松尾匡のページ
研究内容3:
経済理論の長期理論と短期理論の確定とその景気循環論を媒介とした総合
1.経済理論の長期理論と短期理論
2.価値論・搾取論についての若干の貢献
3.ベーム・バベルクの資本理論の循環的投入構造への一般化
4.資本制経済の長期持続条件
5.長期均衡軌道の確定
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問題:マルクスの経済理論体系は均斉的な保証成長と均等利潤率が成り立つ長期均衡体系であることがわかったが、これは不均衡な現実の中にどのように位置付けられるのであろうか。これまで「短期的な動揺を貫く長期平均」といった言い方がなされてきたが、厳密ではない。単に、各統計量を一回の景気循環全体で単純平均すればよいというものではない。長期体系とは、『資本論』第3巻の平均利潤率が観念化される叙述に見られるように、資本家が集団的に長期期待している状態でもある。資本家の最適計画における、時間が十分たった後の恒常状態が長期均衡体系に対応しているのである。それと、分析者が現実の中に設定する長期均衡軌道とが、どう関係しているのだろうか。
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現代の主流派経済学の解決:現代の主流派経済学は、この問題を解決するのに、経済主体の完全予見または合理的期待を仮定している。そうすると、経済主体の頭の中に流れる計画上の時間と、現実の時間が同一のものになるので、現実の各瞬間に成り立つ短期体系は、時間がたつにつれて、長期体系にスムーズに収束していくことになる。この場合、長期体系は現実の収束先であると同時に経済主体の長期期待でもある。しかし、これはマルクスの考えではないし、私の考えでもない。セイ法則の成り立たない現実の短期体系では、不均衡が累積しうるので、資本家の頭の中の計画時間と現実の時間とは一致しない。現在の諸価格などが長期期待値に収束すると予想して最適計画をたてて、それに基づいて設備投資などの行動をしたところが、その社会的合成結果が当初の予想を裏切る諸価格などをもたらし、結局諸価格の運動の予想を変えて最適計画を解き直さなければならなくなる。それゆえ現実は長期期待に収束するどころか、毎期予想を裏切って乖離を続けるかもしれないのである。
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長期期待の合理性=ナッシュ均衡:よって結局問題になるのは、資本家の集団的な長期期待がどのように形成されるのか、そしてそのような長期期待がどういう意味で現実の中で合理性を持つのかということである。これが何らかの意味で合理的ならば、分析者がそれをもって長期均衡として扱うことも許されることになる(そもそもこれが全く不合理なものだったならば、競争の中で資本が存続することはできないだろう)。もちろんそれが現実とぴったり符合するという意味ではないが。
以下は私の全く直観的な見通しである。
不確実性のもとでの従来の最適決定理論によれば、唯一の最適パスが将来にわたって定まることになるが、本当は最適パスそのものが確率的に決まるのではないか。特にゲーム論的状況があればそうなるが、仮にそうでない単なる最適決定でも、一種の将来の自分とのゲームのようなものを解いている気がする。これは、期待効用最大化や時間選好の公理を再検討しなければならない問題である。仮にこの私の直感が正しいとすると、投資計画が確率的に決定されることになり、みながそうであることを知っているならば、資本家にとって将来の予測は原理的につかないことになる。つまり、他者のふるまいがわからないならば「期待値」という概念そのものが成り立たなくなって、「合理的期待」は原理的にありえないことになる。
ところがそこに他の資本家の長期期待がわかっているならば、非力な原子的個人である資本家にとっては、自分もその長期期待を共有して最適計画をたてることが「合理的」になる。ここに長期期待がひとつのナッシュ均衡として維持されることになる。このナッシュ均衡は様々ありうる中で歴史に依存して決まるのだが、外的条件だけからでは将来の状態がある範囲内では原理的に予測不可能となる以上、その中ではどのナッシュ均衡がとられたとしても許されるのである。こうして維持される資本家階級の集団的な長期期待において成り立つ体系が、均等利潤率・保証成長の長期均衡体系なのである。(つまり「長期期待」は資本家諸個人から疎外された観念なのである。→「研究内容1」)
