松尾匡のページ11年2月24日 「不況は人災」講演の反響と穀物バブル対策のアイデア
前回のエッセーの最後に、「肺に結節がある」とかで精密検査に行かされると書きましたが、CTスキャン撮りにいきましたよ。
カミさんが病院勤め(カルテの管理の仕事)なので、CTの予約いれておいてくれていて、行ったその日に撮れたから、こういうときだけは助かりますね。それでも待ち時間は延々長くて、カミさんが仕事中というのに何度も待合室に様子を見にきた。なぜかカミさんの後輩たちもめずらしいものを見るように見にきた。
結局、肺自体は何もありませんでした。とりあえず一安心。でも今度はそれを見て、「副腎に腺腫がある」ということになって、久留米大学病院の本院にまわされて、またまた精密検査するはめに...。もともと職場の健診で、コレステロール値が高いと言われていたこともあって、ひょっとしたらこれが原因の可能性も否定はできないとのこと。
で翌週本院に行ったのですが、血液検査に時間がかかるので、また次の週まで待たなければならず、ちょっとだけ気にかかる日々でした。
結局これもなんともないということで、ようやく安心。コレステロール値も、まだ上限をちょっと超えていますけど、11月の健診のときよりだいぶ下がっていました。
実は職場の健診のとき校医から、これは薬を必要とするレベルだと警告されて、厳格な食事制限を指示され、それ以来、卵とレバーはいかなる生き物のものもタブーになっているのです。卵ごはんも、オムレツも明太子もウニもイクラも子持ちシシャモも大好きなのに。チリメンジャコも内蔵を食べることになるからダメなのだ。
もともと久留米大学にいたころは、片道40分、うち30分は河川敷ノンストップの自転車で毎日通っていたので、いやでも運動になっていたのですけど、移籍後それがなくなって..。毎週長距離通勤していたらやたらと疲れるので、あたかも運動している気になっていたのですが、実は違っていて、一昨年度の健診では「脂肪肝だ」と言われたのでした。それでその後、食事はなるべく節制しているつもりだったのですけど、昨秋になっても依然肝臓関係の数値はやや悪く、コレステロール値は高すぎると怒られちゃったわけです。
というわけで、卵肝臓摂取禁止に加え、急がないかぎり、南草津駅と立命館大学の間は極力30分歩くことをこころがけています。夜久留米駅に着いてからも、自転車駐めてなければ、自宅まで20分余歩くことが多いですね。
この正月など、元旦どこにも行かずに家で正月料理をとって食べたのですが、あれはどうしても内蔵食べますよね。まるごと食べる魚が多いし、カニミソも食べちゃう。それで、「こりゃ運動しないとだめだな」……と一言言ったばかりに、正月早々、その後片付けを全部一人でするはめに陥ったのでした。
まあ、その成果が現れて、肝臓関係の数値は全く正常、コレステロール値も大きく下がって、医者からは、薬を飲む必要はなくこのままがんばればいいと言われました。え? もちろん、カミさんのおかげですとも。はい。
【不況は人災講演の様子お取り上げいただきました】
ところで、『中央公論』の最新号で、宮崎哲弥さんと永江朗さんの対談で、拙著『不況は人災です!』が勧められているという噂が届いています。まだ確かめてないのですが、本当ならありがたい話です。
前々回のエッセーで書いた全労協での「不況は人災です」講演については、全労協さんのFax情報のページで1456号(pdf)に載せて下さっています。“インフレ政策に「反対」、「賛成」など今後大いに論議が湧くであろう講演となった”とまとめて下さっています。はい。これをきっかけに議論が湧いてもらえたらうれしいです。
全労協さんの女性委員会のページでも、女性委員会通信177号(pdf)にわりと詳しく載せていただいています。拙著まであげていただき、ありがとうございます。
「労働情報」さんのサイトでは、「たたかいの現場から」のページで、“「不況脱出には賃上げ、とくに非正規労働者の賃金・労働条件の改善と、医療・福祉・子育て支援が必要」など、すとんと胸に落ちる非常にわかりやすい講演となった”とご評価いただき、ありがたく思います。
