松尾匡のページ

12年3月15日 ヘタレな自分とは違う人たちは偉い



 昨年の3月11日は、以前エッセーに書きましたように、経済理論学会の雑誌の編集委員会のために上京中、地震にあって、帰宅難民を経験しました。
 その1年後の先日3月11日も、全く同じく経済理論学会の編集委員会で東京でした。
 本来ならば追悼と闘いの意思を行動で表すべきところだったのでしょうけど、しこしこと終日委員会。

 なんと!ネット情報によれば、反原発イベントに出たら藤波心ちゃんのスカートが短すぎて、前から二列目ぐらいに座ったらパンツが見えるとのこと。それを読んでからというもの、あまりにケシカラなすぎる話に、そのことが頭から離れなくなって仕事が手につかないではないか。これは是非その場に参加して、現場をしっかり確認してやめさせなければ。ボクはヘタレだから、大人数の中で声をあげるなんてできなくて、せっかく確認してもそのまま見逃してしまう可能性が非常に大きいが、人間のそういう弱さには寛容でなければなりませんぞ。しかしともかく参加して現場を確認することから一歩が始まるのだ…と、もんもんとした日々を過ごしていたわけです。
 そしたら、3月11日は心ちゃんも東京に出てきていて、日比谷公園とか聖心女子大とか国会の前とかでアジったり歌ったりと言うではないか。せっかく同じ東京に出てきていて、すぐ参加できるところでそんなうらやまケシカラン事態が進行していると思うと、編集委員会なんか上の空だっ。

 てな話を、昼休みのときに脅威 (誤字ではない) の黒いダシ汁のソバをすすりながらしゃべってたら、福島大学の後藤康夫先生が編集委員にいらっしゃるので、自然と現地の現状のマジ話になっていきます。
 今、除染ビジネスが特需景気だそうで、それが全部中央の大手ゼネコンにもっていかれているらしいです。現地で原発関連の仕事がなくなって雇用が大変なのにそっちには全然恩恵がいかない。それで現地の中小業者を糾合して受託できるように試みているそうで、吹き付けやっている塗装業者が水洗の研修受けたりして、ノウハウを身につけるようにしはじめているとのこと。
 それから、野田総理の「終息収束 ( 3月27日訂正。自分で気づいてよかった。) 宣言」が出たとたん、事故関連作業をしている人たちの危険手当が打ち切られたとのこと。みんなモチベーション下がっちゃってるって。そりゃそうでしょう。

 ところで、事務所の人の圧力とか群がるネットイナゴに屈せずに、笑顔で信念を貫いた心ちゃんも偉いけど、宮尾も偉いなあ。

3月13日日経ウェブ記事 日銀決定会合、委員から基金増額提案 反対多数で否決

 日銀の13日の金融政策決定会合で、宮尾龍蔵審議委員が国債や社債などの資産買い入れ基金を5兆円増額して総額70兆円とする議案を提出したが、反対多数により否決された。資産買い入れ基金は2月14日の前回会合で55兆円から65兆円に増やしている。

 「反対多数」って、宮尾以外全員反対じゃん。10月の会合に続いて、またたった一人で提案して一人だけで賛成している。う〜んでかした態度だ。見習わないと。
 本当に宮尾の言う70兆円で十分かと言う話はあるでしょうけど、やらないよりマシに決まっているし、そもそも基金を増やしても別に全部使わなくてもいいわけだから、一体反対した人たちは何を恐れているのでしょう。大事なことは、「日銀は変わった」と市場に思わせることによって、予想インフレ率を上げることです。その手段の一つとしてはチープでいいではないか。せっかく打ち出したインフレ目標を人々に信用させるために、あらゆる手を使うことが必要なはずですが。
 前にも書いたと思いますが、福井総裁初期の日銀の金融緩和姿勢を妥当であったと評価している点では、もともとから宮尾とボクは一致しているのです。だから、10月に続いて今度もこんな提案をすることは不思議ではないです。でも、たった一人でこういう行動に出るとは予想していなくて驚いています。人格を見くびっていた。全くすまんと言うほかないぞ。

 心ちゃんや宮尾にもまして偉いのが、「天皇の世の中永遠に」の歌斉唱不起立の大阪の先生たちだ! 処分必至なのに。偉大!偉大!千度も偉大!
 ヘタレのボクには絶対無理だもんねそんなこと。常人は処分を恐れてそんなことできないことは当然だから、起立しちゃった人を責めては絶対にならないけど、それでもあえて不起立できた人は誉めなければ。
 だいたい、教師というものが、全員が全員、力で押さえつければ結局信念をまげて従ってしまうものだということになったら、どんなに教育上悪影響があったことか。それでも良心の自由のために節を曲げぬ者が、何人かはいたのだということが、生徒たちの人格形成に与えた意義は計り知れないと思います。

 ボクは高校の頃から、君が代斉唱になったら急に風邪がひどくなってセキをしてきたけど(笑)。高校のころはまだ起立しなかったけど、だんだんヘタレになっていって、その後そんな場面にでっくわすことになったら、一応立ちはするようになっちゃいましたね。セキはするけど。
 でも、セキは本当はスマートじゃないよね。一人だからいいけど、たくさん同じことをする人が出たら、今度は歌いたい価値観の人の邪魔をしてしまう。歌いたい価値観の人も歌いたくない価値観の人も良心の自由が守られるというのが自由社会だから、本当を言うと、歌いたくなかったら黙って座っているのがベストです。

