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08年9月23日 大瀧雅之先生の昔のモデルがリフレ論的だった件とか小野善康先生の新しい論文の件とか



【大瀧雅之先生の三年前の本が気になっていた】
 id:bewaadさんがご自身のブログの8月19日のエントリーで、大瀧雅之先生の近著を取り上げられており、大瀧先生の政策主張は反リフレ的言辞にもかかわらずリフレ政策と同じではないかと疑問を出されています。
 私は今回の大瀧先生の本はまだ入手していないのですが、このかん、三年前に出された『動学的一般均衡のマクロ経済学』の諸モデル、特に第4章第4節のモデルがずっと気になっていたもので、今度のエントリーを読んでもう一度読み返してみました。そしたら、そのモデルは無理矢理物価不変を前提して解かれていますが、物価変動を許したならば、リフレ論的な性質を持っているのではないかと感じたので、その旨コメント欄に書き込んでおきました。

 実はかつて本が出た当時、読んでみてわかったことを、稲葉振一郎さんのブログのコメント欄に書き込んでいます。そこにも書いたのですが、この本のいくつかのモデルでケインズ的な結論が出る基本的な仕掛けは、何らかの形で「同次性」が発生する前提にあります。ここで「同次性」というのは、絶対価格が体系に影響を持たず、相対価格だけが影響することです。一般論として、これが起こると、n個の商品と貨幣がある場合、(ワルラス法則より)市場均衡式の数はn個なのに、変数である相対価格がn-1個になって、どれか一つの均衡式が破れる可能性が出てきます。この本では、例えば、実質貨幣供給一定などの仮定を入れることで、この状況を作っています。

【絶対的危険回避度一定モデルのケインズ的同次性】
 その中でも第4章第4節のモデルは、「絶対的危険回避度一定」と言われる特殊な種類の効用関数を使っていることが「同次性」を発生させる前提になっていると思われます。これは、いわゆる「貨幣的ケインジアン」の特徴をもたらすことになります。
 なぜなら、各家計が、絶対的危険回避度一定の効用関数のもとで期待効用を最大化する問題を解くと、最適な実質危険資産の需要量はその収益率だけで決まって、もともと持っていた富の量は一切そこに関係しなくなるからです。
 もともと持っていた資産は名目額で与えられますので、その期の絶対価格である物価水準が変動すれば、もともと持っていた資産の実質量は変化します。普通はこれを通じて物価水準の影響を受けるわけです。ところが今のケースでは、このもともと持っていた資産の実質量が家計の決定に影響しないというわけですので、実質危険資産の需要量はただ相対価格だけに依存することになります。そして、それを持ったあとの残差が貨幣保有になります。絶対価格である物価が下がれば、需要される実質危険資産保有は変わらないので、残差である実質貨幣保有量がいくらでも増えます。

【小野善康モデルを極端にすると絶対的危険回避度一定モデル】
 実は、私は以前、小野善康先生のケインズモデルに関して、その本質的特徴たる実質貨幣に関して欲望飽和しない効用関数の想定を、もっと極端にして、効用が実質貨幣に最初から直線的に比例し続ける効用関数にしてみたら、貨幣から直接効用を得ない、絶対的危険回避度一定の消費効用関数を使ったモデルと、ふるまいが同じになることを論文に書いたことがあります。
 これは直感的には次のように説明されると思います。小野モデルでは、財の消費から得られる効用は、通常通り頭打ちの、上に丸い右上がりの曲線の効用関数で表されます。将来割引して総和した生涯の消費についても基本的に同じです。それに、右上がりの直線グラフになる貨幣効用を足すのですが、貨幣保有量に生涯の予算制約を代入すれば、割引総和された富マイナス生涯消費に比例するものを足すことと同じになります。つまり上に丸い曲線グラフと右上がりの直線グラフの縦差が最大になるように消費が決まることになります。それは曲線グラフの接線が直線グラフに平行する所です。これは、直線グラフの傾きだけに依存し、その切片はグラフを平行に移動させるだけで解には影響しないことになります。切片は割引総和された富に対応するので、もともと持っていた資産が最適決定に影響しないということになります。これは、上述の絶対的危険回避度一定の効用関数のケースと同じです。
 それゆえこのようなモデルでは、物価の下落が需要を拡大させることがないという「流動性のわな」の性質が生じるわけです。