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長期期待の相対的安定性:長期期待が集団的「横にらみ」の結果形成されているものである以上、それは資本家にとっての外的環境の変動に対して、相対的に安定となる。例えば、均等利潤率が4%というのが長期期待になっていたならば、好景気のときに自己の利潤率が7%、10%と切り上がっていっても、不況のときに2%、1%と下がっていっても、他者が4%の長期期待を続けると互いに考えている限り、自分も4%の長期期待を続けるのが「合理的」となり、やがてはこの景況は逆転するはずだと予想するだろう。そして実際に後から景気循環を平均してみたら、例えば3%といった数値が観察されるかもしれないが、それくらいのずれには影響されることなく、4%の長期期待が維持されるだろう。このような「ゆらぎ」があるため、現実の短期の体系は、様々な不均衡を起こして長期均衡体系から乖離できるのである。そして、ある時は好況、別の時は恐慌、不況と、不均衡が累積していくのだが、長期期待が安定的であるというまさにそのために、どこかでその乖離は逆転され、長期期待が長期平均としておおむね自己実現することになるのである。(「本質と形態の弁証法」→「研究内容1」)
以上の見通しを厳密化するためには、心理学や協同現象の数理の成果を取り入れて、従来の理論を根本的に検討し直した期待形成理論、最適決定理論(特に投資決定理論)、景気循環理論を構築する必要がある。
6.自然成長率=保証成長率の実現
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問題:均等利潤率・保証成長の体系は資本家階級の共同主観的な長期期待の上で成り立つ体系であったが、彼らは労働者階級の判断に属する情報、すなわち労働人口の成長や各種人的資本の形成についての情報を、十分に持てるわけではない。個々の資本家が他に抜け駆けして開発する技術革新についての情報も、当然ながら資本家階級全体に共有されているわけではない。労働人口成長率と、革新的技術進歩による労働生産性上昇率との和として表される「自然成長率」は、資本家階級の共同観念として疎外され得ない、このような個々の労働者や資本家の具体的事情に基づく成長率である。
そうすると、上述の通り、資本制経済の長期持続条件は、資本家階級の共同主観に基づく保証成長率が、自然成長率に長期傾向的に一致することであるが、この一致はさしあたり保証されないということになる。しかし、両成長率の乖離が続くならば、資本制経済の長期持続は成り立たなくなってしまう。いったい資本制経済はこの両成長率の乖離をどのようなメカニズムで是正しているのだろうか。
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ハロッドの長期不安定性論:この問題は、周知のハロッドの長期不安定性論で問題とされたものである。そもそも短期のハロッドの不安定性論では、現実成長率が保証成長率よりも高いならばますますそれが高くなる上方発散がおこり、現実成長率が保証成長率よりも低くなるとますますそれが低下していく下方発散がおこるとされている。すると、長期的に自然成長率と保証成長率が乖離すると次のようなことがおこる。自然成長率とは完全雇用天井の成長率にほかならない。自然成長率が保証成長率よりも高いならば、現実成長率が保証成長率を上回って上方発散しても、完全雇用天井が保証成長率よりも高い率で成長するのでその妨げにならない。それゆえ好況が持続し、景況は過熱傾向になる。逆に、保証成長率が自然成長率よりも高いならば、現実成長率が保証成長率を上回って上方発散しても、やがて完全雇用天井に達すれば保証成長率よりも低い成長率になるので、すぐに下方への発散に転じてしまう。よって好況は持続せず、景況は停滞基調になる。
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ハロッド不安定性論と技術の可変性:このような不安定性論に対する教科書的な批判は、ハロッドは固定技術を想定しているのであって、技術が可変的ならばこうはならないとするものである。
これが、短期不安定性のことを指して言っていることならば、全く的外れな批判である。ここでは、資本家が、所与の資本設備のもとで利潤を最大化するように、そこに結合する労働を調整することが想定されている。こうやって決まる資本係数がいわゆる「現実資本係数」である。資本設備に結合する労働の比率が一方的に変化することで、現実資本係数が「正常資本係数」からどんどんと乖離していくのである。だから、ハロッドの短期不安定性理論は、資本と労働の結合比率が可変的な生産関数にもとづく利潤最大化を前提しているのである。
それに対して長期不安定性論の場合には、正常資本係数の固定性を前提していることは間違いない。しかしハロッド自身も利子率によって正常資本係数が変化することは認めていたのである。正常資本係数もやはり利潤率を最大化するように技術選択されて決まるはずだ。たしかにこれを考慮に入れるならば、保証成長率の自然成長率からの乖離が是正されるルートがあり得ることになる。
