松尾匡のページ10年12月12日 戦後補償問題についてのアイデア
※当初タイトルの中の「最終解決」という表現は、取り扱うテーマ上極めて不適切でした。深くおわび申し上げます。
※当初タイトル「戦後補償問題の最終解決案」の中の「最終解決」という表現は、取り扱うテーマ上極めて不適切でした。深くおわび申し上げます。「はてなブックマーク」でご教示いただきました、id:Apeman様、id:REV様、id:Cunliffe様に深く感謝します。
http://b.hatena.ne.jp/entry/matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101212.html
「挑発」などの意図はなく、ただ不注意で馬鹿でした。挑戦的な内容のところ、出だしでこのような失態をしてしまったことを悔やみます。
これでは自分がバカウヨの一種と扱われるのも当然の報いという気はしますが、私は、政府が侵略や戦争犯罪について謝罪することは当然だと思っていますし、元従軍慰安婦の方々の名誉回復がなされるべきことも当然と思っているということをご理解下さい。(2010年12月15日←当初日付も間違えた。すみません。)
前回のエッセーで発表した小説、
小説「島の挽歌」
全然ネット上の反応がない。OΓ乙。
日頃の学術論文よりよほど自信作だったんですけど…。
カミさんが、これの風俗関係の描写がリアルだとか言って、いつも関西で何してるんだって責めるんです。そ…そんな!!何をって、何もする暇もありませんけど…本当です。
一応、カミさんがはまっている、村上もとかさんの『JIN』の吉原の描写がヒントになったかな。あと、アダルトDVDを海賊版で見ている中国の人たちが、お金払おうとするエピソードは、例の蒼井そらさんの話がもとになっています。あとボクの妄想想像だって。ホントに。信じて。
まあカミさんに疑われるぐらいよくできてるってことだと思っていいんだと思うけど…。きっとみんな、下手にほめたらボクが調子に乗って研究しなくなる(←これ本当)と思って、わざと無視してるんだな。石原都知事に挑戦して、誰かリアルな漫画にしてくれたら面白いんだけど。
もっとも、石原さん自身の小説を漫画にするほうが、よっぽどインパクトあるけど(笑)。
まあなんですな。この「青少年健全育成条例」の問題も、今、たかが「変態の一味か」と思われるのが怖くて声を上げなかったならば、将来テロや戦争を理由に言論規制が企てられて、「テロリストの味方か」とか「敵国の手先か」とか言われかねないときには、絶対声をあげられないでしょう。
いや、ホントにそんな状態になったら、ボクにも声をあげる勇気なんてないもんね。まあボクはそんなヘタレを責められても仕方ない立場になりつつあるけど、今度の小説で言ってることでもあるんだけど、強い力の前に黙ったからといって、一介の庶民を責めてはいけない。だから今のうちなんですよ。もちろん将来ガチ統制がきたときに異議が言えるにこしたことはないから、その練習のためにもね。
このエッセーをアップしたところ、以下の主張が、軍部にだまされたのだから一般国民は開き直っていいんだとか、侵略の記憶を継承しなくていいんだとかという印象を与えたようですが、それは全く真意と違います。
これは「あとだし」とかではなくて、冒頭掲げた私の「小説」もどきで、この点について、戦後補償のことではありませんがテーマとしてとりあげています。
もちろん読んでご確認いただければ一番ありがたいです。しかし、上で自慢げに書いているのは、もちろんツッコミを期待したネタ文で、本当は文学などドしろうとの書いた駄文ですので、お忙しいかたにわざわざ読めということははばかられます。そこで、要点をもうしますと──、
・か弱い一個人が、システムの大きな力に従わざるを得ず、他人を害してしまうことは責めることはできない。
・しかし、その中で、自分のできる範囲の力で、他人のためにどれだけその被害を抑えて厚意を尽くすかが重要である。
・だから、やましさを感じ続けることが必要で、開き直ったらおしまいである。
・システムの大きな力に屈さなかった人に嫉妬してはいけない。
・一部の人の行為(この「小説」の場合はテロの応酬)を、集団全体の責任に広げてはならない。
・集団全体の責任にしないために、その行為を非難する意思表明は必要である。外から見てそれで割り切れない気持ちが残るのも当然であるが、それを肯定してはならない。
──というようなことです。
一つの「民族」全体が被る被害とそれへの様々なリアクションの責任を、どう考えるべきかというようなお話です。
書き方が至らなくてうまく伝わらなかったかもしれませんが、エッセー全体の流れが、このような主旨にそって書かれているということで、ご理解下さい。(2010年12月19日追記)
これ、先の戦争責任の問題でも、いつも思うことなのですけどね。本サイトの「右翼と左翼」でも書いたのですけど、権力者や大ブルジョワも、一介の庶民もいっしょくたにして国ごとにまとめて、「日本vs中国」「日本vs韓国」といった図式を作って戦争責任問題を論じることは、全く右翼の図式にそのまま乗っかっていると思うのです。
先の戦争が終わったとき、多くの日本の庶民は、「軍部の連中にひどいめにあわされた」と事態を総括していました。このときに、中国での日本軍の残虐行為などを聞いた多くの日本人の感慨は、「ああオレたちと同じで、ヤツらにひどいめにあわされたんだな」というものだったと思います。アジアの民衆も自分たちと同じく、日本軍国主義の犠牲者ととらえる連帯意識があったと思います。
