松尾匡のページ

09年3月7日 もう社民党もいっしょに梅林寺にこもれ(泣)



 前回のエッセーで社民党の機関紙の「社会新報」の言ってることを嘆いたところだったけど、その直後の3月4日号の「社会新報」を見てひっくり返った。
 いや、いいことも書いてあるんですけどね。特にいいのは、「野中章弘のメディアウォッチ」というコラム。中国共産党政権による人権抑圧を批判する立場から、中国政府におもねって、中国の現実や北朝鮮脱北者への取材をひかえてしまうマスコミの現状を憂いている。そして、中国政府の圧力に屈せず、中国の動静をきちんと伝えるべきだと主張している。うん、その通り。
 それからビルマ問題についての評論もよかった。ビルマの民主化運動組織が、茶番総選挙への参加を拒否している主張の紹介である。そもそも軍政におもねって「ミャンマー」などと呼んでいないところがいい。そして日本政府が、欧米諸国と違って、国連安保理でビルマ問題を取り上げるのを拒否したり、いまだにビルマ軍政への経済制裁を行わなかったりすることを批判している。これもその通り。

 それはいいんだけど、何にひっくり返ったかと言うと、最後の一面がまるまる、中谷巌氏のインタビュー記事なのだ。
 「社会新報」と言えば、前にも、フランスの極右政党の議員への肯定的なインタビュー記事を載せていたことがあって、あきれもはても尽き果てたものだったが、そのとき以来だわ。

 中谷さんって「転向」「転向」ってみんな言ってるけど、もともと右翼ナショナリストの心情の人で、こんなこととか、こんなこととか言っている人なんよ。別にこういう主張まで転向したわけでなくて、そもそもアメリカ型経済を導入しようとしていたことの方が時局におもねた転向だったんであって、本来こういう人なの。こんな文明論までぶってるし。もー、どろどろ(笑)! 社民党はわかっててやったんかねえ。わかってなかったんなら大間抜けだし、わかってたんなら「何でもありぃ」もここまできたかってもんだ。
 中谷さんはその昔、「日本型システム」なるものがもてはやされていた頃、それを肯定する立場にいたはずだ。三菱UFJリサーチ&コンサルティングのご本人のウェブページに当時の論考が残っていないか探してみたが、小泉「構造改革」時代の威勢のいい文章はいまだに削除も何もされずにいっぱい残っているが、それ以前の時代のは全然なかった。まあもともとまだ電子的な形で残る時代じゃなかったから仕方ないけど。一応ここに、昔「日本の系列が持つ経済合理性の研究」を研究テーマにしていたという思い出話が出てくる。
 濱口先生もブログで、中谷さんは転向ではなくて「回心」だと書いておられる。79年の論文で若き中谷助教授はユーゴスラビア型労働者自主管理社会主義への共感を書いているそうで、これは初めて知ってびっくりである。まあしかし憶測だけど、本気で社会主義を主張していたとは思えないが。20年ぐらい前の僕の院生時代の記憶では、日本型企業が労働者管理企業である(しかもだからいいものだ)というような研究が、マル経でない、体制側の経済学で大真面目にやられていたものだ。それにつながる立場なんじゃないかと思う。
 まあ、いろいろなブログで中谷さんの転向騒ぎの評論を見てみたけど、これが一番共感するかな(他の記事はあまりお勧めできないことも書いてあるブログだが)。
 そういうわけで中谷さんにとっては、本当は転向ではなくて回帰なの。これは、決して左派系党派が共感していいものではない。だいたい20年前に戦闘的組合活動家の前で日本的経営はいいなんていったら吊るし上げられたぞ。昭和恐慌のときにも、営利物欲追求の西洋個人主義文明は没落のときを迎えたとして、日本古来の共同体を対抗的に持ち上げる論調が沸き起こったものだ。その結果日本は破滅に導かれたものだが、こんなことの二番煎じを阻止することが社民党の存在理由だったはずだ。
 共産党と違って、誰でもなあなあになっちゃうヘタレさが、まあ社民党のいいとこっちゃいいとこなんだけど、左派系政党の姿勢として最低限何が大切かは押さえて欲しいな。それに仮に右翼ナショナリストの側への回帰ではなかったとしても、あるいは社民党の身上調査の至らなさを大目に見たとしても、あの人が「構造改革」時代にやってきたことを思えば、ほんの数ヶ月前の「転向」で、社民党が機関紙でまるまる一面費やして言いたいこと言わせて持ち上げてやるようなものじゃないだろう。

 さらに、例の「宇野雄」氏は、今号でも気炎を吐いている。今度もすごいぞ。一部引用すると、

…金融危機が米国で顕在化した昨秋には、日本経済は比較的軽症で済むとの観測が横行していた。先のバブル崩壊で日本の金融機関は不良債権を処理し、米国金融市場での取引も欧米の金融機関に比べれば少なく、日本の金融機関の傷は浅いとみられていたためだ。/事実、これを反映するかのように年明けには、「円」は為替市場で独歩高を演じ、1ドル90円割れという超円高が現実性を帯びていた。/ところが、金融危機が実体経済の危機に波及するや日本経済は暗雲に包まれた。…