ただしここで注意しなければならないことがある。現実資本係数を決めるのは、所与の資本設備を前提してそこにつぎこむ労働を変化させることによる。稼働率決定と言えよう。それに対して正常資本係数を決めるのは、まだ据え付けられる前の資本設備と労働との正常な結合比率を、机上で変化させることによる。正常な技術選択の決定である。前者は短期的な目前の状況に適応してただちに実現されるが、後者はそうではない。将来その資本設備がガタがきて使えなくなるまでの長期的な見込みに基づいて決めなければならない。すなわち、くだんの資本家階級の共同主観たる長期期待に基づいて決まるのである。したがって、現実資本係数の変化は早いが、正常資本係数は簡単には変動しない。だから技術選択を考慮に入れたからといって、不安定性の発生がただちに理論上否定されるわけではない。
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新古典派成長論の説明のおかしさ:さてこの調整がどのようになされるかという問題に対する新古典派成長論の側からの答は、ハロッドの長期不安定性論に対する教科書的批判として周知の通りである。自然成長率が保証成長率よりも高いならば失業が生じて実質賃金率が下がり、労働使用的な技術代替が生じて資本係数が下がり保証成長率が上昇する。保証成長率が自然成長率よりも高いならば労働不足になって実質賃金率が上がり、労働節約的な技術代替が生じて資本係数が上がり保証成長率が低下する。このようにして両成長率が一致に向かうというのである。
しかし、この説明はハロッドの長期不安定性論への批判にはなっていない。自然成長率が保証成長率よりも高いならば、失業が生じるのではなくて、逆に完全雇用が続く。保証成長率が自然成長率よりも高いならば、労働不足になるのではなくて、逆に不況気味になって失業が増える。だから新古典派成長論者が言うように労働市場の状態によって実質賃金率が変動するならば、調整は逆に働いてしまい、乖離はますます拡大してしまう。
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保証成長率の変化を通じた調整:新古典派が、技術代替によって資本係数が変化して保証成長率が変わることに、調整原理を求めたのは正しい。しかし、この技術代替をもたらす実質賃金率(労働効率あたりの)の変化は、労働市場における貨幣賃金率の変化でもたらされるのではなく、財市場における物価の変化でもたらされるのである。保証成長率が自然成長率よりも低いならば景気は過熱気味でインフレ傾向になる。よって、現実の実質賃金率(労働効率あたりの)を景気循環全体で長期平均した値は、資本家階級の共同主観が長期期待するそれよりも低くなる。このような景気循環が二、三回と続くと、やがて資本家階級の共同主観が現実を反映して切り替わる。長期期待実質賃金率(労働効率あたりの)が低下して、それに基づく正常技術の代替がおこり、正常資本係数が低下する。かくして保証成長率が上昇するのである。保証成長率が自然成長率よりも高いならば、景気は停滞気味でデフレ傾向になり、現実の実質賃金率(労働効率あたりの)を景気循環全体で長期平均した値は、資本家階級の共同主観が長期期待するそれよりも高くなる。このような景気循環が二、三回と続くと、やはり資本家階級の共同主観が現実を反映して切り替わる。こんどは長期期待実質賃金率(労働効率あたりの)が上昇して、それに基づく正常技術の代替がおこり、正常資本係数が上昇する。かくして保証成長率が低下するのである。このようにして保証成長率の自然成長率からの乖離が是正される。
すなわち、「研究内容1」で述べた通り、保証成長体系は個々の具体的現実的事情から自立した疎外観念で、個々の現実成長がそこから逸脱していくのを引っ張り返して逆方向の逸脱によって相殺することで長期傾向的に貫くのであるが、そうした疎外観念自体、もっと長期的には、個々の具体的感性的事情の総体である自然成長を反映するように切り替えられるのである。
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自然成長率の変化を通じた調整1:他方、調整は自然成長率の変化を通じても行われるだろう。自然成長率を構成する労働生産性の上昇率には、技術的な要因によるものと、階級的な要因によるものとがある。まず前者の変化を通じた調整を説明しよう。自然成長率が保証成長率よりも高くて景況が過熱気味の場合、資本家の技術革新努力は失われ、既存技術の応用ですませるようになる。すると、労働生産性上昇の余地はだんだんと失われていき、自然成長率は低下していく。逆に自然成長率が保証成長率よりも低くて景況が停滞気味の場合、やがて苦境からの脱却のために資本家は根本的な技術革新にかけるようになり、それは新たな労働生産性上昇の余地をもたらして、自然成長率は上昇していく。
