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11年10月9日 沿岸漁業がなぜ漁協方式になるかのモデル論文を報告した



 兵庫県立大学の三上和彦さんは、大学院時代二年上の先輩でしたが、このほどイギリスの出版社から本を出版しました。
Mikami, K., Enterprise Forms and Economic Efficiency: Capitalist, cooperative and government firms, 2011, Routledge, Abingdon.
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 経済学徒はぜひ入手すべし!日本人の英語ですので、英語が不自由なボクでも苦労なく読めました。共通のフレームワークをいろいろな場合に適用していく、とっても対称的な議論ですので、同じフレーズを変奏して繰り返すベートーベンのシンフォニーみたい(ショパン弾きの文章らしくないか)。これたいがい、最初書いた文章をコピーペーストして添字を変えてできてますね。
 ちなみにこの本は冒頭、二人のお嬢さんに捧げられています。

 世の中には、資本主義企業ばかりでなくて、労働者管理企業や、消費者生協、公営企業など様々な形態の事業体が存在しています。
 このエッセーコーナーでもたびたび触れてきましたが、三上さんは、応用ミクロ経済学の手法によって、これらの事業体が、それぞれどのような条件のときに合理的になるのかを解明する研究を行ってきました。このかんボクも長くこれに着目して、学ばせていただいてきたのですが、その成果がまとまったのがこの本です。

 ミクロ経済学の教科書的な世界では、「企業」ってものは、資本や労働を生産物に転換するだけの「点」みたいな存在です。情報の不確実性も非対称性もなくて完全競争ならば、資本家が所有しようが労働者が所有しようが消費者が所有しようが、事態に何の違いもありません。結局はどれも共通の効率的生産が行われます。
 でも、現実には競争が不完全で少数者が市場を牛耳っていたり、情報が不確実だったり非対称だったりします。そうしたら、市場がうまく働かず、非効率な生産が行われてしまうことが多いです。
 このときどうすればいいか。政府が規制するとか、税金をかけるとかいうのがこれまでの標準的な主流派経済学の答えです。でも他に方法はないのでしょうか。三上さんが言ってきたのは、「所有権を変える」という方法があるということです。三上さんは、市場に何らかの不完全性がある場合には、そのために割を食う可能性のあるグループが企業の主権を握ることが相対的に効率的になると言います。
 例えば、事業に不確実性がある場合、一番重大なリスクを被るグループが主権を持つのが効率的になると言います。たいていの場合、出資が無駄になるリスクが一番大きいので、資本主義企業が一番メジャーになるわけです。しかし、労働者側のリスクが大きければ労働者管理企業が合理的になるし、食品の安全性の問題のように、消費者側に一番重大なリスクがかかる場合には、消費者が主権を持つ生協のような事業体が効率的になると言います。
 また、労働市場に買い手独占が発生するならば、労働者管理企業を結成することが効率的になり、製品市場に売り手独占が発生するならば、消費者生協を結成することが効率的になると言うわけです。
 こういったことを、この本では応用ミクロ経済学のモデル分析で示しています。モデルは、本質を的確に捉えた極めてコンパクトなものを工夫し、周到に解いています。
 また、章の導入や結論部では、必要に応じて現実データを示し、ときには簡単な計量分析も行って論拠立てています。入手可能な限られたデータのもとでは専門の計量経済学者からは突っ込みがくるものがあるかもしれないとは思いますが。
 さらに、世界中の現実の事例への言及もしばしばなされていて、よく調べたものだと感心します。

 現実の運動や政策に役立つものになっていくために、ひとつ今後の課題となると思ったのは、一旦企業の所有者となったグループの人々は企業情報をすべて知り得るという想定を、改めて検討することだと思います。オーナーであるはずの人々から執行部が疎外することはよく起こります。現実には消費生協が消費者に隠れて危険な食品を売るかもしれないし、労働者管理企業の執行部が危険な作業を押し付けるかもしれません。このようなことが起こるメカニズムを解明して、対策を考えることは、ボクが昔から課題にしてきたものですが、非才ゆえさっぱり進んでいないので、ぜひ三上さんにも考えていただきたいものだと思います。


 で、前々から三上さんの議論を聞いてボクが気になっていたのは、漁業の話です。以前もこのエッセーコーナーで書いたと思うのですが、沿岸漁業が漁協方式で営まれてきたことは、これで説明がつくんじゃないかと思ったわけです。遠洋漁業になると、漁船とかが大きくて装備もすごくなるので、出資が無駄になることのリスクが大きくなって、資本主義企業がメジャーな現実もなるほどと言えます。しかし沿岸漁業の場合は、たかが沿岸漁業の漁船や漁具程度のものに出資したことが無駄になるリスクよりも、事故で従業者の生命が危険にさらされるリスクの方がはるかに重大なので、従業者に主権のある事業形態の方が資本に主権のある事業形態よりも効率的になるはずと思ったのです。
 つまり──漁業では、事故のリスクが従業者にとって重大である上に、それにかかわる情報が従業者の側に偏在しており、出資者の側はその情報を持たない。したがって、資本主義企業の方式をとった場合、もし資本家が出漁決定してその結果事故が起こると、資本家側は人身の損害に対する賠償をしなければならないことになるが、それはおそらく莫大で、事業が割に合わなくなるだろう。よって、操業判断を現場の従業者にゆだねざるを得なくなる。しかし、一定の賃金のもとで操業判断を従業者にゆだねると、今度はある程度安全でもなるべく操業をサボる誘因が出てしまう。それを防ごうとすると、大幅な出来高給を導入せざるを得なくなる。その結果は、操業決定も、その成果の変動も、従業者側が引き受けるということになり、これはすなわち、事実上漁協制度をとることと同じになる──こういうわけです。

