動するとみなしたり、財や資産の市場が均衡するとみなしたり、将来起こることを平均的に予見できるとみなしたりして理論を作り上げてきた。旧来のケインジアンは、これらの仮定こそが、民間の自由に任せれば市場調整がスムーズに働いて失業もなく調和するとする資本主義弁護論の土台になっているとみなした。だからこそ彼らは、企業も家計も合理的でなく、市場もぎくしゃくした状況を前提して理論を組み立て、その結果経済が不安定で失業が生じる結論を出して、これこそが現実の資本主義の姿なのだと言っていたのだ。
ところが大量失業が出てしまう最も重大なポイントは、そんなところにはなかったのだ。
価格や名目賃金がスムーズに動くとみなしたり、家計や企業は現在から将来までの自分の利益を合理的に計算して行動するとみなしたり、財や資産の市場が均衡するとみなしたり、将来起こることを平均的に予見できるとみなしたりして理論を作っても、人々が何も買いたいものがなくてもとりあえず貨幣を欲しがるというただそのことを前提するだけで、経済は大量の失業を出して流動性のわなに落ち込んでいくことが説明できるのである。
とりわけて現代のケインズ理論が問題にするのがデフレの深刻な影響である。
新古典派なら、上記の「流動性のわな」論を批判してこのように言うだろう。不況で需要不足で大量失業が出て、しかも名目利子率がもう下がらなくなっても大丈夫。この結果、名目賃金や物価がドーンと下がったら、あんまり下がると人々は、いくらなんでもここまで下がれば将来は少しは元に戻るだろうと予想するはずである。ということは、将来物価が今より上がるのだから、安い今のうちに買っておいた方がトクだということになる。かくして消費や設備投資が起こってきて、需要不足は解消され、失業もなくなっていく。すると、需要が増えたのだから本当に予想通り物価が戻ったということになる。
つまり、実質利子率が下がって調整されるというわけである。
ところが現代のケインズ理論から言わせれば、人々の予想のたて方いかんでは次のようなストーリーもあり得る。つまり、不況で物価が下がったら、この調子で将来はもっと下がるだろうと予想する場合である。こうなったら調整は逆に働いてしまう。将来もっと安くなるのだから今は買うのをやめておこうというわけだ。借金なんかしたら将来返すのが大変になるのでなるべくしない。むしろため込んだ方がトクである。貨幣で持ったままでも将来今よりたくさんモノが買えるのだから、わざわざ他人におカネを貸すなんて危ないことをすることもない。
というわけで、ますます需要は落ち込んで、不況は悪化する。需要が減ったのだから本当に予想通り物価が下がる。つまり、デフレのせいで実質利子率が高止まりして、「流動性のわな」がひどくなるというわけだ。
これは、企業や家計が不合理だからもたらされているわけでもなければ、市場が不完全でぎくしゃくしているせいでもたらされているわけでもない。市場の需給にあわせて価格も名目賃金もスムーズに変動し、人々は将来にわたって自分の利益を合理的に計算し、しかも将来予想をぴったり当てている。にもかかわらず経済はとめどなく大不況に突入していくのである。
【現代のケインズ理論の唱える政策】
ケインズ自身ともケインジアンとも異なり、現代のケインズ理論の結論によれば、政府支出を増やすことによる景気対策の効果はあまりないということになっている。なぜなら政府支出の増加で増えた人々の所得は、流動性のわなのもとではすべて貨幣のまま持たれてしまうので、消費需要の増加として広がっていくことはないからである。金融政策についても、金融引き締めなどして貨幣供給を減らせばますます不況が悪化するという意味では影響があるが、逆に金融緩和で貨幣供給を増やしても、全部人々がそのまま持ってしまい世の中に出回らないので何の効果もない。つまり旧来のケインジアン以上に深刻な不況の存在を説きながら、新古典派をもしのぐ政策無効命題を導きだしているのである。
ではどうすればいいのか。
現代のケインズ理論の論者がよく唱えているのが、有名なクルーグマンの提唱した「調整インフレ論」である。「インフレターゲット論」というのは、今日の日本の状況におけるこの穏当な呼び名である。これは、中央銀行が何パーセントのインフレを必ず実現するぞと宣言して、それまで金融緩和を続けるというものである。人々にインフレが起こることを確信させることができれば、今安いうちに買った方がトクだということになり、需要が起こってくる。
これを貨幣供給量のコントロールでやることには、はたしてうまくコントロールできるのかという反対も多い。運転を間違えてとんでもないハイパーインフレになったらどうするのかというわけである。
そこで山形浩生やフェルドシュタインは消費税を使う方法を提唱している。実は私も彼らに先立ってそれを唱えていた。私の場合は彼らと異なり最初数年は消費税無税くらいにまで減税することを主張している。そして数年後に必ず今よりも高い税率に上げることを確約するのである。この場合にも、今のうちに買った方がトクだということで、需要が起こってくる。