 今は自由社会どころか、府立和泉高校の中原徹校長なんか、君が代斉唱のときの口の動きを調べて「口が動いていなかった」3人から事情を聞き、うち1人が歌っていなかったことを認めたため、府教委へ報告したって。橋下さんは、「そこまでやっていない大阪府の高校の現場の方がおかしい」とか言ってるし。
 ここは北朝鮮か!
 まともな先進国でこんなことしてる国はないですよ。イタリア国歌も戦前と同じものだそうで、やっぱり論争になっているけど、強制されたりすることはありません。著名な音楽家でも演奏や歌唱を拒否する者がいるそうです。イギリス国歌も君主讃歌ですが、学校で歌われることはほとんどないそうです(そもそも式典で国歌斉唱はしない国が多いそうです)。アメリカの「忠誠の誓い」の儀式も、生徒にも教師にも、個人としては、宣誓をしない自由が認められているそうです。
 事実関係については、是非furiskyさんのブログの次のエントリーをお読み下さい。途中、フランスの「ギイ・モケの手紙朗読強制事件」の話については必読。
http://d.hatena.ne.jp/furisky/20120206/p1
 最近、新書執筆の関係で戦争前のことを調べることが多いけど、「天皇機関説批判」がどんどん弾みがついていく過程とかがそっくりですわ。

 2月3月はまだインフルエンザの流行る時期ですから、卒業式にはみんなマスクをつけていけばいいですよ。そしたら口開けてるかどうかわからない。ウイルスまき散らしてもいいから外せと言われたら…そのときは仕方ないから「セキ」だな。

 ボクの住んでいる久留米市なんかもっとすごいぞ。教育委員会が卒業式の君が代の「音量調査」しようとしたし。
 以前、前任校の久留米大学にいた頃、子供が6年生になってくると、田舎で地元大学の教員とかやってると、PTA会長が回ってくる脅威があります。それで必死に考えた逃げ方が「君が代歌わん」。
 やっぱり同じ年代位の教員がみんな同じ脅威にさらされるので、教員休憩室にたまたまそんな人たちが集まったとき、どうやって逃げるかって話になったので、そのアイデアを言ったら、
「切り札やあ!切り札やあ!」
とみんな大盛り上がり。日頃主義主張なんかとは縁もゆかりもなさそうな者が、まじめくさった顔で「私は思想信条として…」などと言い出すからおかしくって。
 まあバブル世代の考えることって、どうせこんなもんだな(笑)。そこにいるみんな信念のために殉じる気などさらさらないヘタレ揃いだったけど、それを力で他人に押し付けるのはもっと嫌。ボクは価値観というものは、お気に召したら買っていただく自慢の商品ぐらいにお互い思っておくのがちょうどいいと思っています。

 そこへいくと、この「今言論・表現の自由があぶない!」ブログの記事で引用されている、ハシスト党の西田薫大阪府議会議員のブログ記事の言動。価値観を権力で強制することに一点の疑問も抱かず、あっけらかんと正義とみなす戦慄すべきポルポト論理(なつかしのヤマガタ風表現)ですけど、要は、自分が来賓出席した卒業式で君が代不起立の先生が一人いたから、挨拶で「おめでとう」の言葉もそこそこにそのことを取り上げたという話です。「私は、ただただ純真無垢な子ども達に、お詫びの気持ちでいっぱいでした。申し訳ない気持ちで、笑うことも出来ませんでした。/このような不謹慎で偏った思想を持った教員に、触れさせていたことに。それも公教育の場に於いて。/教育の正常化、急務に取り組まなければと改めて思いました。」と結んであります。
 この人、不起立教員が、卒業証書授与の間隣の先生と笑いながら話していたとクサしてますけど、元ブログを見たらあまりのキリリ顔の画像で一瞬ネタかと思います。まあだいたい、政治家でも著者でも講師でも、キリリ顔で売り出す者にろくなのはないけどね。学生時代にひと世代前の左翼を見て、こんなふうにだけはなるもんかと思った、「上から目線」の独善を組織権力で弱い者に押し付ける一番嫌なところを、そのままデフォルメしてモンスターにしたような自称「保守」政治家が増えていることは困ったもんだと思います。青年団から人の世話を焼いて叩き上げた昔の温厚な保守本流のオッサンがなつかしい。

 引用先ブログでは、引用元ブログのコメント欄に書き込まれた一人の卒業生のコメントも引用されていて、これがまた堂々の批判で感心します。「しかしわたしたち卒業生はあの先生には三年間大変お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいのままに昨日卒業式を終えました。/正直に申し上げますとあの場での先生方の態度よりもあの場の空気を乱されたことの方が大変遺憾です。/条例を差し引いてもわたしたち卒業生にとってまたわたしたちの保護者にとっても母校にとっても大変失礼極まりない挨拶だったと感じております」と述べ、最後は「またその先生は卒業式前日に国歌斉唱の件でわたしたち卒業生に謝罪なさりました。/自分の行動に対して嘘をつかずきちんと説明してくださった先生にわたしはとても感謝しています」と締めています。

 日頃の行いの差で、ボクがこんな目にあっても、こんなこと書き込んでくれる教え子とかいそうにないし。逆に女子学生から、「そう。ヘラヘラしてたでしょ。いつもスケベな目してヘラヘラしてるんだから」とか書かれそう。気をつけないと。



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