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09年8月3日 初めてのデフレ問題講演



 今日午前中は、大阪の「パルコープ」っていう生協の、組合員活動していらっしゃる方々の学習会ということで、120名ほどの主婦の方々を前に講演をしてきました。「物価が下がるのはいいことと思われてきたが、それでいいのか」という問題意識でのご指名だそうで、まちづくりとかアソシエーション論じゃなくて、はじめての経済学王道の講演です。ハリキって行ってきたのですが.....、
 やっぱり感想は「難しい」とおっしゃるご意見が多くて、OΓ乙。すみませんでした。今後もっと精進いたしますのでお許し下さい。

 使ったパワーポイントファイルを、著作権問題に配慮して画像を一部削除した上、「講演資料」のコーナーにあげておきました。ご自由にダウンロードしてご覧下さい。

 いやこれ作るのも大変でね。おととい自宅でパソコンがインターネットにつながらなくなったのよ。ノートパソコンを外で使うための無線装置はあるんだけど、遅いし読み込みが不完全なこともあるしね。
 それで、接続会社に電話したら休日で営業開始が遅くてやっとつながって、いろいろ説明を受けながらつけたり切ったり調べていったわけです。接続会社の責任でなくて、ハブかルーターの故障らしいということがわかったら、もうあとは助けてくれないので、自力でつきとめたところ、どうもルーターが壊れたみたい。
 それで、デスクトップパソコンを直接回線につないで、作業をしはじめたら...
 今度は、遅い昼食に行ってパソコンがスリープしたあと、起動しなくなった!
 またさんざんいじくったのですけど、結局直っていません。たまたまうまく起動できた時に、作業中のファイルをUSBメモリに救出しておいたからよかったのですが、再起動を試みたが最後また起動しない。
 結局やっぱりノートパソコンで作業しました。このかん、カミさんの夕食作れ指令を拝み倒して免除してもらったりして、昨日の日中、夕方の新幹線の中(電池の続く間)、ホテルの部屋と作業を続け、やっと深夜完成したのでした。
 このかんなかなか資料が届かないということで、関係者の方々にはやきもきさせてしまいました。結局早朝出勤でレジュメ印刷していただくことになり、もうしわけないかぎりです。すみません。

 いやもう受難話を始めたらこの前振りがまたいろいろあるんですけどね。
 そもそも、なんでこんな直前まで資料準備が着手できなかったのかというと、先週がすごい綱渡りスケジュールだったせいでして。
 一番大きな仕事は、同僚教員が博士号とったので、その記念の博士論文報告の研究会が水曜日にあって、そのコメンテーターをしなければならなかったこと。一応全部目は通したけど、ゆっくり検討したらあんまり大変なので、最後の二章を中心にやったら、複数均衡とかいろいろおもしろいことがでることが新たにわかってけっこうはまってしまったのです。

 ところが、その準備をじっくりさせてはくれないスケジュールでして、その前日は教授会があって、そのあと学部の懇親会。
 実はこの教授会の最中に電話がかかってきたらしく、事務の人が伝言を持ってきました。
 「京都フォーラム」の人が、私の新著『商人道のスヽメ』について話をしたいとのこと。すごく気になって、教授会の終わったあと、懇親会への移動のバスの中で電話をかけたら、立て込むからバスがついてからかけろって...。それで、懇親会会場の前で電話し直したら、拙著をとても気に入ってくださっていて、別の先生に機関紙で書評を書かせるから、「京都フォーラム」で話をしろということでした。
 これは公共哲学のフォーラムで、90年代ぐらいから活動しています。元東大総長の佐々木毅さんを表に立てたシリーズ本とかも出していて、その中には経済学者の鈴村興太郎さんの担当した本もある。
 電話をかけてきた金泰昌さんは、近年「武士道的公共性と商人道的公共性」をテーマにこのフォーラムを組織しているということで、不勉強で全く知らずに本を書いてしまって恥ずかしいのですが、問題意識にぴったりあうから協力せよというわけでした。
 それは光栄な限りですが、話が長引いて、懇親会はかなりな遅刻になってしまいました。

 その夜は酔った頭でなかなかレジュメは進まなかったのですが、翌日は一限目から自分の科目の定期試験。あんまり夜更かしするわけにはいきません。
 この試験がまた大変で...。
 「講義、演習」のコーナーで、答をアップしていますが、学生からはとても題意のつかみにくい出題をしてしまったらしい。続々と質問の手が挙がって、会場が二教室にわかれていたので、バタバタ走り回ってちょっとパニックでした。うーむ。どうしてこうなるんだろう。今日の講演もそうだけど、決して難しい言葉や難しい言い回しをしているわけではないと思うんですけど...。意図しないフレーミング(思考の枠)をかけてしまう言い方をするのかな。
 終わったらすぐ次の試験監督だけど、学生が不安になって質問にくるので、これも集合には間に合わず。その監督が終わった後も、くよくよ思い悩んだりして研究会レジュメに手がつかなかったです。
 結局間に合わなくて、終わりの方は、計算用紙に走り書きしたのをそのままコピーしました。

 で、その研究会が終わったら、京都の本部で組合と総長の交渉だ。もちろん間に合わないから、途中参加です。書記局がタクシーチケットくれたので、京都駅からタクシーに乗ったのですが、運転手さんが本部知らなくてひやひやしました。
 終わって草津キャンパスに帰り着いたらずいぶん夜も遅くなっていました。しかし、学生を不安のままほっとくわけにはいきません。配点の修正と正解と釈明を文書にして、その日のうちにホームページにアップ。事務の人にメールしてこれについての掲示を頼んだあと、宿舎に向かったのでした。