【大瀧モデルに価格変化をいれてみました】
 それで、こないだの日曜日は町内の運動会だったのですが、雨で中止になって予定外の時間が空いたので、いっちょパーっと解いてしまって、ついでに休み明け締め切りの、学内雑誌に投稿しようと思い立ってやってみたのですね。
 そしたら、bewaadさんのところに書き込んだ予想ほど簡単ではなかったですけど、基本的には同じ結論になりました。投資需要も若年期消費需要も、物価水準等には関係なく、ただ予想物価上昇率だけによって決まることがわかりました。そして、予想物価上昇率が上がれば投資需要は増えると。若年期消費も緩めの条件のもとで増えます。
 ただし、大瀧先生は財市場の均衡を検討していないのですけど、これは世代重複モデルですので、需要の中には老年期の人の消費需要が入ってきます。すると、老年期には、持っている一定金額の貨幣を全部消費につぎ込むので、物価水準が直接需要に影響してしまいます。これははなはだケインズ的ならざる事態です。まあ、モロ貨幣数量説になっているという点ではリフレ論的かもしれませんが。
 ともかく、生産も投資も若年消費もケインズ的同次性が成り立つようにできたのに、最後に著者本人のやってない需給均衡式を立てたら、詰めの部分でケインズ的特徴が破れてしまったというのは、ちょっと残念なことです。

【完全雇用の前提をはずそうとしたけど挫折】
 ところで、このモデルの定常均衡は、投資需要も生産水準も、技術的心理的外生変数だけで決まり、労働市場に関係する変数が一切影響していません。だから、昔稲葉さんのブログの中でも触れましたが、このモデルは本質的には完全雇用を保証するモデルとは言えないと思います。その点で非常にケインズ的本質を持っているわけです。ただ、投資主体と労働供給主体が同じで、モデルの構成上最初から完全雇用が前提されてしまっています。
 これをはずすことは容易にできると、bewaadさんのところの書き込みでも言ってしまったわけで、こいつもやっつけてしまおうとやり始めたのですが、すみません、やっぱり容易ではありませんでした。
 貯蓄決定をする人に、雇用された人と失業した人が二種類でると、二種類の最適化問題を解かなければならないのでとてもややこしくなります。これを避けるために、労働者はただ毎期、右手で得た賃金をそのまま左手で消費支出する存在にして、別途金融業者がいることにして、この人達が動学的な貯蓄決定をすることにしました。彼らは初期に中央銀行から貨幣を借り、次期にそっくり返すという想定にしてみたら、実質貨幣が第2期の消費需要に直接影響してしまう問題もなくなりました。
 しかし、もうしばらくで解けそうなのですが、まだいろいろうまくいかなくて…。

 いろいろやることがつまっているのですが、一日でやってしまうつもりが二日も三日もかかっているので、とりあえず挫折を宣言し、できたところまでを本サイトのアカデミック小品のコーナーに上げておきます。大瀧先生のモデルの検討だけで、不完全雇用を出すための修正は入れていません。学内雑誌に投稿するのはとりあえず諦めましたので、続き興味がある人はご自由にやって下さい。間違いもあると思いますので、ご自由に訂正して下さい。修士課程の大学院生でも練習問題として簡単に解けるレベルだと思います。数学付録は清書してないので載せていません。すみません。

【小野善康先生の新しい論文】
 ところで話は変わりますが、小野善康先生のほうからは、6月末に、お弟子さんの室田龍一郎さんと書かれた論文をいただきました。すでにざっと読んではあるのですが、コメントを書かなければならないと思いつつ、時間がなくて今まで放置していて申し訳なくおもっています。
 それでこの機会にここで取り上げたいと思いますが、ちゃんと計算のフォローをしているわけでもなく、私からコメントなどする力量もないので、とりあえずサイト読者のみなさんに内容のご紹介だけしておきます。
Growth, Stagnation and Status Preference
という論文なんですけどね。例によって財効用と貨幣効用が足された効用関数のモデルなのですが、今回は貨幣効用不飽和ではなくて、財の効用と同じく頭打ちになっていく想定になっています。
 そして、効用関数には、さらにステータスから得られる効用もプラスされています。このステータスというのは、消費と資本財保有と貨幣保有の加重和になっています。
 お分かりのとおり、とっても対称的で、すっきりしたモデルです。こんな簡単で自然なモデルから、とても豊富な結論が得られるので驚きです。
 すなわち、おおざっぱに言えば、消費からステータスを感じるウェートが大きければ、完全雇用の定常均衡になる。資本財保有からステータスを感じるウェートが大きければ、どんどん成長し続ける均衡になる。貨幣保有からステータスを感じるウェートが大きければ、不況に陥って失業を出し続けるということです。
 いやあ面白いです。拙著『「はだかの王様」の経済学』でも、まさにこの三種類の思い込みに支配される疎外の話を出しましたが、それぞれ全く異なる経済パフォーマンスをもたらすというわけですね。

