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08年12月18日 九州は円高に弱い!?



 前回のエッセーで、円高が景気に及ぼす影響は必ずマイナスだということを、次のように説明した。

 これに関して、はてなブックマークで、「円高になればなる程貧しくなるなら、戦後まもなくの頃より更に貧しくなっている筈」というご指摘をいただいている。なるほど、円は戦後、長期傾向的に高くなってきているのだが、日本経済は長期傾向的に成長してきた。ごもっともなご指摘である。
 このような長期的な話の場合、因果の矢印は逆で、日本経済が長期傾向的に豊かになってきたから、円も高くなってきたと理解していただきたい。もし円が上がってなければ、もっと過熱気味の高成長が続いてきたということである。
 もう少し詳しく説明するとこうである。長期的には労働生産性やエネルギー効率が上昇する。戦後日本経済の成長も、大部分それによってもたらされたものである。上の例で言うと、エネルギー効率などが上がれば、2ドルで輸入していたものが1ドル分の投入ですむかもしれない。その分付加価値は増す。
 それがなくても、労働生産性が高まれば、この3ドルの単位商品を作るために必要な労働が減って、1ドルの付加価値のうち賃金支払いにあてる部分が減るだろう。仮にこの単位商品を10分の労働で作っており、その賃金費用が100円で、1ドルが200円だったとすると、付加価値1ドル(=200円)のうち、100円=0.5ドルが賃金費用となり、残り0.5ドル=100円が利潤である。それが、5分の労働で生産できるようになると、円賃金率が変わらなければ、賃金費用は半分の50円ですむことになる。為替レートが変わらなければ、これは1/4ドルなので、3/4ドル=150円が利潤になる。10分の労働当たりに直すと、利潤は100円から300円に増えていて、大もうけである。
 貿易財について全般的にこのようなことが起こると、やがて為替レートが上昇する。仮に労働生産性の上昇がすべて円の増価で吸収され、1ドル=100円になったとすると、賃金費用は変わらず50円で、残り50円が利潤になる。単位労働当たりの利潤は、労働生産性上昇前と同じである。賃金は変わらないが、消費財のうちのいくらかは輸入品でまかなわれる以上、円が高くなって買える輸入品の量は増えて、労働者は物的には豊かになる。
 実際には、労働生産性の上昇は、賃金の上昇によっても吸収されるので、労働者は豊かになって当然である。
 なお、上記のはてなブックマークのコメントでは、円高になったらドルの売値を上げるのではないかという意味のご指摘がなされているようである。モノが同じなのに売値を上げたら、売れる量が減るだけである。やはり景気にマイナスなのは違いない。

 さて、以前のエッセーでちょっと触れたが、久留米大学の三年生のゼミ生の一人が、論文のテーマとして、九州経済を全国経済と比較して特徴を見たいと言った。そこでデータをグラフにしてもらって、夏頃の立命出張ゼミで、上級生の「犯罪の清水」達ともんでやったら、全国と比べて前年の為替レートの影響を受けやすいのではないかということになった。
 それで、回帰分析をいくつかしてもらった結果、まあまあの結論が出た。「犯罪の清水」のように本名を出す度胸はないそうなのだが、結果をウェブに上げることは承諾したので、ちょっと紹介したいと思う。

 投資関数が、投資の成長率を決める次のような関数で与えられているとする。
  九州の設備投資成長率=f(稼働率, 利子率, ....)+a(e-e*)
  全国の設備投資成長率=f(稼働率, 利子率, ....)+b(e-e*)
ただし、eは、前年の為替レート(1ドルの円価格)、e*は企業にとってのその正常値、aとbは正の定数、fの部分は全国と九州で共通する項である。
 辺々引き算すると、次のようになる。
  九州と全国の設備投資成長率の差=(a-b)(e-e*)
この右辺は、定数項が-(a-b)e*、係数がa-bのeについての一次式になるので、これを回帰分析で推計することにする。まあ本当は為替レートも、実効為替レートとか実質実効為替レートとかいろいろ作るものなのだろうけど、とりあえずここでは学生用ということもあるので、単純な1ドルの円価格で考えることにする。
 そこで、学生がデータがとれた1993年から2007年までの期間で、九州と全国の設備投資成長率の差と、一年前の円レートとの関係を、散布図にかいたら次のようになった。


 まず、全体として右上がりの関係がありそうなので、とりあえず回帰したらこうなった。

データ数15(1993-2007)
   九州と全国の設備投資成長率の差=-33.99+0.314*一年前の円レート

重決定係数は0.142、切片のp値は0.189、係数のp値は0.166で、ちょっとパッとしない。ちなみに私がダービンワトソン値を計算してみたら1.955で、誤差の系列相関はなさそうである。
 学生と二人で眺めていたら、1998年と2002年の点がはずれているようなので、どんなことになっているのか時系列グラフを見てみたら、こうなっていた。


