松尾匡のページ13年4月8日 岩田さんと黒田さんとスティグリッツさんの話
楽しい楽しい内地留学生活もとうとう終わってしまい、また九州から滋賀県に通う生活が迫ってきています。
久留米市の自宅から九州大学の研究室までは、1時間半ぐらいかかるのですが、一回ある乗り換えはただ降りたホームでそのまま待っているだけだし、駅との間は家も大学もすぐなので、ほとんど運動になりません。こんな半年間を過ごすうちに、いつの間にかお腹が出てきていたのでした。
半年ずっと授業もないものだから、ズボンはゴムが入ったやつで過ごしてきたのでわからなかったのですが、先月卒業式も迫ってから、どれもこれもスラックスが入らなくて式に着ていく服がないことに気づきました。
でかける前夜切羽詰まってひっかきまわして、薄暗がりでやっと一本入るスラックスを見つけて、これでなんとかごまかせると床についたのですが、朝起きて日の明かりのもとで見たら息子の学生服だった。運悪く紺色なのでごまかせません。
仕方ないので、結局立命館キャンパス最寄りの南草津駅前の西友で当日になってひとそろい買ったのでした。ベトナム製の格安なのがあってよかった。この調子だと授業に穿くスラックスもないからと思って、ついでに一本買っても、合わせて一万円ちょっとですんで助かりました。
いや実は、久留米でフタタまで買いにいってはいたのですけどね。値札を見て怖じ気づいて帰ってきてしまった。カミさんは買えばいいのにと言うのですけどね。
このカネがあれば、東京まで行けるとか、立命館まで行って一仕事できる等々と考えると、非常にもったいない気がするのです。
こんな調子で、身近なことからコツコツと、デフレ不況を推進してきた私は口だけリフレ派。
それにしても、カミさんの基準。三、四万円の服を買うことが許されて、どうして一昨年同じぐらいの交通費で弟子の博士号授与式に立命までいくことが許されなかったのだろうか。自分としては、出席しないなんてすごく非常識なことをしているような気がして、大学院の研究科長からも事情を問う電話がかかってきたのですが、カミさんには全く理解されませんでした。まあ、弟子本人がその日出席できないということになったから結局問題なかったのですけど。
一昨年の六月に、大阪のブルジョワ様がた相手に講演したときの講演料から、17万円を被災地に寄付した件に至っては、今だに折りに触れては思い出すたび不機嫌がぶり返して文句を言われるし。
日頃から、酒もタバコも賭け事もせずに、映画も見ずCDも聴かずコンサートにも行かず、無駄な支出をなるべく切り詰めてるから、こういうことにこそ一番おカネを使いたいのにねえ。
去年の秋、内地留学が始まって半年間長距離通勤しなくてよくなったら、今まで交通費の三分の一を手出ししていたのがなくなるという計算をしたとたん、急に気分が大きくなって……今までは通勤途中で缶飲料ひとつ買わなかったのに、九大までの行き帰り缶飲料を買うくせがついてしまったのでした(笑)。
私は免許持っていないのですが、カミさんからは、車を買い替えたいから、できるだけ仕事を受けるようにとのハッパをかけられている被搾取階級の私です。カミさんは、職場の上司から、「こいつにカネを渡せば景気が回復する」と言われている実践リフレ派。口先の徒としては尊敬しなければなりません。
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さて、実は内地留学先の九州大学数理生物学研究室の巌佐庸先生たちとの共同研究論文は、まだ終わっていません。
最初は二月中に作ろうと言っていて、それが留学期間の間にという話になったのですが、三月も終わりになって、もうすぐできそうというときに、土壇場で最初の定式化の間違いに自分で気づき、ひっくり返してしまったのでした。巌佐先生にも、共同研究者のマルコ君にも大変もうしわけない。このかん何遍も計算間違いをしては訂正を申し入れていて、巌佐先生はさぞかし呆れていることでしょう。本当にすみません。
というわけで、合間で校正だのマイナーな原稿だのは何とかこなしつつも、ほかのことが全く手につかない年度末をすごしていたのですが、実は某ウェブ雑誌からの頼まれ原稿を抱えています。締め切りが切られていないのでついつい放置しているのですけど、気にはしているのです。
やっぱりですね、正副日銀総裁人事の一件では、日本の左派系、中道リベラル系政党に行き渡る、金融緩和嫌いがマザマザと明らかになってしまった。これは本当にゆゆしき事態ですよ。
「唯物史観」ってものは絶対ですからね。マルクス主義の何を捨ててもこれだけは残してもらわなければ。
そしたら、「憲法かメシか」と迫られたら「憲法よりメシ」となるのは唯物論的に見て当然の流れだと予想できるでしょう。安倍内閣の改憲・右傾化姿勢に不安を感じつつも、このかんの不況に苦しんできて景気拡大を望んでいる人々にとっての受け皿がなければ、安倍さんの勝利が続くことは明々白々です。
なんとか、日本の左派、中道リベラル系の世界に、「インフレ目標・金融緩和と財政拡大で景気刺激することは、左派、リベラル系の世界標準政策なんだ」と理解してもらわないと……と思って、情報発信させていただける機会があるならば喜んで利用させていただきたいと思っているわけです。