まあしかしあの本でも書きましたが、ボヤボヤしてると、日本を尻目に諸外国の景気拡大が進んで、そのせいで資源価格高や穀物価格高がまたぞろひどくなったりしたら、インフレ目標政策なんかとりたくてもとれない状態になってしまうかもしれません。そうなったらせっかく拙論にいただいた好意的ご評価も台無しになっちゃうかもしれませんね。(もっとも、逆に、新興国のバブルが過ぎて当局が金融引き締めに乗り出して、景気が悪化することのまきぞえを日本もくってしまう心配の方が現実的かもしれませんけど。)
【四トロさんからもお取り上げいただきました】
講演への批判的なご論評がないかなと思ったら、ありました。おおっ、四トロさんやおまへんか。世界の第4インターナショナルから除名されて分裂とかしてたとは聞いていましたが、その後どうなっているのか全然フォローしてませんでしたけど、続いていたとはそれは重畳。この「かけはし」の2月14日号の記事に取り上げていただいていました。
しかし率直に言って筆者には、かなり疑問の多い議論に思えた。たとえば、金融政策と「期待」がもたらす効果に対する過大と思われる評価、一国的枠組みの議論、したがって資本のグローバルな展開と国際金融資本の破壊的役割並びにそこに求められる規制の問題がほとんど見逃されている点、そしてインフレ志向とされているヨーロッパ左翼、つまりは彼の地の社会民主主義が今完全な袋小路に入っていることへの検証の不在、などを挙げることができる。
とのことです。一応読者の誤解のないよう補足しておきますが、社民系の欧州社会党だけでなくて、共産党系の欧州左翼党はもっと鮮明にインフレ志向なのです。もちろんそのことは講演でも言ったのですが、四トロさんからすれば、それもしょせん社民化したスターリニストのなれの果てなんでしょう。
【金融政策が人々の予想に与える効果】
金融政策と「期待」のもたらす効果については、とりあえず手持ちの材料からは、金融引き締めのマイナス効果も含めて、「効果があった」というストーリーは作れたというのが講演の内容です。もちろん、別の要因によって起こったことがたまたま重なっただけだという批判も成り立つので、厳密にはもっとデータが蓄積された今後の実証研究に待つしかないですけど。
それにしても、講演でも拙著でも、一般にわかりやすいように一貫して「予想」と言っていたのですけど、わざわざ「期待」と専門用語に言い換えておられるのはかなりの「通」ですね。どこかでこの効果について否定的な議論を目になさったものと思うのですが、「期待」が大きな影響を持つことは、右から左まで現代経済学共通の認識でしょう。企業にとっても労働者にとっても、将来の収入の予想が現在の支出に大きな影響を及ぼすことは直感的にも明らかです。人々が将来の収入について不安を抱えたままならば景気がよくなるはずはないです。
(このとき、特に、設備投資決定とかマイホームや耐久消費財を買うときとかに、現在の支出と将来の収入を金額で比較して、それと名目利子率との引き合いを勘案することと、現在の支出と将来の収入との比較を物価変動を除いた実質で考えて、それと実質利子率との引き合いを勘案することとは、物価の上昇予想を、同じ不等式の左辺に足すか右辺から引くかの違いにすぎず、数学的には全く同じことです。)
講演スライドでは、普通の国債と物価連動国債の利回りの差「ブレーク・イーブン・インフレ率」を、人々のインフレ予想を表すものと考えて、金融政策によってそれが動いていると見られる様を日本の場合について示しましたが、拙著ではそのほかに、リーマンショック後のアメリカのケースでそれがはっきり見てとれるグラフをあげました。拙著の資料のブログ「Zeroから始める」に掲載してありますこんなのですけど。
青線が、中央銀行の出しているおカネの伸び率、ピンクの線が人々のインフレ予想を表す「ブレーク・イーブン・インフレ率」です。リーマンショック後、ブレーク・イーブン・インフレ率は一気にマイナスにまで落ち込んだのですが、中央銀行が急速におカネを出したのを受けて、すぐ反転してプラスに戻っています。