【貨幣や消費ステータスに支配される原因は】
 ただ、拙著ついでにそれに絡めて言えば、なぜか知らないけど人間が勝手に思い込みに支配されてしまうというのはフォイエルバッハ段階の疎外認識で、マルクスはそんなことになる原因を現実の条件にみいだしたわけですね。それが拙著で言う「はだかの王様」の図式だったわけです。
 この小野・室田論文そのものは、すっきりと完成された論文で、これはこれでいいと思いますが、今後私達がこの線で研究を進めていく方向としては、貨幣を愛好する思い込みや消費がステータスになる思い込みや資本設備が増えれば喜ぶ思い込みが、なぜ合理的に発生するのかの根拠を探らなければならないと思います。
 上述のとおり、私が言ってきたのは、小野先生の表現されてきた貨幣を愛好する思い込みは、不確実性を避けることに原因があったということです。そしてその不確実性というのは、基本的には、拙著で示した通り、商品生産社会では人々のニーズを各自が把握できず、いつニーズに合わないことをして破産してしまうかもしれない、クビになってしまうかもしれないということに原因があるのだと思います。貨幣愛好のせいで不況になったら、ますますこの意味での不確実性は高まるわけですから、悪循環ですね。
 消費がステータスになるのは、拙著では、複雑労働力の優秀さのシグナルだと説明しました。やはり情報の非対称性が原因というわけです。

【資本設備を増やしたくなるのはなぜか】
 では、機械や工場などの資本設備が増えればうれしいという思い込みに人間が支配される原因は何でしょうか。某リッツカールトン大学(仮名)の経営者を思い浮かべますと、たしかに、もともと設備が増えるとそれ自体に幸せを感じるという変わった心理を持っている人達のような気もしてきます。おもちゃが増えるのを喜ぶ子供のようなものでしょう。
 それはたしかに大いにあるとは思いますが、しかし本質的にはやはり「はだかの王様」の論理が働いているのでしょう。つまり、この少子化のおりに、D志社さんもK大さんも拡張路線に走っている。手をこまねいていると負けてしまうからウチも…、というわけです。ところがD志社さんやK大さんの側から見たら、某リッツカールトン大学(仮名)のようなアレなところが近くにあるわけですから、やはり同じ(というかもっと大きい)危機感を持って当然なわけで、負けないためには拡張路線を、となるわけですね。みんなお互いそう思っているわけだから、自分だけやめるわけにはいかなくなっているのです。まわりがみんな「王様は着衣」と言っているから自分もそう言わざるを得ない状況に、みんなが同様に陥っているのと同じ図式です。

【近年の景気回復が設備投資過剰だった件】
 貨幣を貯め込もうという思い込みが一人歩きして不況に陥るという疎外も困りますが、資本設備を膨らまそうという思い込みが一人歩きする疎外も困ります。そんな話を拙著の冒頭で書いたら、山形浩生さんから叩かれてしまいましたけど、山形さんも最近は誰でも反景気拡大論者に見えてしまうみたいですね。またも、私同様GDP拡大そのものを悪く言うつもりがなくて、ただその構成だけを問題にしている人に、同じように噛み付いて物議をかもしてましたけど。
 しかし、こないだまで続いていた日本の景気回復が、本当に設備投資過剰、消費過少なものであったかは、確かにちゃんと実証の対象にする必要はあるわけです。そんなことを思っていたら、日本経済学会が毎年出している『現代経済学の潮流』の2008年版がこのほど出たのですが、そこの第2章で齋藤誠先生がちゃんとなさってました。
 やはり2002年以降の景気回復局面において、最適な資本蓄積に比べて設備投資は過剰であり、家計は本来得られるべき消費がなされない厚生損失を被ってきたと結論されています。まあ、齋藤先生の場合、それは低金利のせいとか言い出しかねないのでちょっと恐いのですが、この論文ではそれは示唆はされていますが、基本的には、「企業内部留保を厚めに、労働所得を薄めに企業部門の付加価値が配分された帰結であった」という見立てであり、それはその通りだと思います。
 今後はやはり、どうしてこのようなことが起こるのかの分析に、経済学は向かっていかなければならないと思います。



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