 そんなことを考えていたところ、今回東北地方の震災で損壊した漁業の復興政策として、漁業権を資本主義企業にも開放する「特区」のアイデアが浮上し、なんだか急にこの問題がホットな話題になってきました。
 それで、この情勢をふまえ、本を三上さんからご恵贈いただいたお礼の連絡を兼ねて、このアイデアを相談してみました。
 そしたら、三上さんからは、「漁業権」の問題についてコメントを受けました。自分なりに敷衍して解説すると──、漁場にはいわゆる「共有地の悲劇」の問題があります。穫ったもん勝ちの競争になって乱獲で資源枯渇していく問題です。そしたら、漁業権を漁協と資本主義企業で共有したり、複数の資本主義企業で共有したりしたら、乱獲を防ぐ協定をしようとしたら、細かい交渉が必要ですけど、その交渉コストはおそらく非常に高くなるだろうというわけです。結局、資本主義企業方式でいくならば、乱獲を防ぐには、一つの漁場を一つの企業で独占する以外ありません。
 だとすると、漁民にとって、別の漁場の港に働きにいくことには事実上かなりの壁があると思われますので、労働市場における買い手独占が発生することになります。
 そしたら、上のボクの推論では、資本主義企業を導入してもどうせ現場で従業者が操業決定して、従業者が生産変動を引き受けることになるわけですから、資本主義企業導入の帰結は、事実上、漁獲物を独占的に買取る一つの資本主義企業から、漁民たちが漁獲業務を「請け負う」ことと同じになると言えます。この場合、漁民たちは、企業側に買いたたかれて、世の中全体で見て非効率が発生するだろうと思われます。

 こんなことを考えていたら、わが立命館大学びわこ草津キャンパスで、10月8日に基礎経済科学研究所の大会をやって、震災復興と未来社会をテーマに全体シンポをするから、ついては何か報告せよとの指示が関係者からきました。
 「震災復興」!? いやほんと何も考えてないんですよ。調査フィールドを持っていた地域でもないし。困った!
 何か関係あることで研究できることと言えば──ああ、この漁業のアイデアしかない。

 というわけで、三上さんのモデルの手法を参考にして、急遽上記アイデアをモデルで解いて論文にしてみました。これがまた、報告前夜にできあがるという、例によって例のごとくの泥縄でしたけど。
 本サイトの「アカデミック小品」のコーナーにアップしておきますので、ぜひダウンロードしてご検討下さい。

 でも、宮城県の特区構想が本来念頭においてたのは、主として「養殖」なんですよね。これって、海難事故起こすリスクがそんなに高くないから、今のモデルの前提にあてはまりません。だからこの特区構想については何も言えないという報告になっちゃって、ああ、やっぱり震災復興と関係ないじゃん。OΓ乙

 まあ一応、いろいろ検討した中で唯一社会的厚生が最大になるのは、現場の従業者が操業決定し、あらかじめ決まった利払いをして残余は従業者が取る漁協方式で、しかも資本の元本の回収は従業者側が保証するというものでした。個々の漁師さんがそれぞれ事業している場合は、事故って船壊れても船の借金をちゃんと払うのは、現実にはかなり厳しいと思いますので、これは、今復興アイデアで出ている、漁協として船や漁具を買って漁師さんたちで共有するって方式に合致していると思います。
 というわけでなんとかかろうじて復興話とつなげました。

 報告では、この論文の骨子に加えて、リスクを負う者が決定権を持つべしという同じロジックから、東電の賠償スキームに「被害者所有企業」というオプションがあるのではないかという話と、住宅再建に絡めてコーポラティブ住宅の話をしました。コーポラティブ住宅っていうのは、居住者が設計士雇って建設業者雇ってマンションとか住宅地とか建てるやり方ですけど、これも、三上ロジックを使えば、住居建てるのには、例の耐震偽装の問題とかで情報の非対称性の問題があるので、そういうリスクを負う居住者の側が事業主権を握るのが合理的だから生じたと説明できます。
 このとき、考えてみたら、普通の家の建て方で居住者の側が心配するリスクは、欠陥住宅になることだけじゃないです。隣人にどんな人がくるのかもリスクのうちで、コーポラティブ住宅方式ってのは、いわば先にコミュニティを作ることで、このリスクも解決しているのだと言えます。その意味で、今回の震災復興でも、コミュニティーを維持する住民主導の住宅再建が必要だという話につながるのではないかと思いました。


 ああそういえば、他の人の研究報告で印象に残ったのは、損保産業で原発リスクを計算していた話。原発のリスクを一番正確に知っていたのは、役人でもジャーナリストでも反対派でもなくて、保険業界だったということです。一件あたり300億円の損害補償が、年間1億円の保険料に見積もられていたそうで、ちょっとこれは確率として高すぎないかと議論になりました。


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