松尾匡のページ10年7月23日 この勇姿を見よ! (7月24日追記)
追記:
濱口桂一郎さんからも大変好意的なご書評をいただきました。
EU労働法政策雑記帳 松尾匡『不況は人災です』 ありがとうございます。「欧州社会党とか、欧州左翼党といった『左派』が完全雇用を目指しているなどというのは、太陽が東から昇るに等しい当たり前のことで、それが逆転している極東の某国の異常性こそが問題なわけです。」とのお言葉、全くその通り。下のエッセーにも書いたとおりです。言いたいことをはっきりまとめてくださってありがとうございます。
それで、後半のお話ですが。うーん。別に仲間意識とかいうことはないですけど、ボクは小心な日和見主義者ですから、誰に対しても同じように気を遣ってしまいますけど。
とりあえずまず、「松尾さんの本には『りふれ』などというおぞましい言葉は用いられていません」とのお目こぼしのお言葉ですが...。
拙著では「リフレ論」という言葉が191ページで出てきます。それと、192ページの「現代のデフレ論」は
7月11日のエッセーで「事務屋稼業」さんのご指摘を受けて示しました通り、「現代のリフレ論」の誤りです。本書の
補足資料・訂正のブログでもあげてもらいましたが、本サイトでももっと目立つようにお知らせすることにします。お詫びして訂正いたします。
まあ、というわけで「リフレ」という言葉を使っていないということはありませんということで...。
で、ご指摘の問題ですけど、濱口さんが「リフレ派」の面々についてご指摘の、「正義感が鈍磨」という件と、一種の新自由主義的な志向があるという件とは、問題をわけて考えさせていただきたいと思います。
前者の件については、リフレ論の当否とは別に、それぞれの論者の人格をその都度判断いただくべきものだと思います。
特に、ご示唆の「事件」については、知っている読者だけがわかっていればいいと思うのでここでは詳述しませんが、相手や第三者に脅迫ととられる言動をとって脅威を与えることは明らかに悪いことで、たしかに当人は反省すべきことだと思います。
しかし、本当に悪意ならば、これは極めて下手な戦術だと思います。なぜなら、万一ネット上で誰かが本名を流した場合、それをやったのは自分ではないと言っても疑いを晴らすことは難しく、リスクが高すぎるからです。脅迫は脅迫行為自体が秘密でなければ成り立たず、ましてや今日のようなネット社会では、このような行為が何らかの効果を目的として計算してなされることはあり得ないと思います。
だからこれは「政治」などというものではない、ただの短慮であり、もともと「脅迫」の意図などなかったと思います。自分の言動が他者にどうとられるかを考慮しなかった点について謝罪すればよいものだと思います。憂慮すべきなのは、ネット上で、この件を、政治目的を持ったものととった上で是認するような議論が見られることです。革マルがハプニングからの死亡事故を、政治的目的のあった行為として正当化して以降、内ゲバ殺人に歯止めがなくなっていった故事を思い出します。
我々はあまりにも多くの愚かなことをたくさん繰り返してきたけど、全く過去から学んでいないわけではなくて、そのおかげで今日では鉄パイプで殴り合う心配はしなくてすむようになったし、組織に異論を唱えて監禁される心配もなくなっています。その方が建設的アイデアの発見のためにも、多くの支持者の獲得のためにも、結局のところはいいのだということを着実に少しずつ学んできたと思います。
政治目的を持った一派が力を追求することは、企業が利潤を追求することと同様、なくなることはないと思います。しかし企業が営業妨害競争にかけるエネルギーを、商品開発競争などに振り向けるようにする努力はこれまで効果を持ってきたと思いますし、そうでなければ資本主義の寿命はとっくに尽きていたと思います。同様に政治手段が公正なものであるために、我々がこれまで積み重ねてきた努力もバカにはできないと思っています。
それで後者の件ですが、この問題が前者の件と濱口さんにとっても関係ないことは、濱口さんが人格的に評価なさるbewaadさんの方が、財政マネタイズなどには批判的な純粋金融リフレ論に近く、田中さんの方がかえって財政政策や賃金引き上げ志向を持っていることからも言えることだと思います。
そうした上で、やはりこの問題には、濱口さんとボクとの間の根本的な志向の違いが横たわっていると思います。
それは、「ウチとソトを分けない=開放個人主義=経済学的発想=商人道」と「ウチとソトを区別する=身内集団主義=反経済学的発想=武士道」との区分を資本側か労働側かの区分に劣らず重視するかどうかということだと思います。ボクが「アソシエーション」と言うのも、社会主義志向が閉鎖的になったらマズいと、強く警戒しているからです。もっと言えば、戦後社会党というものは、多くの同志たちがかつて、ブルジョワ民政党よりは軍の方がマシと判断したやむにやまれぬ事情をよく覚えていた上で、それが結果としてはるかにひどい選択だったという、その重大な結果に責任をとろうというところから出発したことを忘れてはならないと思っています。(←すごい論理を端折って根本的批判をしていて、読者には展開についていけない方もいらっしゃると思いますが、話の主題ではないので、濱口さんがわかっていただければいいということで、すみません。)