そういうわけで、いずれは必ず原稿を書こうと、ボチボチ情報だけは合間を見て集めているのですが、このかんこんなことを見つけています。
◆ 岩田規久男さん30年前の反原発論
日銀副総裁になった岩田さんは、近著『経済復興』などで脱原発を唱えておられることで有名ですが、実はこの人、3.11後やおら脱原発を言い出したわけではないんですね。
ネット情報によれば、1981年の左翼系雑誌『思想の科学』の11月号反原発特集「原子力の帝国と辺境」に、「近代経済学者は何をしているか」と題した論文を寄稿しているとのこと。早速、九大の図書館で調べてみましたよ。数理生物学研究のために留学させてもらっている大学でこんなこと調べていいのかとも思いましたけど。
岩田さんここで、近代経済学がこれまで原発問題について発言してこなかったことを痛烈に自己批判しています。近代経済学は科学であるかぎり、モデル化、抽象化を不可欠とするが、その際、焦点を当てない数多くの問題群を断念せざるを得ない。しかしここで断念したものとの緊張関係をたえず維持する努力を払うべきである。断念には勇気が伴うがこの勇気は心の痛みを伴ったものであり、この心の痛みを忘れる時に、科学は一人歩きし始める──このように書かれています。これは、科学だけでなく、組織運営にも政治にも言えることですね。
そして、あるパラダイム(学問の既存の枠組み)の中で、解ける問題だけに没頭しているうちに、与えられた前提を問いなおすことを忘れてしまうのだと言います。原発の問題も、その与えられた前提の中に置かれて、問題として取り上げられなかったというわけですね。
そうした上で、原発の問題を近代経済学の問題として取り上げることを試み、最後は堂々の反原発論になります。
すなわち、経済学的に言えば、原発の問題は、外部不経済の問題としてとらえられます。しかも原発の外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代の世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済の問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格=市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます。
現在の世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代に放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係者である将来世代は参加していない。そこで、現在の世代は、もし将来世代が現在の意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車や飛行機の事故の場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在の世代が残した放射性廃棄物の場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代は現在世代の放蕩三昧を恨むしかない。
将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代の人権を無視することである。そして、将来世代の人権を無視する人が、現在世代の他人の人権を尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的な人間の権利だからである。
経済学的にいえば、現在と将来世代の人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在の利用者が負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権を無視すればするほど原発エネルギー利用者が負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市の原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから、現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音・振動公害・空港騒音公害・道路公害等々──かならず利用されている。
いま述べたことからも明らかなように、原子力発電の経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値の問題を視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値の問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学を科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学の歴史なのである。
…(中略)…
近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…
そして結びは、原発問題を分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています。
