松尾匡のページ

 04年7月9日 いちご板の本サイト評について


 春ごろ、さる筋から、このサイトが自由掲示板の「いちごびびえす」に取り上げられていると聞いて、早速のぞいてみた。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0414/L30
うれしはずかし(死語)である。257番以降。

 本人降臨も不粋だし、いつかこのエッセーにでも取り上げてやろうと思っていたのだが、相変わらずごたごたしているうちに時間がたってしまった。このコーナーでは専門の経済学徒にしかわからないことはなるべく書かないようにしているのだが、もしかしたらちょっと難しい議論がでてくるかも。一般読者のみなさまにはお許しを。

 さて、まず、本サイトの「用語解説:ケインズの経済理論」と「02年8月13日のエッセー」で、流動性の罠下の景気対策(税引後実質利子率を低下させる政策)の必要性を主張していることと、「研究内容3」で新技術の設備投資の勃興に不況からの景気反転の原因を求めていることとが、矛盾していないかという議論について。
 「研究内容3」の該当部分で議論していることは、資本主義経済の原理的な運動メカニズムの解明についてである。内的メカニズムとしてどのように再生産を維持する仕組みになっているかが問題なのだから、政策介入も何もない純粋モデルで考えている。だからそこで新技術の設備投資の勃興が景気反転をもたらすことがわかったからと言って、それが起こるまで何もしないで景気の悪化を放置すべきと言っているわけではない。人が何百人餓死しても、資本主義経済の再生産は持続できる。
 しかし現実問題として目の前で不況が続いているのは困る。価値判断としてよくない。だから景気対策を唱えているのである。

 そうした上で、「研究内容3」で説明した反転メカニズムが、うまく理解されていないようなので、ここで改めて解説したい。

 実は、この春、金沢大学の海野教授、神戸商科大学(現兵庫県立大学)の北野教授、京都大学の院生の瀬尾崇君、神戸商科大学の院生の神戸基好君と私の五人で、金沢大学で研究会を行った。そこで五人ともが、ほぼ同じような着想で不況からの反転メカニズムの話をした。以後この話をするときには、この研究会について言及する約束になっているので特に記しておく。したがって以下のアイデアについても、これに言及せずに業績に取り入れることを禁じる。

 実質利子率の十分な低下が機能する限り、景気循環は問題とならない。その場合、経済は不況に落ち込んでいくことなく、調和的成長軌道に収束する。景気循環の一局面として不況の進行ということが起こるには、実質利子率の低下不全、すなわち流動性の罠がなければならない。
 しかし問題は、流動性の罠をもたらす貨幣愛は危険回避的な主体を前提しているのに、不況の深化によって新技術投資が起こることは危険愛好的な態度を前提せずには言えないという矛盾にある。危険回避的主体ならば、不況が深化すればするほど新技術投資も減らす。

 そこで思い出されるのが、置塩信雄が『蓄積論』第1版だけで取り上げている議論である。置塩はここで、不況の底から新技術投資が起こることによって反転するメカニズムについて論じている。しかしなぜかこの記述は第2版では消えているのである。
 その理由はおそらく、第1版のこの部分の議論がゲーム論的状況を前提していることが、その他の部分の完全競争的前提と整合しないと考えたからだと思われる。この本は全般にわたって、市場で決まる価格のもとで個々の企業は無限に売れる状況を前提している。しかし問題となる記述の部分だけ、ある一企業だけが生産を増やすことによっても値崩れが起こる世界になっている。

 しかしよく考えたら、これはこれでよかったのではないか。景気がまともなときには一企業にとって市場規模は無限でも、不況が深化していった先では、一企業にとっても市場の制約が出てくると考えるのは自然である。それが連続的に変化し、ある程度景気がよくなったら、完全競争的近似が許されるものとみなせば、その点の想定が切り替わることは矛盾ではない。

 そうすると、不況が深化するとゲーム論的状況が発生し、最適投資決定が混合戦略として確率的になされるのではないか。
 「いちごびびえす」の論者は、ここのところの「確率的」という意味を、新技術投資のあたりはずれとして、すなわちネイチャーが決める確率として誤解したようである。そうではない。私の言いたいのは、企業が決める最適決定自体が確率的だということなのだ。
 だから、企業自体は危険回避的態度を前提していいのである。そうである限り、新技術投資の期待値は、やはり不況が深化すればするほど低下していく。
 しかし、不況が深化すればするほど市場制約はきつくなり、ゲーム論的状況が強まる。ということは、不況の深化につれて、なるほど新技術投資の期待値は低下するのだが、分散は大きくなっていくのだ。景気が十分いいときには、分散も小さくなるので、極限では分散はゼロ、つまり完全競争的に確定的な投資決定がなされることになる。逆に景気が悪くなっていくごとに、この分散が大きくなる。
 ということは、不況が深化するにつれて、マクロ的に景気を反転させるために必要な閾値を越えた新技術投資が起こる確率が高まることになる。期待値は下がっていくのだが、いわば分布のテールが太くなるので、期待値から遠い閾値を越えた投資でも、たまたま起こりやすくなるのである。

 置塩大師匠が生きておいでたら、こんなことを言ったら「企業家は、さいころをふりたまわず」と批判されただろう。
 企業家が直接に混合戦略をとるなどということはないかもしれない。それはやはり、キャラクターの異なる企業家が分布を進化論的に変化させていって、落ち着いた先の安定な分布が、合理的混合戦略と一致するということになるのだろう。
 
 
 


 
 

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