 不況のために、全国、九州ともに落ち込んでいるときで、九州の方が全国よりも不況の落ち込みの影響が大きいのだと思われる。
 本来なら、これを表す変数を別途探してくるべきなのだけど、とりあえず、両者がともに落ち込んでいる底はここしかないので、ダミー変数を入れて済ますことにした。いいかげんなことは自覚してますけどすみません。
 そうすると、結果はこうなった。

データ数15(1993-2007)
   九州と全国の設備投資成長率の差=-48.3+0.455*一年前の円レート-13.6*ダミー

重決定係数は0.455、切片のp値は0.041、係数のp値は0.030、ダミーの係数のp値は0.022となった。まあまあいい結果だと思う。ちなみに私がダービンワトソン値を計算したら、1.95で、やはり誤差の系列相関はないと思われる。成長率の、しかも差をとっているから、単位根の問題とかはクリアしていると思うけど。

 さて、散布図を眺めてみると、近年になって傾きが増加しているようである。そこで、期間をわけて回帰分析してみることにした。最初、20世紀と21世紀で分けたものを持ってきたのだが、今ひとつ結果がよくないので、2003年までと、2004年からで分けてやってもらった。そうすると後半はデータが少なすぎて、あまり意味がないのだが。

データ数11(1993-2003)
   九州と全国の設備投資成長率の差=-37.24+0.346*一年前の円レート-11.43*ダミー
重決定係数は0.827、切片のp値は0.003、係数のp値は0.002、ダミーの係数のp値は0.0007。

データ数4(2004-2007)
   九州と全国の設備投資成長率の差=-354.82+3.203*一年前の円レート
重決定係数は0.98、切片のp値は0.010、係数のp値は0.010。

 とりあえず非常に結果がよくなった。相関45度(←もういいかげん許してやれ)。ちなみにダービンワトソン値を計算すると、前半が2.22でやはり良好である。しかし、後半は0.687となって、誤差の系列相関がある。そもそもデータが少なすぎるので、信頼できる推計はできないだろう。

 それで、前半と後半の間の構造変化の検定をしてみようと思った。大学院生時代に一回やった覚えがあるが、それ以来全然やっていないので、改めて本を見ながらエクセルに式を手入力していってチャウテストをやってみた。これには、全期間の回帰分析結果のほかに、前半と後半の両方の回帰分析結果を使うものと、前半の回帰分析結果だけを使うものと二種類あるらしい。
 とりあえず、前半と後半の両方の回帰分析結果を使うものをやってみたら、F値は20.11になった。1%点のF値は6.99なので、1%有意で構造変化があるということになる。
 しかし、後半はデータが少なすぎてあまり信頼できないので、前半の回帰分析結果だけを使うものでもやってみた。もともと後半の自由度が少なすぎてもとから回帰分析が不可能なときに使うらしいが、一応回帰分析は不可能ではないものの、少なすぎることには違いがないので。
 すると、F値は16.33になった。1%点のF値は7.00なので、やはり1%有意で構造変化があると実証された。

 なお、切片を円レートの係数で割れば、上記モデルにおける、企業の想定する正常円レートにあたるものが出てくる。これを計算すると、全期間では106.09円、前半では107.59円、後半では110.79円となった。ほぼ同じ値になっているので、正常レートはあまり変わらずに、傾きだけが大きくなっていると予想される。

 結局、次のことは結論できるだろう。九州の設備投資成長率は、全国の設備投資成長率と比べて、一年前の円レートに対する反応が大きい。もちろん、円高なら減る、円安なら増えるという反応のことである。そして、企業の想定する正常為替レートは、106円から110円ぐらいで、円レートに対する反応は近年上昇しているらしい。

 以前のエッセーにも書いたが、最初「結論は、僕は来年就職できるでしょうかだな」とからかっていたのだが、全く冗談ではなくて、論文発表会のレジュメの結論に真面目にそんな意味のことを書いてきた。いやホント、三年生のゼミは雰囲気が恐くなっている。別のゼミ生が、景気対策の資金は、国債を日銀が引き受ければいいじゃないかと言うので、一応それは法律上禁止になってると教えると、そんなこと言ってる場合かと感想をもらす。その通りだと思います。まあ、大規模な円売り介入をして不胎化しなければいいんだけど、なぜかやってくれないし。
 ひょっとしたら、全国の三年生を糾合して署名運動をしたら、けっこう集まるかも。とりあえず全国の三年生は前回のエッセーの件で社民党に抗議メールを送ろう。

 ちなみに「犯罪の清水」の内定先はモロ輸出産業なので、今、内定取り消しがこないか戦々恐々としている。もともと海外逃亡もせずに全国の期待する犯罪論文の続きを書いてくれる予定だったのだが、引越費用かせぎのアルバイトにかまけて準備が進まないうちに、思わぬ円高で海外逃亡願望が出てきているようである。果たして全国の期待はかなえられるか。
 まあ、いろいろ予定外のことを引き起こしてくれる円高であります。


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