すごい。すごすぎる。今どきのマル経学者の少なからぬクソリアリストよりよほどすごいぞ。
それで、岩田さんのデフレ脱却を求める多年の闘いもまた、失業や倒産に苦しむ人々の人生をどうするのかという「道徳的価値の問題」を強く視野に収めた結果だったのですね。
こういう人の日銀副総裁人事に反対した社民党も共産党も、いったいどういう了見なのか。岩田さんだけ狙いすまして反対した民主党は、まあ、もともとそういう党だったのだと言わざるを得まい。
社民党も共産党も、そもそもブルジョワ経済学者だから反対と筋を通すのならいいのですよ。しかし、私の友人の宮尾龍蔵は、人格的には非の打ち所のない立派な人物ですけど(だから現実を認識して主張を改めていく柔軟さを持っていますが)、日銀審議委員就任時点では、調べたら過去、長期停滞供給側原因派として「構造改革」推進の主張をしていた言動しかでてこなかったはずです。なんでこっちは当時ろくに議論せずに賛成して、岩田さんの方は反対なのか。意味不明ですわ。
◆ 岩田規久男さんの『景気とサイクル』論文
ところで、岩田さんと言えば、先日景気循環学会の雑誌の『景気とサイクル』の第55号が送られてきました。その冒頭の論文が、まだ日銀人事の話など出る以前の岩田さんによる、景気循環学会第28回大会報告論文です。締めくくりで他人事のように、中原伸之さんに日銀総裁になれという内容のことを言っていて、今から見ると微笑ましいですが。
内容は、例によって、金融緩和で予想インフレ率を動かすことができて、それによって景気は拡大するという話です。これ自体とても説得力のある議論ですけど、中にひとつ注目すべき記述がありました。
何かと言うと、イングランド銀行の大規模な金融緩和を「見事」とほめている分析があるのです。
というのは、イギリスでは2010年と2011年の両年、日本の消費税にあたる付加価値税が2.5%ずつ引き上げられたそうです。その上にエネルギー価格の上昇もあって、エネルギーも含むインフレ率は一時5%近くにまでなったそうです。
イギリスでは2%のインフレ目標を置いていますので、5%にもなったら金融引締めに転じて当然です。金融政策の基準になっているのは、エネルギーを含まない「コア・インフレ」ですが、これでも3%を超えていましたので、本来なら引締めにかかるはずのところです。
しかし、イングランド銀行は、インフレ目標を超えたことの財務大臣宛説明書簡の中で、「これは付加価値税とエネルギー価格が上がったためで、その影響がなくなる2012年からは、インフレ率は2%に向かって低下する」とし、かえって一層の金融緩和が必要だとして、2011年末から特に急激におカネを出しています。
そしてその結果、付加価値税増税でも景気を引き下げることなく、2012年には本当にインフレを2%に軟着陸させたということです。
岩田さんはこれを、「見事な金融政策」と絶賛しているのです。
ということは……本人はこれ書いているとき、自分が金融政策運営をする立場になるとは思っていなかったのでしょうけどね……当然、今後このイギリスの例を念頭において金融政策がなされることになるでしょう。
つまり、きたる消費税率引き上げに際して、一時的にインフレ率が2%を超える事態になったとしても、金融緩和をやめることはないということです。
逆に、消費税引き上げのために景気が挫折してしまうことを防ぐために、かえって金融緩和を拡大すると予想できます。
私は、インフレ目標による金融緩和政策の結果、今後景気拡大することは間違いないと思っていましたが、唯一懸念材料は、きたる消費税率引き上げでした。このせいで景気が挫折する可能性は否定できないと思っていたのです。消費税引き上げのせいでインフレが目標値に至ったら、金融緩和でテコ入れすることができなくなるかもしれないと思いましたから。
今でも私は消費税引き上げはやめた方がいいと断固言い続けますけど、しかし、岩田さんのこの論文を読んで、現実問題として景気挫折の可能性は消えたと思いました。
断言しましょう。大変な好景気がやってきます。バブルを知らない若い世代は、これを見てビビって目を回すでしょう。
次の総選挙は、消費税引き上げ後の多少の混乱を乗り越えたあとの、絶好調の好景気の中で迎えることになります。世の中の一層の右傾化を防ぎたいと願う者は、これを前提して対策を組み立てなければなりません。「ただのバブル」とか「ハイパーインフレ」とか「すぐ挫折する」とか、裏から期待が透けて見えることを言って、金融緩和に反対していたならば、一議席も残らず消滅する結果になっても不思議ではありません。
◆ 黒田東彦さんとスティグリッツさんの最初の(?)接点
新自由主義批判で有名な、アメリカでは左派系の代表的な経済学者のスティグリッツさんが、最近、安倍総理を表敬訪問して、財政・金融の拡大政策をほめ、日銀人事について「よい人を任命した」と評価した話が報道されていました。
あとで触れるインタビューでも、スティグリッツさんは黒田新日銀総裁のことを、旧知の間柄と称していますが、実は、遅くとも2003年には二人の間で接点があることがネット上で確認できます。
これは、なんどかこのエッセーコーナーでもリンクさせていただいた、id: himaginaryさんのブログの、
スティグリッツ「中央銀行の独立なんかいらない」
