松尾匡のページ11年4月14日 ちょっと思考実験してみよう
授業最初の週終わりました。「社会経済学初級α」と称するマルクス経済学原論講義を週二コマ持っているのですが、後期、三人の担当者でクラスを分けて同じ講義をしているものを、「落とした人」とか「取れなかった人」用に前期私が一人でやることになりました。
三人で同じ講義になるように合わせてやっているときは、いつもなんかもどかしいんですけど。やっぱり、ほかの担当者の人たちが、主流派経済学に対抗する客観科学を標榜する姿勢で臨んでいるので、あんまり思想的なことが言えないわけです。「マルクス」という名前自体なかなか出しにくい。
今回はじめて一人でやりましたので、最初に、客観科学としては主流派経済学の方法論でいいんだって言い放って、ミクロ経済学とマクロ経済学は勉強しろと言いましたからね。
一旦そう言ったらもう何もはばかることはない。いやなら後期に正式のが履修できる「裏」講義。マルクス、エンゲルスの生涯から始めて、「マルクス主義の三つの源泉」とか言って、今日はフランス社会主義の思想史みたいなことまでやりました。好き放題イデオロギーを語っています。
さて、今回は前回のエッセーの続きみたいなものなのですが、一つ「思考実験」をしてみましょう。
政府支出資金を作るために、国債の日銀引き受けをするとして、それを「物価連動国債」でやったらどうなるでしょうか。つまり、満期が来て政府がおカネを返すときの金額が、インフレになったらその分膨らむ仕組みの国債ですね。こいつを発行して、日銀に買取らせて、日銀は無からおカネを作って政府に渡す。
で、期限が来たら、また物価連動国債で借り換えをするわけです。
これ、インフレになったら、日銀のバランスシートの資産側が膨らんでいきます。ハイパーインフレにでもなろうものなら、日銀の資産額が爆発します!
国債の日銀引き受けと聞いたとたん、「日銀のバランスシートが毀損する」→「通貨の信認が失われる」→「ハイパーインフレになる」と言い回る人たちは、これ、どう評価するんでしょうね。
どれだけ日銀引き受けを続けても一向にインフレにならないということになりませんか。
実際にはそんなことあるわけない。普通の国債で引き受けしようが、物価連動国債で引き受けしようが、実体経済には関係ないことです。どっちにしても、ほどほどにやれば景気がよくなって万々歳だし、歯止め無くやり続ければインフレが悪化します。
結局、財やサービスの供給能力に対して、財やサービスを需要するおカネが超過すれば、供給が追いつかなくなってインフレが悪化する。供給が追いつくならばインフレは悪化しない。単にそれだけのことです。
政府部門の中の政府と日銀のやり取りがどういう形式をとるかは形式上のことにすぎません。日銀に買い取らせるのが、普通の国債であろうが物価連動国債であろうが、五百円玉を改造した「百兆円玉」だったとしても、ケチャップだったとしても、与謝野晶子自筆日記だったとしても、菅直人サイン入り色紙言い値十兆円だったとしても、実体経済には関係ないことです。(あ、ケチャップだったら関係するか。)
そういえば、戦時中、日本軍は、中国にインフレを起こして経済を壊滅させることをもくろんで、たいへんな苦労の末、女子挺身隊員の手あかまでつけた精巧なニセ札を大量に作って中国にばらまいたのですが、結局たいしたインフレにはならず、かえって景気がよくなってよかったそうです。バカウヨ歴史教科書は「日本軍の偉大な国際協力」として載せればいいのに(笑)。
このとき中国政府は日本軍に追われていて、本物の通貨を発行する機能は崩壊していました。日本軍の持ち込んだ何の裏付けもない紙切れが、立派に通貨として機能したことになります。
こんなものなのですよ。通貨の裏付けが何であるかなんて、実はあまり大事な問題ではないのです。みんなが「問題だ」「問題だ」と思うから、ホントに問題になってしまうニセ問題なのです。
まあ、さっきの話は、あんまり「通貨の信認」「通貨の信認」とかいう話が多すぎるので持ち出した思考実験ですけどね。でも世の中そんな思い込みで動く人がたくさんいるなら、ホントに物価連動国債で日銀引き受けすることもマジで考えるべきかもしれません。
インフレが悪化してきたら、満期近くの国債で売りオペすれば、インフレになった分それだけたくさん貨幣が吸収できますし、インフレで税収額が上がっていれば、それ買った人に政府がおカネ払うのもそれほど難しくないかもしれません。おっ、案外いいかも(笑)。
だいたい、日本共産党が率先して「日銀引き受けは通貨の信認を失わせ、悪性インフレを招きます」と言うのはどうよ。ブルジョワ側の白井さんが、EU専門家として、欧州中央銀行は国債引き受けなんかしないと言うのは当然でしょう。でも、EU各国共産党の作る「欧州左翼党」は、ギリシャ危機に際して、「欧州債」というのを創設して欧州中央銀行が引き受けることで資金を作ることを提唱していましたよ(正確には、欧州中銀の公的与信を提唱しているが、「欧州債」形式はギリシャのメンバー党の提案:4月20日追記)。我が共産党、なんかガラパゴス化してない?