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自然成長率の変化を通じた調整2:もうひとつ、階級的な要因による労働生産性上昇の変化を通じた調整も考えられる。自然成長率が保証成長率よりも高くて景況が過熱気味の場合、失業率が低い状態が持続しがちになる。すると、労働者は失職のリスクが下がるので、資本家に対して強気に出ることができるようになる。かくして労働者階級の戦闘性が高まり、労働強化ができなくなり、労働生産性の上昇率が低下していく。かくして自然成長率は低下する。それに対して、自然成長率が保証成長率よりも低くて景況が停滞的な場合には、失業率が高い状態が持続しがちになるので、労働者は失職のリスクが高まって、資本家に対して強気にでることができなくなる。かくして労働者の戦闘性は崩壊し、労働強化が可能になり、労働生産性の上昇率が高まっていく。かくして自然成長率は上昇する。
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両成長率調整過程としての長期波動:私は、このような保証・自然両成長率の調整が、コンドラチェフ長期波動を通じて貫かれているのだと思っている。すなわち、前半成長期は自然成長率が保証成長率よりも高い局面、後半停滞期が保証成長率が自然成長率よりも高い局面だと考えている。この過程を通じて保証成長率が現実の傾向を追いかけて切り替わると共に、労働生産性上昇率の変化を通じて自然成長率が変化する。すなわち、成長が行き着いて低失業状態が持続すると、労働者の戦闘性が高まって労働生産性上昇率は低下しはじめる。それが自然成長率を押し下げて波動を停滞期へと転換させる。これが長期波動の頂点期に起こる、労働反乱や革命の集中を説明する。やがて停滞期が続くと、資本家はそこからの脱却のために根本的技術革新にはげむが、じきにこれが奏功して労働生産性を上昇させ、自然成長率を押し上げて波動を成長期へと転換させる。これが停滞期の最中に起こる根本的技術革新の集中を説明する。→私の主張2
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階級的要因による調整の実証:私は上記調整過程のうち、階級的要因によるものについて、拙稿「失業率、戦闘性、労働生産性――自然成長率・保証成長率ギャップの一調整要因の実証」業績一覧論文No.20で実証を試みた。その結果、自然成長率が保証成長率に比して高いときにはその後の景況は過熱気味になり、保証成長率が自然成長率に比して高いときにはその後の景況は停滞的になること、ハロッド中立的労働生産性上昇率がR&D投資と失業率の増加関数になること、戦闘性の代理変数としてのストライキ日数が失業率の減少関数になることが、第2次大戦後のアメリカのデータを使って有意に示された。
参照:『セイ法則体系――マルクス理論の性格とその現代経済学体系への位置付け』総括と課題、業績一覧著書No.2(著書)
7.短期理論の未解決領域──流動性のわなと技術革新投資
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問題:さて、短期的な動揺の長期平均として長期均衡軌道を確定する上述の課題のためには、景気循環の短期的な個々の局面の説明ができていないといけない。上方発散が挫折して下方への発散に転換する契機としては、他のどんなメカニズムが働かなくても、やがては完全雇用天井が最終的な制約となることがあげられよう。しかし、下方への発散が反転して上方に向かう契機はそれほど明らかではない。置塩は、資本家の個人消費を最終的な底として設定するが、その成長率は当然完全雇用天井の成長率たる自然成長率より低いはずだから、もしその底ではじめて景気が反転するならば、不況は景気循環を経るごとに毎回深化していく。これでは長期持続性が成り立たない。そこにまで至る前に、上方への反転をもたらす契機があるはずである。
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調和をもたらす利子率変動による調整:もし、実質利子率が十分に変動するならば、不況からの回復をもたらす調整は容易になされる。財への需要が減退しているならば、人々は所得を使い切らず手もとに貨幣を残しているはずだから、それが貸しに出されるならば、利子率が低下して、やがて投資需要がおこってくるだろう。財需要が低くて物価が十分に下落しているならば、やがて将来は物価はもとの水準まで戻るだろうと人々は予測するかもしれない。そうすると、実質利子率が下がるということだから、やはり投資需要がおこってくるだろう。