リフレ論のような金融緩和で景気対策をする議論に対して親和的であるかどうかは、ウチとソトを分けるか分けないかという上記の区分と、ぴったりではないにせよ、ほぼ重なっているように感じられます。特にブルジョワ派の側はそう思います。リフレ論に対する典型的な反対論が、「国際競争力」論であったり、国際的な資金の取り合い論であったりするからです。
真に危険な「シバキ主義」は、このような「反経済学的発想」からくるものであって、通常のリフレ論の発想からはでてこないと思っています。リフレ論でもブルジョワ派であるがゆえのこちらとの対立点はあいまいにするつもりはないし、拙著でもその点での自分の独自の主張はしています。しかし、「構造改革主義」のような第一に敵とすべきものの本質は何かということをはっきり切り分けてみせるときには、やはりリフレ論とかそれを導いた現代の経済理論とかからは異質のものだということを強調することが大事なのであって、その点では多くのリフレ論者とは同じ立場にあると思っています。
(2010年7月24日)
昨日の木曜日は、朝の9時から単位僅少ゼミ生の面談を二件して、そのままひとの授業の試験勉強を教えているうちに事務の人から電話がかかってきて、採用人事がらみのセミナーと面接に急行。その後20分ぐらいで昼食をとって授業。終わったらただちに、事務の人に「みなさんお待ちかねです」と言われながら、まだ採用人事がらみのセミナーと面接。それ終わって久留米に帰ったら夜中で、自転車の鍵忘れてきていたというオチでした。
ところで、新著『不況は人災です』ですが、「南船北馬舎」の社主のかたからまた好意的なご書評をいただきました。いつもどうもありがとうございます。
何よりも、もともと日常の暮らしのご事情に根ざしてお感じになっていたことに、ぴったり共感していただけたことがうれしいです。がんばったかいがあったと思います。筑摩書房さんから献本してもらったのですが、すでにお買上げいただいていたそうで、重ねてありがとうございます。
近著探訪(18) それから、筑摩書房のPR誌「ちくま」の8月号に、雨宮処凛さんから
「「経済」は何のためにあるのか」と題して拙著のご書評をいただきました。こちらも、訴えたいと思っていたところに共感していただいたことがわかる、心に残る文章です。本当にありがとうございます。
ボクは自分では、本来社共の支持者であってしかるべきはずの人々には共感してもらえるはずと思って書いているのですが、これまでの社共の方針を名指しで批判してしまったもので、どんな反応があるかハラハラなのです。小心者ですから。
だからこんな書評をいただけると間違ってなかったと思って元気が出ます。
だいたい、福島さんが自分を大臣罷免させたとき、社民党執行部は民主党との選挙協力を心配して「党首解任だ」とか言ってたでしょ。それが全国幹事長会議を開いたら圧倒的に連立離脱支持で、それ見て執行部の面々はいきなり手のひら返したし。当たり前じゃん。離脱してなかったら選挙で改選議席ゼロでしたよ。
まあ、本当を言えば、不況を何とかしないと、基地移転といっても地域経済に責任もてないのですが、それはおいておいて、ともかく本当によくよく支持者のことが見えない執行部だわ。昔からだけど。
共産党も、その点では決して社民党よりましとは言えなかったし。最近はどうか知らないけど。
金融政策についてのこれまでの姿勢、「かつての相対的中流多数派時代には正しかったが、今や小泉改革以来の資産格差の拡大で状況が変わった」とか言って
ごまかして科学的分析をつけていいから、今からでも改めてほしいものです。社共支持者のみなさんは、どうか自分のくらしの事情に素直に声を上げて下さい。
拙著にも出てきた「欧州左翼党」のギリシャのメンバー党は、「左翼運動エコロジー連合」と言うのですけど、ギリシャ財政危機について何て言っているか知っていますか。もちろん、IMFとEUの押し付ける財政削減付きの「支援」には断固反対です。賃金を下げ、社会保障を破壊し、資本家をもうけさせる新自由主義の押しつけだと言うわけです。「安定協定」などは直ちに廃止!
ではどうすればいいのか。要求しているのは、「欧州債」というのを発行することで、欧州中央銀行が直接融資することです。くわしくは
ここ。
現状のギリシャについてこの提案自体がいいかどうかにはいろいろ議論があるでしょう。でも、これは左翼としては当然の方向でしょう。「国債引き受け=マネージャブジャブ=大インフレ」とか言って反対するのは、決して左翼的ではない。IMFの押し付けるグローバル新自由主義の味方だということです。
そういえば、アテネの街には、英語で"RiotDog"と呼ばれるノラ犬がいるそうで、確認される限り2008年から、デモのたびに必ずどこからともなく現れて、常に民衆の最前列に立って国家権力と対峙しているそうです。
この勇姿をみよ!
最初ネタとわかってて笑いながら見たんだけど、最後にはなんだかマジで感動したぞ。どこかのダラ幹どもはこれを見てエリを正して欲しい。
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