ただ、ブレーク・イーブン・インフレ率なんて、債券市場でさかんに取引している一部のブルジョワの頭の中にあるインフレ予想にすぎませんから、大衆消費を動かそうとしたら、もっと大衆の頭の中の予想に影響するように、中央銀行はずっと大々的な確約と宣伝が必要でしょうし、最低賃金の引き上げスケジュールとか安心できる福祉の確立も必要でしょうというのが私の論旨になります。
【国内の政策責任をあいまいにしたくない】
それから、一国的枠組みにとどまっているという批判は、さすが四トロさん。世界革命論者たるものそうでないといけません(笑)。
別に私は国際的問題を見逃しているわけではなくて、みんな言っているからあえて言ってないんですね。リーマン破綻恐慌後、誰もが「サブプライム」「サブプライム」とそればっかり言っていて、そのことが日本の「不況戦犯」の面々の責任から目をそらせる効果を持っていたのではないかと強く危惧するのです。今でも与謝野さんの入閣のとき、政党を渡り歩く変節とか、自民党の比例代表名簿から復活当選した身であることへの批判ばかり聞かれましたが、リーマン破綻恐慌後の不況戦犯ぶりへの言及は一向に聞かなかったです。
実際にはリーマンショック前にとっくに景気は悪化していたし、たとえ外から不況が来たとしても、被害を最小限にくいとめる責任は政策当局にはあったことでしょう。そのことはきっちり認識しておかなければならない。不況戦犯の面々も不況の被害者もいっしょにして、手を取り合って「外」のアメリカを非難するという図式にしては絶対にならないわけです。
【世界経済不均衡の根本原因は「過剰搾取」】
でもこの際だから、リーマン破綻恐慌を引き起こした世界経済について、私がどう思っているのか一言書いておきましょうか。
ここでもやっぱりですね、左派空間の中では、アメリカ一人悪者にして、あとは全部被害者で、手を取り合ってアメリカを包囲しよう的な図式が幅を利かせがちなのですが、これは事態の本質を見失わせるものだと思います。おカネが瞬時に世界を駆け巡るのを目の当たりにすると、何かそういう現代特有の現象がこんな大問題を引き起こしたようなすごい時代を迎えている気になりますけど、そうではなくて、本質的には資本主義経済とはもともとこういうことを起こすもので、これまでも何度も経験してきたし、これからも何度も経験するはずだ。これを基本におさえておくべきです。
だからまず、「国際金融資本」みたいなこと以前の、資本主義経済システムに昔から共通することからおさえておきたい。そうすると、アメリカ政府などが「中国などの過剰貯蓄が投機にまわったのが事態の原因」という言い方をするのに対して、左派系世界では「盗人猛々しい」と反発する論調が多いですけど、果たしてそうでしょうか。「過剰貯蓄」とは、主流派経済学の穏当な言い回しで、正確には「過剰搾取」と言うべきではないですか。それが事態の原因という見方はズバリ的を射ていると思います。
その犯人は、もちろん中国の民間資本も国営資本も主役であることには間違いないけど、ほかならぬアメリカ資本も、日本資本も、世界中の資本が中国に群がり寄せて、中国の労働者を搾取していたわけです。そしてそれを中国共産党独裁が支えていた。だから、「悪いのはアメリカか中国か」という問題の建て方が間違っているのですね。アメリカも中国も、世界の支配階級が共犯だったと言えると思います。
まあ、「過剰搾取」は日本もアメリカもそうだったと思いますけど、そうやって作り出された剰余生産物が、中国などの新興国での設備投資にあてられていた間は事態はまわっていたのです。それでも余る分はアメリカの富裕層の消費で引き受けることができていた間は。しかし、設備投資というものは、増えるときはどんどん増えるけど、ときどき挫折してどんどん減りだす。そしたら、その分搾取が減って労働者の消費が増えれば何も問題はないのですが、資本主義経済ではそうはいかないので、資本主義経済では総需要不足でときどき不況に陥ることは避けられないわけです。この挫折のきっかけはいろいろあり得ますけど、それはあくまで「現象」であって、今言った「本質」は資本主義であるかぎり昔から変わらない。
