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21年4月9日 『左翼の逆襲』冒頭の「ボツ」文章



【拙著『左翼の逆襲』ご書評ありがとうございます】
 またずいぶんとこのエッセーコーナーの更新をさぼってしまいました。それだけでなくて、去年の10月末からこのホームページ自体の更新が止まってしまいました。そのきっかけは紅茶をひっくり返してコンピュータを壊したことで、そこから始まるいろいろなプチ不運の顛末については、また近々このエッセーコーナーに書きます。
 プチ不運話もいいのですが、このかんにいくつか本が出てますので、その宣伝もしないと。
 ということで、今日と次回はまず、去年の11月に講談社新書として出た『左翼の逆襲——社会破壊に屈しないための経済学』について。私なりの一貫した哲学に基づいて、経済の現状分析と運動論、経済政策論、体制変革論を、一般向きに平易な書き方を心がけて論じました。
 まだネット上では書評があまり出てないのですが、有名人では斎藤美奈子さんからご書評をいただいています。『アエラ』書評記事の紙幅制約の中で、適切で簡潔なご紹介をいただきましてありがとうございます。
 それから、出版社さんの「南船北馬舎」さんが、いつも拙著に丁寧なご書評をくださっているのですが、今回もご書評くださっています。これまでのところ目にした中では、一番拙著の内容を正確に伝えてくださっています。「そうそうこれが言いたかった」というもので、本当にありがたいかぎりです。

【ボツになった書き出し部分掲載!】
 それで今日は、編集者さまのご指示でボツになった第一章の書き出し部分を公開。この本の執筆の苦労話もいろいろしたいところで、これ以外にも果てしなくボツが続いた話もあるのですが、とりあえず後日にまわして、今日のところは冒頭のボツ原稿のコピペということで。ツカミを取ろうと気合を入れて書いたのですが、やっぱりだめだった。ま「案の定」でしたけど(笑)。
 以下のとおりですが、だいたい去年(2020年)の2月ごろの執筆になります。

******** ここから *********
 2019年に「れいわ新選組」を立ち上げて、山本太郎さんはまさに「時の人」って感じで、本人の本含め、太郎さん扱った出版物も次々出てますね。私は、ときたま彼が必要を感じた時に経済政策についてご相談があるだけの関係で、それ以外のことについて、こちらから積極的に何か言うこともありませんし、意見を求められることもありません。新党結成の話も寝耳に水でマスコミ報道で初めて知りましたし。だいたいこんな党名とか、あらかじめ聞かれていたら絶対反対しますし。新元号が言われるたびにこの党名が想起されるという作戦なんですかね。こんな頭のいいこと私には絶対思いつきませんから。

 なのになんかネットじゃ、あらゆることを裏から操ってる黒幕みたいな書かれかたしてますし。前なんか一人前の全国紙がそんな感じのことを書いてたし。しかもなんだか、自分が賛同することを太郎さんがやっても何も言わないのに、自分が気に入らないことを太郎さんがしたら私のせいにして叩いてくる傾向が感じられるのは、被害妄想かな。

 こないだなんか太郎さんが馬淵澄夫さんと作った減税研究会に19年末に最初に呼んだ講師が高橋洋一さんだったもので、まあ、嫌韓・嫌中言動とかある人だから石垣のりこさんが怒って参加しないと言って騒動になりました。そしたらネットでは早速私が人選して呼んだことにされて叩かれました。なんでやねん。高橋さんって、維新の会の政策を推したりしてますので、関西の反維新運動界隈で反緊縮政策を広げようとしている身としては、太郎さんの研究会に呼ぶメリットなんて何もないですやん。だいたいテレビ出演で会って会話を交わしたことがあるだけで、直接の交流のある人でもありませんし。