からのリンクで知ったのですが、2003年4月16日に財務省国際局調査課で、「関税・外国為替等審議会 外国為替等分科会 最近の国際金融の動向に関する専門部会」の、スティグリッツさんの講演が行われているのです。その議事録がこちら、
第4回最近の国際金融動向に関する専門部会議事録
ここで、スティグリッツさんは、日本のためにインフレ誘導と円安を唱え、そのために政府紙幣の発行すら提言しています。そしてやり取りの中で、中央銀行が独立した方がよいとする根拠なんてないと言っています。
何をかくそう、この講演にさいしてコメンテーターの役をしたのが、ほかならぬ当時内閣官房参与であった黒田東彦さんでした。
黒田さんはここで、スティグリッツさんの提言に対して、基本的に賛成と発言しています。さすがに、政府が直接政府紙幣を発行したり日銀からおカネをもらったりすることについては消極的で、日銀が大量の国債を購入するという手段の方が現実的だと言っています。しかし、政府紙幣案を頭から否定しているわけではなくて、「面白いアイデア」「興味深い」と評しているのです。
日銀人事案が出た当初リフレ派界隈では、財務官僚出身であることをもって、黒田さんには懐疑的である雰囲気もありました。みんなの党は反対しましたし。
しかしそれは見くびっていた。黒田さんは本気ですよ。十年前からの筋金入りでした。
あとで触れるスティグリッツさんのインタビューによれば、黒田さんはアジア開発銀行では、格差や貧困の問題を重視して精力的に取り組んでいたそうです。やはり、左派系政党が反対するのは筋違いの人でした。社民党も共産党も、安倍内閣とは対決するが、自分達は「黒田日銀与党」なのだと言って今後の選挙を闘うべきだと思います。
◆ スティグリッツさんのインフレ誘導策評価
さて、スティグリッツさんと言えば、あちこちでインフレ目標政策に批判的なことを書いているので、一部には彼は金融緩和批判派なのだという誤解があるようです。
もちろんそんなことはなくて、真意は逆なんですね。目標インフレ率に達しても、まだ雇用は足りないかもしれない。そのときにはもっとインフレが上がっても雇用を増やす必要があるので、インフレ目標にこだわるのはよくないという意味です。私もそれは一理あると思っています。インフレ目標論者よりももっとすごい金融緩和派ということです。
ちなみに余談ですが、「今頃インフレ目標などと言っている日本は一週遅れだ。今世界ではインフレ目標が批判されて名目GDP目標がいいとされている」と言っている人が日本にもいるようですが、これも同じ理屈です。インフレ目標政策では金融緩和が足りなくなるときがあるからというわけです。「インフレ目標のスゴいやつ」が「名目GDP目標」なのです。これを唱える人は急進リフレ派ということですね。私も支持したくなります。
それはともかく、スティグリッツさんの真意はそういうわけですので、もちろん今回の日銀のインフレ目標政策は支持しているわけです。実は彼は、2002年に5月9日の『日本経済新聞』で、日本に対して3%のインフレ目標を推奨しています。黒木玄さんのサイトの中の、次のページをご覧下さい。
スティグリッツによる日本経済再生の処方箋
しかし、このリンク先の文章、当時我が世の春の構造改革派と熾烈な論争をしていた頃の、リフレ派原点の雰囲気がにじみ出ていて、実になつかしい感じがします。
スティグリッツさんは、3月21日に安倍首相を表敬訪問したあと、NHKのインタビューを受けています。このインタビューをした飯田香織さんが、ブログで発言の全文(英語)を公表されています。
【あっと言う間に満開】| 飯田香織キャスター | Biz+サンデー キャスターブログ:NHK:
この日本語訳が「道草」に載っています。anomalocarisさんが訳して下さっています。お疲れさまです。
NHK Bizplus:ジョセフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授へのインタビュー(3/21/2013)
日本のデフレに与えた輸入の影響──それ自体が円高のせいで、もとを正せば世の中に出回る円が足りなかったせいだとボクは思う──を過大評価している印象があるし、日本のこれまでの失業を過小評価している印象もあります。失業統計の取り方や失業というものの概念の違いが日本と他の国との間にありますので、数字だけ見て過小評価されては困ると思います。
しかし、その他は全くそのとおり!と思います。
安倍さんに直接言ったことも含めて要するに、大規模な金融緩和によるインフレ誘導と財政支出拡大で需要刺激する政策は正しい。その際、財政支出は、インフレで被害を受けかねない弱者を救い、格差を縮めるために使ったり、少子高齢化という社会問題に長期的に対処するための、医療や教育の充実に充てるべきである。賃金上昇は放っておいてはすぐには起こらないので、政府がこれを助ける必要がある。…ということです。
本サイト1月26日のエッセーその他で私が言ってきたことと同じですね。また、供給サイドの構造改革は別途必要だけど、そのために規制緩和しなければならないとする論調があることに対しては警戒すべきだともしています。これもそのとおりですね。
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