松尾匡のページ11年2月2日 全労協で「不況は人災」講演をしました
労働組合のナショナルセンターとしては、「連合」と「全労連」が有名ですが、三番目に「全労協」というのがあります。会社側労組と対抗する少数派労組とか、中小企業の労組とか、地域の個人加盟ユニオンとか、外国人労働者の組合とか、概して小さいところばかりですが、非常に困難な中で地道で貴重な闘いをしているところが多い集まりです。
で、そこが講演で『不況は人災です!』を語れとのこと。ボクにとっては「古巣」の旧社会党左派系になるのですが、神戸時代の社会党人脈とは全く関係なく、ほとんどボクの名前は知られていない中でご指名いただいたようです。
まさにあの本の説得の「本丸」である「塩水系」左派勢力の代表格!これが説得できなかったら、他のどこも説得できないぞ。筑後川や琵琶湖を守ろうという、まわりの「淡水系」の説得など、まず絶望ということになるでしょう。
この先の自分の「伝道」の運勢をかけることになるというわけで、ドラエモン様のご加護を祈りつつ出かけてまいりました。
この講演で使ったパワーポイントファイルを、「講演資料」のコーナーにアップしておきました。写真画像など削除した部分もありますが、ご関心のある方はご覧下さい。
参加者は百数十人ぐらいいらっしゃったかな。主催者のお話では、毎回眠る人がでるところ、途中だらけることなく、みんな集中して聞いてくださっていたとのこと。ありがたいことに、受付で『不況は人災です!』をお売りいただいたのですが、17冊売れたそうで、お買い上げ下さった方には誠にありがとうございます。
本は左派系だけがターゲットというわけではなかったので、本よりはもうちょっと左派・労働系仕様で話をしました。
特に、『資本論』にもあるように、産業予備軍(=失業)の存在は資本家階級の階級支配にとって必要なのだということを強調してきました。「代わりはいくらでもいるのだぞ」と脅せてはじめて労働者を屈服させられる。だから労働者階級の側が完全雇用政策を要求しなければ、完全雇用政策など絶対に実現しない。完全雇用を実現して「代わりはいくらでもいるのだぞ」という脅しがきかなくなってこそ階級支配に対抗できる...と。
講演内容は基本的に本の要約ですけど、詳しくはパワーポイントファイルをご覧いただくとして、終わってからいただいたご質問と応答はこんな感じでした。
◆ インフレ政策は年金生活者には支持されないのではないか。
◇その分は公的な福祉政策で対応するべきだ。そもそも論を言えば、年金制度というものは、現実には若年世代から取って高齢者に渡している再分配制度なのに、そうでないかのような見かけを取っている。こんな見かけは、
♪しっかり働き 消費を抑えて 貯蓄にはげんでいれば
♪歳をとって引退して 資本家になれるよ
♪ダイヤモンドだね…(←経済学者の内輪ウケ。もちろん当日こんな替え歌を歌ったわけではない。念のため)
という「イデオロギー」であって、こんなイデオロギーはやめてしまって、実態に合わせて福祉制度にした方がいい。若い頃の高所得者は年金も高く、若い頃貧しい人は年金も低いというのは、格差を助長する制度だ。
◆ 前の量的緩和のとき「金余り」と言われていたが、我々にはちっとも金がまわらず、海外で原油などの投機に流れたように思うが。
◇円は日本でしか使えないので日本の外に出ることはない。海外で投機に使われるときには、円を外貨(ドル)に交換してドルで投機する。このために円安になって輸出が増えて、景気が支えられた面がある。したがって、投機に使われたドルは世界のどこかにもともとあったドルで、日本の金融緩和がなかったとしても、やはりそれは投機に使われていたかもしれない。
◆ 今アメリカがジャブジャブ金融緩和してドル安になっているので、通貨安競争が引き起こされて、世界経済が混乱していると言われるが。
◇戦前の金本位制時代に平価切り下げ競争が起こって世界貿易が縮小したとの理解があって、通貨安競争は悪い事というイメージが一般にできているようだが、今日の変動相場制時代ではあてはまらない。ドル安政策に対抗して他国が通貨安にしようとしたら、その国も金融緩和するので、互いに通貨安競争が起これば、たとえ結局為替レートは何も変わらなくても、世界中でおカネが増えて世界中で景気がよくなるからいいことである。
日本政府が円高ドル安を容認している理由は謎。ただの憶測だが、上の方の政治家の中には、アメリカに逆らっているつもりで、円を基軸通貨的な地位に押し上げようとして円高を容認している部分があるのではないか。アジアを足がかりにアメリカに対抗する独自の帝国主義を志向するホンネは支配層の中に根強く存在する。そんなことをしても、労働者にとって困るのはもちろんだが、企業にとっても何の役にも立たないバカ政策。しかし、中堅どころにはバカではない賢い人々がいて、「ごもっとも、ごもっとも」と言いながら、実はアメリカの意向を受けて推進しているのではないか。ドル安になった方がアメリカにとってはいいので。だからむしろ、日本はドル安政策に対抗して、通貨安競争をするべきである。
◆ 非正規の人々、登録派遣の人々には、この制度があるおかげで職が得られている人たちもいるが、どうすべきか。セーフティネットの問題をどう考えるか。