今次恐慌の投機マネーの問題も、それはそれで重要ですが「現象」レベルの話です。本質的に変動を緩らげようとするならば、景気が好転して設備投資が拡大する時に労働者の消費も十分に拡大するように、また、景気が挫折して設備投資が下落するときには労働者の消費の拡大がそれを埋め合わせるように、「過剰搾取」を解消しなければならない。そのためには、中国で自由な労働運動が発展し、相手が国営・民営・外資を問わず、階級闘争が闘えるようにならなければならないわけです。もちろん、「過剰搾取」は日本もアメリカも同じですから、新自由主義の攻撃で世界中で衰退してしまった労働運動の世界的再生が必要なわけです。「消費の拡大」とか言ったら、またヒステリーを起こす人がいそうですけど、福祉も子育て支援も消費の内ですから誤解なきよう。
【緩和マネーが穀物投機にまわる件】
だから、国際資本移動に規制をかけることの戦術的意義は否定しませんけど、搾取が強い国と搾取が緩い国があれば、緩い国から強い国に向けて資本が流れるのは自然の流れです。それを人為で止めることで、世界のどこかで自分たちより搾取されている労働者がいるのに安穏としていられるという状態を望むのは、左翼のやるべきことではありません。世界中の労働条件が高い方にあわせるように労働運動が連帯することが一番の基本だと思います。
それをふまえた上で、戦術的レベルで、投機マネー規制をどうするべきか考えたいと思います。そうしたときに、人々の暮らしという観点からして一番問題にすべきなのは穀物投機の問題だと思います。
私が「サブプライム」「サブプライム」と世間で諸悪の根源のように言っているのの尻馬に乗りたくないのは、「貧しい人は分相応なところに住めばよい」というような議論にすぐ回収されてしまうからです。「私有財産とは自ら働いて稼いだ成果」というイデオロギーに加担するのはすごくイヤだ。何かの形で、貧しい人にもまっとうなところに住めるためのおカネがまわる仕組みは必要だと思います。
株のことで「バブル」「バブル」と悪し様に言うのの尻馬にもあまり乗りたくないですね。株価が収益実態以上に上がるのは、景気回復にとってむしろ必要なことでしょう。
こういった問題については、税制や規制などで、変動が行き過ぎないようにテクニカルな工夫を緻密にやっていけばいいことだと思います。
さしあたって一番なんとかすべきことは、やっぱり、アメリカの景気対策でドルがたくさん出たりしたら、穀物投機に流れて暮らしに困る人が出てしまう問題です。このせいで金融緩和への悪いイメージが助長されたりしたら、さらに問題です。
これを防ぐためには、さしあたりまず「増価税」が考えられます。保有する穀物の時価と、取得時の価額との差額に課税する。
これは、世界的にやらないと意味ないでしょうね。少なくとも、サミット国の共同政策として実現するよう求めていけばいいのではないかと思います。
【農業自由化は長期の課題として必要】
そのうえで、今回提案したいのは、世界の穀物価格安定化のための備蓄です。つまり、穀物価格がある線を超えて高騰したら、ストックしていた穀物を売りに出してバブルを潰す。逆に、ある線を超えて下落したら、穀物を買い入れて生産者の打撃を和らげる。そのための穀物ストックを備蓄しておこうというわけです。
こんなこと考えたのは、「TPP」「TPP」って最近話題なんで、農業自由化問題について考えていたんです。
農業自由化って、「構造改革」と同じで、失業者を雇いつくした経済の「天井」を高めるための政策です。景気対策では絶対にないです。工業製品の輸出が増えても、輸入も増えるので景気にプラスなわけではありません。工業製品にせよ、農産物にせよ、輸出競争力をつけたいならば金融緩和で円を安くすればいいだけの話です。
だからこんなことは、失業者いっぱいの不況の中でやることでは決してないです。今の状態では、つぶれた農家はただ失業者になるだけです。(ちなみに余計なことを言うかもしれないが、高い国産農産物に甘んじようと主張するTPP反対派が、たかだか2%のインフレ目標に目くじら立てるのは自己矛盾もはなはだしいから心するように。)
でも、経済の「天井」に達した長期の話をすれば、やはり農業は自由化すべきだと思います。