ソ連にも中国にも屈しなかった「自主独立」の日本共産党ですかそうですか。
ところで話は変わって、東電が賠償金どうするのかという問題ですけどね。結局国庫から出すしかないとすると、それで増税されたら、何で我々が政府や東電の責任をかぶらなければならないのかってことになります。そしたらまた例によって、日銀が無から作ってと言いたいところですけど、あんまり白川さんや与謝野さんを怒らせることばかり言うのもなんですから、ちょっと今日は別のことを考えてみたいと思います。
東電が増資して株で賠償を払ったらどうなるでしょうか。形式的には一旦賠償金を払ってそれで東電に出資したという形式でもいいんですけどね。結局は株で払うのといっしょ。
そうすると、もともと株が暴落しているところにもってきて、さらに増資するわけだから、株価はものすごく安くなるはずで、それで賠償に足るだけの金額の株を渡したならば、おそらく東電は「被害者所有企業」ということになります。
被害者所有企業ってどんな振る舞いをするのでしょうか。ちょっと真面目な研究テーマになりそうなのですが。
何度かこのエッセーコーナーでも触れたと思うのですが、大学院生の時の先輩の三上和彦さんが、企業の所有形態を応用ミクロ経済学で分析する研究をしています。今度、今までの研究成果が洋書になって出るので楽しみです。みなさんも是非ご検討下さい。
その年来の主張は、「リスクを最も被る者に主権を配分するのが効率的」というものです。これ「三上命題」って名付けたいと思ってます。
だから、たいていの場合、出資が戻らないリスクが一番大きいので資本主義企業になるけど、従業員に重大なリスクがかかってくる仕事の場合労働者管理企業になる。食べ物などで健康を害するリスクを重視すれば、消費者が主権を持つ生協になる。こういうわけです。
被害者所有企業ってある意味究極のこれですね。「最もリスクを持つ者が主権を持つ」そのもの。
鉱山とか、立地が定まった工場なんかだったら完全にあてはまります。東電の場合は、別のところに原発を建ててしまう可能性もあるので、今の被害者がイコールリスクを被る者とはならないのですけど、でもどうでしょうか。やっぱりまた事故を起こしたら株価下がりますし、それを恐れたらへんな判断はしないと思います。もちろん福島原発は廃炉を選ぶでしょう。
もっとも、ゴリゴリの新古典派リバタリアンに言わせれば、原発なんて採算性のないものに手を出すなどナンセンスらしいので、本当に資本主義企業がその論理だけで動いたら、もともとこんなことにはなってなかったのですね。形は民間企業であるせいで国会のコントロールがきかないけど、実は税金垂れ流す国家機関。「満鉄」みたいなものか。こういう中途半端な形態が一番たちが悪いんですよね。
そういえば、そういうの、もう一つあったな。形は民間企業であるせいで国会のコントロールがきかない国家機関(笑)。もっとも、国会も社共を含めそもそもコントロールしようとする気すらなし。
原発関係では、この↓ブログ記事とコメントに考えさせられることが多かったですね。
福島には原発が必要だった(「夢の中ではうまく歌える」)
雇用も遊ぶ所も何もない所で、圧倒的プロパガンダを受けて原発を受け入れていった生々しい話。麻薬のような補助金漬けの巧みな仕組みや、地方の置かれた苦しい経済状況がよくわかります。そして今ウソの宣伝から目覚めて「原発はもう要らない」と。
これに、もともとから地元で反対していたと思われる人が、反発するコメントを書き込んでおられるわけです。
お気持ちはよくわかります。思い出したんですけど、昔、関西でつきあいのあった労働組合の、一般組合員のおじさんが酔ってくだを巻くのにつきあったことがありました。会社側の攻撃が終わった後になって、反会社側第一組合に戻ってくる人を仲間に受け入れることへの反発を語ってくださったわけです。本当にお気持ちはよくわかりました。
でもその人も、外部者の大学院生の若造と思っているから、酔って本音を言ったまでで、本当はそんなことを言うわけにはいかないことはわかっておられたと思います。そういうときに「今さら何しにきたんだばかやろう」という扱いをしたために、結局勝てずに衰退していった組合は世の中にゴロゴロあるわけです。
以前このエッセーで取り上げた、広島電鉄労組は、そんな姿勢を見せず、忍耐強く会社側の人たちを切り崩して仲間に引き入れることで、ほぼ常勝の成果をあげたのだと思います。
困難な中で闘い続けたことは、間違いなく勲章になりますし、大いに報いられなければならないと思いますが、他者を見下す根拠には決してならないと思います。か弱い庶民が、圧倒的情報落差の中で、暮らしを守るためにしなければならなかった選択には理解をしなければならない。それがロシア革命の帰結はじめ、過去の運動のもたらした愚行の数々から引き出すべき教訓でしょう。理念のために自己犠牲をやせ我慢することが、身の回りのささやかな暮らしの都合を守ることよりも、何か価値が高いものであるかのようにみなすことこそ、ありとあらゆるおぞましい抑圧の元だということを自覚しておかなければならないと思います。
これ、沖縄の米軍基地の問題でも同じですよね。沖縄の失業率の数字とか見てみたら、県外移転がどうのという以前に、そもそも普天間から基地を動かせないだろという気になります。自殺者が出たらどうするとか、何人故郷を捨てることになるだろうとか、そんなことを考えたら、外部にいて無責任な煽りはできないと思います。
だから、反原発にしても、反基地にしても、まずもって、地元でまっとうな職を得て安心して暮らせるような景気を作る展望を見せないと、勝利はおぼつかないと思います。少なくとも、そういう主張をする政党は、ちゃんとした景気対策を語らないと無責任だと思います。
その意味では、白井さんの国会承認の件では、社共が賛成したことにはただ怒りがこみあげるだけですけど、尊敬する沖縄社会大衆党の委員長まで賛成してしまったことは、とても悲しかったです。そもそも、円は今でも高すぎると思いますが、仮に百歩譲って円と台湾ドルのレートが、日本全体と台湾の貿易財の生産性格差に見合っていたとしても、沖縄と台湾の貿易財の生産性格差には全然見合ってないことは明々白々です。円価値防衛志向など、日本の他のところではともかく、少なくとも沖縄に関しては災難でしかないでしょう。なんとしても、白井さんの日銀審議委員人事には反対しておくべきだったと思うのですけどね。
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