松尾匡のページ16年1月13日 近刊著の訂正解説
前回のエッセーでもお知らせいたしました、私の近刊著、
1月20日出版予定 『この経済政策が民主主義を救う──安倍政権に勝てる対案』
大月書店さんサイトの紹介ページ(各ネット書店にリンクしています)
…ですが、実は、早くもミスが見つかっております。正誤表を挟み込んでもらったのですが、念のためお知らせするとともに、詳しく補足説明いたします。
この本の第1章で、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの片岡剛士さんが、下記リンク先レポートの中で推計されたグラフを使って論じている箇所があります。
「2015年1〜3月期GDP(一次速報)の結果から」http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka_column/kataoka150526.pdf
このグラフは、正確に言うと、横軸に完全失業率、縦軸に名目雇用者報酬前年比上昇率をとって、四半期時系列データを二次関数で回帰分析して導出されたものです。
私は、この縦軸を「1人当たり名目雇用者報酬」の上昇率と早とちりして、一般の人向けに分かりやすいように「賃金上昇率」と表現しました。つまり、賃金上昇率と失業率の関係を表す、いわゆる「フィリップス曲線」と受け取って執筆してしまったわけです。
実際には、この縦軸は、「名目雇用者報酬」の総額でした。したがって、フィリップス曲線ではありませんでした。
総賃金の増加が消費需要の増加につながる可能性を検討する文脈でとりあげた話ですので、論旨全体には影響がなく、むしろ論旨にかえって合っているのですが、この曲線がフィリップス曲線であるかのように書いている説明や、示されているのが賃金上昇率であるとしてなされている議論は間違いでした。
現物にも正誤表を挟んでいただいていますし、本サイトの正誤情報ページにも載せましたが、念のため、以下にも正誤表を示しておきます。
■30ページ 6〜7行目
誤 「賃金上昇率は4%台に」→ 正 「賃金総額の増加率は4%台に」
■51ページ 10〜16行目
誤 「そこで、今後の賃上げが……そうなります。」
→ 削除
■52ページ 1〜2行目
誤 「このフィリップス曲線にもとづく分析をおこない、」
→ 削除
■52ページ 2行目
誤 「賃金上昇率は2.0%」→ 正 「賃金総額の増加率は2.0%」
■52ページ 5行目
誤 「2%以上の賃上げ」→ 正 「2%以上の賃金総額増加」
■52ページ 8行目
誤 「実質賃金の上昇」→ 正 「総実質賃金の増加」
■55ページ 注4
誤 「推計したフィリップス曲線」→ 正 「推計した2次曲線」
■58ページ 注23
誤 「フィリップス曲線を」
→ 削除
読者のみなさまにも、片岡さんにも謹んでお詫びし、訂正いたします。
さて、それはそれとして、では賃金上昇率はどうなるのでしょうか。
それこそ、本当にフィリップス曲線を推計すればいいわけです。
「フィリップス曲線」とは、1950年代にニュージーランドのフィリップスという経済学者が見つけた関係で、縦軸に賃金上昇率、横軸に失業率をとって、各期のデータをプロットしたら、きれいな右下がりの曲線が出てくるというものです。失業率が低くなれば、企業は人手が手に入りにくくなりますので、賃金を上げて人手を確保しなければなりません。労働組合も、外部の人に取り替えられる恐れなく、強気で賃上げ要求できるようになります。だから、失業率が低いほど、賃金上昇率は高くなるのです。
しかし後年、なぜかこの縦軸が物価上昇率に変っていきました。日本でも、縦軸に物価上昇率をとったものはよく推計されているのですが、賃金上昇率をとったものはそれほどありません。
私が見つけることができたものでは、日本銀行のワーキングペーパーに、それを推計したものがあります。
新谷幸平、武藤一郎「賃金版ニューケインジアン・フィリップス曲線に関する実証分析」
この中の32ページに出てくる、失業率と時間当たり名目賃金上昇率の一番単純な回帰分析結果によると、自由度修正済み決定係数が20%余とあまりよくないのですが、最新の失業率データ3.3%を入れた場合、賃金上昇率は、0.57%の上昇となります。
自分でもちょっとやってみました。いろいろデータを探すのも加工するのもめんどうですので、内閣府の経済財政白書の最新版(平成27年)の長期経済統計に、1人当たり雇用者所得の前年比上昇率と完全失業率の年次データがあるので、これで回帰分析してみました。あんまり長期でやるのも意味あるのかという突っ込みはあると思いますが、年次データなので標本数がほしいので、1957年から2014年までの58年でやりました。
1人当たり雇用者所得の上昇率をω、失業率をuとします。このωを賃金上昇率とみなすわけです。
まず、二次関数で推計してみると、次のようになります。
ω = 0.29 - 13.72u + 153.1u2
相関係数は90.7%、自由度修正済み決定係数は81.6%、いずれの推計値もp値は極微小値になりました。
これに失業率3.3%を入れると、賃金上昇率は0.59%となって、だいたい上の結果と一致しています。なお、賃金上昇率が0%になる失業率は、3.47%となります。
ちなみに、参考までに双曲線でもやってみました。
計量の専門家はこんなの実証になってないって怒り出すでしょうけど、わかってますって。気になったからやってみただけ。ただの目安ということで。
ωu = 0.00093 - 0.025u + 0.011ω
相関係数とか意味ないんだけど、一応書いておくと、相関係数93.9%、自由度修正済み決定係数87.8%、いずれの推計値のp値も0.1%未満。
これに失業率3.3%を入れると、賃金上昇率は0.4%になります。ちなみにこの場合の賃金上昇率0%に対応した失業率は、3.65%になります。
要するに、3.5〜6%よりも失業率が少なくないと、名目賃金は上昇しないということです。失業率がこの水準を切って3.4%になったのは、2014年の年末になってからなので、今ようやく名目賃金が上昇するフェーズに入ったと言えます。まだ失業率3.3%に対応した0.4%とか0.59%とかの賃上げだったら、賃金は上がりはするけど、物価の上昇には追いつきませんけどね。
まあ、今中国当局がトチ狂って、元買い介入なんかしているらしいから、このあと中国経済がひどいことになりそうですねえ。このかん世界のあちこちで繰り返された典型的な「死亡フラグ」パターンじゃないですか。これに巻き込まれたら失業率がまた上がり出してしまいます。中国当局も早く誤りに気づけばいいけど。
しかし、この推計結果見てみると、望ましい賃金上昇までもっていこうとしたら、まだまだ失業率を減らせますね。護憲側野党は、貧困をなくし、保育所や介護施設の不足をなくすための、派手な政府支出策を打ち上げて、景気拡大政策をアピールするべきです。そのほか、返さなくていい奨学金を大盤振る舞いするとか、戦後補償を大盤振る舞いするとか、やりたいことは山のようにあるはずですけど、やれる余地はまだまだあります。
ちなみに、上に出てきた片岡さんは、縦軸が物価上昇率のフィリップス曲線の作図もされています。
「2015年の回顧と2016年の経済展望」http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka_column/kataoka160105.pdf
これによれば、政府・日銀の掲げる2%インフレ目標を達成する場合の失業率は2%台後半ということになります。そこまではまだだいぶあるので、まだまだ、増税なしで日銀が無から作ったおカネを原資にして、私たちの望む政府支出につぎ込んでいく余地があります。中国経済がやばすぎで、日本経済に必ず悪影響が出るので、護憲派野党はぜひ、みんなが目の玉の飛び出るような大盤振る舞いを掲げて、安倍さんに打ち勝って下さい。
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