これは、長期的に労働力人口が減ったときに、医療や福祉の労働を十分確保するために、農業への労働配分を減らすためというのも理屈なのですが、もともと農業人口ってとても少ないですので、これでどれほどひつような人手が確保できるかは微妙なところです。まあものすごい長期の話としてはアリかもしれません。
それより私が重要なことだと思うのは、発展途上国の貧困問題をどうするのかということです。すべての国が工業化しなければならないとは思わないし、それこそ環境問題などを考えると、すべての国が工業化するのがいいこととも思いません。でも、先進国並みに健康な人生が保証できるためには医薬品などを買わなければならないし、携帯電話もパソコンも蛍光灯も水道設備も清潔なトイレも欲しいでしょう。自分は先進国に住んでこれらのものを享受しておきながら、こんなものは不要で自然に生きろなんて「どの口が言うか」ということになります。
ふりかえってみれば、ニュージーランドもデンマークももともと農業国として豊かな先進国になっているわけです。よく知らないけどカナダももともとはアメリカに穀物輸出して喰ってた国だったんじゃなかったのかな。農産物を輸出して豊かになる道はあるはずです。
それがなぜできないかというと、先進国が自国農産物を保護しているからです。工業製品を売りつけてくるくせに、自分たちの農産物は買ってはくれず、それどころか補助金つけて農産物まで逆に売りつけてくる。途上国から見ると身勝手な話です。しかたがないから熱帯産品に特化することになって、過剰生産で買いたたかれたりするわけです。
【備蓄ストック買い入れが農家保護になる】
というわけで、長期的には、先進国は農産物の補助金も関税もなくして自由化していくべきだと思います。そしてその過程では、もっぱら国内農家から上記システムの備蓄用穀物を買うことで、保護政策にすればいいのではないかと思います。
もっとも、穀物価格が上がっているときに、備蓄ストックがやがて尽きてしまうことが見込まれたならば、そのあとの穀物価格高騰が確実ですので、世界中の投機筋がむらがりよせて放出穀物を買っていくことでしょう。かえって投機と価格変動を煽ってしまうシステムになっちゃいます。だからこんなことは一国だけでやるのは力不足なので、世界中で国際機関を作ってやるべきでしょう。穀物を売りに出すときは、世界の中から特に穀物不足が深刻なところを選んで売るようにすればいいと思います。
国家が動き出さないならば、NGOを作ってやったらどうでしょうか。
ちなみにNGOで同じようなシステムを作るならば、将来二酸化炭素の排出権市場が発展したときに、排出権でバブルが起きるのを防ぐための、排出権「備蓄」をする仕組みを組織したらいいかもしれません。炭素税は「価格を公定して量を民間にゆだねる」のに対して、排出権は「量を公定して価格を民間にゆだねる」仕組みです。ところが量が一定のものが市場取引されると、株や土地に見られるように、バブルが起きやすいという問題があります。そこで、環境NGOが、日頃は環境基準を全体としてタイトにする目的で排出権を買い集めておいて、いざバブルが起きたときには早めにそれをつぶすために売りに出すという操作をすればいいかもしれません。
緩和マネーが原油投機にまわる件についても、同じ対処が考えられると思いますが、省二酸化炭素技術への転換の誘因をつけるためには、外部不経済を反映しない均衡価格よりも高いバブル価格がつくことも、ある程度見逃すべきかもしれません。
このエッセーは20日に書きはじめて、またあしかけ五日もかけてしまった。市議会選挙が四月に迫っているもんで、春休みになったとたん応援している市議会議員の後援会では渡りに船と目をつけられて、こんな感じの機関紙毎月作ったり、こんなポスター原稿作ったり、チラシとか案内手紙とか書いたり、業者と連絡等々した上に、配布作業、票集めとフル稼働!
そこにもってきて、院生の博士論文研究指導とか学会機関誌編集の仕事が降ってきてアップアップです。
いろいろいただいた本の書評とかしなければならないと思うのですが、当分お待ち下さい。
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