 そして翌朝は同僚の内山昭先生が、五個荘に見学につれていってくれるとのこと。五個荘って、今は合併で東近江市の一部になっているのですが、近江商人で有名なところです。本まで書きながら、今まで行ったことがなくて恥ずかしい。でも、資料館で展示してある一次史料(複製だろうけど)はやっぱり全然読めず、とても専門にはなれないと思いました。あと、伝統的建築物保存地区の公開のお屋敷を一通りめぐって、まあまあエキサイティングでしたよ。
 そのあと車中、京都フォーラムの金さんから、機関紙用に三人に拙著書評頼んだ上、その次号ではまた書評書いてもらうから、ついてはその人の本の書評を同時に並べるからそれを書け、そのあと、その人と公開対談してもらうとの電話を受けました。話の膨らみ方に呆然。そうこうするうちに時間がなくなるので、あわただしく最寄り駅から新快速に乗って、九州に向かいました。

 そして久留米についたら、すぐさま久留米大学で産業経済研究所のプロジェクト研究の話し合いだ。
 実は9月下旬に、立命館の三回生ゼミのゼミ旅行で、近江八幡あたりに見学に行くんです。安土の環境生協と近江八幡の掘割再生運動と子育て支援NPOの見学。この前日に立命館で研究会を入れて、全体を久留米大学産業経済研究所のプロジェクトにも組み込んだわけ。
 これが、関係者のスケジュールとか、宿の空きとか、見学先の都合とかをつきあわせると、ギリギリつじつまを合わせたスケジュールになって大変でした。立命館で間に立ってくれた先生も、久留米大学から参加する先生も最後までは都合がつかなくて途中で帰るしかないし。ようやくなんとかつじつまを合わせてホッとしてたら、あとでその日はカミさんの旅行の予定の日だったことがわかってすったもんだしたし。(後記:カミさんから抗議。この「旅行」というのは、職場の旅行です。個人的な旅行ではなかったということで、念のため。09年8月8日)
 まあこんなことの話し合いとかがあったあと、名古屋大学に行った元同僚が参加できていたこともあって、いっしょに食事に行き、夜まで盛り上がっていたわけです。
 で、翌日は労協法制定運動の市民会議の幹事会があって福岡市まで出たし。そんなこんなで、講演資料はやっぱりギリギリの着手になったのでした。

 しかし、なにやるにしても、いろいろ思いもよらぬ障害が次々降り掛かってくるのですが、最後にはなんとかつじつまが合ってしまうところが我ながらすごい。こんなことを延々とやっているから世の中なめてしまうんだろうと思います。まあ、いつも周りの人々に助けられるおかげなのですが。

 それにしても、当然予想された話なのですが、デフレ不況の仕組みを講演したら、では自分はどうすればいいのかというご質問が。
 なかなかこれは日銀次第というところが大きくて、私達一人一人の行動でどうかできるというところが見いだしにくい問題です。せめて今度の選挙でちゃんとした経済政策の選択ができればいいのですが、選べるところがない現状だし。まったく答に困ります。

 だいたい、一番景気刺激効果がありそうなのが現政府・自民党の政策だし。いやそのとき言ったのですが、「構造改革」を「戦争」になぞらえれば、麻生さんの大型財政政策って、かつての戦争指導者が戦後急に平和の使徒面して親米民主主義者になったことに似ています。何の反省もなく「自分は本当は戦争に反対だったんだ」とか言って(実際、「本当は郵政民営化反対だった」って発言もありましたけど)。それで、それがけしからんから懲らしめてやろうと思って、野党に入れようとしたら、野党がみんな「皇国史観」を唱えていたっていうような、そんなたとえが通りそうな状態です。
 そもそも思い出してみたら、「バラマキ」なんて言葉、保守派が革新側の政策を批判するために使っていた言葉じゃないですか。そんな言葉を、野党が政府批判のために使うなんて。昔は、革新勢力はみんな「完全雇用」を掲げるのが普通だったはずです。なのに今では「完全雇用」というスローガンをとんと聞かなくなっている……これはとてもおかしい事態です。

 民主党の経済政策など、一生懸命、別の支出を削って財源を用意することを強調している。そんなの自慢げに言うようなものか? 要するに、政府支出の規模は増やさないってことですよ。マクロ経済学の式で言えば、
でるたじーいこーるぜろ
ってことですよ。そんなもの断じて景気対策とは言わない。社会政策とか福祉政策ではありますけど。
 まあ、別の支出の削減で財源用意するなんてどうせできやしないから、これでもいいんですけど……って言ったらみんな笑ってました。
 どっちにしろボクの選挙区は、共産党も社民党も立たないみたいだし、自民党は鳩山邦夫(!!!)だし、どうせもともとしがらみもいっぱいで民主党に入れるしかないんだけど...。

 そのときは言わなかったのですが、ボクは今、選挙って懲罰の意味しかないんじゃないかぐらいに思ってきています。
 そもそも科学者は仮説が実験で否定されたら理論を変える。そのとき、実験が正しい理論を教えてくれるわけではありません。ただ拒否するだけです。科学者はそれを謙虚に受け入れて、新しい理論を考えます。
 選挙もその機能さえあれば十分だと思います。どうすればよいかを示すところまで期待しなくてもよい。ただ、悪い結果を出した政権は拒否される。それさえあれば、政治家の方が、そうした懲罰を恐れて一生懸命にいい結果の出る政策を考えるはずです。
 というわけで、経済政策を示されると選びようがないどうしようもない選挙ですが、それでもやっぱり一票を行使する意味はあると思っています。


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