 実は馬淵さんからは早い段階で、11月に事故に遭われたあとの病床から、その減税研究会の講師をするように要請を受けていました。そして、そのあと研究会の実務をされている大西健介議員から日程調整のお電話をいただいたのですが、どうにも日が合わず、年明けてから仕切り直しということになっていたのでした。結局1月半ばに私の回は実現しましたが、石垣さんはおいでになってなくて実に残念。そんな感じですので、馬淵さんの知り合いの人に片っ端から連絡して、最初に日程が合ったのが高橋洋一さんというそれだけのことだったのだと思います。

 前には、太郎さんが麻生太郎財務大臣の問責決議案の採決を棄権したことがあって、すぐそのあと、どこかのマスコミから、安倍さんから大臣のオファーがあったら受けるかと聞かれて、受けて財務大臣になって消費税を廃止すると、単なるファンタジーとして答えてはったことがありました。ところが一部ネットでこの一連のことが、太郎さんが安倍政権に近寄っているという話にされて、官邸の意向を受けてこれを裏から操ったのが私ということにされて叩かれた。知らんがな。

 そうかと思うと、薔薇マークキャンペーンって私が主宰した反緊縮政策候補の選挙認定キャンペーンで、以前脱成長論的言動をされてきた内田樹さんに「呼びかけ人」に加わってもらったことがあったのですが、そのあとまもなくして、れいわ新選組の参議院候補に、どちらかというと脱成長論的な発言をされていたことのある安冨歩さんが発表されたことがありました。そしたらネットでこの一連の流れをとらえて、私が太郎さんを操って反緊縮をやめて脱成長論の方にかじを切らせている現れとみなす見解が現れました。すごい。いろんな方向に自在に操ってるわ。

 最近じゃ、周りでは私をからかうための格好のネタにされていて、共産党大会に太郎さんが呼ばれたのに出なかったと言っては「あんたの差し金やろ」、市民連合の会合にれいわ新選組が出なかったと言っては「あんたの差し金やろ」等々と楽しそうに言ってきますが、本気にする人が出ますからやめてください。もう最近あんまり頭にきて、「メロリンQを考えたのは私です」と言ってまわっているのですが、みんなメロリンQ大好きだから誰も信じてくれへん。「戸塚ヨットスクールなんとか」という顰蹙な名前だったら、僕が考えたと思う人がでるかもしれませんが。

 からかいネタはともかく、マジでこんな妄想を書いているのを見ると、中卒の芸能人出身の政治家は自分でものを考えることができないというような差別意識をちょっと感じて嫌な気持ちになります。実際言うと最近では、経済関係のことで何の連絡も取り合うことなく、こっちの考えていることと同じことを太郎さんが言ってることもありますし、街宣やテレビでのやりとりを見ても、深いところから自分で考えてはることはよくわかります。具体的なことで自分の考えと違うことがたまにあってもいちいち言ったりはしてません。

 ましてや私には兵法を考える能力なんかありませんし、専門外のことを言うのも謹んでます。太郎さんが「一人牛歩」とかで野次・バッシングされているとき、思い過ごしに決まってるけど、「あのとき専門外のことのくせに不用意に激励したせいかも」とかつい思ってしまったら、自分のせいでこんな目に合わせているような気持ちになって辛くて見てられなくなります。専門の、自分が自信のあることを言ったせいなら、それでたとえ勝手に爆弾投げはっても責任を共有する覚悟はありますけど、そうでないことで太郎さんが叩かれても責任はとれませんので極力黙っていることにしています。

 そういう目で見ると、一番驚くのは、太郎さんがいつも言っていること——「人は生きているだけで価値がある。」これって、れいわ新選組の基本哲学みたいなものですよね。私としては一言もこれについて太郎さんに話した心当たりはないのですが、私の基本哲学と同じだなと感じ入っています。(...以下拙著の第一章に続く)
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 最近で言うと、れいわ新選組の候補者決定とか、私は一切関知していませんからね。いつも寝耳に水です。別に事前に知らせてほしいとも絶対思いませんけど。

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