「…観測が横行していた」「…みられていたためだ」ってひと事のように言って、それあんただろ
 しかもこれ文章のつながりがすごい。「1ドル90円割れという超円高が現実性を帯びていた」→「ところが」。逆接の接続詞である。そしてこのあと日本の実体経済が不況に叩き込まれた様が描かれる。
「それゆえ」だろ。
 ほんとにこの人は円高は日本経済の実力の反映であって経済にとっていいことだと信じていたらしい。
 そしてこのように述べる。

…いかに輸出依存の経済体質であったかが白日の下にさらされたのである。対米輸出よりも対中輸出が増えたから、対米依存はかつてほどではないとの見方もあったが、フタをあけて見れば、対中輸出も中国経由の対米輸出だったのである。

 今頃わかったんかい。いや「対米依存」とか言うけど、おっしゃる通り円は「独歩高」なんで、ヨーロッパに輸出していようがアフリカに輸出していようが、中国が自国で消費してくれようが、どこを市場にしてようが、景気が打撃を受けたことには違いないですがなにか。

 それにこのコラム、「輸出依存」をやめろって、ここでも、冒頭でも、結論でも書いてあるんだけどね。そのくせ前に「国際競争力」などという、左派系政党の機関紙にあるまじき言葉を使っていたことはまあ忘れてやろう。たしかに総需要のうちの純輸出に頼って景気回復させていたという弱点を改めなければならないのはその通り。外貨ばかり増えるだけで、人々の生活が豊かになったわけではない。そうではなくて、総需要のうちの消費の項目が増えることによる景気の拡大が目指されるべきであって、それは労働大衆への分配の改善にこそ伴うものである。
 それはそうなんだけど、消費が増えたらその中で輸入品も増えるのだ。消費財生産の原料や燃料などのためにも輸入が増える。そしてこれは悪いことではない。「宇野雄」氏も以前のコラムで、輸入食料品の価格が下がれば、国産企業は競争にさらされるが消費者にとってプラスなどと言っていたから、これを否定することはあるまい。
 そもそも今後少子高齢化が進んで、たくさんのお年寄りと、そのケアをするたくさんの労働者のために、残りのヨリ少ない人々で消費財を提供しなければならなくなるのだ。みんなが生活が貧しくなるのがいやならば、比較的に不得意な生産物の自給はやめて、輸入に頼るほかなくなる。その見返りには、比較的に得意な生産物を輸出しなければならない(さもなくば外国の労働者を搾取して利子や利潤をたくさん受け取らなければならないのだが、そんなことを社民党が推奨するのかね)
 そうすると、純輸出に依存した景気拡大をやめて、たとえ純輸出(=輸出−輸入)ゼロで、全部消費の拡大で景気拡大したとしても、輸入が増えるんだから輸出も増えないといけない。そうでなかったら、総需要が漏れて景気はよくならない。「輸出依存」はやめることはできるが「輸出依存」自体はやめることはできないのだ。
 だから円高に振れれば景気は下振れするという法則自体からは、今後永久に逃れることはできないのである。円高メリットなるものを享受したいならば、下振れしてもいいくらい、まず景気を良くしておくことだ。

 しかしこの人、円高は世界が日本経済の強さを評価したものだと書いたかと思うと、今回こんなふうにも言う。

…こうして2月後半になると、日本経済の対米依存体質が見透かされたようになり「円」は1ドル90円から95円へと安くなった。この円安には麻生政権の不安定さも加わる。…(中川事件の話略)…日本は明らかに世界からの評価を下落させている。

 ああよかったね。90円が続いていたらどんな無茶苦茶なことになっていたことか。麻生政権には景気回復のためにもっと失態を演じてもらって日本の評価を下げてもらおう。って思ったら、このあとすぐ次のように続く。

日本は世界第2の経済大国であり、現下の世界的な経済危機に対して景気回復の先頭を走る立場にいる。それなのにこのありさまでは凋落していくばかりだ。

……。円安になったら凋落するのか。
 「大国」などという表現を肯定的に使うという左翼文化をはずした書き方にも驚くが、「景気回復の先頭を走る立場」って何を根拠に言っているのだろう。「構造改革」以来、歴代自民党政権の反労働者的政策と日銀の金融引締志向に痛めつけられて、もともと満身創痍じゃないか。
 だいたい貿易収支が赤字になって、それが拡大しているのだから、ちょっとは円安にもなって当たり前なのだけど、仮にこの人の言う通り、日本の評価が下がって円安になっているんだとしよう。円高が日本経済の強さの反映でいいことだとか、円安は日本が評価を下げた表れだとか言って、いったい誰の評価を気にしているのだろうか。
 もちろんグローバルに資金を投資してもうけようと思っている人達だ。その中心はアメリカの金融ブルジョワジーってことになるな。
 アメリカの労働者大衆がもっとモノを買って下さることを望むのは「対米依存」でよくないんだと。それよりはもっとアメリカの金融ブルジョワジーに評価されることを目指すべきなんだと。ふーん。

 もう社民党には「宇野雄」氏と手を切ることを真剣に勧める。


「エッセー」目次へ

ホームページへもどる