ずーーっとあとになって、今さらのように、戦前ほとんどの日本人が戦争に積極的に賛成していたことが「発見」されて、軍部だけでなくて日本人みんなに戦争責任があるんだというような論調になったんです。
でも、戦争直後の日本人がそんなついこないだの事実を忘れていたはずはないのですよね。考えてみたらあたりまえのことです。
戦争を積極的に賛美してたことは重々承知の上で、でも自分たちはだまされたのだ、犠牲者なのだと思っていたと思います。たしかに都合の悪いことから目を背けるごまかしの面もあったと思います。でもそれだけではなかったと思います。銃剣のバックアップのもとにマスコミで圧倒的にあおられて、世論がみんなそっちに流れている中で、一介の庶民がそれと違うことを考えることなど、もともと無理でしょうというのがごくあたりまえの感覚だったと思います。
やはり、世の中になにがしかの影響を及ぼせる立場にあって、そのことから庶民にない恩恵を受けていた人々の責任と、一介の庶民の責任との間には、決定的な差をつけないと絶対おかしいと思います。
それなのに、「日本人」ということで同じ責任にされ、その上、後の世代の者にまで「日本人」というだけでその責任が受け継がれるというのでは、全くもってド右翼の集団主義原理、血統原理そのものです。こんな左翼にあるまじきことを左翼が語ったから、反発した若い世代を続々と右翼に走らせたのだと思います。
戦後左翼が「戦争責任」と言ったとき、誰に責任をとらせようとしたかというと、自分たちの頭の上に戦前戦中から居座っている支配エリートたちだったわけです。彼らが責任を負うべき相手は、アジアや日本の個々の戦争犠牲者でした。だから我々は、アジアの犠牲者に補償しろというのと同じように、戦争補償の精神に立った被爆者援護法の制定を求め、一般戦災者補償法の制定を求めていたわけです。元兵士に対しても、「恩給」ではなくて、補償と位置づけろと言ってきたわけです。
(ついでに言えば、我々は「南朝鮮」や「南ベトナム」などの独裁国家に対して戦争補償することは、現地の軍事独裁を強化して、日本の経済侵略の基盤整備をするものだとして、反対していたはずです。北朝鮮に対しても同じ態度を貫くことを切に求めます。)
少なくともボクが学生のころまでは、こういう図式がリアリティを持っていたと思います。なにしろボクの学生時代、首相は元海軍中尉中曽根康弘、背後で仕切る瀬島龍三伊藤忠会長は元陸軍参謀でしたし。
それが90年代ぐらいから、日本の支配エリートで戦争に直接責任を負う世代が消え去って、一方で個々の犠牲者も世を去っていくなかで、さっき言った国民みんなの戦争加担ということが言われだして、いつの間にか日本人全体が、中国人全体や韓国人全体に世代を超えて責任を負うかのような図式に変わっていったのですね。
こんな図式が、直接の犠牲者がこの世を去ったあとにも続いてはいけないと思います。だからもう一度原点に戻って階級的視点に立ち、軍国主義支配者の責任を明確にした個人補償という形で、直接の犠牲者が生きているうちにこの問題に決着をつけないといけないと思います。
とはいえ、直接責任を負わせるべき人々はもはや支配エリートにいなくなってしまっている。いったいどこからとってくればいいの?
というわけで、こういう方法はどうでしょうか。
(1)特別立法で、無期限無利子の国債を発行して日銀が全額引き受けて原資を作る。つまり、日銀が無からおカネを作るということ。
(2)それを米ドルに換えて基金とし、米国債を買って運用する。
(3)その運用益を、現存する戦争犠牲者に毎年わたす。
つまり、これによって円高是正を行って、円を市中に出回らせてデフレ脱却も図ろうというわけです。ドル安にしたいアメリカはいやがるかもしれませんが、今、ブッシュ減税の継続が決まって台所事情が厳しいので、国債を引き受けてくれるとなれば是非もないことだと思います。
前回の景気回復に効果を持った2003〜4年の円高是正のための為替介入は35兆円ほどでした。あのときも、円高を食い止めることはできたけど、円安にまで持っていくことは難しかったです。だから今、大方の輸出企業にとって妥当な90円台の水準にまでもっていこうとしたら、35兆円では足りないでしょう。
でもまあ仮に、同じ35兆円としましょう。今の米国債の金利は3%ちょっとですけど、もうすぐアメリカの景気は上向くでしょうし、財政赤字の問題もあって長期的にはもっと上がりそうです。まあ、4%で運用するとすると、毎年1兆4千万円が得られます。
今、韓国の元慰安婦の人は80人台になっています。これだけの額があれば、英蘭の捕虜虐待犠牲者の人たちも含め、かなり広範な補償ができると思います。将来的には、補償対象を特定世代全員に広げることもできるでしょうし、その後には、日本留学の奨学金などの友好目的に使えばいいと思います。
というわけで、誰も損することなく、日本経済は景気がよくなり、アジアの戦争犠牲者は毎年補償金がもらえ、アメリカは国債が買ってもらえて、みんながトクするという案配です。ちなみにそんなことは当分ないと思いますが、仮に将来、インフレが行き過ぎるとか、円安が行き過ぎるとかいうことになれば、基金を必要なだけ円に戻して日銀に返すことで対処する手もあります。タカ派の人向けに言っておけば、こうやって日米韓の結束が強まることは安全保障上メリットがあると言えるぞよ。
これ、日本がデフレで、ひどい円高で、戦争の犠牲者が現存している今しかできません。
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