稲葉振一郎はドーアの議論を紹介して、賃上げを手段に使う方法を提唱している。将来にわたって必ず賃上げが持続すると予想されれば、それは物価水準も上昇するということだから、調整インフレ論と同じ効果が期待される(ただし私は、貨幣供給の同率での増大がないといけないと思う)。この議論を読んだ時思い出したのだが、私が最初にクルーグマンの調整インフレ論を知った時、韓国の経済危機の際の大幅賃金カットが思い浮かんだものだった。あの時このまま切り下げられた水準で賃金が維持されると思っていた者は一人としていなかっただろう。必ず数年後には組合の戦闘性が復活して賃上げがなされると、みなが確信していたはずだ。ということは物価水準も上がることが予想されたわけで、もしかしたらそれが急回復の要因だったかもしれない。
その他、現代のケインズ理論からは、なるべく貨幣で持つことをソンにして支出させる政策が導きだされる。例えば全般的な資産課税で税引後利子率をマイナスにしてしまうなどである。現金は新札切り替えで旧札を無効にし、交換手数料を取ればいい。切り替え期間後には政府が旧札の「本物のニセ札」を大量に印刷して駅前に置いてバラまいて無価値なものにしてしまうのがいい。
【マルクスとケインズ理論】
マルクスは、本質はそれと矛盾する諸形態を通じて長期平均的に貫くとする見方をとっているが、資本主義経済に関して言えば、階級関係を再生産させる長期均衡軌道がこの「本質」に当たり、日々の動揺する不均衡な軌道が本質と矛盾する「形態」に当たる。マルクスが『資本論』の大部分を通じて整合的に展開している理論体系は、価値通りの交換や均等利潤率体系、再生産表式などに見られるセイ法則体系であり、ケインズ理論とは正反対の供給が需要を決める均衡モデルである。
しかしもちろんマルクスはこの体系がナマで現実に現れると思っていたわけではなく、それと矛盾する不均衡な形態を通じて長期平均的に実現するものとみなしていたのである。そもそも有効需要原理もその本質的原因が貨幣蓄蔵欲求にあることも、ケインズが初めて言ったわけではなく、マルクスが古典派批判として何度も強調していたことなのである。しかし、マルクスはこれを体系的理論として整合的に展開することはできなかった。まず、資本主義経済の階級的本質についての分析を、長期均衡理論として完結させることが先決だったからである。現実の景気循環の各局面を競争論的に展開することは、後世に残された課題なのである。
ケインズ理論は、マルクスの経済学批判体系全体の中ではこの不均衡論を扱う理論、とりわけて不況局面を扱う理論だとみなすことができる。
サイト内リンク
研究内容3「経済理論の長期理論と短期理論の確定とその景気循環論を媒介とした総合」
04年10月29日エッセー「景気回復の直接の原因」
08年4月12日エッセー 政治家より前任校の学生の方が賢いかも
08年9月23日エッセー 大瀧雅之先生の昔のモデルがリフレ論的だった件とか小野善康先生の新しい論文の件とか
09年8月3日エッセー 初めてのデフレ問題講演
09年9月22日エッセー 『脱貧困の経済学』と最低賃金問題と置塩モデル
10年7月19日エッセー 「粘着価格」という自己規定は正しいか
10年8月20日エッセー 小野善康さんからお電話をいただいた件ほか
10年8月30日エッセー 小野先生のワルラス法則論がここまでわかった
10年9月14日エッセー 小野善康先生との電話話の件二件を考えてみた
推薦図書
拙著『不況は人災です──みんなで元気になる経済学・入門』筑摩書房、本体1600円 著書のページ
拙著『標準マクロ経済学――ミクロ的基礎・伸縮価格・市場均衡論で学ぶ』中央経済社、本体2900円 著書のページ
三土修平、大西広編『経済学(新しい教養のすすめ)』 昭和堂、本体1800円 著書のページ
第4章「ケインズの経済学」を私が担当しています。
小野善康『貨幣経済の動学理論──ケインズの復権』東京大学出版会、本体3200円 amazon bk1 Yahoo!
現代のケインズ理論を打ち立てた先駆的業績。
ちなみに小野モデルの帰結は流動性のわな下では政府支出の波及効果は無くなるというもののはずなのに、なぜ小野先生は財政出動論を唱えていらっしゃるのだろうと思っていたら、たとえ乗数1でしかなくてもその分雇用が増えるならばやった方がましということらしい。なるほど。
稲葉振一郎『経済学という教養』東洋経済新報社、本体2000円 amazon bk1 Yahoo!
現代のケインズ理論を実にわかりやすく説明しています。著者は経済学が専門ではないのに、経済理論に関して言っていることは極めて正確です。本来こういう仕事はプロの経済学者がやっておくべきことではなかったのかと反省。
田中秀臣、野口旭、若田部昌澄『エコノミスト・ミシュラン』太田出版、本体1480円 amazon bk1 Yahoo!
本人は自覚しないかもしれないが、著者達は極めてまっとうな現代のケインズ理論の立場にあると思う。その立場からエコノミスト達のトンデモ論の数々をなで切りにする。言いたかったことを言ってくれて痛快。
河野良太『ケインズ経済学研究』ミネルヴァ書房、6311円 amazon bk1 Yahoo!
流動性のわなの現代的解釈について歴史的に最も早い業績だと思います。
勝手にリンク
クルーグマン「日本がはまった罠」山形浩生訳
山形浩生氏のサイトより。調整インフレ論を最初に唱えた論文です。このサイトにはクルーグマンの関連論文の訳もあります。