◇そもそもの労働規制緩和が間違っていたという前提はおさえておいた上で、現在検討されている再規制については、今派遣で働いている人々の雇用にとって不利益にならないように、法技術的に慎重に工夫すべきだと思う。セーフティネットとしては、今ベーシックインカムなどが話題になっているが、ベーシックインカムをおカネを作って出すことにして、所得から税金を取るのを式で決めておいてそのおカネを吸収することにすれば、景気のいいときにはおカネの吸収が上回り、悪いときにはおカネの発行が上回って、自動的な金融政策を福祉制度に埋め込めるかもしれない。まだよく考えているわけではないが。
◆マイルドなインフレを目指す金融緩和政策はどんな政治勢力が唱えているのか。現実問題としてどのくらい実現可能性があり、そのためには誰を支持すればいいと思っているか。
◇ 民主党にも自民党にもこれを主張する部分はある。「みんなの党」もそう。一番激しく主張したのは「幸福実現党」(会場爆笑)。
自分としてはどれも支持したくはない。革新政党、左派政党と言われるところがこのような政策主張を掲げるよう説得したいと思っている。どの程度影響力があるかはおいておいて、左派政党が労働者階級の雇用を求めるニーズにそった政策主張をしなかったならば、右翼勢力がその代わりをつとめることになるから。戦前のドイツで、有名なマルクス経済学者のヒルファーディングが社民党政権の大蔵大臣のときに均衡財政にこだわって不況を悪化させ、ナチスの台頭を招いたことを教訓とすべきである。
まあ、さしもの全労協の関係者の方にしても、民主党政権で倒閣を叫ぶのは、内心すっきりとは言えない気持ちが残るようで、それはボクも同じでよくわかります。しかしこれも、ちゃんと言わないと、代わりを右翼がつとめて大衆の不満を吸収することになるわけです。
懇親会をもっていただいた先輩世代の幹部の方々は、口々に「インフレ政策=悪」と思い込んできたとおっしゃいます。この点では、かならずしも説得に成功したというわけではないと思いますが、みんな「おもしろかった」と言って下さり、本まで買って下さってひたすら感謝です。「ショック」を与えて議論を引き起こすことが大事なのだとおっしゃっていて、何かと労働組合幹部は「硬直的」とか「守旧的」とかと言われますけど、これまでの自分たちの常識とは違う議論もオープンに検討しよう姿勢には希望を感じました。
もちろん、講演でも言いましたけど、いざ物価上昇に成功しても、こんな大量失業の中では自然にまかせておけば賃金上昇が遅れるであろうことはボクもよく承知しています。だからこそ、金融緩和政策と合わせて、最低賃金の引き上げスケジュール確定などの政策の補完が必要になると思っていますし、労働運動の主体的ながんばりも重要になってくると思っています。
また銀行におカネを流すだけでは、庶民にまで一向にまわってこないということも、よく承知しています。だから、税金ではなく作ったおカネで福祉支出の拡充なり、麻生さんのときの十倍の給付金なりにまわすのがいいと思っています。福祉拡大を口にすれば何かと「財源は」と言われる時代ですから、「作ればいい」と主張する勢力がどこかになければならないと思います。
…というようなことを、懇親会では言いました。
金澤議長、東京全労協の纐纈議長はじめ、実行委員会スタッフのみなさんには、お世話になりありがとうございました。特に、中岡事務局長には、拙著に目をとめてご評価いただき、こんなサイトにまで目を通して(そのため道に迷わないようにいろいろ気を配って下さった)、誰もボクのことを知らない中で今回の企画を推していただきました。そして最後までいろいろとお世話いただき、本当にありがとうございました。
後援会の司会をして下さった、全国一般東京東部労組の須田書記長は、NPO法人「労働相談センター」の有名人で、ボクもどこかでご活躍を見たような覚えがあるのですが、やはり拙著をあらかじめお読みになってご評価下さり、会場販売の宣伝をして下さいました。ありがたい話です。外国人労働者のための活動に熱心に取り組んでおられる同い年の女性のかたも、質疑の中でボクの主張に「賛成です」とおっしゃって下さいました。やはり自分の言ってきたことは、労働者階級の立場や左派的なセンスと矛盾するものではないとわかって元気がでます。
国営・公営の比重や管理のあり方とか政府介入のあり方とか、あるいは個人の価値観の自由をめぐっては、表面的には、「淡水系」市民運動の方が、全労協などの労組活動家よりもボクの主張に近いように見えます。しかし、「淡水系」には足りない、なかなか言語化できない何か重大なことを、全労協の関係者とは共有していると強く感じました。1980年代以降の国有モデルの崩壊には、不可逆の歴史の進歩があるのは間違いなくて、「淡水系」の運動はその動きへの一つの適応の試みだったと思いますが、何か筋を一つ間違えて進んできたようなもどかしい感じがしてなりません。
ところで、地方都市から上京すると、いつもものすごーーーーく繁栄して見えます。特に今回は、夜のイベントだったので、懇親会の二次会が終わると深夜だったので、余計そう思いました。
東京のお上の方々にはこんなのを前提して経済政策を考えて欲しくないなと、つくづく思いました。
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