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流動性選好による利子不全:しかし、人々が何も買いたいものがないのに貨幣を欲しがるという流動性選好を考慮に入れると、このような利子を通じた調整はうまく働かないことがわかる。人々が所得を使い切らずに手もとに貨幣が残っても、そのまま貨幣のままためこんでしまって他人に貸そうとしないかもしれないからだ。こうなると利子率は下がらないので投資需要はおこってこない。あるいは不況で物価が下がると、将来はもっと下がると予想するかもしれない。そうすると実質利子率が上がるので、ますます投資は冷え込む。この場合も、人々は何も使うつもりがないのに手もとの実質貨幣をどんどん膨らませていくことになる。特に、この状態が極端になったのが「流動性のわな」である。
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不況の本質としての貨幣愛:小野善康は貨幣効用が不飽和となる効用関数を使って、完全予見一般均衡動学モデルでケインズ的長期不況解が発生することを示した。しかし、貨幣そのものに効用を感じるのは生得的なものではない。経済学者はその原因を経済システムから説明しなければならない。私は、小野善康のモデルの想定を極端にした線形貨幣効用関数の完全予見一般均衡動学モデルが、財の消費にのみ効用を感じる絶対的危険回避度一定の効用関数による不確実性をいれた合理的期待一般均衡動学モデルと解の振る舞いが同じになることを示した(
「小野ケインズモデルの解釈に向けて──貨幣効用完全予見と消費効用合理的期待の比較の試み」業績一覧論文No.37)。また、私の書いたマクロ経済学の入門教科書『標準マクロ経済学――ミクロ的基礎・伸縮価格・市場均衡論で学ぶ』業績一覧著書No.3(著書)では、平均・分散アプローチによる家計の最適資産選択から貨幣需要関数を導出し、それに基づいてIS−LM分析を論じることによって、流動性のわなにともなう不完全雇用均衡の存在を示した。すなわち、究極のところ、不確実性下の危険回避から貨幣愛が導かれ、それが不況の原因となっているわけである。
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回復をもたらす技術革新投資:利子率低下による回復が働かないならば、資本制経済はどうやって下方への累積から反転して回復しているのだろうか。技術革新などのイノベーションのための投資だろう。不況で(労働効率当たり)実質賃金率がとめどなく上昇していくなかで、このままではつぶれてしまう、座して死を待つよりはと、労働生産性を上昇させる技術革新投資に乗り出す企業が現われる。それがあたれば、高い実質賃金率のもとでも他より高い利潤率が確保できる。するとその技術は次第に模倣されていき、(労働効率当たり)実質賃金率はますます上昇する。それは既存技術の企業の収益を圧迫し、新技術の導入を迫ることになる。このようにして新技術投資が興ってきて、それが有効需要を高めて回復を用意する。
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貨幣愛と技術革新の前提の矛盾:しかしここで問題が生じる。不況が深化するのは貨幣愛のせいであった。すなわち、人々が危険回避的になるからということである。ところがそこでおこってくるとされる技術革新投資は、危険愛好的な態度を前提している。危険回避的な態度を前提したならば、不況が深化すればするほど技術革新投資は少なくなるという結論しか導けない。したがってこの両者は矛盾する。いったいこれをどのように整合的に解釈すればいいのだろうか。
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投資決定が確率的になる:以下は現在のところの直感的な見通しである。不況が深化すると市場規模がだんだんと狭まり、完全競争ではなくてゲーム理論的状況になってくると思われる。すると、投資決定自体が確率的になされるようになるのではないだろうか。危険回避的だから不況が深化すればするほど、決定する投資の期待値は低下していく。しかし一方、その分散は拡大していく。財市場に需要として現われる投資にマイナスの値はありえないから、分散が拡大すれば、まとまった量の大投資が起こる確率が高まる。したがって、十分不況が深化したならば、景気反転をもたらして上方への累積をおこすきっかけになるために十分な量の投資需要が、どこかでたまたま現われるだろう。それがきっかけになって景気が回復していったならば、やがて市場規模が拡大して投資決定の分散は縮まっていく。
現実には、企業家のタイプが、パイオニア的なものから追随者タイプまで分布しており、その分布が進化論ゲーム的に変化して、安定均衡として、最適な投資分布を実現すると解釈すればよい。
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